【終】砕け散る翡翠
〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイは七賢人だけが出入りできる〈翡翠の間〉で、星の観察記録を見直していた。
普段はこの手の作業は、この部屋の真下にある執務室でするところだが、現在、メアリーの執務室はカーラの安置に使われている。
〈翡翠の間〉は部屋の四隅に、結界の威力を増幅するための翡翠柱を設置している。現在はこの翡翠柱を利用して、真下にあるメアリーの部屋に張った結界を強化していた。
リディル王国城は、国内で最も警備が厚い場所だ。警備兵の数もさることながら、城そのものにも防御結界が張られている。
その上で、ここには翡翠柱の結界も張られているのだ。〈翡翠の間〉は国で一番安全な場所と言っても良い。
(とは言え、守りを固めているだけでは、埒が明かない……カーラちゃんの容態も日に日に悪くなっているし、一刻も早くセオドア・マクスウェルを捕らえなくては……)
そのために、メアリーは連日、星詠みを続けていた。
だが、夜も賑やかで明かりの多い王都は、決して星詠みに適した場所ではない。
それ故、メアリーは国内に複数ある天文台に手を回し、その観測結果を取り寄せて、内容を照合していた。
(セオドア・マクスウェルの運命を示す星が分からない……だけど、〈暴食のゾーイ〉がもたらす運命なら、なんとか見える……)
観測結果を照らし合わせると、喪失の凶星がジワジワと国に広がり始めているのが分かる。
喪失はいずれ国全体を覆う災厄と化すだろう。
そうなる前に、具体的な場所や関わりのある人物を特定したい。
更に見過ごせないのが、七賢人全体にちらつく凶兆だ。
国全体の凶兆と、七賢人の凶兆。それらを交互に見ていたメアリーは、あることに気づく。
「これって……」
二つの観測結果がピタリと重なる。そうすると、運命の流れが見えてくる。
凶星と関わる可能性が最も高い場所、人物、そして……。
「どうして、ここに……あの竜が……?」
眉をひそめたその時、階下で悲鳴が響いた。あれは、ローズバーグ家の魔女の悲鳴だ。
メアリーの心が揺れる。これは非常事態だ──だからこそ、メアリーはここを動くわけにはいかない。
(あたくしが最優先すべきは、結界の維持)
メアリーはもどかしさに唇を噛みつつ、最悪の事態に備えて手元の紙に観測結果を走り書きした。
* * *
「うっ、うっ、どうして城でも、ババ様と顔を突き合わせて仕事しなくちゃいけないんだ……フリーダに会いたい」
「ヒーッヒッヒ、嫌がってくれて嬉しい限りだよ。アタシは若者の苦悶の表情が大好物なんでねぇ」
己の執務室で呪具作りの仕事をしながら、レイは涙目で「フリーダに会いたい」と呟く。
テーブルを挟んで向かいの席に座るのは、でっぷりと太った紫の髪の老婆──レイの祖母、二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライト。
レイはここしばらく、城から一歩も出ずに、執務室で祖母と共に仕事をしている。それが〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイの指示なのだ。
(七賢人に凶兆が出ていたとは言え、そこまでするか?)
〈星詠みの魔女〉と〈砲弾の魔術師〉、〈結界の魔術師〉、それと自分の祖母と、ローズバーグ家の魔女達がグルになって、何かをコソコソとやっていることはレイも気づいていた。
だが、七賢人である自分にそれを教えないとなると、只事じゃない。
「……ババ様、年寄り連中は一体、何を企んでるんだよ。そろそろオレ達に教えてくれてもいいじゃないか」
レイが恨みがましげな目で祖母を見ると、祖母は羽根ペンを動かす手を止め、ピンク色の目をギョロリと動かしてレイを睨んだ。
「……〈沈黙の魔女〉と〈竜滅の魔術師〉が戻るのをお待ち。今メアリーが、情報開示のための手続きをしている最中だよ」
情報開示に手続きがいるとなると、いよいよ只事じゃない。
国家の存続を揺るがしかねない、一大事ではないか。
レイは唾を飲み、ボソボソと小声で問う。
「じゃあ、これだけでも教えてくれよ。〈星詠みの魔女〉は執務室に何を隠して……」
その時、悲鳴が聞こえた。老婆の悲鳴──あれは、ローズバーグ家の魔女の声ではないか?
アデラインが舌打ちをして立ち上がる。
「メアリーは〈翡翠の間〉か……。砲弾、結界、茨の坊や達はどこだい!?」
「ほ、砲弾と結界のオッサン達は、貴族議会と打ち合わせで本棟の会議室……ラウルは多分庭のどこか」
ついでに、アデライン以外の元七賢人は別棟で、会合やサロンに顔を出している頃だ。
アデラインは顔中の皺を更に深くするように顔をしかめ、廊下に飛び出す。
訳が分からぬままにレイもそれに続いた。
この辺りは、七賢人の執務室が並ぶフロアだ。そんな中、〈星詠みの魔女〉の執務室だけ扉が開いている。
廊下には二人の老婆が倒れていた。どちらもローズバーグ家の魔女だ。
老婆はどちらもピクリとも動かない。見たところ出血等は無いようだが、顔や首筋、手の甲など露出している肌の上に黒いあざのようなものが見える。
「レイ、戦える男どもが戻ってくるまで、時間を稼ぐよ」
アデラインが杖を構えて、低く呟く。
レイは狼狽えながら叫んだ。
「な、何が起こってるんだよぉ……!?」
「正直、アタシも想定外の事態だ。やられたよ。外部からの攻撃ばかり警戒して、内部から攻められることを想定していなかった」
どろりと、泥水が流れるかのように、室内から黒い液体のようなものが溢れ出してきた。
質量を得た影のようなそれは、レイが操る呪術が具現化した時に似ている。
そんな質量ある影を伴って、室内から一人の女が出てくる。寝間着姿の赤茶の髪の女。レイは彼女の顔と名前を知っていた。
「……〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェル?」
ローズバーグの魔女達同様、カーラもまたその肌に黒いあざが浮かび上がっていた。
彼女を取り巻く黒い影は、そのあざから這い出てきている。
カーラは虚ろな目でアデラインとレイを見る。その口はブツブツと何かを呟いていた──あれは、詠唱だ。
その詠唱を聞いたアデラインが顔色を変える。
「あぁ、畜生なんてこった!」
毒づき、アデラインが鋭く詠唱を口にする。杖の先端に紫色の呪印と呼ばれる紋様が浮かび上がり、それがカーラに向かって飛翔した。相手の動きを封じる呪いだ。
だが、アデラインの呪印がカーラに届くより早く、黒い影が大きく膨れ上がって呪印を覆った。
のみならず、黒い影は空中で粘土を捏ねたかのようにグニャグニャと歪み、その形を円錐状の棘に変える。その数、十数本。それが雨のようにレイとアデラインに降り注ぐ。
(なんだよ、なんだよこれ!!)
訳が分からず立ち尽くすレイの腕を、誰かが強く引いた。
「レイ! アデライン様!」
レイとアデラインは、廊下の後方に引きずり倒され、二人揃って尻餅をつく。
尻餅をつき、腰を打ちながら、レイは見た。
黒い影に肩を貫かれた、己を庇う婚約者の背中を。
「フ、フリーダぁぁぁぁっ!」
それはまるで、フリーダの左肩から黒い棘が生えているかのようだった。
黒い棘がずるりとフリーダの肩から抜ける。フリーダの肩から血は流れていなかった。ただ、左肩のあたりが、黒いインクを被ったかのようにベッタリと黒く染まっている。
その染みはじわじわと広がり、フリーダの腕を、首筋を、血の代わりに黒く染めた。
フリーダは僅かに顔をしかめながら、それでも床に落ちたアデラインの杖を拾い上げて構える。
レイと同じように尻餅をつき、巨体をブルブルと震わせていたアデラインがフリーダを凝視した。
「フリーダ、あんた、なんだって……」
「『その牙は家族を守るためにあれ』──祖父の教えです」
次々と降り注ぐ黒い棘を、フリーダはアデラインの杖で器用にさばく。
しかし、フリーダの動きは明らかにぎこちなかった。左腕が殆ど動いていないのだ。
そうしている間も、左肩を中心に黒い染みが広がっていく。その染みが胸元に到着したところで、フリーダが苦しげに息を吐き、膝をついた。
恐らく、あのシミが心臓に達したのだ。それでもフリーダは動きを止めない。
ヴァルムベルクの戦狼の血を引く娘は、杖を振るいながら吠える。
「ヴァルムベルクの女は、家族を守るためならば、武器をとることを躊躇しません!」
杖を振り回しながら吠えるフリーダに、アデライン・オルブライトは言葉を失った。
(あぁ、あぁ、なんだって、なんだって、あの男の孫が……)
かつて戦場であいまみえた男の孫が、アデラインを家族と口にするだなんて──なんと笑わせるのだろう!
杖を手に戦うフリーダは、戦場の祖父と同じ目をしていた。
祖国のため、家族のために剣を取り、最前線に立って戦場を駆け抜けた男。
若き日のアデライン・オルブライトをときめかせた、獰猛なヴァルムベルクの戦狼!
──あんたにとびきりの呪いをかけてやるよ、ヴァルムベルクの戦狼! あんたはこれから先、どんなに良い女を抱いても、真っ先にアタシを思い出すのさ!
(そう言ってキスをくれてやった時の、心底嫌そうな顔といったら!)
アデラインはクツクツと喉を震わせて笑い、己の耳飾りを外した。
かつて、古代魔導具〈暴食のゾーイ〉に封印を施した三人の魔女がいる。三代目〈茨の魔女〉、二代目〈深淵の呪術師〉、〈星詠みの魔女〉の三人だ。
そして、既に三代目〈茨の魔女〉は死去している。残る二人はアデラインとメアリーの二人。
だからこそ、この二人は最も安全な〈翡翠の間〉周辺に待機していたのだ──それが裏目に出た。
既にアデラインは追い詰められているし、カーラの力なら、間もなく〈翡翠の間〉も突破するだろう。
今この状況でアデラインが優先すべきは、カーラの詠唱の阻止、もしくは己の身の安全の確保だ。
(あの影に汚染されたフリーダは、もう助からない)
ならば、フリーダを捨て駒にして逃げるのが一番だと、二代目〈深淵の呪術師〉は理解していた。
それでもなお、アデライン・オルブライトは己の使命をかなぐり捨てて、この場に留まることを選ぶ。
かつて恋焦がれ、そして呪った男の孫、フリーダ・ブランケの隣に立つ。
「レイ、これを持ってお逃げ」
アデラインは外した耳飾りを二つ、レイに放り投げる。
耳飾りは、繊細な金細工の中央で濃い紫水晶が揺れているデザインだ。その紫水晶の中に、〈暴食のゾーイ〉の封印が解けた時の対策を仕込んである。
「ば、ババ様、待って、俺も、フリーダを助け……」
覚悟を決めたアデラインと、手負いでもなお勇ましく戦うフリーダ。
二人を交互に見て、泣きそうな顔で訴えるレイに、アデラインは告げる。
「今、あんたにできることはない。あんたの仕事はこの後だ」
──もうカーラの詠唱は止められない。ならば、今できるのは被害を最小限に食い止めること。
「三代目〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト。今度はあんた達が、〈暴食のゾーイ〉を封印するんだよ」
カーラの目の前に白く輝く槍が生まれる。
天井から床に届くぐらいの長い槍──〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルの二つ名ともなった光属性魔術。
虚ろな声が、術式の最後の一節を口にする。
「『貫け、星の槍』」
〈星の槍〉が狙い定めているのは、この真上にある〈翡翠の間〉。
〈翡翠の間〉には高度な防御結界が張られているが、〈星の槍〉ならそれを貫くことができるだろう……〈翡翠の間〉にいるメアリーごと。
このままだと、この辺りは木っ端微塵だ。被害が甚大になるのは確実。
「深淵より出ずるもの、あらゆる奇跡を呪い、歪めよ!」
アデラインの全身に刻まれた呪印が服の隙間から這い出て、宙に浮かび上がる。
己の全身に刻んだ呪術を、一度に全て放出する呪術暴走──呪術は闇属性の魔術に近い性質があるから、光属性の〈星の槍〉を多少は相殺できるはずだ。
白く輝く〈星の槍〉に、紫色の呪印が絡みつく。目が眩むような白と、限りなく黒に近い深淵の紫がぶつかり、爆ぜる。
「ババ様、それは、それは駄目だっ、ババ様……っ! フリーダぁっ!」
呪術暴走は、呪術師が生涯に一度きりしか使えない、捨て身の技だ。
初代〈深淵の呪術師〉もまた、己の全身の呪術を暴走させ、呪いに喰われて死んだと言う。
レイが泣き叫ぶのを聞きながら、アデラインはしゃがれた声で叫ぶ。
「二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライトが命じる。万象の慟哭を、ここに奏でるがいい!」
* * *
騒ぎを聞きつけた〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが飛行魔術で現場に向かったのとほぼ同時に、リディル王国城の一角──〈翡翠の間〉で白い光が爆ぜた。
ルイスはあの輝きを知っている。
(あれは、カーラの〈星の槍〉……!)
それを見ただけで、ルイスはすぐに最悪の事態に陥ったことを理解した。
自分達は、セオドア・マクスウェルと〈暴食のゾーイ〉の力を見誤ったのだ。
城の残骸が辺りに飛び散る。ルイスは防御結界の詠唱を口にしたが、それより早く宙に浮かんだ大量の水が瓦礫を受け止めた。
城の別棟の方から、ルイス同様飛行魔術で現場に向かう元七賢人〈治水の魔術師〉の姿が見える。
ルイスにとって義父になる〈治水の魔術師〉は、二つ名の通り、水を正確に操る魔術において右に出る者はいない。
瓦礫の処理は〈治水の魔術師〉に任せて良いだろう。
ルイスは現場の四階周辺に降り立った。壁も天井も無くなった廊下には、大小様々な翡翠の欠片が散らばっている。真上にあった〈翡翠の間〉の結界を維持する翡翠柱は、歴代七賢人達の魔力が込められてきた、最高峰の魔導具だ。それを砕いた〈星の槍〉の威力にルイスは改めて戦慄する。
翡翠の残骸の周囲には、ラウルの茨が広がっていた。
「レイ……レイ、ごめん……オレが……フリーダを連れてこなければ……」
廊下に立っているのは、ラウルだけだ。
彼の前では、レイがアデラインとフリーダに縋りついて、咽び泣いている。
ルイスはあらゆる私情を押し殺し、いっそ残酷なほど冷静に訊ねた。
「〈茨の魔女〉殿、状況の報告を」
ラウルは今にも泣きそうな顔を隠すみたいに、前髪をぐしゃぐしゃとかき乱し、目元を手で覆いながら口を開く。
「〈星槍の魔女〉が黒い影みたいなのに操られて、〈星の槍〉を使った。それを、アデライン様が呪術暴走で相殺……でも、完全には威力を殺せなくて」
ラウルが駆けつけたのは、〈星の槍〉が発動した後だったらしい。
慌ててラウルは自分の茨も出したが、再生力の高い彼の茨をもってしても、〈星の槍〉を完全相殺するには至らなかった。
ルイスは床に倒れているアデラインとフリーダを観察する。
二人とも、全身に黒いあざが浮かび上がっていた。カーラが発見された時と同じだ。
少し離れた所には、ローズバーグ家の魔女が二人倒れていた。こちらも同様に、黒いあざが浮かんでいる。
込み上げてくる激情を飲み込み、ルイスは冷静に思案した。
現在確認できた被害者は四人。全員、仮死状態で全身に黒いあざ。カーラと同じ症状ということは、彼女らも操られる可能性があるのではないか?
「被害者全員に魔力干渉を遮断する拘束結界を張ります。〈深淵の呪術師〉殿、邪魔なんで退いてください。〈茨の魔女〉殿は、他に被害者がいないか茨で捜索を」
淡々と指示を出すルイスに、レイが泣き腫らした顔を上げ、信じられないものを見るような目を向けた。
「なんで……拘束結界は、罪人に使うものだろ……なんで、ババ様とフリーダに……」
「そこに倒れている二人が、カーラのように操られる可能性があるからです。頭を使え」
サラリと最後の方で本音をこぼしつつ、ルイスは一人一人に拘束結界を施した。四人全員の体を透明な膜が包み込み、その上から金色の鎖のような模様が浮かんで貼りつく。
レイはその様子を半ば放心状態で見つめていた。
どうせこの状況で、呪術師である彼にできることなど無いのだ。
ルイスはレイを放置して、ラウルに訊ねる。
「〈星槍の魔女〉はどこへ?」
「ごめん、分からない。多分、爆発のどさくさで、飛行魔術を使って逃げたんだと思う…………あっ」
ラウルが顔を上げて、近くの瓦礫に駆け寄る。
「生存者だ!」
ラウルが僅かな隙間から茨を滑り込ませる。
彼は生存者を茨で囲うようにして保護し、「よっ」と軽い掛け声をあげて瓦礫を押し退ける。
瓦礫の下から見えたのは、七賢人のローブと銀色の髪。
「メアリーさん!! 良かった……生きてたのか……っ」
ぐったりとしているメアリーもまた、黒いあざに全身を覆われていた。
正確には仮死状態なので、生きているとは言い難い有様だが、それでも〈星の槍〉の直撃を受けて、五体満足でいるだけ奇跡だ。
二代目〈深淵の呪術師〉の命懸けの抵抗と、ラウルの茨は無駄ではなかったらしい。
「あれ? メアリーさん……何か、握りしめてるな? 紙?」
ラウルの言う通り、メアリーは右手にクシャクシャに丸めた紙を握りしめていた。ルイスは「失礼」と一言断り、丸めた紙を丁寧に広げる。
「これは……」
紙には、走り書きで二行。彼女の預言が記されていた。
──サザンドール、〈沈黙の魔女〉、黒竜。
──史上最悪の竜害。




