ヒロと上妻桜
12
ヒロと未玖珠は学校には行かず研究所内で超能力のトレーニングを行っていた。
施設は地下に行く事に階層で分けられている。
CLASS1。比較的安全なフロア。そこには超能力を鍛える器具や設備がたくさんある。中には馬鹿でかい鉄球やら無数のぬいぐるみなど変わったものもあった。
重力が切り替わる前提で造られているような立体感でくらくらする迷宮のような構造になっている区画がある。
そこでは三次元的に超能力を使う訓練ができる。手や、視点が届かないところでの力の行使に慣れるためだ。
CLASS2。
念動力の透過力を上げるトレーニングができる設備がある。
念動力者が扉の先の物体に対して力を作用させようとしてもそれはかなり難しくなる。
木製の厚さ7cmの扉の先のテーブルの上に置いてあるぬいぐるみを持ち上げることがヒロには出来なかった。
扉を透過する過程で格段に力が弱くなってしまうからだ。
比喩で言うならヒロをリモコンとしてぬいぐるみがテレビだとしよう。 扉の先のテレビの電源をリモコンでつけようとするようなものだ。電波は弱々しくなる。
むしろ隙間を経由して扉の先でもぬいぐるみを持ち上げた方がぜんぜん力は働く。
念動力の力の透過性は著しく低い。物体をすり抜けてその先に力を伝えるのは極端に難しい。 個人によって差はあるが発泡スチロールでさえ二十cmも透過しない。
しかし、二人しかサンプルがないため判断材料が少ない。テストは同じサンプルが100ケースはなくては計測もままならない。
まだまだ手探りの段階だ。もしかしたらあと何十年、あるいは何百年も経ち、超能力者が増えることがなければ、超能力の解明が成されることはないのかもしれない。
全くの未開である以上、世界をいきなり変える力もある可能性がゼロではない。少なくとも香川未玖珠は世界をひっくり返す力があると信じていた。
さて世界で現在確認できている中で二人しかいないサイコキネシスを使う超能力者の片方の中居ヒロはclass1の体育館のような一室にいた。
ヒロは体育館風の区画の床で汗まみれになりながら倒れていた。
ジャージを着て、両方の腕を腕まくりしているのでその腕と床との接地しているところがひんやりと心地いい。脚にほどよくフィットするシューズごと床に投げ出している。
「床冷てー」
耳には規則的なリズムの振動の打楽器のような音が届いていた。ガチィンガチィンという金属音。それは爆音だった。
この体育館に酷似しているが違う、しかし用途の本質は似ている大きな箱の中でやはり大きな鉄球がリズムよくぶつかり合っているのだ。
空間いっぱいを使って縦横無尽に動きまくる大鉄球。その動きは原子や中性子や粒子が動きまくる様子を想起させた。
じっと見ていると大鉄球の残像の向こうに同じくジャージ姿の香川未玖珠が見える。中心にいる。今日は頭の上の方で髪を二つに結んでいる。癖のある髪は本人の性格を表していた。細長い柱の上の地面からけっこうな高さのある台座の上に乗り、彼女は両腕をさかんに動かしている。念動乱舞をしているのだ。
彼女のくせっ毛の長い髪が彼女の特質さを象徴するように逆立っている。
ヒロも超能力を使えば同じようなことになるのでその特質さを共有していることになる。
二人は超能力を使っていることを隠したい時はその髪の逆立ちを超能力で抑える。しかしこの場にいるのは同じく普通の人間とは異質なヒロだけだ。未玖珠にとっては世間に超能力を隠しているということは気に入らないことだったが、今は何も気兼ねする必要は無い。超能力を使っても怯えられないし、引かれないし、排斥されない。
未玖珠は大鉄球で激しい音を響かせ続けている。にもかからわずヒロの地面につけてい
る左半身と左耳から振動や音はほとんど伝わってこない。
なぜなら地面に一度たりとも落ちることなく大鉄球は空中でぶつかり合っているからだ。
ヒロは地面のシーンとした心地よさと大地に接することで安心感を覚えていた。
大鉄球が彼女にぶつかりそうな軌道を描いても、それを他の大鉄球が弾く。その光景の連続だった。
ヒロはまぶたを閉じた。それくらい未玖珠がノーミスでトレーニングを終わらせることを信頼していた。
どれくらい時間がたっただろうか。体内に意識を向けると激しい音色は遠ざかっており、代わりに心臓の音が響いていた。やがて遠くの方で鳴っている鉄の弾き合いと心臓の音がリズミカルに絡み合っていく。そして曲の終わるように音が小さく、減っていく。その些細な変遷の中ヒロは無音が訪れるまで耳を澄ませた。
まぶたを閉じ心を開いていた。
演奏が終わった指揮者のように彼女は動かしていた両腕を徐々にゆっくりと止めた。球状に放射していた超能力も同じようにその身にしまってゆく。
大鉄球は羽のように軽く地面に着陸した。
そして彼女は軽くのびをして息を吐いた。
そして台座から飛び降りた。シューズのタップ音の振動がさざ波のように遠くの方から近づいてくる。
ヒロは起き上がった。上体を起こしたが疲労は回復していなかった。
壁にもたれ掛かる。未玖珠はいつの間にやら両腕にスポーツドリンクに持っていた。冷蔵庫がバタンとひとりでに閉まる。
そして未玖珠はヒロにスポーツ飲料を放り投げてから左側に腰を下ろした。豊かな巻き毛が床にこぼれるようにして広がる。
「ねっヒロ!そういえばバーベル何kg持ち上がるようになったの?」
「昨日800kg持ち上げたところさ」
「私と初めて会ったときはコントロールもままならなくてやっと消しゴムが浮かぶレベルだったのにね。二ヶ月近くでこんなにどんどん伸びるなんてね」
未玖珠が嬉しそうに顔を綻ばせる。喜びが漏れるみたいに超能力が微弱に放たれていた。
「宝石だと思って磨いていたものがビー玉だったらがっかりでしょ?」
未玖珠はガラスを玉を響かせたような声で答える。
「それにしても目覚しい進歩ね。ちょっと羨ましい」
そう。ヒロの力は覚醒と言えるレベルで進歩していった。
「ああ………超能力の進歩はなにかが始まるような、世界が変わるような感覚になる。僕は勉強にしろなんにしろ今までこんなに向いていると感じた分野はなかった」
「ヒロは天才よ!」
明朗に話すが未玖珠の水色の目に切ない心配げなものが浮かんでいるのがヒロには解った。
「健康診断が全部の水準クリア。オミークロン波の副作用も確認されてないし大丈夫よね……」
人形師事件の時にヒロは無茶をしすぎたからだ。
「もちろん」
本当に無茶をしっぱなしなのは未玖珠の方なのに。自分を大事にしろとヒロに言う未玖珠が自分を大事にしてない。
「ちなみに筋肉で上げられるバーベルは体重分の60kgだった」
「人の五感や筋力で可能なのは所詮その程度だわ。全国平均もそれぐらいだったかしら」
彼女が喋るとその髪がぴょこぴょこと動き、ヒロの目だけがその先端の動きを猫のように追った。
「えーっと。平均は45kgぐらいだったと思う」
この時点でヒロは超人的な怪力の持ち主となった。インターハイで優勝も軽くできるだろうし、オリンピックで金メダルも可能不可能で言えば可能だ。
ぴょーんと他の人の頭をこの力は簡単に飛び越えることができてしまう。
未玖珠笑顔ではヒロに
「こんなに真剣に超能力を研鑽するなんて偉いわね!」と言う。
未玖珠は本気で嬉しそうでヒロの成長を心の底から喜んでいるみたいだった。
超能力以外にも何でもできそうだ。それなのに彼女は超能力に固執する。
「未玖珠は同じ空間に居れることが誇らしくなるぐらい美しい」
ヒロがそういうと未玖珠は誇らしそうにその端正な顔をゆるませた。
「好きだよ未玖珠」
しかし未玖珠のことが好きになればなるほどいつか超能力に愛想をつかないかヒロは不安になる。なぜなら超能力しかないヒロと違って彼女にはなんでもあるからだ。
ヒロは疲労で半分寝そべっているような格好にまでなっていた。
「(疲労にも段階があるな。最終形態が〈地面に横たわる〉。
僕の体勢は第四形態〈寝そべるように壁にもたれかかる〉
第三形態が〈ひざに両腕を乗せて息を乱す〉
第二形態が〈座って息をつく〉ぐらいか。)」
冗談である。
それにしても未玖珠は息が荒くなってすらいない。
「念動乱舞で5分間全力で大鉄球を動かしまくったのに僅か3分間の休憩で完全回復しているっていうのがね。脳機能の回復力が尋常じゃないよ未玖珠。集中力も」
脳の器官の強さが根本的に違うのかもしれない…………。ヒロは思った。
彼女はポーズとして腰を下ろしているだけだ。汗すらかいていないこの女王はただ単にヒロのそばに来て共に腰を下ろし、話したかっただけなのかもしれない。
「ヒロは細密動作の方が向いてるわね」
「未玖珠はオールマイティに突き抜けているみたいだね。タイプがあるならだけど万能型なのかな」
「派手な方が好きだもん」
普段は大人っぽいのにヒロと超能力の話をする時は子どもっぽさを見れる。
未玖珠はきっかり三分間休んでからまた立ち上がった。
「ちなみに未玖珠ってどれくらいの重さを持ち上げられるの?」
この質問をするのに結構な緊張をした。
「10t漁船をこの前引き上げてみたわ」
10tと言えば漁船の中でもかなり大きな方だ。水の底から引き上げのためのクレーンも使わず上昇し、海面を出て宙に浮かび海水が滝のように漁船から流れ落ちる光景が思い浮かぶ。まともにやろうとすれば数々の人間の力と機材が必要だろう。そんなことがたった一人の人間が可能という事実。
ゾクッとした。
「君こそが天才だ。いや天災かな?」
ヒロがかろうじて拳を突き出し未玖珠がコツンと左拳を突き合わせる。
ヒロは目指す場所を見て気合いが入る。
「さすが世界最高の念動力者だな」
ヒロは未玖珠に微笑んだ。
大鉄球の元に戻る未玖珠の遠ざかる背中を見ているとどこかに置いていかれるような不安に似たものを覚える。
ヒロは唇を噛み、疲れた体と脳を振り絞るようにして立ち上がろうと試みた。歯を食いしばり壁に手をつきながら体をがくがくさせながら壁に手をついてようやく立ち上がる。
「僕もなんだかんだで超能力が好きになってしまったなぁ……」
あのお嬢様の目論見どうり。でも彼女はなんだかんだほっておけない。
未玖珠の背中を追う。
ヒロと未玖珠の超能力の差がありすぎるがそれをヒロは感じることができていた。
「(…………大きすぎてその力の差が分からなくなる前になんとかしたい)」
なんとなく未玖珠がヒロを待っていてくれているような気がするからだ。彼女はその気になれば一人でも進むことはできる。
しかしヒロに力が蓄えられるのを彼女は待っている。その期待に応えたい。
「最低限の力が無くては守りたいものすら守ることはできない」
自分に言い聞かせるようにヒロは言った。
ヒロはそれを心の芯で理解しなくてはならないような出来事に遭遇してきた。
ヒロはかなり難易度の高いミッションを成そうとしているのだから生半可なものでは足りない。
そして遥か先をゆく念動力者の片割れは計り知れないほどの極難易度の大事を成そうとしている。
だから、力を。
ヒロは時に頼りなく、時に頼もしいその自分に付いている足を前に踏み出すのだった。
超能力者たちは研鑽ばかりしているでもなく時々は遊びながら超能力を使うこともある。
いくつも遊びを考えてみたりしていた。
それ自体が有益なものでもあったが。
スポーツのようにルールを決めて超能力を使うのだ。そういう遊びは本当に楽しい。5個のバルーンを守って15本のバルーンのサーベルを打ち合うスポーツを二人で考えていったがルールを決めて行ったり、お互い予想もつかないことやるので怒ったり笑ったりしながら遊べる。
ヒロは研究所の備え付けのシャワーを浴びてから白い建物の外に出た。
黒いタートルネックのTシャツの上にコートを羽織っている。
マフラーを巻いてそこに顔を埋めると超能力が乱回転するような感覚がまだ抜けきれていなかった。寡黙にヒロは歩き出す。もちろん一人で喋っていたらおかしいんだけど。
疲れきったのは心地よかった。
髪が風でそよそよと動く。
逢魔ヶ刻。どこかノスタルジックな感じになるこの時間帯。 駐輪していたクロスバイクに乗る。
昔のことを考えていた。小学生だったころに見ていた景色がふと蘇る。気にしなければすぐにそんなノスタルジーにも似たものは消える。
過去の記憶を思い出しヒロはやや不快な気持ちになった。
誰にでも幼かったころというものが存在する。
外では誰もが家路についていた。通い慣れた感の出てきたヒロのアパートから研究所までの道のりをクロスバイクで漕ぐ。水色のクロスバイクは軽快に車輪を回し主人を運んでくれた。
本体は軽く、漕ぐ足に吸い付くようにペダルも軽かった。念動力の疲れはあとからどっとやってくるのでまだ気持ちいいままだ。
クロスバイクを買おうと決めて次の日、早速高校に自転車通学の申請をしていて、すんなりとそれは降りた。
同級生はもちろん上級生も下級生も驚いていた。
未玖珠の権限だった。
ヒロが食材を買おうと商店街に入ろうとした時なにげなく目についた人がいた。
ヒロがその人の容貌を見た時なにか記憶の中で引っかかりを覚えた。
綺麗な人だった。
女子高生。
どこか懐かしい。後ろ髪を束ねて横の髪を垂らしている。ぱっちりとしたあの目はヒロに向けられているのか?
童顔で柔らかそうなふにふにした顔。
世界からの重厚な祝福を受けていてそれ以外知らなそうな平和そうな顔。
「(どこかで見た記憶が───いや、思い違いか)」
ヒロではなく女の子はくるくると廻るクロスバイクの回転を見つめているのかもしれない。
「(自意識過剰だ。あんな健全で陽の当たりそうな場所にいる女の子が『僕を』見ていると考えるのは自意識過剰だ)」
しかし確かにヒロとその林の木漏れ日のような瞳とで視線が交錯している。
その時だった。ヒロが女の子の前から歩いてくるおっさんの歩きタバコが女の子に当たりそうになっているのに気づく。丁度、顔の辺りにタバコの燃える火が当たる軌道だった。
女の子は顔を上げてこちらを見ていてそれには気がついていない。
おっさんは己の罪深さにまったく気がついていない。
気がついているのはこの場でヒロだけだ。
このままじゃ目の前であの子の汚してはならない顔が傷つけられる。
世界にはうんざりしてしまうようなことが沢山ある。
商店街にこんなに人がいるのに気がついているのがヒロだけだということ。行動を起こすのはヒロだけだということ。
「ふざけるな…………」
脱力感と共にヒロは言いようのない怒りのようなものを感じた。
瞬間的にヒロは反応の限界の0.11秒で、超能力を発現した。それによって最悪の事態は避けられた。
ビッ。タバコは一瞬でイリュージョンみたいにおっさんの手から消えた。
それは自身最高速度の超能力の発動だった。
商店街の二階で外を見ていた住人は宙にタバコがくるくると飛んでいるのを見た。
今までで一番速い超能力だった。
超能力の鋭くと正確だ。実践的な超能力がタバコをはね飛ばした。
ヒロは目の前の光景に戸惑っていた。
うんざりするものはこれ以上見たくなかったし、味わいたくなかったのに次から次へとうんざりさせられる出来事ばかり起こる。
そしてヒロはどこからか来るのか分からない感情を滾らせながらおっさんに話しかけた。
おっさんのやっていた行為とそれがどういう結果をもたらすのか僕はおっさんに説明した。
かなり怒っていたので被害者になるところだった。女の子がヒロを見て驚いた子猫みたいな顔をしているのにも気が付かなかった。
女の子の「こちらも不注意でしたから……」という断片的な言葉にも得体の知れない感情を覚える。
女の子が引いていようがどう思われようがお構いなくヒロはおっさんの罪を理解させるまでとことん話した。
こそこそと行こうとするおっさんを逃がさなかったので謝罪と反省両方をしてもらうまで結局一時間ぐらいかかった。
一時間後おっさんはもう二度と歩きタバコはしないと言い、女の子に深く謝った。
女の子は僕に何度もお礼を言ってくれたが、また言ってくれた。
「本当にありがとう。ヒロ君が気がついていなかったら……それにここまでしてくれて」
「あ……うん」
上妻桜。小学校の同級生だった。
「今更怖くなってきた……」
桜は顔を青ざめて胸をなで下ろした。
「こんなに時間とってもらっちゃった。ごめんなさい」
「……気を付けろよ。脳天気に歩いてるからこんなことになるんだ」
上妻は手に食材の入った袋を持っている。
「ごめんなさい。ほんとにほんとにほんとにありがとう」
上妻は顔を赤くし、興奮して何度も頭を下げてヒロにお礼を言った。
何度お礼を言っても言い足りないというように何度も。
「あぁ、もういいよ別に」
ヒロは困惑していた。
ヒロと未玖珠に対しては世界は狭量で、攻撃的で、排他的なのは知っていた。しかし、特に他でもない上妻桜にも適用されてしまうことになるとは思えなかった。
彼女はそういった悪意からは完全に守られているはずだった。
「今度改めてお礼させてもらえない……かなぁ」
桜は若く、健全な価値観をしていた。 その健全で子供に好かれそうな瞳。
「いや、いいよ。大丈夫。気持ちだけで。じゃあね」
これ以上僕と関わらない方がいい────僕と関わることでうんざりするものがその瞳に映ることになるということを想像するのは、恐怖だった。




