27 人間の時代へ
2017-05-17 縦書き対応、表現の修正。
飛翔してしまいそうになる勝利の意識を体の内に戻したのは、ライムがそっと左肩に置いてくれた軽い手の感触だった。
肉体の存在を意識し直すと、今いる場所がまんぼう亭である事を思い出す。自分は人間なのだ、という事も。
「…まるで、それ自体が誘導による罠のようですね」
悲嘆に暮れている者達の頭上から降り注ぐ光。それは、縋りたい者が勝手に見出す光で、実際はそんな都合の良いものなどありはしない。
就活の中で焦るうち、ろくでもない求人広告がましなものに映り始める現象と酷似している。
僅かに眉根を寄せ、湖守が小さく首肯した。
「全く以てその通り。しかも、エル・ダなる神造神は、何故か神格が一つしか下がらなかったという。その神格の高さも加わって闘神たり得たのだろうから、天界の敵も、一転すれば希望とやらに早変わりだ。…結果として起きたのは、古き神々による神造神化っていう一大ブームさ。あまりにも滑稽で、笑う事もできないよ」
「はぁ…。そのやり方で、神様達の問題は解決したんですか?」
「いや」と、湖守が即答した。「結果は、惨憺たるものだったよ。気がつくと、僕の心話は、鍛冶神と乃宇里亜にしか伝わらなくなっていた。神造神化を試みた全員の神格が大きく下がって、能力も純度も低下したからだ。心話がダメ。神サマ同士が、互いに相手の位置を感知できない。そこまで神格が大きく下がってしまうと、もう天界への扉を自力で開ける事はできなくなる。…最終的に、僕も選んだよ。主の援助の下で同じ道を、ね」
まるで旧約聖書の一節だ。尤も、聖書の記述では、共通するコミュニケーション手段を取り上げられたのは人間で、怒った神に取り上げた、とあるが。
「今話した古き神々による神造神や乃宇里亜達みたいなヴァイエルとかを総称して、第二世代神と呼んでいる。全員の共通項は、神造神である事。そこで、僕も考えた訳だ。…勝利君。君は僕と同類じゃないか、ってね」
勝利は、返事ができなかった。真冬の室内で全身に汗をかきながら、代わりにまたも質問を返す。
「だ…、だとしたら…。元の自分を捨てた神様たちは、その賞罰を与えるものから解放されたんでしょうか?」
「わからない。どうにもその部分が酷く曖昧なんだ」と、湖守が身を乗り出す。「もし、判明する時が来るとしたら、神サマ達がまた何かをしでかした時じゃないのかな」
「え~」
半眼を拵え、勝利の顔が左右非対称に歪む。
「とまぁ、ここまでが昔々の話なんだけど…」
湖守が話に一区切りをつけたところで、「マスター」と耳をくすぐる少女の声が頭上から軽快に転がり落ちてくる。
スツールに座る勝利の右隣へ、長髪の少女が突然姿を現した。足音どころか、移動した様子もない。突然全身がそこに出現したのだ。
年格好で言うなら、ちょうど小学校に通う高学年くらいだろうか。レースとフリルに溢れた真っ黒なスカートの下から、白いタイツを履いた足が赤いエナメルの靴を揃え立っている。
真っ直ぐな髪質の青い長髪は束ねられる事なく、膝の辺りまで流れ落ちていた。人形と見紛う可憐な美少女だし、白い肌、小さな口や銀色の虹彩には子供だけでなく、大人も夢中になるような気がする。
そう、少しばかり人形めいているものの。それが、乃宇里亜に対する勝利の第一印象だった。
少女が、ちらっと勝利を仰いだ。なるほど、視線には生気がある。
しかし、子供らしい表情の変化に欠け感情が今一つ伝わってこない。徹底した無表情に原因があると気づいたのは、湖守に向き直った少女の固い横顔を眺めた後だった。
勝利に殴りかかろうとしたチリの方が、内面を読みやすい。というより、人間に近いのではあるまいか。
取り敢えず笑いかけてみたが、案の定、少女の反応は皆無だった。
「マスター」少女が、カウンター寄りの壁兼柱にかかっている時計を右手で指す。「十一時三〇分になります。ランチの仕込みがまだ終わっていません」
「えっ!? もう、そんな時間!?」咄嗟にキッチンの中を見回し、「後は、パスタを茹でて。付け合わせのサラダか」と左右に慌ただしく動き始める。
いよいよ呆れた線目となる勝利に、「このお店はねぇ、ランチ・セットが一番人気なのよ~」とスツールから下りたミカギが上司のフォローに入る。「美味しいしすぐに料理が出てくるからぁ、五分十分を大切にしたい人達が大挙して押し寄せてくるの~」
「でも、まだお客の姿が全然ありませんよね。人通りの所為でしょうか」
身内ばかりにカウンターを占拠させている現状へ、勝利は勝利なりに上手い言葉を探そうとする。
「いや。こいつをドアに掛けてねぇからだ」
立ち上がったダブルワークが、カウンターの端から鎖の付いた木製の板を持ち上げた。そこには白い浮き彫りで「OPEN」と書かれている。
「勿体ない!! 午前中の営業時間はパァじゃないですか!?」
あんぐりと顎を落とした勝利に、ライムが店内から階段室へと抜ける通用口を指し示す。場所を変えよう、という事のようだ。
「いいんだ。緊急事態への対処に勝るものはない」
「ああ。君にだって訊きたい事があるんだろうし、ランチ・タイムが終わるまで上で過ごしていてくれ」
ぱらぱらと鍋にパスタを広げつつ、湖守がライムの提案を支持した。
ちらと時計の針の形を確認してから、ミカギとチリがコートを脱ぐ。
「私も手伝います」とミカギがレタスを揃えている間に、チリが「食器は俺が」と勝利が使っていたモーニング用のプレートやカップを手早く片づけ始める。
この時、勝利は初めてチリの声を聞いた。
上司とはきちんとコミュニケーションを取るようだ。
「マスター、私は?」
指示を待つ乃宇里亜に、「じゃあ、先に三階に上がって、みんなのお茶とお菓子を用意してて」と、両手の塞がっている湖守が上へと顎をしゃくる。
マジック顔負けの唐突さで、少女の姿は消えた。
-- 「28 難題」に続く --




