第七話
午前の部の撮影は何事もなくうまくいった。すべては順調に見える。
そう、日向以外はそう思えるだろう。しかし、マスクの怪人は確実にこちらの様子をうかがっているのだ。
休憩時間は、カフェを貸し切ってカメラクルーたちが各々の行動をとっていた。その中で日向は落ち着かない時間を過ごす。
膝の上においた手に力がこもる。空になったコップに入った氷がカラリと音を鳴らした。
やはり黙っておくべきではない。今日の撮影は中止したほうがいい。日向の中に残った一欠片の良心がそう訴えていた。
エンタメ化したとはいえ、やはり万事は起こらないに限るのだ。
「浮かない顔だな。出番がないことがそんなに不服か?」
喜一の腹立つ言葉が、胸に刺さる。今、彼に進言すれば事態は止められるだろうか。
口に出しかけて【正義の心は裏返った】。
「何でもねぇよ」
「本当かぁ? いま、何か言いかけなかったか?」
「別に、お前の言う通り出番がないことに不服なだけだ」
自分の放った言葉に驚く。動揺を隠すように、口元を手で覆った。
「はん。見た目女の子でも中身がおっさんじゃ駄々こねられても可愛くねぇな」
「うっせ……」
喜一を適当にあしらいつつ、自分にかかった条件について整理する。
自分が是とする行動を取ろうとすると、真逆のことを取ってしまう。なるほどこれは中々にヒーロー殺しの能力だ。
つまるところ、守りたいものがいれば逆に殺してしまうというところだろう。
これが乱用されることになればと思うとゾッとする。
逆にいえば、本当に無差別に被害を拡大させようとはしていないことへの証左にはなりそうだ。いや、そのフリをしているのならば分からないのだが。
「それでは次の撮影現場にいきましょうか」
プロデューサーの掛け声で、ざわめきが戻る。一斉に準備を整えていた。
一角を借りてフラワー・レッドのメイクを直しているところを見る。本当にタレントのように扱われていて、ため息を深く漏らした。
「あ、あの……」
そんなとき、コソッと隣から玲香が声をかけてきた。
「ひゅ、日向さんってクラッシャー・ガールですよね?」
「ぶっ!」
その呼び名を聞いて思わず吹き出した。のどの奥に唾液を詰まらせて大きくむせる。胸をたたいていると、慌てて玲香が水を持ってきてくれた。
「……どこでそれを?」
「や、やっぱりそうですよね!」
彼女は嬉しそうに顔を輝かせる。
「わ、私あなたに助けられたことあるんです! お、覚えてないと思いますけど……」
「うん、ごめんな」
気まずそうに顔を歪めると、彼女は両手を振った。
「ぜ、全然大丈夫です。ほ、ほら日向さんって色々助けて来ただろうし……」
「まぁ、昔はね」
今となっては、時代に置いていかれた寂しい老害だ。馴染めることができずにしかし覚醒者としてヒーローをやめることとできずにいる。
玲香の笑顔を見て、その気持ちが少しは救われる気がした。
「わ、私、一緒に仕事できて光栄です」
「はは、あくまでメインはフラワー・レッドだよ」
「あ、あの人はその……に、苦手です」
中々に正直な子だなと苦笑する。
「それ、あんまり大きな声で言ったらだめだからね?」
「わ、わかってます。そ、忖度くらい私だってできます」
「うん、わかってないね」
その言葉に「あれ〜?」と彼女は目を丸くしていた。
「それじゃあフラワー・レッドさんの準備ができたので、続きいきまーす!」
その声に、慌てて玲香は戻っていく。名残惜しそうに少しチラチラしていたが、彼女に手をひらひらと振った。
「いやぁ、なんとか無事終わりそうでよかったよ。玲香の業界への橋渡しもうまく完了しそうだ」
テレビクルーとの打ち合わせに席を立っていた喜一が戻ってきた。彼が席に座ると、また氷がカラリと鳴る。
そののんきな顔をぶん殴りたくなってきた。
「……フラグを立てんな」
「まぁまぁ、そのために日向がいるわけだからさ」
「……オレを頼んな」
この状況、怪人が本当に出たらまずいのだ。少なくともフラワー・レッドに対処できないほどの強力なものが出たとなれば、撮影は血祭りになる。
そして必ず嫌な予感というのは的中するものだ。
外から先ほどの子どもたちの叫び声が聞こえた。ピクリと日向が反応しようとして、動けなかった。
助ける行為を【裏切る】のは、見捨てるということ。条件の構造がすぐに思い浮かぶ。
フラワー・レッドと目が合う。彼女の目が何でいかないのとでも言いたげだった。しかし、日向は顔をそらす。……奥歯を噛み締めながら。
「わ、私見てきます!」
真っ先に飛び出したのは玲香だった。テレビクルーたちもその後に続く。フラワー・レッドも、出遅れないように外に出ていった。
残された日向は拳を握りしめる。




