第九話「Cry out for a hero」①
変身ヒロイン百合アクション、第九話。
主人公ドン曇り。
もうすぐ日付が変わろうかという時間に、アキラは高層マンション七階のある部屋の前…ネームプレートに郡上とある、小波の家の玄関前に立っていた。外から見た限り室内の照明は全て消えている。恐らく一家全員すでに就寝しているだろう。迷惑であることは承知の上で、アキラは呼び鈴を押した。静かな廊下に無機質な音が響く。一度では反応が無く、もう一度押すと、インターフォンのスイッチを入れたらしい雑音の後に大人の女性の声が聞こえた。小波の母だ。
「はぁーい…」
「あっ、遅くにすみません! あたし、アキラです、葵です」
「あらアキラちゃん。どうしたの、こんな時間に」
娘の友人ということで無下にもできず、しかし思った通りいかにも迷惑そうな声だった。アキラはめげずに小波の母に尋ねる。
「あの、さっき小波から電話があって、すごく具合悪そうだったんですけど! 小波、大丈夫ですか?」
「小波? ええ、大丈夫よ。さっき寝た所。別に…元気だったけど」
「…本当に? 本当ですか?」
「ええ」
小波の母はそう言うが、先ほど電話で声を聴いたアキラには到底そうは思えなかった。なおも食い下がろうとするが。
「一応様子は見ておくから、明日小波にも訊いてみて頂戴。それよりもう遅いから、早く帰りなさい」
「………」
小波の母の声には明らかな苛立ちが見て取れた。これ以上の問答を言外の内に拒絶されて、いざとなれば上がりこんででも…と思ってアキラがノブに掛けた手は、ドアを開けること無く離れた。
「…わかりました。すみません、こんな夜遅くに」
「じゃ、おやすみなさい」
小波の母がそう言うと、インターフォンの音声はブツリと切れた。
アキラはもう一度ドアを見つめ、それから廊下を戻って一階まで下りると、エントランスを出て自転車に乗った。このマンションは芽衣のそれと比べて少し古く、またセキュリティも特段厳重ではないため誰でも出入りができる。マンションから離れつつ、もう一度小波の家の窓を見上げた。やはり照明は落とされ、誰かが起きている気配は無かった。
それでも、アキラにはどうしても不安がぬぐえなかった。
(―――絶対、大丈夫じゃないよね…?)
だが小波とのこじれつつある関係が悪化するのを恐れ、踏み込むことができなかった…もしただ落ち込んでるのであれば、小波に迷惑をかけるだけになってしまう。アキラはやむなく、自転車を漕いで自宅に向かった。
小波の部屋に一人の男が佇み、ベッドに座る部屋の主を見下ろしていたのはちょうどその時だった。端正な顔立ちと詰襟の白い服、肩に掛けたケープ。もしアキラがその姿を見ていたら、真っ先にステラと雪の『父』、すなわち神だと見抜いただろう。
神は掌に載せた群青色の宝石…新たな『ディヴァインジュエル』を小波に差し出した。ジュエルからは黒い炎が激しく立ち上っている。
「憎いか? 君の友達を奪った奴らが」
小波はゆっくりとうなずいた。その表情は人形のようにうつろだった。
「ならば取り戻すのだ、君の友を…」
もう一度うなずき―――小波は、神の手からジュエルを受け取った。
ジュエル・デュエル・ブライド:
第九話「Cry out for a hero」
翌日の朝、身支度を整えたアキラは母の手製の弁当を手に取って玄関を出た。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい。気を付けるのよー」
返事もそこそこに、アキラは自転車を漕いで学校に向かう。直後、甲高い自転車のブレーキ音が聞こえた。転倒でもしてはいまいかと母は心配になって様子を見に玄関から顔を出し、転倒寸前でどうにか持ちこたえたアキラの背を見送った。
「大丈夫かしら…」
「姉ちゃん、何かしたの? 遅刻? じゃないよね、この時間」
後ろからアキラの弟のカオルも顔を出した。支度の途中らしく、歯ブラシを咥えている。
「さあ…」
先月から帰りが遅くなったり疲れ切って帰ってくる娘を、何も言わないながらも母は心配しつつ、事情を話してくれる日を待っていた。だがアキラは未だに何も言わず、母は何か危険なことに首を突っ込んではいないかと不安を募らせている。
五月の朝、暖かな風の中をアキラは自転車で走っていた。街路樹の桜の花はすっかり散り、青々とした葉を広げて太陽の光を浴びている。気温も高く、長袖の制服では少し暑いくらいだ。例年ならそんな春の日には心躍るのだが…アキラの内心は、昨夜の小波の暗い声を思い出し、重く曇っていた。今のアキラが急いでいるのは、小波に会って昨日のことを問いただしたい一心でのことだった。
学校に到着し、勇んで教室に入る。幸か不幸か、小波はまだ来ていなかった。
(……よしっ)
級友たちと朝のあいさつを交わし、アキラは自分の席に座って小波を待った。その間、友人にも小波の様子を尋ねるのを忘れない。
「ねえ、昨日小波から何か言われなかった? 今日休むとか、風邪ひいたとか」
「聞いてないけど。ねえ?」
「うん。小波、どうかしたの?」
「昨日電話があってさ…なんか、すごく具合悪そうだったから」
小波はアキラ以外にも友達が多く、よく話をしているのを見かける。だが期待した回答は得られなかった。昨夜アキラに電話をかけてから、小波は級友にもなにも話していないようだ。級友たちには礼を言い、アキラはスマートフォンをいじりながら小波を待ち続けた。
果たして始業の数分前、小波が教室に入ってきた。アキラは立ち上がり駆け寄る。
「―――小波!」
だが、小波は無表情でアキラの顔を見つめるだけだった。その目のうつろさにアキラはわずかに恐怖しながら、意を決して尋ねる。
「小波、昨日の…」
「…」
小波は何も答えず、アキラを無視して自分の席に座った。ちょうどそのタイミングで始業のチャイムが鳴る。朝のホームルームが始まる前にアキラは自分の席に戻った。その視線は、授業が始まってからも小波に向けられていた。
小波と喧嘩したことが無いわけではないが、あくまでも好き嫌いや主義主張をぶつけ合っての喧嘩であり、その後はいつもお互いに受け入れ合って仲直りしていた。今の様に無視されるのは初めての事だった。
授業中も上の空で、ノートには真夏の地面で干上がったミミズを思わせる文字が並んでいる。担当の教師には何度か注意されたようだが、そのたびに生返事で答えていたことも、アキラ自身は憶えていない。授業と授業の間の短い休み時間、小波と級友の会話に耳を傾ける。
「珍しいね。アキラとケンカでもしてるの?」
「……うん」
「具合悪いとか言ってたけど」
「別に…」
小波も小波で生返事で返すだけだった。級友たちは「こりゃ重症だ」とぼやき、自分の席に戻っていった。
念のため、アキラは首から下げたジュエルに服の上から触れてみたが、警告を意味する発熱は無い。ただ、ステラの浄化の時に突然ジュエルが天から落ちてきたこともあったので油断はならない。
(プル、近くに変な気配とか無い?)
《今のところは無いプル…》
(そっか…)
アキラも視線だけで周囲を見回し、廊下や窓の外の校庭を見た。ブライドになる前と同じ、平和な光景だ。空は晴れて教室内も温かい。学校を休んで緋李と出掛ければ、さぞ楽しいだろう…だがそんな想像も、今は小波の異様な雰囲気の方が気になって頭の中から失せてしまう。
昼休み、アキラは弁当を持って小波の席に向かおうとした。だが、小波は級友数人と一緒に購買に行ってしまう。アキラはその背を見送り、うなだれて自分の席に戻ると一人で昼食を採った。
放課後も似たようなもので、一緒に帰ろうと声をかける前にいつの間にか小波は帰ってしまっていた。教室に一人取り残されたアキラは、意気消沈して机に突っ伏し、夕日のオレンジ色に染まる校庭をぼうっと眺める。部活動にいそしむ生徒達が元気に走り、声を上げていた。帰宅する生徒達が和やかに話しながら校門を出ていく。いつもならアキラと小波が、その中をともに歩いている光景だ。
(…何だか、実感が湧かないなあ)
朝のホームルーム前にあいさつを交わし、ホームルームが終われば授業に四苦八苦し、一緒に昼食を食べて午後に居眠りしかけて教師に叩き起こされ、放課後は連れ立って帰り寄り道をする。たった一ヶ月少々ですっかり変わってしまった日常を思い返すと同時に、ジュエルが生まれるまで過ごしていたそんな平和な日々を少しだけ懐かしんだ。
ふと机を見ると、いつの間にかプルがちょこんと座っていた。誰もいない教室で、廊下からはアキラの体に隠れて見えない位置だ。プルはちらりと顔を覗かせ、廊下に人の気配が無いことを確かめた。
「アキラはあの子…コナミといつ頃知り合ったプル?」
「うーん…高校入ってすぐだったかな。入学式終わって二週間目くらい」
アキラは小波と初めて会った時のことを思い出していた。まだ友達も殆どできず、多少会話する程度の関係しか無かったころに、小波が突然話しかけてきたのだ。
―――ウチ、郡上 小波! よろしく!
―――お? うん、あたし葵 晃。 よろしくね!
シンプルにお互いに一言かわし、それからはともに行動するようになった。具体的に何がどういう切っ掛けでということは無かった。恐らく波長が合ったのだろう。それだけに今回の様にこじれてしまうと、きっかけが無い分関係の修復が難しい。
「…やっぱり、きちんと話さないと判ってもらえないよね。ブライドのこととか」
「そうプルね…」
「……明日、きちんと話す。絶対話す」
アキラは意思を決めると、指切りのために小指をプルに差し出した。プルは肉球で小指に触れる。
「わかったプル。ボクもアキラを応援するプル」
「ありがと。…じゃ、お祖母ちゃん家に行こうか」
「おばあちゃん家プル?」
「うん、ステラと雪の様子見に」
特に時間や曜日を決めているわけではないが、祖母からは週に一度くらいステラ姉妹の様子を見に来てほしいと頼まれていたのである。アキラは席を立ち、プルがジュエルの中に戻ると、学校を出て祖母の家に向かい自転車を漕いだ。祖母には途中で連絡する。
祖母の家に到着すると、玄関の前に一台の自動車が停まっていた。その車両のナンバーには見覚えがある…アキラの家の車だ。両親のどちらかが来ているのだろうか。お邪魔しますと一声かけて玄関の引き戸を開けると、居間から母らしい声が聞こえた。祖母と何かを話し合っているようだが、その声音からは険悪な雰囲気が漂う。アキラはふすまを開け、居間に顔を出した。
「お祖母ちゃん、お邪魔しまーす…」
「あらいらっしゃい、アキちゃん」
「アキラ?」
祖母と話していたのはやはり母だった。ちゃぶ台を挟んで話し合っていたようだが、母の表情はどこか険悪だ。対する祖母はいつも通りのんびりゆったりしている。
「何の話してたの?」
「お母さんが知らない子を家に住ませてるっていうのよ。アキラ、どういうことか知らない?」
祖母の家に住む、母が知らない子供。思いつくのはステラと雪の二人だけだ。アキラは視線を二階の方に送ると、荷物を置いて母と祖母の間に座った。
「それは…―――えっとね。あたしがお願いした」
そう言った途端、母の顔に疑いと困惑が浮かんだ。
「…あなた、どこの誰とも知らない子をお母さんに押し付けたの? ねえお母さん」
「ええ、私がお世話しているのよ。今は出生届が無いか市役所に調べてもらっているの」
「それをお母さんがやる必要は無いじゃないって言ってるの! 施設に入れて、お世話は市役所とかに任せればいいじゃない」
「駄目、あの子達は大人を怖がっているの。職員さんには悪いけど預けることはできないわ」
「…お母さんって昔っからそうよね。誰か困ってたらすぐに手を出したがる、それで面倒になったことだって…」
どうも母は、ステラと雪の大人への恐怖がただの好き嫌いの話だと思っているらしい。実際に二人と会ったわけではないので仕方ないが、恐怖症になるくらいのことは想像がつかないのかとアキラは疑問を抱いた。
それぞれの主張は、母は祖母が手を出す必要性の有無、祖母はステラ姉妹が愛情を必要としていることで、全く交わることなく二人の会話は平行線で進んでいた。会話に割り込む余地を見失ったアキラは、二人に言って二階に上がるとステラ達の部屋のふすまを開けた。ステラと雪、そしてシプルゥとスノアが部屋の隅に座っていた。
雪は階下での会話を聞くまいとして両耳をふさぎ、ステラと精霊達がそんな雪をなだめていた。アキラの母が自分たちを追い出すように祖母に進言しているのは理解しているのだろうか。二人の表情ははアキラの顔を見ても和らぐことなく、不安と怯えが浮かんでいた。雪に至っては今すぐにも泣きそうで、時折両目を強く閉ざしている。アキラはすぐにふすまを閉め、二人と向かい合う位置に座った。
「…あれがアキラのママ?」
ステラが問うと、アキラはうなずいた。
「おばあちゃんの子供なんだよね…仲良くないの?」
「どうかな。あたしも、二人があんな風に話してるのは初めて見た」
ふすまを閉めても二階までわずかに声が聞こえてくる。時折聞こえる怒鳴り声に、雪は体をビクリと振るわせて震えあがった。『大人』に対して恐怖を抱く二人、特に雪には恐ろしい事この上ないだろう。ステラと一緒に雪をなだめているシプルゥが、アキラに尋ねる。
「アキラのママは、ステラ達のことがキライなのぷきゅ?」
「うーん…嫌いっていうか…不安かな。それか、怖いか」
「どういうこと?」
小首をかしげてステラが問うと、雪もそっと目を開けてアキラの方を見た。アキラはしばし考えて答える。
「子供とはいえ、どこの誰かも知らない人がいきなり家族に近づいたわけでさ。まあそりゃ怖いとは思う、だからお母さんには言わなかったんだけど。まさか怒鳴り込んでくるとは思わなかった…ごめん、あたしのせいだ」
「ステラ達がいたらメイワクなの?」
「お母さんはそう思ってる。…でもウチのお母さん、あんなこと言う人だったかな」
「ボクもママさんのお話は聞いたけど、そんな人だとは思わなかったプル…」
プルも不信感を募らせている。母に心配させまいとした結果だが、完全に裏目に出てしまった。
その一方で、落ち度を加味してもなおアキラは母どこか失望していた。自分はそこまで母に期待していたのだろうか…この子達がいるなら早く言えばよかったのに、などと自分の方が叱られることを期待していたところは確かにある。だが、失望したのは発言内容そのものにではない。ステラ達とろくに顔を合わせず、嫌悪を自身や祖母の不利益にすり替えていることに対して…そして、自分たちの埒外にある二人を過剰に忌避することに対してだ。小波と母は同じような気持ちになったのかもしれないが、アキラやブライド達に直接感情をぶつけた小波とは、そこが決定的に異なる。
「…あたし、あの人キライ」
雪がつぶやく。その声には怯えだけでなく、憎悪や生理的嫌悪が籠っている。
「あたしたちがキライならちゃんと言えばいいんだ。それをおばあちゃまばっかり悪者みたいに。卑怯もの―――」
そこまで言ってから、その娘であるアキラが目の前にいるのを思い出し、口を閉ざした。
「ご、ごめ…ごめんなさい…」
「謝んないでよ。ちゃんと嫌な物は嫌だって言わなくちゃ、心がまたつぶれてしまうから」
「そうだすよ。わちきもそんな雪ちゃんは見たくないだす」
アキラとスノアが雪をなだめる。いくらか耐性が身についたステラと違い、雪はまだ大人というものの恐怖に耐えられない。
階下からアキラを呼ぶ母の声が聞こえた。どうやら祖母との話は終わったようだ。アキラは部屋を出て、階下を見下ろしながら母に答えた。
「なにー?」
「そろそろ帰るけど、どうする? 車に乗っていく?」
「ううん、先に帰ってて。もう少しいるから」
「…そう。気を付けるのよ」
それだけ言い置いて、母は玄関から出て車に乗った。祖母は彼女を見送らなかった。自動車のエンジン音が鳴り、やがて消えるとステラと雪がひょこりと顔をだした。精霊達をそれぞれのジュエルの中に戻すと、アキラは二人を手招きし、揃って一階に降りていく。居間には祖母が座り、ちゃぶ台の前でまだお茶を飲んでいた。どことなく哀しそうな顔をしている祖母を見て、ステラと雪は思わずすがりつく。
「おばあちゃん…」
「大丈夫。大丈夫よ」
祖母は二人を抱き寄せ、頭を優しく撫でた。
「…おばあちゃま、あたしたちがいたらメイワク?」
「そんなことはありませんよ。来てくれて嬉しいって、最初に言ったでしょう?」
祖母の腕の中で雪がうなずく。アキラもちゃぶ台の前に座り、頬杖をついて母の言葉を思い出していた。
「ねえお祖母ちゃん、お母さんって昔からあんな人だった?」
「そうでもなかったわねえ…もっと好奇心でいっぱいで、色々なことをしたがる子だった。私がお節介で他の人にかまってるから、それを嫌がってたのもあると思うわ」
祖母は遠い目で虚空を見上げた。ステラ達にも語った、駄菓子屋に行っていた頃…アキラの母が子供の頃を思い出しているようだ。
「恋をして結婚して、家族ができたからかしら。それを守りたい気持ちでいっぱいなのね」
「そっか…」
目の前の現実を守ることで精いっぱいで、未知の世界のことを受け付けられない、そんな余裕は無い―――ルビアとの戦いに向かうアキラを引き留めようとした小波も、母と同じような心境だったのだろうか。
だとしたら、『マリアージュ・サクリファイス』にまつわる事を話したとして、小波に、そして母に、それを受け入れることはできるのだろうか。アキラの胸中に、不安と諦観が入り混じって重くのしかかった。
―――〔続く〕―――
前回とは違った意味で一番書きたかった話。
主人公の母がいきなりイヤな人になった感。そして親友がメインヒロインになると書きましたが微妙に嘘だった。




