第八話「Destiny」⑤
変身ヒロイン百合アクション第八話、続きです。
サフィールはビルからビルへと跳び移り、バスターミナル前の空きビル屋上にたどり着いた。どうやら待ち合わせ時間より少し早く到着したらしく、ルビアの姿は無かった。
月は出ていない。ビルの中は当然照明など切れて…というより全ての設備が取り外されて、非常口の誘導灯すら無い。いくらブライドが超人とはいえ、その目は暗視ゴーグルではないのだから、ビルの中に入ってしまったら何も見えなくなるだろう。
屋上の面積は広いが、いったい何の目的でここまで広く取られていたのかは判らない。階段室があるので階下と出入りできるようにはなっていたのだろうが、屋上の駐車場ではないようだ。立体駐車場ではないこのビルに地上に降りていくスロープは無かった。きっと広場にでもしていたのだろう。階段室にはドアがあったらしいが、とうに取り外されていた。口を開けた骸骨にも見え、不気味な雰囲気を醸し出している。なるほど、心霊スポットとは言いえて妙である。
ふと風を切る音が聞こえ、振り向くと近くのビルから跳び移ってきたルビアがサフィールの前に立った。やっぱり綺麗だ、とサフィールは思った。人工の光の中でも、彼女の鮮烈な赤の瞳と髪、そして整った顔立ちは輝いて見えた。ルビア自身が、ルビアの存在そのものが、サフィールの目にはどのブライドと比べても美しく映る。
「堂本さん」
「ジュエルを渡してくれる気になったかしら」
「………」
サフィールは首を横に振った。その答えを予想していたかのように、ルビアは表情を動かさない…ほんの少し、眉をひそめただけだった。
不意に風が吹き、サフィールのポニーテールとルビアのセミロングの髪、ブライドの装束のリボンをなびかせた。地上や建築物に灯る夜の街の光が、舞台の照明の様に二人を照らし、陰影が両者の顔立ちをくっきりと浮き立たせた。サフィールはルビアを正面から見据え、宣言する。
「あたしはあなたを止める。絶対に止める。―――神様なんかの所に、行かせない」
「邪魔をするのね」
「する。絶対に止める」
サフィールは両拳を顔の近くまで上げて構えた。一方のルビアは直立したまま、左手に持ったロッドを構えようともしない。
ここに来るまでにサフィールは決意していた。ルビアが何をしようとしているかは後で問い質す。今なすべきことは三つ…仲間達のジュエルとパートナーを取り戻すこと、神のもとへ向かおうとする彼女を止めること。そして何より、ルビアへの恋を告げること。
この時を逃せば、ルビアはサフィールの、さらに残る数個のジュエルをも強奪し、この地上を去ってしまう。ジュエルの奪還、ルビアの阻止、サフィール自身の恋…どれもがもはや叶うことはなくなる。それだけは防ぐ…サフィールの固い決意が視線から伝わったのか、ルビアの目に警戒の色が浮かんだ。
一際強い風が吹く。ルビアの姿が消失したのは、その直後だった。
(―――来る!)
本能的に、サフィールは右腕のガントレットを正面に構えた。同時に甲高い金属音を立てて、真正面から突進してきたルビアのロッドの突きを防いだ。ステラが襲われた時は殆ど反射的な動きだったのが、この瞬間にはまるで動きを読めたかのように防御できた。ルビアが一瞬、驚愕に目を見開く。サフィールはその隙を見逃さなかった。
「でぇやぁぁッ!!」
右腕を振るってロッドの先端を弾き、肩を狙っての左フック。ルビアは後ろに跳んでかわすが、サフィールの踏み込みは深く、拳が肩のプロテクターをかすめた。続けてサフィールは右の中段蹴りでルビアの腰のあたりを狙う。左脚を上げてルビアは防御するも、蹴りの予想外の重さに一瞬脚がしびれ、動きが止まる。サフィールは蹴り足を一度引いて立て続けに左腕への横蹴りでロッドを弾き飛ばそうとするが、ルビアの右手で受け流された。サフィールの姿勢がわずかに崩れる。ルビアは大きく跳躍し、サフィールの背後に回った。蹴り足を下ろし、サフィールは振り向いて背後からの攻撃に対応しようとする。その顔面を狙う高速の飛び蹴りをガードするが、あまりの勢いに背後に吹き飛ばされ、サフィールは階段室に転がり込んだ。すぐにサフィールは起き上がり、追いついてきたルビアを迎え撃つ。袈裟懸けに振り抜かれるロッドを右の拳ではじくと、肩からぶつかって両腕で胴体を抱え、ルビアを持ち上げて雪崩式のフロントスープレックスで自分自身ごと転げ落ち、踊り場の上で押さえ込む。落下中にルビアが背中から落下するように回転を加えたため、両者ともに目立った外傷はない。
「ぐふっ…!」
押さえ込まれたルビアの口からうめき声が漏れた。サフィールはそのまま体重をかけてルビアの動きを封じようとするが、ルビアは下からえぐりこむような右の貫手をサフィールの喉に突き入れ、続けてロッドで突き上げる。二発連続で食らうまいとのけ反って避けたことで、サフィールの体がルビアからわずかに離れた。ルビアはその隙に抜け出し、片手を地面に突いた姿勢で独楽のように回転しながら両足でサフィールを蹴り飛ばす。壁にたたきつけられたサフィールに追いすがってルビアはロッドを突き出すが、これはサフィールが横に跳んで下の階に降りたことで外れた。
だがこの瞬間、サフィールは状況の不利と自身の迂闊さを悟った。踊り場まではぎりぎり届いていた光が、屋内に入ったことで殆ど届かなくなっていたのだ。いくつかある窓枠から外は見えるものの、視界そのものはほぼ完全に暗闇だ。胸のジュエルを光らせて周囲を照らそうと思ったが、却ってルビアに居場所を教えることになる。あるいは窓枠に見えた影から居場所を見抜かれるかもしれず、さらには視界が明るくなったところで、サフィールの目ではルビアの動きをすべて追いきれるわけではない。
(まずった…)
「どわぁっ!!」
真正面からの拳打らしい強烈な衝撃が腹にめり込み、サフィールは壁まで吹き飛ばされた。体がコンクリートに激突して跳ね返り、続けて側頭部に左の拳と思われる一打が直撃する。サフィールは横に転がって追撃から逃れようとするが、ルビアは確実に追いすがってサフィールの顔面に前蹴りを叩きこんだ。
(なんだこれ…こんな真っ暗でも、かなり正確に…)
《ルビアは音や空気の流れで追いかけてきてるんだプル!》
(音とか空気で? そんなことできるの?)
プルの状況判断に、しかしサフィールは信じられない思いだった。いくらルビアが超高速で走る超人とはいえ、普段はごく普通の女子高生だ。武術の達人でもないのにそんなことができるのか。だが、プルはあくまでも冷静に分析する。
《ルビアはすごい速さで走るぶん、確実に追いついて正確な一撃を入れる必要があるプル》
(じゃあ、相手の居場所をきちんと見極めるために目も耳も良いってこと?)
《それにすごい速さで動くから、ちょっとの空気の流れにも敏感になってるプル。…アキラ、ちょっとだけガマンしててほしいプル!》
(我慢って―――)
「ぐぁっ!!」
左の頬を硬い何かが直撃した。やや丸みを帯び、皮革を思わせる感触から靴の踵と判る。横に倒れこみ、再び転がって起き上がる。だが不運にも窓枠の前に立ち上がってしまった。シルエットはルビアに丸見えの筈だ―――そう思ってまばたきした瞬間、暗闇の中に無数の白いラインが浮かんだ。彫刻刀で木の板を彫り込んだように、様々な物の輪郭、そして若干の色の違いが見える。ルビアの姿もすぐに分かった。
(プル、すごい! これ何!?)
《暗い中でも輪郭が視界に映るようにしたプル! でも見えるようにしただけだから…》
(オーケー、あとはあたしが頑張る!)
迫るルビアが振り下ろしたロッドを交差させた両手で受け止めて右側に受け流し、サフィールは右のアッパーカットを放った。拳はルビアの顎をかすめるにとどまったが、この暗闇の中で予想外に正確な一撃を見舞ったことでわずかに焦ったルビアは距離を取ろうとして後ろに数メートル跳躍した。その隙を逃さず、サフィールは踏み込んで跳躍し、着地したルビアの左肩に重い跳び膝蹴りを直撃させる。衝撃でルビアの手からロッドが落ちた。ルビアは倒れ掛かるも踏みとどまり、サフィールの襟首と膝を掴むと、腹に蹴りを入れながら巴投げの要領で背後の窓枠から投げ飛ばした。一瞬、何もない真夜中の空中にサフィールの体が浮遊する。
「おわっ…!!」
サフィールは手を伸ばして壁を掴もうとする。ざらついた壁面に指先がめり込み、自由落下が始まるぎりぎりでどうにかしがみついた。しかし完全に体を固定することはできず、片手と壁についた両足の裏で壁を削りながら垂直に滑り落ちていく。上昇気流が髪とリボンをはためかせる。その間に壁から掌に伝わる衝撃と破砕音が二度。床を破壊して下階でルビアが待ち受けていることを悟り、二つ下の階の窓枠に勢いよく飛び込む。案の定ロッドを拾いなおして待ち受けていたルビアに、サフィールの飛び込み蹴りは防がれた。サフィールはバック宙で着地、踏み込みながら振りかぶった右の拳を勢いよく突き出す。拳打はロッドで受け止められたが、ルビアが動きを止めたその一瞬、サフィールはロッドを奪おうと左手で掴んだ。が、掴んだ瞬間にロッドごと引き寄せられ、腹を膝で蹴り上げられる。
「ぐぇっ…!」
「ハッ!!」
続けてルビアは蹴り足を垂直に振り上げ、サフィールを天井まで吹き飛ばし、落下してきたところを掴むと背負い投げで放り投げた。硬い床でサフィールの細い体はバウンドし、再び天井にぶつかって落下、床にめり込む。走って追いついてきたルビアがサッカーボールを蹴るようにサフィールの頭部を蹴飛ばした。無理やり体を起こされたサフィールの顔にさらに蹴りを叩き込もうとするが、右脚の下段蹴りを逆にサフィールが顔を上げて避け、左脚を払う。倒れ掛かるルビアの両脚を掴み、サフィールはジャイアントスイングで背後の壁に投げ飛ばした。背中から激突してルビアの息が肺から吐き出され、わずかな時間だけ意識を奪う。体が壁から離れ、真下にあるエスカレーターに落下する前に、サフィールは駆けだした。
(―――今だっ!!)
サフィールの胸のジュエルとガントレットが、青色の強烈な閃光を放つ。神の呪いを打ち払う浄化の一撃、ピュリファイア・フラッシュだ。サフィールはルビアにとびかかり、黒い靄が宿ったジュエルに清めの一撃を撃ち込もうとする。
「ピュリファイア…」
「フンッ!!」
だが、ルビアは壁を蹴って天井までジャンプした。続けて三角跳びの要領で天井を蹴って床に着地し、ロッドを正面に構え恐るべき脚力と瞬発力を両足に籠めて走る。ピュリファイア・フラッシュを外し、壁に激突する寸前でしがみついていたサフィールに、ルビアの必殺の一打が直撃した。
「ぐふっ…ぉおあああああっ!!」
衝撃波が発生するほどの強烈な一撃。ロッドの先端はサフィールの腹を貫通し、すさまじい衝撃は壁を破壊して、勢いで二人とも外に飛び出した。そのまま隣のビルの外壁に激突する。サフィールの体が頑強であったために胴体の両断こそ免れたが、貫かれた一点を中心に臓器や骨に激痛が広がる。壁を伝って大量の血が流れ落ち、サフィールに自身の傷の大きさを実感させた。
「こうでもしないと…止められないのなら…!」
そして、それと同時だった―――ルビアの苦し気にうめくような声と共に、頬に雫を感じたのは。
(…雨……?)
だが、夜空は雲一つなく晴れていた。新月ゆえか月こそ出ていないが、空には星がいくつも輝いているのが見える。そして頬に零れ落ちた雫はどこか温かく、わずか数滴。
(―――まさか)
サフィールはルビアの顔を真正面から見た。だが周囲の照明のせいで顔は影に隠れ、いかなる表情も見出すことができない。それでもサフィールには一つの確信があった。サフィールは彼女の…緋李の優しさを知っている。そしてルビアとして行っている略奪行為は、彼女が自分自身でその優しさを裏切って行っているはずだ。もし、推測が当たっているのなら―――
渾身の力で、サフィールはロッドを掴み、無理やり引き抜いた。
「なっ…」
「堂本さん…あたしは…あたしはァァァッ!!」
カッとサフィールは目を見開き、血にぬれた外壁を蹴ってルビアごと空きビルに戻り、先ほどいたフロアの二つ下の階に飛び込んだ。激突した壁を破壊し、破片が散乱した床を転がって、二人は起き上がって再び見合う。直後、サフィールはガントレットを装備した右の拳を振りかぶり、猛然と殴りかかった。急に切り替わった視界の暗さにわずかにためらったルビアは、ロッドでその一撃を防ぐ。オレンジ色の火花が飛び散って、一瞬だけ二人の必死の表情を浮かび上がらせた。
金属同士が摩擦する音を立てながら、サフィールの拳はルビアのロッドを押していく。その腕力はすさまじく、一瞬でも受け流そうとすれば、却って拳に押されてあらぬ方向に吹き飛ばされてしまうことを容易くルビアに予想させた。加速や武器の殺傷力などを一切加えない正面からの力の押し合いとなれば、サフィールの方に圧倒的に分がある。
そして正面からの不利な押し合いに耐える限界は、すぐに訪れた。ルビアの膝がガクリと曲がり、こらえきれず膝が突きそうになる。
「あたしはっ…あなたがっ!!」
わずかに差し込む光の中、サフィールの表情がすこしだけ見えた。絶対にルビアを止めるという強靭な意思があらわれた瞳が、信じられないほど強く輝いた。その輝きに、ルビアは彼女と出会った最初の日を思い出さずにはいられなかった。
そして膠着状態に、ついに限界点が訪れた。サフィールはその瞬間、大きく息を吸い、叫んだ。
「堂本 緋李さん、あなたが! ―――あたしは、あなたがっ、好きだぁぁぁっ!!!」
愛の告白を叫びながらサフィールの拳はルビアを吹き飛ばし、壁でバウンドさせ、そして天井に激突して破壊し、上の階に飛び込ませた。すぐさまサフィールも追って上階に跳び上がり、着地したルビアに向けて左右の拳を連続で繰り出す。同時に、心の中でプルに呼びかける。
(プル、痛み止めだけお願い! 血止めはいい、傷は後でしっかり治す!! ケガなんかで、あたしは止まるわけにはいかないんだ!!)
《……むぅぅぅ~っ! 絶対危ないけど、アキラがやるっていうなら、ボクもやってやるプル!》
貫通した胴の傷の痛みが治まる。しかし傷そのものは治っていないので、腹や背中からは血が流れ続け、サフィール自身の動きに合わせて血が飛び散っている。だが拳打は止まらず、時折回避こそされるがルビアの肩に、あるいは腹に当たっている。
「あなたが好きだ、堂本さん! だからジュエルを奪うのも、神様のところへ行くのも、あたしが止める!! 絶対に行かせない、絶対に!!」
頑強なガントレットに包まれた拳の一打が、ロッドでの防御を容易く弾き飛ばしてルビアの鎖骨付近を直撃した。その一撃は確かな力が籠りながら、ルビアを傷つけまいとする優しさからか、決して骨を砕いたり皮膚を裂いたりすることは無かった。
サフィールの叫びを聞きながら、ルビアは困惑し、そして懊悩していた。―――こうなるから、彼女との戦いは避けたかったのに。幾度も彼女の戦いは見た。サフィール…アキラは真正面から相手のブライドにぶつかり、呪いを解けば少女たちを真正面から見つめて手をつなぐ。後悔、怒り、恐怖に苛まれていた少女たちは、アキラの誠実な眼差しを見て立ち直ってしまうのだ。そんな人を失いたくないから。アキラがそんな人だから、誰かを通じてアキラに伝わらないように、誰にも言わずに一人で成し遂げようとしたのに。なのに、どうして―――
ルビアは悔恨に歯を食いしばり、拳を握りしめた。そこにサフィールの拳がせまる。それを回避してルビアは真上に跳び、強靭な脚力で天井を蹴ると、真下にいるサフィールに向けてロッドを突き出した。先刻と同等の破壊力が今度は垂直にサフィールに直撃、さらに二階分の床をぶち抜いた。
サフィールは硬い床に背中から激突し、同時に右の肩を激痛が貫く。今度はロッドの先端の刃が右肩に刺さり、鎖骨を真っ二つにしていた。
「ぐっ…あぁあああっ!!」
新たな痛みにサフィールは絶叫を上げる。ルビアはロッドを引き抜き、続けてサフィールの右ひじの下に突き刺した。再び叫び声が上がった。これで右腕は動かせない…拳打によるピュリファイア・フラッシュは封じられた。例え使えても、回数はせいぜい残り一回、もはや浄化の術は無い。何とかして残り一度のチャンスを生かす方法はないかと、サフィールが思考を切り替えようとした時だった。頬に、先ほどとおなじ温かい雫が零れ落ちた。それも幾度も。
見上げると、窓枠から差し込む夜の光の中、ルビアが泣いていた。
「どうしてっ…」
「…堂本さん……?」
「―――どうして、どうして、どうしてどうしてどうして! どうして判ってくれないのよっ!!」
出会ってから初めて聞く、ルビアの心の底からの叫び、そして初めて見る涙だった。ルビアはロッドを引き抜いて無理やりサフィールを立ち上がらせると、腰に構えたロッドを超高速で振り抜いてサフィールを吹き飛ばした。背中から壁にめり込み、サフィールは激痛にうめく。だがその心は、今しがた見たばかりのルビアの泣き顔に囚われていた。
(やっぱり泣いてた、堂本さん。でも、どうして泣くの…だれがあなたを泣かせて…)
―――どうして判ってくれないのよ―――
(…そっか、あたしか。あたしに、あなたの本当の心を、判ってほしかったんだね。ジュエルを奪い、神様の所へ行こうとする、あなたの本当の心を)
サフィールは楓の言葉を思い出した。ブライド助けてくれる人として、信頼している。本当は自分が助けてほしいからこそ。
(なら…だからこそ!!)
「あたしは、あなたを助ける…あなたを、離さない!!」
「黙りなさい!!!」
今までと同じ、相手の意見を一切否定するルビア言葉…だが泣きながらの絶叫が、血を吐くような叫びが、彼女の本当の心のありようを、サフィールを傷つけたくなどないという想いを、そしてそうでもしないと止められないことへの悲しみを現していた。とどめと言わんばかり、全身全霊の超高速でルビアが突進する。大量の出血と新たな激痛、そしてプルが施した痛み止めの効き目が薄れてきたことで再び痛み出した腹の傷…普通ならサフィールの意識は朦朧とし始めていた所だが、今この時だけは、ルビアを救おうという決意一つで意識を明瞭に保っていた。突進から突き出されたロッドを直撃するすれすれで回避すると、背後の壁が割れ砕け、向かいにあるビルの壁が見えた。幸いにして今日の業務は全て終わっているらしく、照明は屋上くらいにしか灯っていない。ルビアは渾身の一撃を外してしまい、半ば呆然としていた。サフィールはその隙を見逃さなかった。
(…プル、これが最後だ。痛み止めを右腕に集中して!)
《わかったプル…本当に、これでおしまいプル!》
(まかせて!)
「…っどぉりゃぁああああッ!!」
無事な左腕でルビアを抱え込み、体を回転させて向かいのビルに思い切り投げ飛ばした。そのまま追いかけるように自身も壁の穴から一直線に飛び出す。
利き腕ではないとはいえ、超人の、それも膂力と頑丈さに秀でたサフィールの全身全霊の腕力で投げ飛ばされたルビアは、背中から外壁にめり込んだ。既にここまでの戦闘で体力を使い果たし、この壁から離れる力も残っていない―――超高速で動き、場合によっては移動だけでなく手足の挙動の速度も他のブライドを上回る彼女の動きは、これだけの長時間続けることで彼女自身の体力を奪いつくしていた。そして重傷を負い、動きの速さに翻弄されながらも同じだけの時間戦い続けたはずのサフィールの体力と精神力…なによりもルビアへの恋が、傷も疲労も凌駕したのだ。
(―――葵さん。やはり、あなたは止められないのね)
状況を全て理解した時には、青く輝く拳が迫っていた。痛み止めを右腕に集中させ、左手で無理やり支えながら右の拳を掲げたサフィールの、最後にして全身全霊の清めの一撃だった。
「ピュリファイア―――フラァアアアアッシュッ!!」
自身の危機にもためらうことなく手を差し伸べるサフィールの姿に―――ルビアは、今改めて見とれ、そして彼女を止められない自身の無力さに失望していた。その胸のジュエルを、輝く拳が直撃する。ルビアの体から黒い靄が抜け出し、悪魔のような顔を形作って断末魔の叫びを上げ、同時にルビアは意識を失った。
ルビアの無事を確認したサフィールは、落下する前に両足をビルの外壁に突いて体を支えると、左腕でルビアを抱えて外壁を蹴り、大きく跳んで空きビルに戻った。ルビアをフロアの片隅に座らせると、壁に空いた穴から差す照明の光で彼女の顔がよく見える。憑き物が落ちたように安らかな顔だった。
それを見て安心した瞬間。ごぼりとサフィールの口から大量の血があふれ、むき出しのコンクリートで跳ねた。膝から力が抜け、腹部から背中まで貫いた傷からも血が流れる。見ぬふりをしていた出血が限界に達し、彼女の命を今奪おうとしていた。
「やべ」
突いたはずの膝を始め、全身の感覚が消えかかっている。痛みも失せていた。
「…しぬ」
「アキラ!」
サフィールのジュエルからプルが飛び出し、血の色が抜けて青白くなり始めた頬を丸い手でたたき出した。
「アキラ、アキラ! 死んじゃだめプル! 目を覚ますプル!!」
「あ…プル…」
「あとでケガを治すって約束したプル!! アキラ!!」
だがどれだけプルが目の前で騒ぎ頬を叩こうとも、サフィールの瞳から光が消えていくのは止められなかった。もはやプルの姿が見えているかも怪しい。プルはサフィールの傷口に飛びついて治癒を始めたが、流れていく血を止めるほどに傷をふさぐことはできない。
その騒ぎを聞いて、ルビアが何度かまばたきしてゆっくり顔を上げた。その目が座り込んだサフィールを捉え、状況を理解するとすぐに跳ね起きてサフィールに飛びついた。
「―――葵さん!!」
「あ…堂本さん…だいじょぶ……?」
「私のことなんていい! あなたが死んでは駄目よ、駄目なの!!」
「血、ついちゃう…」
「そんなのいい!!」
美しく整ったルビアの顔が焦燥とパニックで歪み、涙と乱れた髪で見る影もなく汚れている。ルビアはプルを掴み、自らの方に向けさせた。
「精霊さん、私のジュエルにもあなたみたいな精霊がいるんでしょう! 早く出して!」
「わ、わかったプル!」
プルがルビアのジュエルを撫でると、赤い光の玉が飛び出し、仔猫の姿に変わった。ルビアは変身が解けて緋李の姿に戻る。
「オウ! オレは精霊の」
「いいから手伝うプル!!」
「お、おう? オウまかせろ!」
ネコ精霊もサフィールの傷の治癒を始めるが、精霊二人がかりでもその傷がいえる気配は無かった。既に瞼は半分閉ざされ、触れても何の反応も無く、頬は蝋細工のように血の色が失せて白くなっていた。力の抜けたサフィールの体が緋李にもたれかかり、服を血で染める。
「何で二人もいて治せないのよ!」
「精霊の力はそんなに強くないプル…」
「そんな………葵さん、わ、私が……私、葵さんを……」
青ざめていく緋李は、自らの口から恐ろしい言葉が飛び出すのを、唇をかみしめてどうにかこらえた。精霊を複数集めるとしても、あるいは救急車を呼ぶにしても、それまでの時間でサフィールの命がもつ気配は無い。ここから連れ出すには、緋李がサフィールの体を支えながらビル数階分の高さを徒歩で降りていく必要がある。常識で考えれば、どんな方法を用いても間に合わず、サフィールは死ぬ。だが、まだ彼女の傷を治す方法はある筈だ。常識外の方法が。
緋李は天を仰ぎ、腹の底から叫んだ。
「神様!!」
プルとネコ型精霊が驚き、叫ぶ緋李を思わず見つめる。彼女にジュエルを授けた人物…神以外に、もはや縋れる希望は無い。必死の叫びだった。
「聞こえているんでしょう、私の願いを聞き届けなさいよ!! お願いだから、葵さんの傷を治して!!」
緋李は叫びながら、サフィールの体を抱き寄せる。手には自らのジュエルを握りしめた。食い込んだ爪とジュエルが手のひらの皮膚を破り、新たな血が流れても、彼女は構わずに叫び続けた。
「私の命なんて全部あげるから!! だから、だから、お願いだから葵さんを治して!! ―――お願いだから…お願い…」
息を切らし、何も起こらないことに緋李が絶望しかけたその時。サフィールの胸の青いジュエルと緋李の手の中の赤いジュエルが同時に発光すると、同時にビル上空の空が一瞬だけ黄金色に輝いた。壁の大穴から緋李がその光景を見た直後、サフィールを挟んで自分の反対側に一人の女性が座り込んでいることに気付いた。
―――〔続く〕―――
愛を告白しながらブン殴る女と愛する女をマッハで刺しに来る女。ハタから見てこれはどうなんだろう…




