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第七話「Tightrope Dancer」①

変身ヒロイン百合アクション、第七話です。



 都心のビルの屋上に、双眼鏡で遠くを見ている少女がいる。視線の先では建築途中で遺棄された建物から赤い光が飛び出し、その後しばらくの間硬い音や何かを叩く音、破壊音がはるか遠くに聞こえ、時折青や緑の光が漏れた。最後に一際強烈な光の筋が見えた後、音も光も静まった。

 双眼鏡を下ろすと、少女はポケットに入れていた宝石を取り出した。真珠か真新しい雪を思わせる、白くつややかに輝くダイヤのような形の石だ。その輝きに紛れて時折黒い炎のようなものが見える。少女はそれを見て、毒蛇のような邪悪な笑みを浮かべた。

 「オッケー、パパ。このあたしがダメなお姉ちゃん(・・・・・)を回収に行ってあげる」

 少女は宝石を掌でもてあそび、再びポケットの中に宝石を入れた。上空を見上げると黒い雲が空を覆っていた。少女は傍らに立てかけたビニール傘を持ち、頭上に広げる。直後に雨が降り、すぐに豪雨になった。傘で防ぎきれなかった雨が少女の足元を濡らし、見る見るうちに水たまりができる。降りしきる雨の粒が少女を隠し、その姿はいつの間にか消えていた。

 丁度その時、横たわりながらサフィールの意識は朦朧としていた。ステラが記憶を取り戻してすぐにまた意識を失い、その直後にサフィールとエメルディは痛みと疲労がついに限界に達したのだ。先にエメルディが気絶し、サフィールはしばらくの間脇腹の激痛に苦しんでいた。サフィールが耐えられたのは、戦闘と痛みへの慣れ、そしてブライドとしての頑丈さが勝っていたからに過ぎない。いかに超人に変身しているとはいえ、二人とも普段は普通の女子高生だ。骨折してなお動ける方が異常なのである。

 意識を失ったエメルディにペルテがしがみついて治癒を試みているが、遅々として治癒が進まずにペルテ自身が疲労困憊していた。精霊の能力ではある程度傷は治せても、一度で完治はできない。プルの方も同じで、サフィールの肩ですっかりへばっていた。二人の変身が解けないのは、こうやって精霊たちがどうにか意識を保っているからに過ぎない。

 「ごめん…きちんと傷を治せるの、最初の変身の時だけなんだプル……」

 「いや…ここまでケガするとか、誰も思ってなかったから…」

 もはや息も絶え絶えで、指先の一つも動かせそうになかった。おまけに管理地とはいえ、事業が凍結して放置された建築物に管理者がそうそう来るわけが無く、こんな場所ではよからぬ輩が集まる可能性の方が大きい。助けを求めるのも絶望的だった。

 (やばい…あたし達ここで死ぬのかな…ステラだけでも助けなきゃ…)

 サフィールは隣で眠るステラの顔を見た。彼女だけは傷一つなく、黒い炎が抜けた影響からか気を失っているだけだった。せめて、ステラだけでも祖母の家に送り返さなければ―――サフィールの脳裏に浮かんだのは、時折夢で見る女神のように美しい女性だった。黄金の髪、白いローブ、慈愛に満ちた眼差し。もし、以前痛めた手首を治してくれた時のように助けてくれるなら。

 (お願い、せめてステラだけでも助けて―――女神様)

 そう願った瞬間、ついにサフィールは意識を失った。



 ジュエル・デュエル・ブライド:

 第七話「Tightrope Dancer」



 真っ白な空間で、アキラ、ステラ、晴、そしてプルとペルテが横たわっている。しかし地面は無く、全員が仰向けの姿勢で宙に浮いていた。その枕元に歩み寄る姿があった。気を失う直前にサフィールが願った人物の姿だと、すぐに分かった。彼女はアキラ達のそばに座ると、手の平から光を出して五人に浴びせ始めた。春の日差しのように温かく優しい光で、いかな原理か全員の傷と疲労が癒えていくのがアキラには判った。そのまなざしも以前と同じく優しく、そしてやはり謝罪するように涙を流している。

 ―――あなたは誰? 何故泣いているの?

 光を放つ女性に、アキラは心の中で彼女に問いかけた。すると聞こえたのか伝わったのか、女性はアキラの顔を見ながら答えた。

 ―――わたくしはジュエルの儀式の執行者です。しかし、わたくしの至らなさからこのようなことになってしまいました…ごめんなさい…

 ―――何があったの?

 アキラは続けて尋ねたが、その意識は途切れそうで、夢の中なのに瞼が重い。彼女は答えたのかもしれないが、しかしアキラの耳や心にはそれが届かなかった。ステラに会った日の夢の事なども聞きたかったのに、意識は暖かな光の中に沈んでいく。まだ、あと少しだけ…そう願いながら、アキラは再び安らかに眠った。



 次に視界に入ったのは、自分の部屋に次いで見覚えのある木の天井だった。何度か目をしばたたくと、周辺を見回してそこが祖母の部屋だと気づき、床の上で自分が清潔な布団に包まれていること、そして太陽の光と壁に掛けられた時計から、現在時刻が朝の九時半頃と判った。枕元にはプルが仔犬のように(色は青系だがそれ以外は完全に仔犬である)眠っている。その寝姿を見ていると、顔面にモフッと何かが覆いかぶさった。

 「おぶっ!?」

 「フニ~」

 この家に入り浸っているトラ猫がフライングボディアタックでぶつかってきたようだ。頭にトラ猫を乗せたまま起き上がり、改めて周りを見回す。ステラの部屋とは別の部屋で、隣にステラ、その向こうに晴とペルテが眠っている。プルも含めて皆表情は安らかで、少なくとも気分が悪いなどのことは無さそうだ。

 アキラの頭から降りたトラ猫が後ろ足だけで立ち上がってふすまを開け、階段を流れるように滑り降りていった。

 (器用な猫だなあ…)

 その後すぐに足音が階段を上がってきた―――六、七人分。部屋に飛び込んできたのはブライドの仲間達だった。その後ろに祖母が続く。真っ先に桃がアキラに飛びつき、布団の上に押し倒した。その喧噪で晴とステラも目を覚まし、ブライドの仲間達と祖母の顔、そしてこの部屋を見て状況に気付いた。

 「アキラちゃん、アキラちゃん!! 大丈夫、痛くない!? 晴さんにステラちゃんも!」

 「え、うん…痛く…ない。痛くない。あれ、痛くない!?」

 脇腹に触れてみると、砕けたはずの肋骨が完全に治癒していた。少し押しても痛みは全く無い。柱にかかっている日めくりカレンダーを見ると、芽衣と共にステラを訪問した日から一日しか経っていなかった。それが正確なら今日は土曜日だ。一瞬夢でも見ていたのかと思ったが、どうやら昨日実際に起こった事らしい。あいまいに返事をした晴を見ると、やはり折れたはずの自分の指や肩に触れて、痛みが微塵も無いことに驚いていた。呆れたような困惑したような顔で、菫がアキラ達を見下ろしている。

 「三人しておばあちゃんの家の前に倒れてたのよ、ステラだけ無事でね。あの怪我でどうやって帰ってきたんだか…葵、憶えてない?」

 「憶えてない…全然」

 「とにかく、怪我は無い…無い、ですね? よかった…」

 「三人とも死んだらどうしようってオロオロしてたんですよ。主に伊予さんが」

 「バッカお前、それここで言わなくていいだろ! ていうか晴さん晴さんてギャンギャン泣いてたのお前だろ!」

 安堵に胸をなでおろすひまり、自身の不安をごまかすようにからかう芽衣と照れ隠しに大声を上げる伊予。それにしても、とつぶやいて祖母が晴とステラの横に座った。

 「不思議なこともあるものねえ。晴ちゃん達も、痛くもなんともないの?」

 「ええ…」

 「……」

 晴とステラは戸惑いながらうなずいた。傷を負っていないステラはともかく、晴は右手の指が折れ左肩の骨にはひびが入っていたのだが、それも一晩で完治していた。軽く肩を動かしたり手を握ってみても痛みは無い。晴の隣でステラがその光景を不思議そうに見ている。

 と、その時だった。

 「ちょっと、どいて…どけって!」

 誰かがブライド達を押しのけて割り込んできた。アキラはその声に聞き覚えがあった―――そして顔を見て、ここにいるはずの無い小波が顔を見せた。小波は桃を押しのけ、困惑するアキラの両肩を泣き出しそうな顔で掴む。

 「ホントに怪我してないの? ホントに? アバラ折れてたのに!?」

 「う、うん…小波、どうしてここにいるってわかったの?」

 「アキラん家電話したら帰ってきてないから、多分お祖母ちゃんの家だろうっておばさんが。…それよりアキラ、ウチ危ないことすんなって言ったよね、アキラ、うんって言ったよね。ねえ何で言ったばっかりでこんなことなってんの!?」

 「いや、それは」

 まくしたてる小波の質問にアキラが答え兼ねていると、ふと小波が周囲のブライド達の顔を見た。皆一様に戸惑っている表情で、何人かは小波の発言するところの意味を理解していないのだが、小波はそれをいかに受け取ったのか、まなじりをつりあげて怒り出した。

 「…こいつらが何かやらせてるんだな」

 「小波!」

 アキラは激昂する小波の手を掴んで、自分の方に向かせる。怒りと困惑で小波は顔をしかめ、じっとアキラを見た。対してアキラは強い視線で、諫めるように小波を見ている。祖母はあくまで様子を見ているのみだ。恐らく小波から、アキラが何かしているらしいことを事前に聞いていたのだろう。

 背後ではステラが晴にしがみついていた。それを見て再び憤怒の形相になった小波と目が合い、晴は悲鳴をあげかけたステラを抱き寄せた。掴みかからんばかりに立ち上がった小波を苦労して座らせるが、小波の怒りは到底収まるものではなく、アキラの肩越しにステラと晴に対して憎悪の視線を向けている。恐らくそんな視線を向けられたことが無いのだろう、ステラはただただ恐怖に震えていた。

 「…アキラ、その人だれ?」

 「あたしの友達、皆には言ってないけど…」

 「―――うそ。ひまり達みたいに優しくない」

 ステラの何気ない一言で、小波が頬を引きつらせた。小波はアキラを押しのけ、ステラに掴みかかった。

 「ふざけんなよ」

 晴から引きはがしたステラを正面からにらみつけた。ステラは、ヒッと息を飲み込む。

 「あんたたちがアキラに何かさせてんだろ。アバラ折るような怪我までさせて」

 「放しなさい」

 晴がステラを引きはがし、抱き寄せた。ステラはすっかり怯え、晴の後ろに隠れてしまった。小波は晴をにらみつけ、晴は毅然とした表情で小波を見ている。起き上がったアキラが両者の間に入り、小波をなだめようとするが。

 「小波。やらされてるんじゃない、あたしが自分でやってるんだよ。この子達を責めないで」

 「何かばってんのアキラ。こんな奴ら」

 「みんなを悪く言うな!!」

 言い終えた途端に沈黙が訪れる。咄嗟に出た言葉だが、小波に対して自身が怒りの声を上げる結果となり、言ってしまってから後悔した。小波のことは説得したいのであって、彼女の善意をはねつけたかったわけではないのに。

 途端、小波の表情が悲しみにゆがんだ。目を合わせられずにアキラはうつむき、自身の服の胸元を強く握りしめた。何かを言おうとするが、ただ息が漏れるだけで喉から言葉が出てこない。小波はそれを見て、いったん落ち着いたのか、それとも諦めたのか。アキラ達全員に背を向けて部屋から出た。

 「…帰る」

 それを見送る者はいなかった。

 玄関の戸を開閉する音が聞こえると、アキラは布団の上に座り込んだ。その肩に祖母が手を置き、何も言わずに頭を優しく撫でる。ステラもしゃがみこみ、アキラの手を取った。二人が慰めてくれていることに胸の内で感謝しながら、しかしそれに答えることもできなかった。

 その膝にプルがしがみつく。こちらも慰めてくれているのかと思ったが、伝わってきたのは晴からペルテを経由してのテレパシーだった。

 (落ち着いたら全員どこかに集まって、ステラの話を聞いてみましょう。あと、あなたが知ってる赤いブライドのことも)

 アキラはうなずく。

 慰める方は祖母とステラに任せ、晴はアキラを少しでも立ち直らせようとしているらしい。少し厳しいな、とアキラは内心で苦笑交じりに思った。ステラの話やルビア―――緋李のことだけでなく、骨まで砕けた重傷がいかにして治ったのかも話さなければならない。そして神様が操っていたステラのジュエルが浄化された以上、向こうも本格的にアキラ達の浄化能力が脅威となったことに気付いただろう。

 いろいろと整理したいことが多すぎるのに、その時間も取れそうにない。



 アキラは一旦自宅に帰り、荷物を部屋に置いて私服に着替えると、再び自転車に乗ってブライドの仲間達と待ち合わせている場所に向かった。連絡も無しに朝に帰ったアキラに両親は驚き困惑したが、二人にかまう気は無かった。

 「アキラ! あなたまた連絡もしないで…」

 「ごめん、すぐに出るから」

 「ちょっとアキラ? アキラ!!」

 母がそう言って玄関まで追いかけてきたが、無視して家を出た。

 ナビアプリの案内に従って自転車を漕いでいくと、都心にほど近い高級住宅街に入った。優雅にティータイムを楽しむ奥様方が住んでいそうな豪邸がずらりと並んでいて、ただの女子高生が休日の朝に歩くにはあまりに不釣り合いだ。こんな所で待ち合わせなどとそんなバカな…と怪訝な顔で自転車を漕いで目的地に着くと、そこはこれもまた高級そうなマンションだった。唖然としながら見上げ、そして視線を下ろすとブライドの仲間達が集まっていた。待ち合わせ場所はこのセレブが住んでいそうなマンションで間違いは無いようだ。晴を除くメンバーも同じような顔でマンションを見上げていたが、そこには芽衣だけがいなかった。

 そこへ、エントランスから芽衣が出てきて真相を告げた。

 「どうぞ。皆さんいらしてください」

 「…芽衣さん。これはどういうこと?」

 「そう言えば言ってませんでしたね。ここが僕の家なんですよ。僕、社長令嬢なんです」

 答えを聞いたアキラは目を丸くし、晴がため息をついた。

 エントランスは当然のようにオートロックで、芽衣がパネルにカードをかざし暗証番号を入力して開錠した。一泊数十万円のホテルと見紛うマンションに全員で入り、エレベーターで上階に上がって芽衣の部屋に向かう。途中の廊下でビジネススーツに身を固めた美女数名とすれ違い、戦々恐々としながら一礼すると、相手は微笑みながら礼を返した。何とも優雅な身のこなしだ。実はセレブが君臨する異次元に迷い込んでしまったのではないかと、アキラ達は密かに恐れおののいていた。平気なのは、恐らくここに来たことがあるのだろう晴と、好奇心に満ちた目で屋内を見回すステラくらいだ。

 芽衣の部屋に上がりこむと、これもまた学校の教室が縦横それぞれ二つか三つほど、余裕をもって収まりそうな広さだった。

 「ここは両親の会社が所有するアパートで、僕も一部屋借りてます」

 「…『僕、社長令嬢』って意外と聞かない日本語よね。マンガでも見た覚えが無いわ」

 菫が高い天井を見上げながら言う。

 応接用のソファとテーブルが並ぶリビングに通され、全員が座った。それぞれの膝の上にはジュエルから出てきた精霊達が座る。ふかふかしたソファに座ったステラが座面に手を沈め、やわらかさを堪能している。楽しそうだった。

 「重大な話はこれからここでしましょう。壁は完全防音なので周りに話を聞かれることはありませんし、いざとなれば数日は生活できます」

 「え、いいんですか?」

 「ええ。ステラさんの件からして、もうその辺で時間つぶしがてらの話し合いでは収まりませんから」

 ひまりの問いに答えつつ芽衣は電気ポットでお湯を沸かし、人数分の紅茶を用意してテーブルの上に置いた。確かに周囲に話が漏れないのはありがたいが、毎度毎度先ほどのようなハイソでセレブな美女に出会うのかと思うと、アキラはどうにも落ち着かなかった。

 紅茶を用意した芽衣がソファに座ったところで、晴が隣に座ったステラに促した。

 「ステラ。思い出したこと、できる限りで良いから聞かせてくれる?」

 「うん…」

 手に持っていたカップをテーブルに置くと、両手を膝に添えてステラは訥々と語りだした。

 「最初に思い出したのは、ステラの本当の名前。ステラ・クラールハイト」

 「ドイツっぽい名前ですね」

 「それは、わからないけど…おうちは―――空の上、神様の世界」

 「神…」

 「うん。小さい時に連れてこられたみたいで、その時のことはよく憶えてないんだけど。もう一人の子…『妹』といっしょにブライドになるように、天使様達に鍛えられてた」

 記憶を取り戻したためか、ステラは先日までと比べて饒舌になっていた。

 そして飛び出した『神様』、『天使様』の言葉に話を聞くアキラ達は呆然とした。つまり、『マリアージュ・サクリファイス』を執り行う当人によって育てられ、先日派遣されたということだ。さらにそれがもう一人いるという。

 「いつか生まれる(・・・・)ジュエルを壊すためだ、って」

 「生まれるって。生まれたジュエルなんて…」

 伊予がそこまで言ったところで、全員の視線がアキラに向けられた。この中で唯一、精霊プルと共にジュエルを生み出したアキラに。アキラは改めて思い出した。自身以外はジュエルそのものと契約していたのだ。アキラの膝の上に座ったプルが、ステラを見上げて尋ねた。

 「アキラがジュエルを生み出すってわかった上で、壊すために鍛えてたプル?」

 「どうなのかな…とうさまからはアキラの話なんて聞かなかったけど」

 「とうさまって、昨日も言ってたけどもしかして…」

 「うん、神様」

 やはり、とアキラは納得した。神がステラの記憶を奪ったのは、恐らくアキラ達が正体に思い至るのを防ぐためだったのだろう。強力な呪いがかえって『とうさま』の記憶を呼び戻したのは皮肉としか言いようがなかった。

 神はジュエルに呪いをかけ、儀式の取り決めが曲げられても放置し、モルガナスやペルドッサのジュエルの呪いを強化して戦闘能力を釣り上げた。挙句ステラにはおぞましい程の呪いを込めたジュエルを叩きつけたのだ。つまりあの叫びは、父に助けを求めた物ではない―――自身の心と体を破壊せんとする父に対しての、悲しみと怒りの叫びだ。その時の気持ちを思い出したのか、ステラの顔は悲しみに満ち、幼い目が涙にぬれていた。

 「…ステラは、とうさま達に褒めてほしかった」

 それは子供として、ごく普通の願いだった。晴の肩にもたれかかったステラの両目から涙がこぼれた。

 「とうさまに褒めてほしくて頑張って、天使様達に鍛えられて、妹と一緒に頑張って、でも…褒めてくれなかった。そして、とうさまはステラの心を壊そうとして…」

 「……天使…様にもひどいことされてたんじゃない? 髪ガッて掴まれたりとか、毎日叩かれたりバカにされたりとか」

 桃の問いに少し間を置き、ステラはうなずいた。天使は恐らく自分たちより年上の人間と似たような…つまり大人の姿で、毎日毎日虐待のような鍛え方をしていたのだろう。地上に降りてきたばかりのステラが、大人を怖がったり頭に触れられそうになって怯えたのはそれが理由だ。よく耐えられたものだと全員が一度思ったが、彼女は小さい頃に神の世界に連れてこられたという。そのような生き方しか教えられていない、逃げ方を知らなかったのだ。そして願いは一度として叶うことは無かった。その代わり、大人に囲まれて怯えながら生き抜くすべだけを身に着けたのが、今のステラだ。

 晴は寄りかかってきたステラの肩を抱いた。アキラはステラの髪を撫でようとして、頭に触れられるのを恐れていたことを思い出し、一度手を引っ込める。が、ステラはそんなアキラを見て、涙を流しながらもほほ笑んだ。

 「大丈夫だよ。アキラ達はこわくない。おばあちゃんも」

 「……そっか」

 安心して、アキラはステラの髪をなでた。

 「じゃあ、ここまで頑張ったステラにはご褒美。ステラ、ジュエルある?」

 「うん…」

 ステラが手のひらに乗せた無色透明のジュエルを、プルが軽く叩いた。その中から光の玉が飛び出して、生き物の姿を形作る。前後にやや長く、魚のヒレのような足を持つ生き物。芽衣の相棒のラムリンとはまた別の、海に棲む動物の姿だった。それがステラの膝の上にゆっくり降りる。

 「ぷきゅっ」

 純白の体毛に丸々とした体形の、子供のアザラシの姿だった。つぶらな瞳がステラをじっと見つめる。

 「…ステラの、精霊さん?」

 「シプルゥだぷきゅ」

 「シプルゥ…ふわふわ…」

 ステラはしばしシプルゥを見つめ、むぎゅっと抱き寄せた。シプルゥも嬉しそうにステラに抱き着いた。

 「よろしくね、シプルゥ!」

 「ぷきゅ!」

 あっという間にステラは泣き止み、満面の笑顔でシプルゥを抱きしめた。その笑顔に全員が安堵する。

 が、アキラはそこで違和感を覚えた。ステラが言うには神様とは「とうさま」つまり父だという。だが夢に出てきた「女神様」は自分がジュエルの儀式の執行者だと言った。それこそ夢の中の会話だが、彼女とは既に三度も出会っている。そして、二度目の時にはどこか似た雰囲気の男性と並んで立っていた。

 「ステラ、『とうさま』って髪が長くて背が高くて、白い服着てない?」

 「…よくわかったね、アキラ」

 「うん…じゃあ、女神様のことは何か言ってなかった?」

 「……めがみさま?」

 ステラとシプルゥがそろってキョトンと首をかしげる。かわいい、と言いたい欲求を全員がどうにか押さえてアキラに続きを促した。



―――〔続く〕―――

幼女には毛玉を。アザラシの知名度を爆上げした「少年アシベ」は偉大だと思うのです。

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