第六話「Bless the child」①
変身ヒロイン百合アクション、第六話です。
広大な灰色の平原にアキラは立っていた。足元に広がるのは砂と土だが、嗅いだことのない匂いが漂っている。強いて言うなら雨が降った翌日の校庭から漂う、水分を含んだ土の匂いが近いだろうか。上空は分厚い雲が広がり、気づけばしとしとと雨が降っていた。その雨も、自分が知っている雨とは匂いも温度も違う。分厚い雲のわずかな隙間から見える空と太陽は赤紫で、こちらも見たことが無かった。太陽だとわかったのは、まぶしく輝き地上に暖かさをもたらしているからというだけだ。それが無ければ太陽とも判らなかっただろう。形も丸ではなく楕円に近い。
遥か彼方の平原の端を見ると、なにやら金属の筒を構え、プラスチックのようなプロテクターをまとった、武装した兵士のような姿が見えた。姿と書くのは、アキラが知る人間とは若干異なる姿かたちだからだ。蛙のようなぬめりのある青みがかった灰色の肌。腕と足が二本ずつあることと顔に目が二つあるのは変わらないが、その目が薄い膜のようなものでおおわれている。額にある一本の筋のような穴が鼻に、その下の顔の真ん中にある縦長の穴が口に相当する器官だろうか。指が六本で箒のように手に均等に配置され、足の裏から六方向に指が広がった足が、樹木を思わせる節くれだった脚部を支えている。ややグロテスクに見える姿だが、そんな姿かたちが何体も…否、千や万では利かないほどの数が並んでいる。SF映画に出てくる宇宙人のようだ。
反対側の端には、これも同じような姿かたちが、やや少ないながらも何体も並んで…そう思ったところでアキラは絶句した。そちらの隊列にいる生命体が着ているのが、見覚えのある装束だったからだ。胴体と思われる部分を覆う短いジャケット。手足に装備された軽金属の鎧。腰にはためくリボン。何より、胸に輝く宝石―――『デュエルブライド』と同じ格好だ。
よく見るとブライドの格好をした者たちの中には、明らかに人体と異なる構造を持つ者がいる。獣のような姿、虫のような姿、植物のような姿。表現するための言葉が当てはまらないような者たちまでいた。しかし、一様に輝く宝石を身に着けている。
やがて兵士達の列が動き出し、ブライドの列へと向かっていった。兵士達はアキラのいる平原中央を通り過ぎ、徐々に足を速めている。中央にいながら遥か彼方に並んだ両方の列を細かく観察できたことで、アキラはこの光景が夢だと気づいた。その証拠にどちらの列もアキラの存在には全く気付いていなかった。
やがてブライド達が兵士達を迎え撃った。二つの隊列がぶつかり合い、強力な銃とプロテクターで武装しているはずの最前列の兵士達が一方的に吹き飛ばされた。いかに鍛え抜き強力な兵器で武装したとはいえ、根本的にあらゆる能力で上回る超人に勝てるわけが無いのだ。たかだか何千万の数の差ごときで圧倒できるわけが無い。
ブライド側の列が兵士達の真っただ中になだれ込んだ。拳で、棒で、盾で、武装した兵士たちを呵責なく吹き飛ばしていく。命は奪わず、しかし恐るべき戦闘能力を見せつけて戦意を奪っていく。当然のように兵士たちは恐怖する。だが、ブライド達の方はどこか悲し気でもあった―――顔の構造が異なるので本当にそうなのかは判らないが、それでもアキラにはそう見えた。戦いたくなどないのだと、内心で叫んでいるようだった。
アキラはいつの間にか自分が戦場の上空にいることに気付いた。その隣にはいつかの夢で見た黄金の髪に白いローブの女性がいて、両目からは涙を流し続けている。向かいには高い身長に白い軍服のような服を着た人物が立っていた。髪の長さや整った顔立ちから女性と見間違えたが、体格からは男性だと判った。
二人ともつらそうな顔をして戦場を見下ろしている。アキラも同じく見下ろした。
(…何故、戦っているんだろう?)
ブライドがブライド同士でもなく神話の怪物でもない、ただの兵士を相手に戦っている。何故、そんなことをしなければならなかったのだろうか。そして、夢とはいえここがどこなのか、あのブライドや兵士たちは何者なのか。それを見て悲しむ男女が何者なのか。そう考えているうち、アキラの意識はいつの間にか夢から離れ、気づいたら自室のベッドの上で目を見開いていた。
カーテンの隙間から差す朝の光がまぶしい。夢の続きではなく、手で触れられる現実の自分の部屋だった。アキラは眼をしばたたき、呆然として天井を見上げた。
「………なに、今の夢?」
ジュエル・デュエル・ブライド:
第六話「Bless the child」
少女はいつの間にかそこにいた。
木でできた柵に囲まれた区域の中、石のようでいてどこか柔らかい石の道、その道に沿って並ぶ木々。中央付近の水場、敷地の端に並ぶ横に広い椅子。穏やかに語り合い笑い合う大人たち、子供たち。見たことも無い光景に、しかし少女の心は動かなかった。その目はまるで意識を失ったかのようにうつろだった。
少女はふらふらと歩きだし、水場に踏み込む。膝の何センチか下までが濡れる程度の深さしか無い。近くにいる者たちが何人か奇異な目で見ているが、彼女は気づかない。ふと、周辺の空気の匂いに混ざって別の匂いがした。少女は匂いの元を探し、やがて四つの黒い輪に支えられた大きな箱から漂っているのに気づいた。箱の前には子供や大人が何人か集まっている。少女は箱に向かって歩き出した。思った通り、匂いは近づくほどに強くなる―――そして少女の食欲を刺激した。だが集まった大人たちの背中に怯えて動くことができず、やむなく人がいなくなるまで待った。
誰もいなくなったところで箱に近寄ると、くりぬかれた壁から一人の大人が顔を出した。派手な色で塗られた金属の箱から人…特に大人が出てくるとは思わず、少女は驚いて一歩下がった。その足元が濡れていることに、箱の大人は気づいたかどうか。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
なんの事を言っているのかわからず、少女は首を傾げた。
「…お客様?」
「え、え、えと……」
少女はどう答えればいいのかわからず、箱の表面を見回した。大人は箱の外側に立てかけられた板をさし、どれになさいますか、と言う。いくつかの写真と文字が並んでいた。写真にある明るいブラウンや濃いブラウン、淡いピンクの輪も、その下に書いてある文字も何なのかは判らないが、どうやらこの食欲を刺激する匂い…この嗅いだことのない甘い匂いの元だと漠然と理解した。この中でも特に興味が光れたのは濃いブラウンの輪だった。少女はそれを指した。大人を相手に話している緊張と不安で、足が震え声が上ずる。
「こ、こ、これ…ひとつ」
「チョコリングドーナツですね。百六十円になります」
「ひゃ、くろくじゅえ、ん?」
「はい。…お客様?」
大人の言う「ひゃくろくじゅえん」が何なのことを言っているのか分からず、少女はあたふたと周りを見回した。首をかしげながら大人が見ている。早く、早くしなければ。足りないのは何か。少女が焦りパニックになっていると、大人が尋ねた。
「お金はお持ちではないですか?」
「おか、ね?」
「おかね」が何なのかはやはり判らないが、どうやら持っていないと「ちょこりんぐどーなつ」なる物はもらえないらしい。少女は服のポケットをかき回し、当然のように何もないことに愕然として、とうとう泣き出した。
「お、おかね…ない…」
「困ったな…」
「ご、ご、ごめんなさい…」
大人の人を困らせてしまった。申し訳なさと後で何をされるか判らない恐怖で、少女はぐすぐすと泣き続けている。と、少女の左右から二つの声が聞こえてきた。
「あたし払います!」
「払うわ」
見上げると、不意に現れた二人の少女が彼女を挟んで立っていた。
アキラは級友たちと街中を歩いていた。休日に誘われたのはともかく、小波達女子グループだけでなく何故か男子…それも全く顔の知らない男子が数人混ざっている。小波以外の女子グループは男子たちと楽しそうに話しているが、アキラとしては見知らぬ人間のために時間を割かれたこともあり、全く面白くなかった。親友である小波に頼まれたから来たのだ。仏頂面でのしのし歩くアキラを、隣を歩く小波がどうにかなだめようとしていた。
「ごめんって…最近アキラ忙しそうだからさ、たまには遊んだほうがいいと思ってさ」
「気持ちはありがたいけど。あたしあの人達の事全然知らないんだよ、何でいるの?」
「ド辛辣に過ぎませんか葵さん。…なんかあの男子達、アキラと仲良くなりたいってさ」
知らないよ、とつぶやいてアキラは抜け出す口実でも探そうと周囲を見回した。小波には申し訳ないが、知り合いでもないし知り合いたいとも思わない、挙句自分と仲よくなりたいと言っておきながらそのそぶりも見せない連中に付き合ってやる義理は無かった。しかし、不幸にも用事のできそうな店も無かった。いきなりいなくなっても前を歩く級友たちと男子生徒は気づかないだろうが、それでは小波に申し訳ない。中途半端に薄情者だな、と自分を顧みる。
楽しそうな級友らの後ろを憮然としながら歩いて三十分ほど過ぎたころ、ふと公園を見るとドーナツショップのキッチンカーがあった。小波と並んで立ち止まり、キッチンカーを眺めていると、その前であたふた慌てている少女の姿があった。腰まで伸ばしたストレートの髪がわずかに銀色がかって見える、幼げで不思議な雰囲気を漂わせている。ドーナツを買おうとして財布を落としてしまったのだろうか。アキラはドーナツショップの店名に見覚えがあった。桃がアルバイトしている出版社から発売中の地元情報誌で何度か見たことがあり、記事でも主に高校生の層に絶賛されていた。何よりそのおいしそうな匂いで食欲を刺激される。それなのに屋台の前で少女は慌て、ついには泣きだしてしまっていた。
「…ごめん小波、あたしあっち行く」
「ええ……もぉ、わかったよ。じゃあまた今度誘うね」
「うん。ごめんね」
知り合いでもない男子まで連れてきたことを申し訳ないと思っていたのか、小波は引き留めなかった。アキラは柵を乗り越えて公園に入り、少女に駆け寄った。そして販売員に声をかける。
「あたし払います!」
「払うわ」
アキラとは別にもう一人分の声が聞こえた。少女を挟んで反対側にいるのは、セミロングの髪、涼やかな目元、スラリとした鼻梁。
「どっど! ど!…ど…ど……どう…」
「何?」
「ドモコニチワ」
どうもこんにちは…と言おうとして、緊張から八十年代の外国人タレントのような片言の日本語になってしまった。心なしか低く苦み走った良い声が出た気がする。
そこにいたのは堂本 緋李。アキラが初めて出会った『デュエルブライド』のうちの一人、プリマ・ルビアでもある。日々思い出しては胸を高鳴らせる、初めての恋の相手だ。そして二人の間では、今しがたまで泣いていた少女が小首をかしげて二人を交互に見ていた。緋李は自分の財布を覗き込み、硬貨を何枚か出した。
「半分ずつ払いましょう」
「あ、う、うん。キミ、どれにするの?」
「…これ」
少女は看板のチョコリングドーナツの写真を指した。一個百六十円。アキラは自分の財布から半分の八十円、そして自分が買う分の代金を出して支払った。
「追加でフレンチクルーラー一つ!」
「かしこまりました。少々お待ちください」
チョコリングとフレンチクルーラーを入れた小さな紙のバスケットを販売員が差し出し、アキラが受け取った。三人は空いているベンチを探し、少女を真ん中にして並んで座った。バスケットから包み紙に入ったチョコリングを出して少女に渡すと、困惑したような顔で受け取る。アキラは自分のフレンチクルーラーを包み紙から半分ほど出してかじりついた。見よう見まねで少女もチョコリングを半分だけ出すと、どうやら自分が求めていた物だと理解したらしい。そしてアキラと同じく一口食べた。
「!」
「どう? おいしいでしょ」
「うん、うん…」
ゆっくりと少女はドーナツをかみしめ、甘味と歯ごたえを味わって飲み込み、頬をゆるませた。周囲に星が飛び出したかのようにキラキラした、嬉しそうな顔だ。その隣、アキラと反対側に座った緋李は無表情で本を読んでいる。と思いきや、膝の横にはいつの間にか買ってきたメープルシロップ入りカフェラテのカップが一つ置かれていた。少女が緋李からそれを受け取り、一口飲んでまた甘味に目を輝かせる。
少女がドーナツとメープルラテを食し終わったところで、アキラは尋ねた。
「キミ、ご両親は?」
「ご…りょうしん…?」
「うん。パパとママ」
「ぱぱ…と…ママ……?」
緋李は読んでいた本を閉じた。アキラも感じていたが、この少女は言葉自体は判っているはずなのに、先ほどからの問答を聞いた限り、どうもいくつかの単語の意味を理解していないようだ。
「店員さんに聞いたけど、『お金』が何なのかも判っていない感じだったそうよ」
「日本語どころか一般常識の段階で怪しいってこと?」
「恐らく」
アキラはしばし思考をめぐらせた。この子は何か事情があってまともな教育を受けられなかったのでは…と考える。ならば児童相談所かどこかに預けなければならない。アキラは一度立ち上がると少女の前にしゃがみこみ、見上げるような形で視線を合わせながら尋ねる。
「キミ、おうちはどこ? キミがいつもいる所」
「おうち…いつも……」
少女は何かを思い出そうとしている…つまり自分の家のことは知識にある。だが、それがどこにあるのかを思い出せないでいるようだ。少女は頭を押さえ、顔をしかめた。しばらくそうしているうちに、突然少女の体が痙攣する。
「う!」
「ど、どうしたの?」
「おうち…わからない。あたま…いたい…いたい……」
悲痛な声にアキラは慌て、つい少女の両手を握ってしまった。その瞬間、先日のペルドッサの時と同じ感覚―――肌を無数の金属の刃でこすられるような感覚が腕を伝う。しかし当の少女が苦しんでいる以上、その手を離すわけにはいかなかった。アキラは必死になってなだめる。
「わかった、いい! 思い出さなくていい!」
「え…」
「思い出すのは後にしよう。ごめんね、痛かったよね」
アキラが少女の頭に手を伸ばしたその時。少女は身を縮こまらせ、何かから守るように両腕で顔を隠した。アキラはその挙動を初めて見たが、聞いた話などで意味するところは何となく分かっていた。アキラは手を引っ込め、もう一度少女の手を握る。それで彼女も安心したらしく、膝の上に手を下ろしてアキラの顔を見た。その目にはわずかに恐怖の残滓が見える。
横で緋李が様子を見守る中、アキラは少女の目を見ながら言った。
「とりあえず、キミの住む所を見つけよう。あたしだけじゃ難しいから、友達にも訊いてみる。いい?」
ためらいがちにうなずいた少女を見て、アキラは考える。頭をかばうのは叩かれたり髪を掴まれたりなど、虐待されている子供が反射的に取る行動だと聞いたことがあった。しかし家のことを思い出せないのは、おそらくそれ自体が原因ではない。いつも住む場所が民家でなく路上や公園などなら、そこだと言えるはずだ。金銭や両親の呼び方に関しても、ごくわずかでも何かしらの知識があっておかしくない。一般常識すら危うい、と緋李が言う通りだ。
ふと少女の足元を見ると、綺麗な靴も靴下もびしょびしょに濡れていた。あまり乾いていないところからして、公園の池にでも踏み込んだのだろうか。否、詳しいことは後で良い。それよりも。
「なまえ、きいても良いかな。あたしはアキラ」
「アキラ?」
「そう。キミは?」
「……ステラ」
名前を言うまでにわずかな間があった。まだ信用はされていないのだろう。
「イタリア語で『星』ね」
緋李が言う。綺麗な名前だな、とアキラは思った。
アキラは少女の隣に座り直し、晴に電話した。その間に緋李はもう自分のやることは無いと悟ったのか、本を持ってどこかへ行こうとする。それをアキラが呼び止めると、背を向けたまま立ち止まった。
「あ、あの! …ありがとね」
「……別に」
アキラはやはり優しい人だと思いつつ、少しだけ振りむいた緋李の頬が真っ赤になっていたことには気づかなかった。スマートフォンを耳に当てると、ちょうど晴が出た所だった。
「もしもし、晴さん? ちょっと相談したいことがあるんだけど―――」
―――〔続く〕―――
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ここから何話かシリアスな話が続きます。




