第四話 「The time of the oath」③
変身ヒロイン百合アクション第四話、続きです。
交差点を左に曲がると、また制服姿の背中が何メートルか先の角を曲がっていった。ためらわずに追うが、途端にその姿を見失った。
「ペルテ、周りにだれかいる?」
「む…あそこにだれかおりますぞ」
ペルテは民家の間と間、塀の上を指す。そちらを見ると人の影があった。わずかに差し込む光を反射し、肩や膝のあたりが鈍く輝き、ショッキングピンクの髪がゆらめく。胸には同じくショッキングピンクの宝石、その中にうごめく黒い濁りが見えた。間違いない、『デュエルブライド』だ。晴は宝石の中にペルテを隠し、ブライドに近づいた。
そしてジュエルを取り出しかけ、浄化ができないことをすぐに思い出してやめた。同時に自分が自然に浄化を考えていることに驚いた。アキラの思考に共感しているのか、目の前の「普通の子」を救おうと本気で考えているのか。思考が少しだけ混乱するが、一旦目の前の相手に集中し、迷うのは後にする。
「…あなた、私の友達が言ってたストーカーまがいの人ね?」
「へぇ、お友達もいたんだ? …ええ、サフィールのことをちょっと調べてんですよ。神様のお告げでね」
アキラの名前は出さずに尋ねたが、ある意味では予想外の回答が返ってきた。
「…神様、の?」
「しかも狙い通りビビってくれてるし。作戦第一段階は大成功。苦労したんだよォ、神様はサフィールの居場所を教えてくれなくてさァ」
ピンク色のブライドは影の中から身を乗り出した。猫の鋭さと爬虫類の無機質さを合わせた不気味な目が光る。だが晴の思考は別のところにあった。
神様のお告げでアキラのことをつけ回しているという発言が事実なら、少なくとも神様とやらがアキラのジュエルがイレギュラーである可能性に気付き、そしてつぶそうとし始めた可能性がある。まずはアキラの身辺を調べ、撹乱するところから始めたようだ。
そして晴にそれを教えているということは。
「アナタもブライドだよね。サフィールに力を消されたっていう?」
「それが?」
「力を失った腑抜けのアナタ達に、戦う力は無い。戦えてもサフィールのように神様の力を消すこともできない。つまり何ら怖い所は無い、どーでもいいんだよ。べらべら喋ってんのはそういう理由」
やはりそうだ。神様とやらにはこちらの状況をある程度知られている。そして彼女が言う通り、浄化されているだけの状態では以前の戦闘能力を発揮できない。戦力外という評価は全くの事実だ。
改めて、アキラ一人に戦いを任せてなくてはいけない現状に直面させられた。
「まあサフィールが見つかったんでいいや。後は次の段階に取り掛かるだけだし」
ピンクのブライドは再び影の中に戻った。
「そのうちサフィールはお誘いするんで、もう少し待っててって伝えてね。それじゃ」
それだけ言って、ピンクのブライドは姿を消した。
気配が消えたのを見計らい、晴は宝石からペルテを出すと、元来た道をたどってアキラの家に向かう。歩きながらペルテに尋ねた。
「今のはどのブライドかしら?」
「あの色からするに、恐らくプリマ・モルガナスだモフ。ワガハイの記憶が確かなら、盾を持っているはずだモフ…」
「それらしい物は見えなかったけど」
「多分隠していたか、小さな盾だモフ」
なるほど、と晴は納得した。あの運動能力で盾を持つのなら、動きやすい小さめのものだろう。
晴はスマートフォンを取り出すとアキラに電話をかける。すぐに不安そうな声が出た。
「もしもし緑川さん? 大丈夫、何かされてない?」
「ええ、私は大丈夫。…ただ、葵さんがサフィールであることはもう特定されてるみたい」
「ええええええ…」
「でもって私の方は戦力外扱い。…相手のブライドはプリマ・モルガナス。いくつか情報を聞き出せたから、そっちに着いたら話すわ」
晴がアキラの家にたどり着いて呼び鈴を押すと、ドアを開けてアキラがこそりと顔をだした。家の中からは長話をしないように、という彼女の母であろう声が聞こえた。アキラが返事をするのを待ち、晴は聞き出せたモルガナスの情報…ペルテに聞いたモルガナスの武器、アキラをつけ回しているのが『神様のお告げ』であることなどを話した。
「もうすぐ誘うか…校舎裏に呼び出しでもする気かな」
「どこの校舎よ。ともかく迂闊に誘いには乗れないけど、乗らない限り浄化はできないのが厄介だわ」
「うん… あれ、浄化する方向で考えてくれてるんだ?」
「そ、それは…まあね。朱見さんの件もあるし、私だって普通の子が悪魔みたいになるのは嫌だもの…」
少しだけ照れながらそう言うと、晴を見るアキラが明るい笑顔を浮かべた。
「何かうれしいな! あたしの考えがわかってもらえたみたいで」
「…それと一緒に戦うのとは別のことよ」
照れた顔を隠すように、晴はそっぽを向きながら答えた。えー、と拗ねたように口を尖らすアキラ。しかしペルテとプルは晴の表情を察し、くすくす笑っていた。
「ともかく、本当に気を付けるのよ。何かあったら全員に連絡してから行動すること」
「うん。…お母さんみたいな言い方だね」
「お母さんて」
複雑な表情の晴。
ともあれ相手がブライドである以上、警察などには頼まず自分たちで何とかするしかない。神が視認している可能性も考えれば、それこそモルガナスがどこからアキラに襲い掛かってくるか判らない。警戒を強めねば…。
だが、晴のこの決意は本人の予想しない形で裏切られることになる。
翌日の放課後、アキラは小波らと学校帰りに書店に立ち寄って、女子中高生向けの地元情報誌を立ち読みしていた。先日弟から押し付けられた雑誌のモデル「MOMO.」が他の雑誌に載っていないか、他の雑誌でも暗い顔なのかと気になったためだが、ファッション誌ではなく情報誌に目を止めたのは本当に偶然だった。
彼女は複数の雑誌に名前を載せていた。奇妙なことに、モデルとして撮影している写真ではどれもつまらなさそうな、あるいはつらそうな顔をしているのに対し、彼女が読者として投稿したという新店情報の写真では楽しそうに笑っている。営業スマイルなのかもしれないが、それでもモデル写真などよりずっと表情が輝いていた。
また、情報誌には近年の学校の統廃合についても書かれていた。アキラの街でもいくつかの学校が統合され、新しい校舎に建て替えられる予定だ。記事のページには夕日に照らされた校舎の投稿写真が掲載されていて、その中にも「MOMO.」撮影の写真もあった。知らない学校の校舎なのに哀愁に満ちていて寂寥感を感じさせ、夕日に佇む無機質なはずの建築物に、何とも言えない表情がある。
アキラの目も心も、その一枚に惹きつけられた。
(すごい…綺麗……)
ひょこっと背後から顔を出した小波が紙面をのぞき込む。
「アキラこういうの読むんだ?」
「うん、MOMO.っていう子がちょっと気になってさ。モデル以外にも投稿記事とか書いてるんだね」
「MOMO.ちゃんか。ファンにでもなった?」
アキラは情報誌を閉じると隣に積んであったファッション誌を開く。こちらの方に「MOMO.」の写真は掲載されていなかった。さらに、目次に彼女と他のモデルの対談記事を休載する旨の告知が書いてある。
「うーん…ファンっていうのかな」
「まあわかる。モデルやってる時の大人っぽい顔だよねぇ、あれがカッコ良くてさ」
(違う気がするんだけど…)
小波がファッション誌の方を読み始めると、アキラは情報誌の裏表紙で値段を確かめた。サイフの中と見比べ、充分に手が届く値段であると知るとそれをレジに持っていき、会計を済ませた。そして立ち読み中の小波の横まで戻った時、バッグの中から仔犬のようなキュンキュンという鳴き声が聞こえた。
「犬!?」
「あたしの電話。―――緑川さん?」
鳴き声はアキラのスマートフォンの着信音で、晴からの通話だった。何かモルガナスの方に動きがあったのかと思い、小波が「誰?」という顔をする横で出てみると、知らない声が答えた。
「どぉーもこんちは。最近よくお会いしますね、プリマ・モルガナスでっす」
「…あなた、あたしをつけまわしてるっていう……何で緑川さんのスマホからかけてるの?」
「どーしてだと思う? ちょっと外出てみ」
不安に駆られてアキラは店の外に出た。道路を一つ挟んで向かい側の空きビルの窓に、ショッキングピンクの髪の『デュエルブライド』がスマートフォンを持って立っている。そしてもう片方の手で、緑色の『ディヴァインジュエル』をもてあそんでいた。
「……緑川さんをどうしたの?」
「やっぱり戦力外のブライドは弱っちーねえ…で、どーすん? 来る?」
瞬時にアキラの頭の中は、晴を弱者呼ばわりされたことへの怒り、そしてそんな事態を招いた自分の油断への悔悟であふれた。モルガナスの誘いに乗らねば晴は助けられないし、彼女のジュエルも浄化できない。だが冷静さを失っている今、それこそ昨日晴が言ったように、自分でも何をするか判らない。一度通話を切り、気持ちを無理やり落ち着けようとする。
《アキラ、まず一回落ち着いて、みんなとママさんに連絡するプル。追いかけるのはそれからプル》
「……うん」
内心の焦りを必死に抑え、LINUで母に帰りが遅くなるかもしれないこと、そしてひまり達には晴がモルガナスに接触され、恐らく囚われているであろうことを伝えた。いつの間にかモルガナスは屋上に上がって、アキラを見下ろすと別のビルへと飛び移り、走っていった。
会計を済ませた小波が店舗の外に出て、背後からアキラに声をかける。
「アキラ、どした?」
「っ…ごめん小波、あたしの荷物、持っててっ!」
「どこ行くのさ!?」
バッグを小波に押し付け、アキラは走り出し、店舗前に停めてあった自転車に乗ると道路を渡った。呆然と見送る小波だけがそこに残された。
アキラは必死に自転車を漕いでモルガナスを追っていった。いつの間にか見たことも無い住宅地に入り、通学路と思われる道路を抜けて、その住宅地の中にある学校にたどり着いた。まったく人の気配が無いのは放課後だからかと思ったが、校門が伸縮式のバリケードで封鎖され、立ち入り禁止の看板が掛けられている―――廃校になった小学校だ、と気づいた。先ほどの情報誌で読んだ記事を思い出す。この学校もその例に漏れないようだ。
と、アキラは見上げた校舎に見覚えがあることに気付いた。校庭側回り込むと、沈みかけた夕日に照らされる校舎を一望するアングルで、まさに先刻の情報誌に掲載されていた学校だとわかった。そして、暗い校舎内の三階の教室に緑色に光る点が見えた。晴のジュエルだ。
「緑川さん…」
錆だらけの金網にかけた手を強く握った。
晴を助けたい焦りに心がかき乱される。それを察したプルが目の前に浮かび、心を落ち着けようとアキラの顔にもふもふの両手で触れた。
「アキラ、もっかい言うけど落ち着くプル」
「わかってる! わかってるけど…」
「まずエメルディのジュエルを取り返すプル。変身すればエメルディは逃げられるプル」
「…そっか。ブライドなら逃げ出すのは余裕だしね」
プルの助言で方針を固め、アキラは校門まで戻って自転車を降り、スマートフォンをマナーモードにすると、柵を開けてこっそり敷地に入り、職員用玄関から土足のまま校舎に忍び込んだ。運よく封鎖されていなかったが、受付の窓口から見える無人の事務室にはデスクや書類が放置されたままで、不気味さと寂寥感を同時に感じさせる。廊下は夕日の光が殆ど入らず、半端に薄暗いせいで却って視界が効きづらい。日陰のせいか、それとも人がいないせいか、空気は冷たかった。アキラは冷え切った廊下を、静かに歩いていく。
(……人の気配の無い学校って、寂しいんだなあ)
古い校舎だった。以前はたくさんの子供たちでにぎわっていたのだろうか。教室に置かれている机のサイズからすると、小学校だったようだ。ジュエルの光が三階の校庭側の教室に見えたのを思い出し、アキラは音を立てずに階段を上っていった。
首筋の痛みに晴は意識を取り戻し、自分が冷たい床の上に横たわっていることにすぐ気づいた。手足を動かそうとしたが、針金のような硬く細い金属線で縛られているらしく、動けない両手首と両足首に冷たい痛みが食い込むだけだった。そして腕を動かせる範囲で服のポケットを調べてみた。
(ジュエルが無い。そうだ、昼休みに……)
昼休みに学校の中庭に出たところで、ポケットの中のジュエルが熱を帯びたことで危険が迫っていることを知り、背後に気配を感じて振り向いたら突然モルガナスが目の前に現れ、首筋に強烈な痛みを感じたところで意識が途切れた。そしてこの暗く冷たい部屋にいる。ジュエルは気絶している間にモルガナスに盗まれたのだろう。
首筋と縛られた手首意外に痛みはない。特に傷を負っているわけではないようだ。縛られた脚をどうにか動かすと、冷たく硬い床に触れ、ついで金属のパイプのような物にあたった。爪先で撫でてみる―――パイプのようなものは曲がり、何かを囲むような形になっているのが分かった。ところどころがざらついている。この形には覚えがあった。
(学校の机の脚だわ…錆びてる、っていうことは古い物ね…じゃあ、ここは)
顔を上げると、暗い中に大きな長方形で切り取られたように夕焼けの空が見えた。暗いオレンジ色の光に照らされて、掃除用具を入れるロッカーや荷物を置く木製の棚、そして大きな壁に貼られた拙い絵が並んでいる。
小学校の教室だ。だが埃が積もっており、数カ月ほど掃除が行われていないのが分かった。教室の中には教科書や上履きが置き去りにされている。状況から、廃校の教室だと気づいた。
改めて自分の状況を顧みる。廃校、拘束、直前に現れたモルガナス、盗まれたジュエル。戦力外扱いのはずの自分にそこまですることの意味。
(…人質か…葵さんをおびき寄せるためね)
立膝の姿勢で窓から顔を出すと校庭が一望できた。思った通り誰もいない。窓も閉まっているため、声も外には届かないだろう…と、そこで教室も廊下も静かすぎることに気付いた。校内にいるだろうモルガナスは、別の階にいるのか、足音も気配も無い。
振り向いて教室出入口の引き戸を見ると、その横に数本の木の棒が立てかけられ、いわゆるつっかえ棒となって固定されている―――内側から。教室内にいる晴は縛られていて手を動かせない。窓は全て鍵がかかっており、ガラスを割って外に出た形跡もない。手足を動かせる誰かが内側にいない限り、この引き戸を固定するのは不可能だ。とすると、モルガナスがいる場所は…
突如、引き戸が動いた。誰かが外側から開けようとしている。
「緑川さん、そこにいる? そこにモルガナスもいるよね、緑川さんのジュエルの光が見えたし!」
アキラの声だった。だが教室にはモルガナスもいなければ晴のジュエルも無い。晴は必死になって教室内を見渡した。どれだけ探ってもここにいるのは晴一人だが、それでもだれかが隠れた痕跡が無いか必死に探す。その最中もアキラは外側から引き戸を無理やり開けようとしていた。
アキラが引き戸を開けようとしてガタガタ動かすと、棒が何本か簡単に折れ、床の上に落ちた。これではすぐに開いてしまい、アキラを締め出すことなどできない。一体何のために…不意に、晴の視線は引き戸の横、夕日の光が殆ど届かない、教室の隅の暗がりに引きつけられた。一瞬だけ、光を反射した鈍い金属光沢が見えた。晴の背中に鳥肌が立つ。アキラは気付かず、戸を開けることに夢中になっている。
「あ、今何か外れた! ちょっと待っててね、すぐ開けるから!」
今開けてはいけない―――晴が言う前に、戸板を固定していた全ての棒が外れて床に落ち、ガラガラと音を立てた。勢いよく引き戸が開くとアキラの姿が見えた。
「開いた! 緑川さ」
「だめ、来ないで!」
助けを拒む晴の声と同時だった。踏み込んだアキラの眼前に突如すさまじい勢いで何かが飛び出し、同時に刃物らしきものを水平に振り抜いたのだ。瞬時に戸板が真っ二つに両断され、引き戸周りの壁は廊下までが見えるほどに深くえぐれた。
「葵さん!!」
「大っ、丈夫…―――っ!!」
アキラはギリギリで立ち止まり、直撃を回避していた。にもかかわらず左の肩が裂け、血が噴き出していた。アキラの眼前にはピンク色の『デュエルブライド』、プリマ・モルガナスが左足のみで立ち、右脚は水平方向に伸ばしている。洋風の装備を標準とするブライドには珍しく、両足とも黒い足袋を履いていた。爪先が刃物のように銀色に輝いている。そして水平に上げた右足に、木片と壁紙の一辺が付着していた。
存在すら感知させずに引き戸の横に隠れていたモルガナスの一撃、それも恐るべき速度と鋭利さの回し蹴りだった。引き戸を開けたことに気を取られてあと一歩踏み込んでいたら、恐らくアキラの首も刎ねられていたことだろう。肩に傷をつけたのは、その速度が生み出すカマイタチのような真空状態だった。
モルガナスは完全に気配を消して、入り口横の暗がりと一体化するように潜んでいたのだ、と晴はぎりぎりで気づいた。アキラが見たという自分のジュエルは、モルガナスが持っていたのが見えたということだ。そして下手に動けば自分の方が蹴り殺され―――あるいは斬り殺されていたかも知れないと思い、戦慄する。
獣のように歯をむき出して邪悪に笑うモルガナスを、アキラは初めて真正面から見た。
「待ってたよォ、サフィール!」
蹴り足を下ろすと、モルガナスは素早くアキラの懐に素早くもぐりこみ、えぐりこむような左の貫手を繰り出した。アキラは後ろに跳んで避けるが、制服の襟と胸元が裂け、首から下げている青いジュエルがあらわになる。晴はこの貫手を、首に食らったことを思い出した。加減はしたのだろうが、それでもなお人間を一撃で気絶させる技を、全力で人体に当てたらどうなるのか。想像するだけで晴の背中に悪寒が走る。
アキラはさらに後ろに跳び、廊下に出てモルガナスと距離を取った。
《アキラ、変身するプル!》
「うん!」
アキラは胸元のジュエルを握った。強烈な閃光が暗い廊下を照らし、モルガナスの視力を一時的に奪う。
「エンゲージ、『プリマ・サフィール』ッ!!」
光が消えるとともにアキラの姿も消失し、直後にモルガナスの背後にサフィールが現れた。腰のあたりを狙った左のミドルキックは、しかし振り向きざまに掲げたモルガナスの左腕の盾で防がれた。晴が言っていた盾だ。直径20センチ前後と小さく、円盤型で表面は丸みを帯びている。その磨き上げられた表面を滑って、蹴り足はあらぬ方向に受け流された。
バランスを崩しかけたサフィールの膝を、モルガナスの爪先での下段蹴りが直撃した。サフィール自身の頑強さゆえに傷にこそならなかったが、破壊力が爪先の一点に集中された強烈な一撃だ。しかもモルガナス自身は足の指に痛みを感じている様子も無かった。
柔軟な関節と鉄のように頑強な手足の指先による、しなやかで鋭利な体術だ。生身の人体などたやすく貫通、切断するだろう。左腕の盾は打撃を受け流し、縁で叩けば強力な鈍器にもなる。サフィールと同じく至近距離での肉弾戦を得意とするブライドだが、戦い方は全く異なる。
サフィールは数歩後退し、どうにか体勢を立て直すが、その直後。
「ぃぇああっ!!」
獣じみた叫びをあげ、モルガナスが槍のような強烈な蹴りを放つ。柔軟な股関節を大きく開いたことで、体形から予想した以上に蹴り足が遠くに届く。サフィールは体をひねって蹴りを回避し、踏み込んで肩口に肘を当てようとするが、モルガナスは素早く体を引いて肘打ちを逃れ、すぐさま一歩前に踏み込むと掌打でサフィールの顎を打ち上げ、立て続けにバック転の動きで腹を蹴り上げた。両者の距離がわずかに離れる。
サフィールは両足を踏ん張ってダウンを逃れるが、顔を上げた直後にその視界からモルガナスが姿を消し―――直後、回転する影が視界に飛び込み、側頭部への強烈な衝撃がその体を真横に吹き飛ばす。高い跳躍からの後ろ回し蹴りだ。激突した窓ガラスが砕け、無数の破片が地面へと落下する。立て続けに突き出された貫手を避け、サフィールは素早く転がって間合いを取った。立ち上がると再びモルガナスの右の貫手が目に向かって突き出される。サフィールはそれを左手で掴み、モルガナスの肩に右の肘を撃ち込むが、こちらは当たる前に左腕の盾で防がれた。両腕を組み合い密着した状態で二人は向き合う。
「あたしに会いたかったってどういうこと? 神様のお告げで調べてたって、何を!」
「身辺調査だよ、アンタを誘う作戦のためにね。むしろ本人より友達をさらった方が効果的だった。そしてアタシの狙いは…!」
モルガナスは両腕を引き戻し、右脚の上段蹴りでサフィールの胸のジュエルを狙う。サフィールはガントレットで蹴り足の爪先を弾き、掴もうとするがすぐにすり抜けられた。蹴り足をすぐに戻したモルガナスは、片手のみで体を支えて側転に移り、サフィールの肩口にかかとの蹴りを振り下ろした。サフィールはこれもガントレットでガードするが、足首を首に引っ掛けられて引きずり倒され、そのまま脚力で腕と首を押さえ込まれた。倒れこんだサフィールの胸をモルガナスの必殺の貫手が狙う。膝を上げて貫手を弾くと、逸れた指先がサフィールの頬を切り裂き、血を噴き出させる。
「アンタのジュエルの破壊!」
「破壊…!?」
ジュエルの破壊。
サフィールは慄然とした。今までのブライド達の目的はジュエルを集めることだった。それがモルガナスには当てはまらない。
「あたし以外にもブライドはいる。全部壊す気?」
「アンタのだけさ。他はキッチリ収集させてもらう!」
(神様がルールを曲げてきた? それとも管理できないあたしのを破壊して、『マリアージュ・サクリファイス』を円滑に進める気? ―――どっちにしろ、壊されるわけにはいかない!)
サフィールは体を丸め、両膝でモルガナスの肩を蹴ると脚の抑え込みから脱出し、立ち上がると同じく立ち上がったモルガナスに突進する。その顔面を高速の前蹴りが直撃し、足止めした。鼻血を出しながらもサフィールはめげずに向かっていく。今度は膝蹴りが額に命中したが、同時に脚を両腕でつかんだ。一見タックルの失敗のようだが、サフィールの狙いは別にあった。
(プル、緑川さんのジュエルの場所を探って!)
《できるかな…うん、やってみるプル!》
プルが精神を集中すると、サフィールの胸のジュエルが輝いた。モルガナスは警戒してサフィールから離れる。その短い時間でプルはエメルディのジュエルを発見していた。その場所が一瞬だけ光った。
《見つけた! モルガナスの右脚ポケットに入ってるプル!》
(ペルテが出てこない。何でだろう?)
《多分、呪われたジュエルがすぐ近くにあるせいで押さえ込まれてるプル!》
(じゃあすぐにでも解放しなくちゃ!)
距離を取ったモルガナスに向けて再び突撃するサフィール。先ほどと同じ行動をバカにするようにモルガナスは右脚で前蹴りを繰り出すが、今度は捕まえる気は無かった。捕まえようとすれば柔軟な関節を利用してすり抜けられるか、手足での素早い打撃でつぶされる。ならば…
「でぇやァァァッ!!」
高速で突き出された脚に対し、爪先が右目の真横を裂くのもかまわず、頭で蹴り足を逸らし受け流す。ボクシングでいうヘッドスリップの動きに似ていた。そして同時にガントレットを装備した強烈な右腕のフックを、モルガナスの腿に叩き込んだ。超人の腕力で行うことで、ただの痛打にとどまらない凄まじい威力となった。骨や筋肉を破壊せず、なるべく痣も残さないため、サフィールが思いついた最善の手段だ。
「ぐぎっ…あああああ!!」
強烈な痛みにモルガナスは悲鳴を上げ、後ろに逃げようとするが、片足では上手くいかずによろける。続けてサフィールはもう一歩踏み出し、モルガナスのキュロットスカートの右脚側ポケットを破り取った。中から緑色に輝くエメルディのジュエルがこぼれ落ち、キャッチすると素早く晴がいる教室の方に投げる。モルガナスとの戦闘で移動を繰り返した結果、気づいたらだいぶ離れた場所に来ていた。空中を飛んでいく緑色のジュエルに、プルが呼びかける。
「ペルテ! 早くエメルディのところに行ってプル!」
途端、ジュエルから飛び出た光の玉がペルテの姿をかたどった。ぺるては空中でジュエルをキャッチし、できるだけのスピードで飛んでいく。
「かたじけないモフ!」
あとは晴が脱出するまでモルガナスを押さえておくだけ…とサフィールが振り向いた直後、モルガナスが左の拳を突き出してきた。顔面を直撃されるすれすれでその拳を受け止めたが、その瞬間に拳とは別の物がサフィールの眉間に当たり、一瞬視界がくらんだ。何かと思って目を開くと、今度は左拳が胸に向かって突き出された―――そして盾だけが伸びて、サフィールの喉を直撃。気管への圧力で呼吸が一瞬封じられる。
(なっ…何今の!?)
盾が伸びたと思ったが、見るとその直径に変化は無かった。三度突き出される左の拳を、喉の苦しみを抑えつつ何とか避けて回避する。瞬間、盾が前方にスライドしたのを見た。バネ仕掛けの玩具のように、腕を突き出した勢いで盾が前方にスライドしたのだ。先ほど危惧した盾の縁による強烈な打撃が、飛び出す事でさらに破壊力を増す。拳そのものが止められても盾の打撃は止められず、今しがたのように眉間や喉に当たって不意を突き、当て方によっては大きなダメージになる。
痛み以上に喉への圧迫感から、サフィールは数秒間、呼吸を元に戻す方に気を取られた。
「いってえぇぇぇなァ!!」
怒りに燃えるモルガナスは、その隙をついて居合いのように左腕を振り抜き、サフィールの顔面を盾の縁で思い切り殴りつけた。斧のような破壊力にサフィールは吹き飛び、背中から倒れた。そこにモルガナスがのしかかり、盾で喉を抑え込む。
「ガハッ…!」
「神様の言った通りだ、アンタだけはやっぱり怖いよねェ。まぁいっかぁ…ここで、アンタのジュエルはブチ壊すんだからさァ!!」
獣のような笑みを浮かべ、モルガナスはサフィールの胸のジュエルをめがけて右の貫手を突き下ろした。
―――〔続く〕―――
武器は盾! 昔「マーブルスーパーヒーローズ」のムックで見た言葉です。誰か憶えてる?
まあ鈍器として使ってたんだから立派な武器だよねっていう話。




