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あたたかいごはん


 茶碗のなかはどうやらスープのようだった。肉や山菜などさまざまな具材が入っており、スパイスの効いた薄い赤色に色づいたスープが絡み、バランスをとっている。肉は先ほどキッチンの上に出ていた干し肉なのだろう、黒に近い濃い茶色が顔をのぞかせ、山菜は瑞々しい緑に艶めいていた。再び、鼻をかすめる香ばしい匂いに、スープから目が離せなくなる。 

 アンナの前にもそれが置かれると、アンナは八重歯をのぞかせて結希に笑いかけた。


「これはサリヤって言うんだよ」

「サリヤ?」


 聞きなれない言葉に聞き返すと、アンナは丁寧に説明してくれる。


「サリヤはね、色んな具材が入ったスープのことでね、メインは脂ののった肉、野菜で、他の国からもらっている塩とスパイスで味付けしているウルスタの定番家庭料理なんだよ」


「ウルスタ、は山と大河に囲まれていて、海に、面してはいないし、塩湖というものもないから、塩は他国から、もらって、いるんだ」


 クリメントが横からアンナ補足をする。それで初めて、ウルスタ皇国というところがどういう位置にあるのかを知る。日本は島国だし、結希のすんでいる県も海沿いの県であるため、海のない国というのは新鮮だった。


「さ、冷めない、うちに」


 そういうクリメントの言葉に、確かに自分のお腹もペコペコであることを思い出す。それから、キールはなにを食べるのだろうかと様子を窺うと、そっけなく声がなげられた。


「オレはいいから。アンタさっきから腹なってたろ」

「なっ!!」


 指摘されて顔を赤くする。しかし、事実でもある。むくれていると、笑う声が聞こえた。


「オレは別に干し肉もらったから、心配ない。アンタはアンタでしっかり食べろ」


 聞きなれぬキールの笑いに言葉をなくす。キールはこんなふうに笑うのか、そう思うと心が温かくなった。キールもちゃんと食べたのだと知ってほっとすると、途端にまた腹の虫が鳴り出す。

 クリメントが置いてくれた、統一された木造の食器、スプーンを手に、茶碗の中のスプーンを一口すくう。澄明な薄い赤色がきらめいて見えた。


「――おいしい」


 ほっと温かい息をついていうと、アンナも頷いた。


「ね!おとうさんの料理は世界一なんだもん!!」


 自分がほめられたように、アンナは嬉しそうに話す。アンナの横に座るクリメントの頬は心なしか赤く染まっている。


「うん。香ばしくて、酸味もきいているんだね」


 結希の言葉に今度はクリメントが説明してくれた。


「ウルスタは寒い国だから、体を温める、ためにも、脂っぽい、肉とか塩とか、どうしても濃い味付け、になってしまう。だから、酸味があり、さっぱりした味付けに仕上がる、メナスタを隠し味、に用いているんだ」

「メナスタはね、真っ白なクリームのことだよ!」

「へ―、そうなんだ」


 そこで、キッチンに干し肉とは別に白いものが置かれていたことを思い出す。あれがメナスタだったのか。しかし、自分の知らない世界の料理というのはおもしろいものだなと結希は思った。


 アンナが早くご飯を終え、逃げるキールにかまいに行ってしまうと、食卓にはクリメントと二人になる。


「……」


なにを話そうかと黙っていると、先ほどのアンナのどこにも行かないよね、という言葉が脳内に浮かんだ。


「あの、アンナと二人暮らしなんですか?」


 アンナのお母さんという人をみたことがなかったし、話しにも出てこなかったから、母に関することなのではないか、と結希は思った。


「……」

「あ、いや、いいんです。すみません」


 クリメントの沈黙に口早に謝罪をする。言い難いことだったのかもしれない。他人の家族事情に口をはさむなんて出過ぎたマネだったと口をつぐむと、クリメントは鉛でも仕込まれたように重たい口をそっと開いた。


「あの娘の母は、妻はもともと、体が弱かった。だから、オイが、他の村人と、狩りに出かけることは稀、だった。だが、ある時、ウヴェーリ……」


 そこでちらりと部屋の奥を窺う。アンナから逃げるようにどこかへ行ってしまったキールの姿は見えない。ウヴェーリであるキールを気遣ってなのだろう、クリメントが小さく息をつくと先を続けた。


「……大規模なウヴェーリ狩りがあって」

「……」


息をのむ。狩りという表現が重く響いた。けれど、ここでクリメントを言及しても、なにも意味がないということも知っている。だから、黙って話を聞く。


「妻のそばに、いたかったが、狩人なら来い、と言われて、妻は笑顔で送り出して、くれたんだ。いつも面倒を、かけているから、ご飯をつくって、待っているから、と」

「――」


 それが最後だったのだろう、クリメントの声に涙が滲んでいた。


「無理を、したんだ。おいしい、ものを食べさせたいからと、森に、新鮮な、食料を探しに出て、風邪をこじらせた。いつもオイが、料理をしているから。久しぶりに、作ってあげられると、喜んでいた。オイが、もっとしっかり、とめられていれば、妻は、死なずにすんだ。……あの娘も、アンナにも、さみしい思いを、させずにすんだ」


 俯くクリメントの涙が床に落ちて、小さく染みをつくった。


「……」


 結希には、なんて声をかければいいのか、その答えがわからなかった。うわべだけの言葉では、どのような言葉も陳腐にしか聞こえない。誰かを失う悲しみは、どうしても当事者にしかわからない。第三者がなにを言ったところで、それはなんの慰めにもならない。クリメントもなにか返答を期待しているようではなかった。ただ、独り言のように過去を振り返っているように見えた。

 遠く、奥の部屋からアンナの笑い声が小さく聞こえる。いま笑顔を取り戻せていることがせめてもの救いだ。クリメントもその声を聴いているようだった。俯いてはいるものの、涙は止まっている。

 暖炉の炎が顔を照らす。窓の外の雪まで赤みを帯びて見える。二人でイスに腰を掛け、ただただ奥の部屋から聞こえるアンナの笑い声に耳を傾けた。




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