葉桜女御編_#2
「女御様の思いつきには困ったものね」
白髪混じりの女房がため息とともに呟く。
「あら。私はとても楽しい宴になると思いますわ」
その左隣に座る若い女房は嬉々とした様子で話す。
そして、その若い女房の反対側に座る、もう一人の若い女房も頷く。
「源氏物語の登場人物になぞらえて、女だけの楽を催すだなんて、きっと素敵な宴になることでしょう」
白髪混じりの女房は若い二人の女房の反応に心の内でまたため息をついた。
──「知らない」とは、なんと無邪気で愛らしく、そして愚かで悲しいことなのだろう。
白髪混じりの女房は思った。
左大臣の威光に守られて、けして愚かな姫ではないのに、知る機会を幼い頃より奪われてしまった葉桜女御は憐れでならないと。
彼女は知らない。
人の中に巣くう本音と建て前の存在を。
それを見極める目を持っていない彼女に、この先数々の困難が降りかかるであろうと自らの娘と同じ年である女御の身を案じずにはいられない。
三人の女房たちの悲喜交々(こもごも)な気持ちをよそに宴の準備は進んでいく。
その日はどのような襲を着たらよいか、焚きしめる香を新たに調合しなくてはと後宮のあちこちから女たちの楽しそうな会話が聞こえてくる。
時の権力者である左大臣を兄に持つ葉桜女御が主催する宴。
女たちだけではなく、公卿と呼ばれる男たちも己の更なる立身出世のためと忙しく立ち回る。
さまざまな人々の思いが交錯する中、話題の中心にいつも自分が存在することに葉桜女御はただただ無邪気に喜んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇
後宮の華やかさから遠い梅壷の女主人はいつものように月を眺めていた。
静かにただ恋い焦がれるようなまなざしは、愁いを帯び美しくも見ている者を切なくさせる。
宮中の喧騒から離れた、唯一ゆるやかな時間が流れる場所。
それが主上にとって、どれほどの安らぎを与えているか理解していても、聡明な彼女はそれではいけないという二つの思いと板挟みの現実に少し疲れ始めていた。
「私が常に平静を装い続けなれば、あの方はきっとますます葉桜女御を遠ざけてしまうわ。それでは帝位は繋がらない。お姉様。私はこれから先、どうすればいいの?」
目を閉じるとまるで昨日あったことのように鮮明に思い出せる愛しい日々。
でも、その先で待ち受けていた悲劇は今でも中宮の心に影を落とす。
それはきっとあの子の心にも。
──お姉様
──綾波
──一宮
だからこそ、心の奥へと閉まった懐かしさと悲しみ。
「それでも私は生きている。天寿をまっとうするまで、あの子の幸せをこの場所から祈り続けるわ」
夜空を見上げたまま、中宮は星になった大切な人々へ誓いのような決意を伝えた。
◇◆◇◆◇◆◇
同じ月が輝く、弘徽殿。
葉桜女御は自らの名で主催される宴に思いを馳せていた。
「尚侍は花散里で、桐壷更衣は夕顔あたりが妥当かしら。帝が光る君なら。その最愛の女性は藤壺だけど、私には似合わないわ。やっぱり紫の上よね」
楽しそうに後宮の女たちを『源氏物語』の女君たちになぞらえていく。
その表情は純粋に宴を楽しみでたまらないという様子だった。
「宣耀殿女御は明石の君で…… 末摘花は年配の女官にでも頼もうかしら? 中宮様は気位が高くて帝より年上ですもの。ここはやはり、あの女君しか思いつかないわ」
にこやかな笑みに似つかわしくない無邪気な毒。
そうして夜は更けていった。