幕間 会談・二
婚約解消はできない。当初の目論見のヤンティーネと王太子の婚約もできない。サラをカスペルの第三妃にもできない。
ヘイルトは悔し紛れに言い放った。
「養女の娘に、そこまでするとはな! まったく、ふざけておる!」
アンリが静かに眉を上げる。
「……養女? マリーアンジュは私と父母を同じくする実妹だが」
「はっ!」
ヘイルトは勝ち誇ったように笑う。
「やはり養女ではないか! ホーフダルに嫁入りさせるために、公爵家の娘を王女に仕立て上げただけだろう!」
シャルルが小さく微笑んだ。
「どうやら、その点も誤解なさっているようですね」
にこり、と笑みを浮かべたまま説明を始める。
「セラファン王国では、公爵位は王族にのみ与えられます。例えば、こちらのトゥロンヌ公爵は現国王ルイ陛下の実弟。そして私も、第二王子としてアルカンジュ公爵位を賜っております。セラファンにおいて、公爵位とは王族の称号の一つであり、王族以外が授かることはございません」
シャルルは穏やかな口調を崩さない。
「したがいまして、マリーアンジュ様はフェリクス前国王陛下とエレオノール前王妃陛下の実の娘であり、ルイ陛下、アンリ宰相閣下、ジョゼフ将軍閣下、ルネ北国境伯閣下の実妹でいらっしゃいます」
そして、何か思い出したように付け加える。
「ああ、念のため申し添えますと、セラファンは建国以来、一夫一婦制でございます。異母兄妹ということもございません」
にこり。
「全員、同じご両親のお子です」
ヘイルトは一瞬言葉に詰まる。
「嘘をいうな! セラファンには王子しか生まれんと聞いている!」
シャルルは一度瞬くと、にこりと笑う。
「いいえ。数百年に一度、王女がお生まれになります。そして、その王女は『愛し子』と呼ばれます。家族に、国民に、そして天使様方に、深く愛され、大切にされる存在です」
「建国から千二百二十四年。マリーアンジュ様は五人目。アンジェリーヌ様は六人目のセラファン王女です」
さらに笑みを深めるシャルルに、文官たちの血の気が引いていく。それほど大切な存在に、ホーフダルがしたことは……
(……終わった)
(マリーアンジュ様のお言葉も)
(ダーフィット様のお言葉も)
(ドミニクス様のお言葉さえも)
(誰一人、信じようとなさらなかった……)
(だから、あれほど調べろといったのに!)
(この、王族たちは!!)
カスペルは舌打ちした。
「ちっ。ガキが偉そうに」
忌々しげにシャルルを睨みつける。
「はっ。愛し子だかなんだか知らねぇが。あんな色なしの、化け物みてぇな目の女なんざ、こっちから願い下げだ」
「殿下!!」
ホーフダルの外交官が思わず声を上げた。玉座の間が凍りつく。
だが、シャルルは笑みを崩さなかった。むしろ、ほんの少しだけ、その笑みが深くなる。
「今のお言葉ですが。セラファン王家への侮辱として、正式に記録させていただきますね」
にこり。
「それと、また一つ、誤解がございますので訂正いたします。セラファン王家は、濃淡の違いこそございますが、皆金髪です。瞳も同様でございます」
シャルルは自らの瞳を示した。
「私も」
アンリを見る。
「宰相閣下も」
ジャンへ視線を向ける。
「ジャンも。そしてマリーアンジュ様も、皆、同じ系統の瞳を持っております」
静かな声が続く。
「これは、セラファン王家のみに現れる、天使の加護を授かった証です」
ヘイルトが鼻で笑った。
「天使の加護だと? ふざけるな! そんなもの、あるわけがない!」
「ございますよ」
シャルルは即座に答えた。
「皆様も、ご覧になったではありませんか」
「……何をだ」
「あの日、処刑場で」
玉座の間に沈黙が落ちる。
「ジャンは書状を読み上げ、私は、『詳細は後ほど』と申し上げました。……お忘れですか?」
ヘイルトの顔が強張る。
「……嘘に決まっている!」
「そうですか」
シャルルは少しだけ残念そうに笑った。
「あくまで、お信じになられないと。仕方ございませんね」
ほんの僅かに後ろへ視線を向ける。
「お願いします」
その一言だけだった。
次の瞬間、シャルルとジャンの背後へ、それぞれ一柱ずつ天使が静かに降り立つ。
誰一人、その姿が現れた瞬間に気配を感じられなかった。
ただ、そこにいた。
二柱は何も語らず、静かに二人へ手を伸ばす。
光が溢れ、神々しい輝きが玉座の間を満たす。
その瞬間、空気が変わった。
まるで、玉座の間そのものが神域へと塗り替えられたかのように、思わず膝をつきそうになるほどの神聖な気配が、静かに場を支配する。
次の瞬間、シャルルとジャンの背には、それぞれ白銀の翼が二枚、静かに広がっていた。
「ひっ……」
誰かが息を呑む。
「あ……」
「処刑場の……」
ホーフダルの文官たちの顔から、一斉に血の気が引いた。
(あの時、一番恐ろしかった天使……)
(あの二人だ)
誰も声を出せない。
シャルルは穏やかな笑みのまま一礼した。
「これで、お分かりいただけましたでしょうか」
光が静かに収まる。
翼は消え、天使たちも音もなく姿を消した。
玉座の間には、誰一人として、先ほどまでの威勢を保つ者はいなかった。
「では、そろそろ本題に入らせていただきます」
アンリが静かに告げると、両国の文官たちは一斉に姿勢を正した。
「本題?」
ヘイルトは不機嫌そうに眉をひそめる。
「何のことだ」
アンリは淡々と答えた。
「セラファン王国よりホーフダル王国へ請求いたします、賠償の件でございます」
その言葉を合図に、ジャンが静かに腕輪へ手を添える。淡い光が走り、何もなかった空間から三通の国書が現れた。
その光景に、ホーフダル側の者たちは思わず目を見開く。
先ほどシャルル王子が婚約契約書を取り出した際は、さほど不思議には思わなかった。ミスリル板で保護された、王太子の婚約に関わる重要書類である。厳重に保管されていて当然だと考えていたのだ。
だが、今度は宰相補佐の公子殿下である。
(王子殿下と同じ収納魔導具……)
(あれほど高位のものを、公子殿下もお持ちなのか……)
(いや、待て。公爵閣下も腕輪をしておられた。マリーアンジュ様も似たようなものを……まさか、王族全員が?)
文官たちの間に、声にならない動揺が広がる。
ジャンはそんな彼らの内心など知る由もなく、三通の国書を机の上へ丁寧に並べた。
「まず、こちらがセラファン王国よりホーフダル王国へ宛てた抗議文、および今後の外交方針に関する正式通達でございます」
一通目を示す。
「続いて、オンラード王国よりの抗議文、および外交方針に関する通達」
二通目を置く。
「最後に、アルモニ王国よりの抗議文、および外交方針に関する通達でございます。なお、ノールスケン王国、トローファスト王国をはじめとする北方諸国からの抗議につきましては、すでにホーフダル王国へ到達しているものと認識しております」
ホーフダルの文官たちは、その場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
アルヴェリア大陸最大国家、セラファン王国。そして第二位のオンラード王国。第三位のアルモニ王国。
その三大国すべてが、ホーフダルへ抗議文と外交方針の変更を通達してきたのである。
北方諸国の離反だけでも国家存亡に関わるというのに、さらにこの三国まで敵に回した。
いや、セラファンだけは予想していた。だが、オンラードとアルモニまで動くとは、誰一人想像していなかった。
「ふざけるな!」
ヘイルトが机を叩く。
「セラファンはともかく! なぜ関係のないオンラードとアルモニまで同調する! 貴様らが圧力をかけたのだな! この卑怯者が!」
(陛下、おやめください!)
(もう黙ってください……!)
(相手は国内貴族ではないのですよ!)
ホーフダルの文官たちは心の中で悲鳴を上げる。そんな彼らとは対照的に、シャルルは穏やかに微笑んだ。
(出た……)
(ああ……また増える……)
「いいえ。当然のことでございます」
にこり、と笑みを浮かべる。
「オンラード王国は、セラファン前王妃エレオノール様のご生国です。フェルナンド前国王陛下はエレオノール様の父君。現国王フェリペ陛下は、実弟でいらっしゃいます」
「従いまして。フェリペ陛下にとって、マリーアンジュ様は姪。アンジェリーヌ王女殿下は姪孫にあたられます」
静かな声が続く。
「フェルナンド前国王陛下は、マリーアンジュ様をことのほか可愛がっておられました。フェリペ陛下も同様です」
一拍置く。
「そして、アルモニ王国。こちらにはエレオノール様の妹君がお嫁ぎになっております。現国王エティエンヌ陛下は、マリーアンジュ様の従兄。アンジェリーヌ王女殿下は従姪にあたられます」
シャルルは三通の国書へ視線を落とした。
「両王家とも、この度の件を深く悲しまれ、正式な抗議文と外交方針に関する国書を、セラファンへ託されました」
玉座の間は静まり返る。ーフダルの文官たちは項垂れる。
(……終わった)
(これは外交ではない)
(親族の娘を殺され、孫を処刑されかけた一族の怒りだ)
(どうすれば……)
「ふざけるな!」
ヘイルトは机を叩いた。
「親戚など関係ない!」
シャルルは一度だけ瞬きをした。
「……そうですか」
穏やかに頷く。
「少々、驚きました」
ヘイルトが眉をひそめる。
「何?」
「親族とは、そのようなものではないと思っておりましたので。では、お尋ねいたします。もし、ヤンティーネ様が何者かに傷つけられたといたしましょう」
玉座の間が静まり返る。
「ヘイルト陛下はもちろん、お怒りになられるでしょう。クサンドラ王妃殿下も、カスペル殿下も同様かと存じます。では、ヤンティーネ様の伯父様、叔父様、従兄弟の皆様は『親戚だから関係ない』と仰って、何もなさらないのでしょうか」
沈黙。
「本当に、そのようにお考えですか。私どもは、そのようには考えておりません。血縁者が傷つけられれば、悲しみ、怒り、手を差し伸べる。それは王族であっても、一般のご家庭であっても、変わらないものかと存じます」
(その通りだ……)
(陛下たちは怒り狂う)
(ご親族方も)
(きっと何倍、いや何十倍もの報復をするだろう)
(このように冷静に話すこともない)
(格が違いすぎる……)
(まだ十代の王子だというのに)
(誰一人、感情で話していない)
感情を顕にしまくる王族たちに、文官たちは苦虫を噛み潰した。




