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第40話 終わらない時間

ドン。


鈍い音が、円壇に響く。


鯨井亮太の拳が、再び亀田幹雄に落ちた。


水が跳ねる。


黒い床が震える。


だが。


幹雄は、そこに立っていた。


少し体が揺れる。

ほんのわずかに。

それだけだった。


亮太は息を吐く。


深い。


ゆっくりとした呼吸。


だが、その内側には焦りが混じり始めていた。


「……効いてるのか」


幹雄は少し考える。


「ええ」


間を置いて言う。


「効いてはいます」


「見えないな」


「年を取ると、分かりにくいんです」


幹雄は小さく笑う。


亮太は何も言わない。


ただ、また踏み込む。


拳。


蹴り。


肘。


一撃一撃は重い。


逃げ場を削るように、円壇の中心へ押し込む。


だが。


当たっている。


確実に当たっている。


それでも。


倒れない。


亮太は、初めて眉をひそめた。


(おかしい)


力は入っている。

手応えもある。

骨を打つ感触もある。


なのに。


終わらない。


幹雄は静かに立っている。


攻めない。


避けない。


ただ受ける。


それだけで、戦いが続いていく。


水面が揺れている。


だがその揺れが、


少し遅れているように見えた。


亮太は、ふと違和感に気づく。


自分の動きが、


ほんのわずかに遅れている。


拳を振ったあと、


音が来るまでに、わずかな間がある。


水が跳ねるのも、遅い。


まるで、


時間が粘っているような感覚。


「……これは」


亮太が呟く。


幹雄は答えた。


「急がないように、しているだけです」


その言葉は、


説明になっているようで、なっていなかった。


亮太は再び踏み込む。


今度は、力を込めた一撃。


ドン。


衝撃が広がる。


幹雄の体が、わずかに後ろへ滑る。


だが、それだけだった。


亮太は息を荒くする。


「……なんで倒れない」


幹雄は少し目を細める。


「倒れないようにしているからです」


「そんなの」


亮太の声が少しだけ強くなる。


「理由になってない」


幹雄は首をかしげる。


「そうですか?」


そして、


少しだけ考えるように間を置いた。


「あなたは」


静かに言う。


「急いでいますね」


亮太の動きが止まる。


ほんの一瞬。


それだけで十分だった。


幹雄は続ける。


「何か、確かめたいことがある」


亮太は答えない。


だが、その沈黙が答えだった。


幹雄は言う。


「私は、逆なんです」


亮太が見る。


幹雄は、どこか遠くを見るような目をしていた。


「急ぎたくない」


小さく言う。


「もう少しだけ」


「ゆっくりしたい」


円壇の空気が静かになる。


水面の揺れが、


さらに緩やかになる。


亮太は言った。


「……何が違う」


幹雄は少し笑う。


「さあ」


肩をすくめる。


「大した違いじゃありませんよ」


「あなたは、終わらせたい」


「私は、終わりたくない」


その言葉。


円壇に、静かに落ちた。


亮太は拳を握る。


「終わりたくない、か」


幹雄はうなずく。


「ええ」


「まだ少しだけ」


「時間が欲しい」


亮太は、ふっと息を吐いた。


その呼吸は、


さっきまでより深く、重かった。


「……俺は」


ゆっくり言う。


「終わってもいい」


幹雄の目が動く。


亮太は続ける。


「ただ」


拳を握る。


「意味があったか、知りたい」


その声は低かった。


だが、


はっきりしていた。


幹雄は、少しだけ目を細める。


(ああ)


心の中で思う。


(この人は)


ようやく理解する。


この戦いが長引いている理由を。


この人は、


迷っていない。


だから止まらない。


だから、


終わるまで進む。


幹雄は、静かに息を吐いた。


「……そうですか」


小さく言う。


亮太が構える。


さっきよりも深く。


迷いのない構え。


「……終わらせる」


その言葉は、


宣言だった。


円壇の空気が変わる。


重くなる。


深く沈む。


まるで、


海の底に引き込まれるような圧。


幹雄はそれを感じながら、


静かに立っていた。


逃げない。


動かない。


ただ、


受ける。


そのまま。


亮太が踏み込む。


その一歩は、


これまでとは明らかに違っていた。


重い。


深い。


覚悟を乗せた一歩。


幹雄は思う。


(ああ)


(この人は)


小さく息を吐く。


(終わる覚悟がある)


その瞬間。


幹雄の中で、


一つの決意が静かに生まれていた。

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