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第30話 落ち着かない場所

目が覚めた。


申野葵は天井を見ていた。


白い。


見慣れた天井。


自分の部屋だった。


「……あれ?」


声が出る。


寝起きの声だ。


葵はゆっくり体を起こした。


布団。


机。


散らかった本。


スマホ。


全部、いつものままだった。


「夢か?」


頭をかく。


確か、さっきまで外にいた気がする。


夜だった。


誰かと話していた。


いや、違う。


誰かに追われていた。


その辺りから、記憶がぼんやりしている。


葵はスマホを取る。


画面を見る。


時計は動いていない。


「……壊れてる?」


電波もない。


葵は眉をひそめた。


静かすぎる。


窓の外を見る。


街は見える。


ビルもある。


だが、


音がない。


車の音。


人の声。


風。


何も聞こえない。


「なんだこれ」


葵は立ち上がる。


体は普通に動く。


痛みもない。


だが、


胸の奥に妙な感覚があった。


落ち着かない。


何かを忘れているような、


何かが始まりそうなような、


そんな感覚だった。


その時、


声が聞こえた。


「外へ」


葵は振り向く。


誰もいない。


「外へ」


もう一度。


低くも高くもない声。


男でも女でもない。


葵はしばらく黙った。


そして小さく笑う。


「こういうの、だいたいロクなことないよな」


だが、


なぜか逆らう気は起きない。


葵は肩をすくめた。


「ま、いっか」


そして玄関へ歩く。


ドアノブを回す。


開ける。


その瞬間、


世界が変わった。



空。


青い。


雲は少ない。


だが、


風がない。


音もない。


目の前に


巨大な黒い円形の石舞台。


円壇。


周囲は水。


静止している。


鏡のような水面。


葵は一歩外へ出た。


靴音が石に響く。


コツ。


その音がやけに大きく聞こえる。


葵は周囲を見渡す。


遠くに鳥居が見える。


空は広い。


だが、


人はほとんどいない。


「……なんだここ」


頭の奥に、


言葉が流れ込んできた。


場所。


意味。


ルール。


ここは


黄泉前。


生と死の境界。


神前決闘。


勝てば願いが叶う。


負ければ消える。


葵はしばらく黙っていた。


そして言う。


「……マジか」


だが、


不思議と驚きは少なかった。


むしろ


納得している自分がいる。


葵は頭をかく。


「まあ」


空を見る。


「俺っぽいっちゃ、俺っぽいか」


普通の人生ではなかった。


普通の選択もしてこなかった。


だから


最後も普通じゃないのかもしれない。


葵は黒い円壇を見る。


そして気づく。


誰かいる。


円壇の中央に、人が立っていた。


葵は足を止めた。


距離は十メートルほど。


相手は背が高い。


スーツ姿だった。


ネクタイは少し緩んでいる。


袖はまくっている。


疲れているようにも見える。


だが、


姿勢はまっすぐだった。


妙に、


まっすぐだった。


長時間そこに立ち続けても、


絶対に崩れない柱みたいに。


葵は少し眉を上げる。


「サラリーマン?」


思わず口から出た。


相手はゆっくりこちらを見る。


年齢は二十代前半くらい。


目の下に薄いクマ。


だが目は濁っていない。


むしろ、


焦っている。


静かな顔なのに、


目の奥だけが、


どこか急いでいる。


葵は肩を回した。


体が妙に軽い。


「ここってさ」


軽い口調で言う。


「死んだ人が来る場所らしいけど」


相手はしばらく黙っていた。


そして静かに答える。


「そうらしい」


声は低い。


静かな声。


だが、


わずかに力が入っている。


葵は少し不思議に思った。


普通なら


もっと混乱するはずだ。


ここは


明らかに普通の場所じゃない。


なのにこの男は、


落ち着いているようで、


どこか焦っている。


葵は笑った。


「落ち着いてるな」


男は少しだけ首を振った。


「落ち着いてるわけじゃない」


そして言う。


「まだ、終わりじゃないなら」


少しだけ拳を握る。


「ちょうどいい」


葵は眉を上げる。


「名前聞いていい?」


男はすぐ答えた。


「鯉江龍彦」


葵は少しだけ笑う。


「龍彦か」


顎をかく。


「名前、強そうだな」


龍彦は何も言わない。


ただ葵を見ている。


その視線は


真っ直ぐだった。


葵は少し首を傾ける。


「サラリーマン?」


龍彦は答える。


「会社員だ」


葵は吹き出した。


「マジか」


頭をかく。


「この場所に一番いそうにない職業だな」


龍彦は少し考えた。


そして言う。


「そうでもない」


葵が眉を上げる。


龍彦は続けた。


「死ぬほど働く人間は多い」


少し間を置いて、


静かに付け加えた。


「本当に死ぬ奴もいる」


葵は一瞬黙る。


それから小さく笑った。


「それは確かに」


円壇の空気は静かだった。


風もない。


水面も揺れない。


ただ二人だけが立っている。


葵は聞いた。


「最後の記憶って何?」


龍彦は少し考えた。


ほんの数秒。


そして答える。


「会社だ」


葵は思わず笑う。


「また会社かよ」


龍彦は真面目な顔で言う。


「終電だった」


「仕事?」


「仕事だ」


葵は呆れた顔をした。


「どんだけ働くんだよ」


龍彦は少しだけ目を伏せる。


そして言った。


「まだ」


顔を上げる。


その目は、


さっきより強かった。


「上に行けてない」


葵は少し黙る。


その言葉は、


冗談じゃなかった。


本気だった。


葵は肩を回した。


「まあいいや」


拳を握る。


関節が鳴る。


「ここってさ」


円壇を指す。


「戦う場所らしい」


龍彦はうなずく。


「そうらしい」


葵は笑う。


「サラリーマンとフリーターか」


空を見る。


そして言う。


「なんか変な組み合わせだな」


龍彦は答えた。


「そうでもない」


葵が見る。


龍彦は静かに言った。


「フリーターは自由だ」


そして続ける。


「会社員は逆だ」


葵は少し笑った。


「そりゃそうだ」


龍彦はネクタイを外す。


ポケットに入れる。


そして言った。


「だから」


ゆっくり拳を握る。


「ここで試してみたい」


葵は眉を上げる。


「何を?」


龍彦は答えた。


「どこまで行けるのか」


空気が、


わずかに震えた。


葵はにやっと笑う。


「いいね」


肩を回す。


「サラリーマン」


そして言う。


「俺、そういうの嫌いじゃない」


二人の距離は、


もう数メートルしかなかった。


静かな水面が、


わずかに揺れる。


戦いが


始まろうとしていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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