口福なひととき
王国騒乱編完結記念のなんちゃってシンデレラ番外編SSです。
『お伽話のつづき、はじめました。6』のネタバレがありますので、そちらをご覧になってから読むことをおすすめします。
「…………ねえ、ルティ。何かあったの?」
テーブルを埋め尽くす美しいお菓子の数々に、ナディアは目を見張った。
公務がそれほどたてこんでいなければ、週に一度か二度ほど…………たてこんでいる時は、互いの予定をすりあわせて月に一度程度は、必ずお茶会をする仲ではある。
試作品の試食会などを兼ねていたりもして、ナディアはアルティリエの作るたくさんのお菓子を口にしてきたけれど、こんなにも大量のお菓子が用意されていたことはなかった。
「…………別に何もありませんよ?」
アルティリエは口ではそう言いながら、ふふふと笑った。
(────いいえ、目が笑ってないわ)
つまり、何かがあったのだ。
(ルティは、何かあるとお菓子をいっぱい作るのよね…………)
アルティリエは軽食をはじめとし、昼餐や晩餐用の料理等も自在に作るけれど、でも、一番好んで作っているのはお菓子なのだと思う。
(…………たぶん、一番得意なのだと思うのよね)
本人は嬉しいときはとても手の込んだお菓子が作りたくなるのだと言っていた。
何か喜ばしいことが会った時にアルティリエがエルダの手を使って作るお菓子は、いつだって芸術品のように美しい。
(丸ごとの苺を使ったタルト、大粒の葡萄を閉じ込めた小さなゼリー、表面にお砂糖で美しいレースのような模様が描かれたクッキー、お花のようなクリームで飾られたケーキ……どれも、食べてしまうのがもったいないくらいだった…………)
そして、ナディアは知っている。
腹がたった時やもやもやした時にもアルティリエはお菓子を作る。
そういうときに作るお菓子は、よく作る定番のお菓子が多い。
何でも、単純作業を繰り返しているとだんだん気が晴れてくるらしい。
「…………話なら聞くわ。だから、まずは食べさせてちょうだい」
テーブルの上のお菓子はとてもおいしそうで、ちょっと申し訳ない気もするけれど、見るだけで心が浮き立つ。
「もちろんです。…………お茶はどうします?」
「持ってきたわ。私の所領となっているノリスの茶葉よ。素晴らしく香り高いというわけではないから、特別なお茶会には向かないけれど、気軽に飲むにはぴったりなの」
「では、それを淹れさせますね」
「ええ、お願い」
ナディアはアルティリエの手に小さめの缶を渡した。
◆◆◆◆◆◆◆
「…………ところで、ルティ。もしかして、お兄様とケンカをなさったの?」
「まさか」
アルティリエは首を横に振る。
「何もなくて、これ?」
ナディアが目線で示したテーブルの上には、何種類かあるらしいパンケーキサンドに、オートミールやナッツなどのざくざくのクッキー……これも数種類。それから、季節のフルーツのトライフルに教会の占有レシピであるホロホロクッキーまである。
「ルティは腹がたった時によくお菓子を作るけど、そういう時は尋常じゃなく量が多のよね」
「…………腹がたったというわけじゃなくて、ちょっとモヤモヤしているだけです」
「何がモヤモヤしたの?」
ナディアは、パンケーキサンドを手にする。
二人きりのお茶会の気楽さでそのままあむっとかじりつくと、濃厚なクリームと甘いラムの香りが口の中いっぱいに広がった。奥歯でかみしめたのはたぶんレーズンだろう。
(あ、ラムレーズン。これは、当たりだわ)
好きな味にあたって、ナディアの気分は上向きになる。
「…………目を離すとナディル様が、すぐ食事を抜くんです!」
アルティリエはとても深刻そうな表情で言った。
(……あ、これって最終的にはただの惚気になる話だわ)
ナディアは真顔になってから、にっこりと笑った。
ちょっとだけ心配していたけれど、これはまったく心配する必要のない話だった。
「元々、お兄様は、携帯糧食で済まされる方だったんでしょう? それほど心配することはないと思うんだけど」
「そうなんですけど…………」
(あのね、ルティ。あなたがそうやって心配してくれるから、お兄様はそういうことするのよ)
半分だけか血のつながりはないし、それほど交流があったわけではないけれど、ナディアだってそれくらいはわかる。
でも、口には出さない。
ナディアはアルティリエを大好きだしとても大切な友人だと思っているけれど、兄であるナディルのことも大好きだし心から尊敬しているのだ。
「……いつも通り、差し入れをすればいいじゃないの」
「そうなんですけど……できればお食事はご一緒したいじゃないですか」
むぅっとアルティリエは口を尖らせる。
(…………ルティのこういうとこほんと可愛いと思うけど、私がやっても絶対可愛くないのよね)
少しだけそういうところが羨ましく思う。
「差し入れ持っていって、そのまま自分も一緒に食べてくれば良いじゃない。そうすれば確実にお兄様は食事をするし、あなたも一緒に食事ができて大満足じゃない」
「ナディ、それです!」
アルティリエは目を輝かせる。
「天才ですね!」
「褒めたって何も出ないわよ。…………むしろ、アイデア料をもらいたいくらいだわ」
「アイデア料…………レスタークの好きなサンドイッチのレシピいります? ナディにも作れますよ」
「…………え?」
レスタークという名に、ナディアの心臓はドキリと大きな鼓動を一つうった。
それは、先日、公布されたばかりのナディアの婚約者の名だ。
何事もなければ、一年間の婚約期間を経て来年の今頃にはナディアはリーフィッド公爵妃となるだろう。
「作る機会があるかわかりませんけど、サンドイッチはナディにも作れますよ」
「…………私、それほど器用じゃないけど、作れるかしら?」
「知っています。大丈夫です。サンドイッチはパンに具を挟むだけです。乱暴ですが、味はマヨネーズがあればだいたい美味しく作れます。マヨネーズのレシピは、以前さしあげたでしょう? 」
「…………ええ」
そうは言われても、ナディアにはまったく自信がなかった。
「ねえ、ルティ。…………今度、一緒に作ってくれる?」
躊躇った末にナディアはおずおずと言った。
アルティリエならば断らない、とわかっているけれど、いつもこういう時、自信がなくなってしまう。
「もちろんです。ああ、それなら一緒に作ったサンドイッチをそれぞれ差し入れることにしませんか?」
「え?」
「大丈夫です…………パンを焼くところから始めようなんて思わなければいいんです。焼き上がったパンを使えば失敗なしですよ」
「そうじゃなくって……私、本当に料理なんてしたことがないのよ」
「平気ですよ。サンドイッチはパンに好きな具を挟むだけですから。料理と言うほどのことでもありません」
アルティリエは事もなげに言う。
「ルティ、それは料理をする人の言うことだわ。私にとってはサンドイッチだって、すごく難しく思えるわ」
「やってみれば案外簡単で驚きますよ。…………大事なのはレシピを勝手に変えないこと。それと、人の手は遠慮無く借りることです」
「…………そうなの?」
「ええ、そうです」
アルティリエは涼しい顔でそう言って、それから少し悪い顔で笑った。
「…………ナディ、胃袋さえ掴めばこっちのものですよ」
ふふふ、と楽しげに笑う。
「ルティ?」
アルティリエの言っていることは良くわからなかったが、自信たっぷりなことは理解できた。
「一緒に完璧な餌付け計画を立てましょうね!」
「え、ええ」
アルティリエがあまりにも楽しそうに笑うので、それに気圧されるようにしてナディアはうなづいた。
ダーディニア王国後期、初代リーフィッド公爵妃となったのは、リーフィッド併合時の国王であったナディル・エセルバート陛下の異母妹であるナディア・リリティア王女であった。
この当時、王族や高位貴族の女性達が嫁ぐ際には料理人を連れて行くことが当然とされていた。腕の良い料理人は、彼女たちが家内をまとめるのに必須の存在であったからだ。
だが、ナディア王女はリーフィッド公爵に嫁ぐに際して、一人も料理人を連れて行かなかった。
代わりに彼女は、ダーディニア料理に革命を起こしたと言われるアルティリエ王妃に料理を学び、夫となった公爵にたびたびその腕を披露したという。
今回の特別展における目玉の一つとして出展される『私的料理選集』と題された写本は、アルティリエ王妃が自身の秘伝のレシピの中から特別に選り抜き、ナディア王女の為にまとめたものである。
これは、王国歴八三八年のナディア王女の婚礼の際、王妃からの祝いの品としてナディア王女に贈られたもので、長らくリーフィッド公爵家の家宝とされてきたものを今回の展示の為に特別に借り受けたものである。
レシピの半分以上がアルティリエ王妃の直筆で写され、残る半分がさまざまな人の手によって写されている。
例えば、『塩漬け肉のポトフ』を写したのは、ナディル・エセルバート陛下であり、『ホロホロ鶏のシチュー』を写したのは王弟アルフレート殿下、『季節のベリーのタルト』を写したのは当時はギッティス大司教であったシオン猊下であることがわかっている。
他にも、王妃の女官長だったグラーシェス公爵妃、秘書官だったアルハン公爵令嬢などの手蹟もあり、当時の王族の交遊関係を知ることの出来る貴重な資料ともなっている。
この写本の表紙は鹿革を鞣したものを王家の青に染め、ダーディニア王家の紋章が金の箔押しでなされ、南方のファニア貝を薄く切り出した螺鈿細工で飾られている。
また、留め金は銀製で天青石で象ったロゼフィニアが埋め込まれ、付属の栞も同様の細工がなされていて王族の祝いの品らしい豪奢さだ。
芸術品と言って良い装丁でありながら、驚くべき事にこの本は実際に厨房で実用されていたらしい形跡がある。
というのも、ページのところどころには調理中に開いていた為に作っていたソースがはね、水やワインをこぼした痕跡などがあるのだ。
また、何カ所かにナディア王女が直筆で調理のコツをかきこんでいるのも実に興味深い。
この特別展の会期中、博物館に併設のレストランでは、この写本のレシピに忠実に作られた料理を食べることができる。
この写本を見ながら夫の為に料理しただろうナディア王女に思いを馳せ、アルティリエ王妃の秘伝の味をいただくことはきっと口福なひとときとなるに違いない。
(帝国歴×××年10月15日 帝都新聞文化面 帝国博物館特別展「王国の終焉とその時代展」特集記事引用)




