第一章 11話 アイデンティティ
ショウの首を落としにかかった剣が迫る。
──カン。だが、金属音と共に斬撃が弾けた。
腕を切り落とすほどの斬撃を弾いたものの正体──それはまさしく、腕であった。
しかし、その腕。肘の辺りから垂れ下がっていて……所謂、鎌のような形状である。
「──なッ!」
ニツクダも声を出して驚く。
何故なら、現在ショウが“模している”その形は──
「──カマキリか。面白れぇ」
今、この場にいるから、この姿形であるからこそ為せる技。
肩から腕にかけて張っているが、腕はしなやかな刃。
背は反っていて、腰が引けている。
心なしか──否、事実、脚は縮み、手は伸びている。
彼の持つ異形が形を変え、蟷螂の型を可能としているのだ。
両腕を挙げて構える様は、羽虫を殺さんとする蟷螂に違いない。
「──シャアッ」
咆哮をあげて、ニツクダに飛び掛かる。
「はぁッ!?」
ニツクダは目を見張った。
それは先程とは段違いの脚力。
踏み込んだ地面は小さなクレーターを形成する。
宙高く飛び上がり、最大まで腕を振り上げて──
「うらッぁあ!!」
対して、ニツクダも剣を引き下げて、迎え撃つ。
甲高い金属音が鳴り響き、刹那、旋風が巻き起こる。
「キッシャァァァァアァッ」
「ぐるぅあああああッ!」
振り下ろされた二つの鎌を、一つの剣で受け止める。
しかしなんと言うことだろうか。ニツクダの踏む土が削れていく。
あろうことか、ニツクダが力で押されているのだ。
「──スプリング・アッパー!!」
そうニツクダが叫んだ。
それと同時に、彼の太ももが蒸気をあげる。何か、力がそこに集中しているかのように、膨れ上がる。
──パァン 破裂音と共に、棒カマキリが吹き飛んでいく。
「あっぶねぇ」
壁にめり込むショウを見て、ほっと息をつくニツクダ。
「エネルギーは使うつもりじゃなかったんだがな」
そう小さく呟いたが、その言葉がショウに届くことはなかった。
「──ッはぁ……」
とりあえず息を、模倣を吐き出すショウ。
力及ばす吹き飛ばされたと言う事実への失望。だが、
「見えた」
新たに見えた、それ以上の希望。我がスタイル。
実際、カマキリの真似事をしているので、オリジナルかと聞かれれば答えにくい。
だがしかし、今、そんな興醒めな真理など不要。
──重要なのは、
「……楽しっ」
ボソッと、ショウが呟く。それも意識せずに。
しかしそれも仕方のないこと。
──彼、カズミヤ・ショウは知ってしまったのだから。通用する楽しさを、敵う心地よさを、対等に立つという快楽を、“闘イノ悦ビ”を。
溢れてくるこの感情は一体……
喜怒哀楽のどこにも見つからない、この感情はなんだというのだ。
いまショウは、この肌を焦がすような緊張の一瞬に美しさを追い求めている。その探求のプロセスこそが、愉悦の源泉であり、原動力。
──完成させたいッ! この闘いをッ!!
もはや狂気とも言える美学が、脳裏を何度も何度もかすめていくのだから。
「ハハハ。いい顔になったじゃんか」
ニツクダはショウにそう言った。
もちろん表情など微塵も読み取れない。
だが、あふれ出るこの美感の躍動は、可視化されてしまうほど。
そうだ。今、少年は笑っている。
「ははっ。いくぜ! ──シャァッ」
ショウはもう一度、腕を曲げて“型”を整える。
まるで蟷螂の魂に書き換わったかのように思えるほど、その型は美しく、完成されている。
「お前さんがそんな調子だとよ、オイラも俄然楽しくなっちゃうじゃねぇかよぉ!!!」
対してニツクダも、ショウの気迫に呼応するかのように、精錬された動きで剣を構えた。
まず動いたのはショウ。
右腕を鞭のようにしならせて、剣を持つ腕に切りかかる。
しかし、ニツクダは剣で受け止めずに、腕を内側に入れることで避けた。
「ハーハッハ! オイラが剣で受けた瞬間に左腕で切ろうとしたろ? 甘い甘い!!」
予想外の出来事に硬直するショウに、ニツクダはご丁寧に解説を送る。
肘をその丸い頭に打ち込み、ショウを弾き飛ばす。
「別に剣士ってのは何も剣を使わなきゃいけないわけじゃない。あくまでひとつの手段だ。相手のスタイルに囚われすぎないほうがいいぜ」
ここで、ニツクダはある“違和感”に気づく。
「ん? お前さん、いったい何を──ッ!?」
ある考えに囚われていたのは自身であったことを、ニツクダは痛感する。
弾き飛ばされたショウは、地面に倒れることは無かった。
かといって、ただ立っていたわけでもない。
──逆立ちしていたのだ。
反る、背中が反っていく。頭を前に突き出し、足で鋏を作ってしまう。
その型、“サソリ”に寸分の違いなし。
「へ、へぇ。でもよ、お前さん。そっからどうするってん──だッ」
言葉に剣を乗せて、ニツクダは切りかかる。
「──なにッ!?」
だか、その斬撃、奇しくも届かず。
細く、大きな鋏に阻まれる。
ニツクダは斬撃の調律を速める。──ガッ、ガッ、ダが、しかし、ショウには届かない。
すぐそばに、手を伸ばせば届く場所に首はあるはずなのに。
先程の“蟷螂の型”を、攻守一体のバランス型と言うならば、この“蠍の型“は絶対の防御。
究極の不器用だとは思えぬ脚使いで、斬撃を鍵盤のように弾いていく。
この状態では力及ばぬと考えたのか、ニツクダは剣を素早く鞘にしまう。
「──“本気”だ。受けきれよ」
そこでニツクダがとった構えは、意外も意外。ショウも知るものであった。
背をピンと張り、腰の剣に手をかける。
腰を下げて、息を、精神を、エネルギーを一本の糸にまで細く、さらに深く、研ぎ澄ます。
──それすなわち、“居合斬り”
刀でやるものだという固定概念を打ち破り、ニツクダはそれを剣でやるつもりなのだと、ショウは遅れて理解する。
おふざけとも受け取れる、まさかの技。
だが、ニツクダの醸しだす気迫は、それが“ホンモノ”だと理解させる。
「……ァ」
ショウは見た。
ニツクダの肩から腰に掛けて伸びる、『エネルギー』の軸を。
その刹那、軸に沿って大量の蒸気が音を立てて発散する。
同時に、ニツクダが叫んだ。
「──イアイ・スラぁッシュッッ!」
何より疾く届いたのは斬撃。
手を、脚を、斬る際の摩擦すら煩わしい。
──まっすぐに、一直線に、一次元的に頭を狙う。
その球体を見事に一刀両断して見せよう。
音は、遅れてやってきた。
──パキ
それは紛れもない、剣の悲鳴。
「ッッくぅう、硬すぎんだろ、頭」
あまりにも悲惨な結果に対し、呆れたように、ニツクダは呻く。
蟲国騎士団団長の剣として生まれ、今まで、辛い修行や熱い闘いを共にしてきた愛剣“ローラ”──それが、なんとまぁ残酷に折れてしまったものか。
そうはいっても、打算なしに“謎物質”に斬りかかるニツクダではない。
鋼鉄をも斬りうると言われる斬撃──しかしまさか鋼鉄よりも硬いとは思わなかったのである。
ここでようやく、音に次いでショウの理解が追いつく。
──攻撃を受けて、でも生きて、剣が折れて、あぁなんだ。チャンスかぁ
嫌にゆっくりと思考がめぐるものだ。
だが行動は早く、既に新たな“構え”を取っていた。
正に必殺技と言うべき構え。虫の王者の風格すら窺えるプレッシャー。
それを見たニツクダは、折れた愛剣を投げ捨て、胸の前で手を用意し防御の態勢を取る。
防御と言う選択肢を、否応なしに取らせるほど、完成された型。分からせる型。
背は低く保ち、頭上で腕を三度ほど捻る。
その型の名は──カブトムシ。
「──カッッ!」
ニツクダとの距離約一メートル。
地を踏み、一瞬にしてその距離を零に縮める。
「どぅらあああああッ!!」
だが流石と言うべきか、ニツクダは“角”をガシリと掴み、受けとめる。
受け止める、受け止めッ、受け、止まらないッ!
宙高く、二人の戦士が飛び上がった。
しかし、大地という土台を失ったショウ。これ以上の加速は期待できない。
「ハーハハハハハハッ。まだまだ、まだまだまだ遊ぼうや!」
これでは敗北できぬと悟ったニツクダは高らかに笑った。
──これが、カブトムシの限界。だが、
──ここからが、ショウのオリジナル──
一見すると、ただカブトムシを真似ただけかのように思えるそのフォルムにはある仕掛けが隠されていた。
その秘密は、角の部分にある。
ショウが角に加えた三度だけのねじりこそが、単純にして最高の、不器用なりのアイデンティティ。
“ねじり”が生むのは物理的力量──復元力が作る回転の剛力。
──渦巻く力と言うのは、いたるところに存在する。
空でいえば台風、海で言えば渦潮、大地で言えば地震。回転あるところに力あり、力あるところに回転あり。
その力の所以である回転こそが、今回の模倣の対象。カブトムシ拳の真髄。
「──ぁ?」
ニツクダも気づいたようである。
しっかりと掴んでいるこの“角”が、“ねじり”が、今、解体を始めていることに。
──まず、一回転目。
ショウの身体が回ると同時に、一回り大きくなったかのように、重量が増す。
──そして、二回転目。
今度はニツクダの肉体も引きずり込まれた。決着のカウントダウンが迫る。
──最後に、三回転目。
ここでようやく、ニツクダにかかる力が終了し、大海に投げ出されたかのような感覚に陥る。
だが、ショウの方は終わらない。
ご存じだろうか。渦というのは力を内側に集中させる。
──そして、最期には、逆方向に集中した力を放出するのである。
無防備なニツクダの腹部に、剛力を得たショウの鋼よりも硬い頭が直撃する。
「──カハッ」
さらに高く、ニツクダの身体が浮く。
そして、直後、バタ、バダッと、二人の戦士が落ちてくる音。
だが一人、棒人間だけがクラリ揺れる脚を抑えて立ち上がる。もう一方はどうやら、気を失っているらしい。
腕を高く太陽に向けて、
「たのしかったぁ!」
言葉を覚えたばかりの幼児のように、ショウは呟いた。
──熱闘、ここにて決着である。
ありがとう板垣先生。