後篇
物語屋から買った小説データを、少女は翌日出版社に送信した。人気女子高生作家の新作とあって、彼女が利用しているウェブサイトのホームや、同会社の運営するネット小説の書籍化専門サイトでも大々的に宣伝された。彼女の小説は主に同年代の少女から高評価を得ており、二作目は実写映画化の話まで持ち上がった。
そう。処女作ではなく、二作目が――彼女が『買った』作品が、注目を浴びている。ネット通販のレビューには処女作の未熟さをこき下ろして二作目を評価するコメントが並んでおり、概ね今後に期待するといった内容で占められている。
この事実は、少女を容赦なく打ちのめした。
勢いよく扉を開け放つ音が暗闇の室内に突如飛び込んで来た。と同時に扉の隙間から差し込む光を頼りに一直線に駆け寄る足音が、無遠慮に響き渡る。思い切り両手で机を叩きつけると、一連の騒音の主は、今度は甲高い声でもって室内を荒らし始めた。
「あたしの物語、返して!」
その言葉を受けた白皙の店主は、緩慢に顔を上げると不躾な来訪者を見据えた。
「仰る意味が良く……」
「あたしがここに渡した物語を返してって言ってんの! ほら、買った原稿はちゃんと全部持ってきたから」
封筒にしまうことなく無造作に鞄に詰め込まれていた原稿用紙は所々が折れ曲がり、握り締めた皺も刻まれている。哀れな姿になった原稿用紙を一瞥すると、店主の少年は平坦な眼差しを少女に向けた。
「返品等がないように、売る前に確認してもらったはずだけれど」
「それはわかってる! じゃなくて! 中身が違ったとかじゃないの!」
依然興奮した様子で少女はまくしたてる。先程の台詞を吐いたときの少年の声音が、普段の淡々としたものではないことに気付かないまま。
「あたし、気付いたんだ。どんなに苦しくても自分で書かなきゃ意味がないって。人が書いたもので有名になっても虚しいだけだって。だから、今度はちゃんとあたし自身の手で書こうって思ったの。そのためには他人が書いたのを自分の作品だって言ってたらだめだと思ったから……」
まるで物語のヒロインにでもなったかのような口ぶりで大袈裟にそう語ると、少女は机の上を滑らせるように、今一度店主のほうへと原稿用紙を押し出した。
「これ、返します。あたしの物語じゃないから……これを売った人も、もしかしたら、いつか大事なことに気付いて戻ってくるかもしれないし」
神妙な表情でそう告げる少女を見つめ返す少年の瞳には、相変わらず感情らしい色が映っていない。暫し沈黙が流れ、そしてどこまでも静かな少年の声がそれを破った。
「つまり、そちらの都合による契約破棄ってことでいいんだね」
「……まあ、そうだけど。売ってもらったものは別に間違ってなかったし」
いいことを言ったと思っていた少女は、語った言葉への反応が一つもなかった挙句、あまりに事務的な一言に集約されたことに落胆した。そんな少女の様子など気に掛ける素振りも見せず、少年は対価のほうの原稿用紙を暗闇の奥の書棚から取り出した。
「これが君から受け取った対価の物語。いまから返すから、ちょっとこのランプの灯を近くで三秒くらい見ててくれる?」
「え? 別にいいけど……何か意味あんの?」
「無意味なことはしないよ」
少年の態度から、納得はいかないが説明がされることもないのだろうと悟り、少女は机に身を乗り出した。ゆらめくランプの灯をじっと見つめながら頭の中でゆっくり三つ数えるあいだ、ふと眩暈のような眠気のようなものを感じ、思わず体を起こして小さく首を振った。白昼夢を見たような朧げな感覚が脳内を渦巻いている。
「んー……なんか、ふわふわする。ずっと忘れてたことを思い出したみたいな」
「確かに、返したよ」
そう言いながら、少年は対価のほうの原稿用紙束を開いて見せた。
「これ、前にあたしがそっちにやったやつ? 中身真っ白になってるけど」
「返したからね」
「ふうん……」
煮え切らない声を漏らしながらも、少女は鞄を抱え直して一歩机から離れた。
「じゃあ、あたし帰るね。帰って原稿やんなきゃ」
客を見送る言葉がないのも相変わらずだが、少女はそれを指摘することも気に留めることもなく、どこか清々しい気持ちで店をあとにした。
「そうだ、原稿やる前にメールとか通知チェックしよ」
帰宅してパソコンの前につきながら独り言を零し、慣れた手つきでメールフォームとブラウザを開く。そこには、デビュー以降見慣れた三桁近い新着の数が記されていた。
「手紙しかなかったときと違ってファンレターが簡単に送れるって楽だけどさー、これ見るほうは一人なんだから大変だよねー」
大変と言いつつも鼻歌混じりに前日よりも増えている数を満足げに眺め、カチカチと機嫌よくマウスを滑らせる。
「あ、そうだ、みんなにただいま言ってからにしよ」
メールより手軽に確認作業が出来るツイッターをまず見てしまおうと通知欄を開いた少女は、その内容に瞠目し、気分よくマウスを動かしていた手を凍りつかせた。
『他人の作品で有名になって楽しい?』
『ここに恥知らずなパクリ魔がいるときいて』
『いきなり上達したと思ったら人のだったとかウケる』
『好きだったのに裏切られた…聖恋ってそうゆうヒトだったんだ』
『人のパクって金稼ぎするクズはさっさと死んで詫びろ!』
通知に並んでいたものは、少女を『盗作魔』と罵倒する言葉と強い非難の嵐だった。出かける前までは親友のように話していた同年代のアマチュア作家やファンだと言っていたフォロワーまでもが、少女を親の仇のように罵っている。フォロワー数だけならば外出前と比べて数千人増えているが、そのどれもが少女の行いだけでなく人格までもを中傷する者か、炎上現場を見に来た野次馬ばかりだった。
「やだ……なんで……? 意味わかんない……」
全身の血が凍るような、逆に煮えたぎっているような不快感と焦燥感を覚えながら、少女は出版社でもある携帯小説作成サイトのホームを開いた。炎上の渦中にあるためかひどく動作が重かったがどうにか全ページを表示しきると、そこには大きな赤い文字で『この度の騒動の経緯とお詫び』と記されたリンクが追加されていた。
震える手でリンクをクリックし、緩慢に表示されていくページを見つめる。
事の発端は、少女の生原稿を一部公開するという編集部の企画だった。それは少女も把握していたことで、二作目の印象的なシーンを切り出し加工を施した画像を待受けとして配布するといったものだ。その手書き文字が別人の筆跡であると匿名で指摘が来たことが火種となったようだ。
そこからは、あまりに急展開で転がり落ちていた。少女のクラスメイトが、二作目の待受け画像とともに「ヤバい。全然違うよ。これが聖恋の字だし」とのコメントつきで少女と交換した当たり障りない手紙の画像を公開。その投稿が瞬く間に広がり、出版社公式アカウントにまで届いた。事実を確認するといった旨の投稿から謝罪文掲載までが早かったのも、炎上の勢いが想像以上だったためだろう。
まるで数時間のうちに何日も経ったかのような錯覚を覚えるほど、外出中に頂点から地の底までなにもかもが落ちてしまっていた。
「……盗作……? だってあれはちゃんと買ったもので……それにあそこに行くことは絶対誰にも、家族にだって言ってないし……」
そこまで呟いて、ふと気付く。自分があの店になにをしに行ったのか。
「嘘……うそでしょ……? 返したから、あたしのじゃなくなって、それで……」
今度こそ全身の血の気が引いて、少女は力なく項垂れた。
どうして考えが至らなかったのか。返品したのも、自分で書いたもので見返したいという思いに加え、既に発表したものが覆ることはないだろうと軽く捉えていたからだ。なぜならあの店の存在は、本当に誰にも匂わせてすらいなかったのだから。
どこまでも増え続けるツイッターの通知の数と、スマートフォンからのアラーム音が少女をひたすらに責め立てる。ラインやメールには少女を心配する声も届いていたが、膨大な中傷の中から探し出す気力は最早少女には残っていなかった。それになにより、クラスメイトの裏切りがすべての発端だったと知った彼女の目には、案ずるふりをする裏で誰もが自分を嗤っているように思えて仕方がなかった。
「あたし、何にもなくなっちゃった……」
顔に薄く笑みを張り付け、開いたままだったツイッターの画面をぼんやりと眺める。デビュー時でさえ見たことのないこの通知の数は全て自分を責める声なのだと、少女はどこか他人事めいた気持ちで暗い瞳に映していた。
――ごめんなさい。いまから責任とりにいきます。これでいいんでしょ?
ただ一言、それだけ投稿すると、少女はパソコンの電源を落として色の無い顔のままふらりと席を立った。自室を出て居間を抜け、ベランダへ。
重い雲間から細い光が射す灰色の空へ、少女の短いスカートがひらりと靡いて消えていった。




