第74話 図書館
次の日、大和は朝から遺跡都市の東側へ向かっていた。昨日持ち込まれた薄い板に残っていた「図書館」の文字が、それを見てからずっと気になっていた。
「ヤマト、速いニャ」
後ろからアビナが言った。大和は振り返る。
「普通に歩いてるよ」
「さっきから先に行ってるニャ」
「……気のせいじゃない?」
「気のせいじゃない」
シェルドまで言った。少し後ろをルシアンが歩いている。昨日、場所を見つけたトダ村の男も一緒だった。
「そんなにすごい場所なのか?」
男が聞いた。大和は少し考えた。
「すごい場所だったはず」
「だった?」
「俺のいた頃ならね」
今も残っているかは分からない。それでも、「図書館」という言葉だけで期待してしまう。病院で見つけた記録は断片だった。大和自身が眠った後、人類に何が起きたのか。どうして都市がこうなり、人がいなくなったのか。怪物は何なのか。自分の身体は何なのか。図書館なら、何か残っているかもしれない。
◇
建物は大きく、道路から少し奥へ入った場所にある。正面には広い入口があり、その上に文字が残っていた。大和は見上げる。
「市立中央図書館」
間違いない。中へ入ると、天井の高い広い空間だった。中央には机らしきものがいくつも並んでいる。その周囲には、同じ形をした背の高い構造物が何列も続いていた。一見すると本棚に似ているが、近づいてみると違った。
棚板がない。代わりに、同じ大きさの細長い区画が縦横に並んでいる。一つ一つの区画は薄い板が収まりそうな形で、端に小さな窪みがあった。アビナが顔を近づける。
「何も入ってないニャ?」
「いや……」
大和も覗き込む。奥に何かある。黒い。薄い板の端のようにも見える。
「触っていいニャ?」
「待って」
「昨日からずっと待ってるニャ」
「今来たばっかりだよ」
アビナが窪みに指を入れた。
「だから待ってって」
小さく音がした。ガッ。全員が止まった。棚の一部が、ほんの少し前へ出ている。
「動いたニャ」
アビナが言った。大和が近づく。薄い板状のものが、指一本分ほど飛び出していた。慎重につまむ。少し力を入れると、ゆっくり抜けた。大和の手より少し大きい、薄い黒色の板だった。片面は完全に黒い。
「これ……」
見覚えのある形だった。
「端末かもしれない」
「タンマツ?」
「文字とか絵とかを見る道具」
アビナが手を伸ばす。大和は板に触れた。何も起きない。端を押す。裏返す。やはり何もない。
「壊れてるみたいだ」
シェルドが周囲を見る。
「これが全部そうなのか?」
大和も見回した。同じ構造物が奥まで何列も続いている。
「……たぶん」
「全部見る?」
アビナが聞いた。大和は一瞬黙った。
「見る」
ルシアンが棚の列を見る。
「時間がかかるな」
「うん」
それでも、ここまで来て、見ないという選択肢はなかった。
◇
最初の列。一つ押す。反応なし。次。反応なし。その次。ガッ、と音がして途中まで出た。引き抜く。画面は点かない。次。何も起きない。次。今度は端末が最後まで出てきた。大和が触る。一瞬だけ白く光った。
「おっ」
すぐ消えた。
「……駄目か」
元へ戻す。隣。その隣。さらに隣。最初は全員で一つずつ見ていた。だが数が多すぎた。
「押すだけなら分かる」
シェルドが言った。
「出たものだけヤマトが見ればいい」
それから分担した。アビナが右側。トダの男が左側。シェルドが次の列。大和とルシアンが、反応したものを見る。しばらくすると、ガッ。ガッ。ガッ。あちこちから音がするようになった。
「こっち出たニャ」
「それさっきと同じ。点かない」
「こっちは?」
「待って」
「こっちも出たぞ」
「順番に!」
端末が机の上へ積まれていく。画面が完全に割れているもの、黒いままのもの、触れると一度だけ光るもの。薄い線が出るだけのものや、何かの記号が見えた直後に消えるものもある。使えるものはない。最初の列が終わった。まだ奥に何列もある。
「多いな」
シェルドが言った。
「図書館だからね」
「昔の人間は、こんなに読むものがあったのか?」
大和は棚を見る。
「もっとあったと思う」
トダの男が振り返った。
「これでも足りないのか」
大和は答えず、次の列へ進んだ。
◇
昼を過ぎた。一度外へ出て、持ってきた食事を取った。大和は建物の入口から中を見ていた。まだ調べていない列の方が多い。アビナが隣で果物を食べながら言う。
「ヤマト、まだやるニャ?」
「やる」
「やっぱり気になってるニャ」
「そりゃ気になるよ」
ここまで何も出ていない。だからこそ、次なら、その次なら、どこかに一台くらいは動くものがあるのではないか。そんな気持ちが消えない。短い休憩を終え、また中へ戻った。
◇
午後、三列目。四列目。五列目。同じことを繰り返した。押す。待つ。出る。点かない。戻す。また押す。何十回。何百回。途中から誰も一つ一つに反応しなくなった。音がしても画面が点かなければ、そのまま横へ置く。点いたら大和を呼ぶ。だが、どれも数秒ともたない。
「これで半分くらいか?」
大和が聞いた。ルシアンが入口側を見る。
「もう少しある」
「まだか……」
大和は腰を伸ばした。手も疲れてきた。怪物と戦うのとは全然違う疲れだった。それでも次の区画を押す。反応なし。その次。反応なし。
「こっち」
シェルドが呼んだ。大和が行く。端末が出ている。触れる。画面が白くなった。何か文字が出る。《充電量不足》そして消えた。
「読めた?」
「電気がないって」
シェルドが少し考える。
「じゃあ、これ自体が置いてある場所で力を貯めてたのか」
大和は棚を見る。
「たぶん」
そう考えると分かりやすい。これは本棚ではなく、大量の端末を置いておく場所だ。使わない間に充電し、必要になれば取り出す。内容は別の場所から呼び出す。大和の時代にあった端末を、もっと公共設備として完成させたようなものかもしれない。
「昔の人は、ここからこれを取って読んでたのか?」
トダの男が聞く。
「たぶんね」
「中に知識が入ってる?」
「それは……分からない」
大和は端末を見る。
「端末の中に全部入ってたとは思えない。必要なものを別の場所から取ってきてたんじゃないかな」
「別の場所?」
「見えないところから」
男は理解できなかったらしく、端末を見つめた。大和も、それ以上うまく説明できなかった。何百年も後の仕組みだ。自分だって正確には知らない。
◇
日が傾き始めた頃、残りは二列になった。
「今日、全部見るのか?」
シェルドが聞いた。大和は最後の列を見る。
「ここまで来たら」
アビナが床に座ったまま言う。
「ヤマト、しつこいニャ」
「今日はそれでいい」
再び始める。一つ。駄目。二つ。駄目。三つ。途中までしか出ない。四つ。何も起きない。五つ。
「これ、少し違う」
ルシアンが言った。大和が見る。端末が完全に出ている。他のものと変わらない。
「どこが?」
「さっきから、ここだけ光っている」
棚の奥。小さな点が、弱く白く光っている。大和が端末を持つ。画面へ触れた。何もない。もう一度。その瞬間。画面中央に細い白線が現れた。大和の動きが止まる。
「……点いた」
アビナが立ち上がった。全員が集まる。白線が消える。文字が出る。《利用者を確認しています》大和は息を止めた。数秒。画面が変わる。《市立中央図書館》
その下に、いくつもの項目が現れた。資料検索、地域資料、歴史資料、人口・統計、医療・福祉、行政記録、映像資料。大和は画面から目を離せなかった。長い時間をかけ、何百もの壊れた端末を調べた。そして最後近くになって、本当に動くものが出た。
「ヤマト」
アビナが言う。
「これ、使えるニャ?」
「……たぶん」
声が少し上ずった。大和は歴史資料へ触れた。画面が変わる。《歴史資料》地域史。社会史。都市史。人口変動。医療技術史。映像記録。そこにある。知りたかったものが。
「何が書いてある?」
シェルドが聞く。
「まだ中身じゃない」
大和は答える。
「でも……かなりある」
どこから見る。人類、人口、不老技術、都市、怪物、自分。一瞬、指が止まった。まず、この街。ここで何が起きたのか。大和は都市史を選んだ。さらに項目が出る。都市成立。人口推移。都市機能再編。医療区域統合。大和の目が止まる。医療区域統合。病院で見た情報とつながるかもしれない。触れる。
《資料を取得しています》誰も話さなかった。画面中央で小さな記号が回る。数秒。十秒。画面が変わった。大和は身を乗り出した。《中央図書館 開館時間変更のお知らせ》沈黙。アビナが画面を見る。
「分かったニャ?」
大和はしばらく黙っていた。
「……図書館が何時から開くか」
「大事?」
「今は全然」
トダの男が吹き出した。大和も少し笑った。まだいい。動いている。もう一度戻る。人口推移。これなら、数字だけでも残っていれば。触れる。《資料を取得しています》画面が暗くなり、また明るくなる。一瞬、線が見えた。数字と、年らしき表示。大和の心臓が跳ねる。
「出た」
その直後、画面に白い線が走った。表示が崩れる。《館内記録領域――》文字が止まる。《外部情報網――》さらに崩れる。《取得――》画面が暗くなった。
「……え?」
大和が触れる。反応しない。もう一度。
「おい」
何も起きない。端末を棚へ戻してみる。さっきまで弱く光っていた点も消えている。もう一度取り出す。画面は黒いまま。
「終わったニャ?」
アビナが聞く。大和は触り続ける。
「ちょっと待って」
もう一度。違う場所。長押し。何もない。
「……駄目だ」
長い時間をかけて、ようやく一台。そして、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、向こう側が見えた。
◇
残っていた最後の列も調べた。もう動くものはなかった。館内も見た。案内、避難経路、児童区画、設備点検、利用上の注意。読めるものはある。だが、欲しいものはない。正確には、あった。画面には確かに並んでいた。歴史。人口。医療。社会。
都市。そこに情報は存在していた。ただ、今は取り出せない。大和は動かなくなった端末を棚へ戻した。
「図書館まで見つけたのにな」
思わず声が出た。ルシアンが言う。
「情報がなかったわけじゃない」
「うん」
「残っている場所へ届かなかった」
「そっちの方が悔しいよ」
あと少しだった。別の端末なら、電気を戻せれば。どこかの装置がまだ動けば。考えればいくらでも出てくる。だが、今日、一日かけてほとんど全部調べた。今ここでできることはない。シェルドが言った。
「場所は残っている」
大和は棚を見た。
「うん」
「今すぐ使えないだけだ」
大和は少し考え、頷いた。それ以上は何も言わなかった。
◇
中継地点へ戻った時には、かなり遅くなっていた。話はすぐ広がった。昔の人間が知識を集めていた場所で、大量の読むための道具が見つかったこと。その向こうに歴史や医療の記録があったらしいこと。そして、ほとんど読めなかったこと。六つの村から来ていた者たちが集まった。
「で、図書館って何なんだ?」
ダガンが聞いた。大和は少し考える。
「知識を集めて、必要な人が使えるようにしてた場所」
「知識を集める?」
「ラナ村やカダ村の知識蔵に近いよ。規模は全然違うけど」
シアが大和を見る。
「ラナとカダにはあるのか?」
「ある。最初はラナで作った。カダにも作って、ラナの記録を向こうへ持っていったり、カダで増えたものを戻したりしてる」
ラグが聞く。
「何を残してる?」
「怪物。水車。畑。保存方法。作り方。失敗したことも」
「罠も?」
「もちろん」
ラグが頷いた。
「なら、セラにもあった方がいい」
シアも言う。
「ベルも」
ネイドが続いた。
「イルなら縄と修理がある」
ダガンが腕を組む。
「道と石のやり方も残せるな」
大和は四人を見る。知識蔵について、自分から勧めていない。それぞれが自分の村にあるものを考えている。シェルドが言った。
「六つになると、今までと同じやり方じゃ面倒だな」
「どういうこと?」
ロウが聞く。
「ラナとカダだけなら、互いに持っていけばいい」
シェルドは周囲を見る。
「六村全部でそれをやると、何度も同じ記録を運ぶことになる」
「じゃあ」
近くで記録板を片づけていた男が言った。
「ここにも置けばいいだろ」
皆がそちらを見る。男は中継地点の棚を指した。怪物や道路の記録、六村の地図、荷物の記録。すでに、かなりの情報がここへ集まっている。
「各村で増えたものを、ここにも持ってくる」
シェルドが言った。
「必要な村は、ここにあるものを写して持って帰る」
ロウが頷く。
「それなら全部の村を回らなくていい」
「種類も分けた方がいいな」
ルシアンが言った。
「怪物。道。食べ物。道具。村ごとの方法」
大和は図書館を思い出した。何列も並んだ設備と、どこに何があるのか分かるように分けられた項目。歴史、医療、人口、地域。中身はほとんど読めなかったけれど、どうやって知識を扱っていたのか、その一部は見た。
「それ、いいと思う」
大和が言った。アビナが首を傾げる。
「ここも図書館にするニャ?」
大和は少し笑った。
「いや」
ラナで最初に付いた名前を思い出す。
「知識蔵でいいよ」
昔の図書館から、知りたかった答えは持ち帰れなかった。人間に何が起きたのか。怪物は何なのか。自分は何なのか。何一つ、答えは出なかった。けれど大和の前では、セラの罠、ベルの魚、トダの道、イルの縄、ラナとカダの記録を、どう残し、どう六つの村で使うかという話が始まっていた。古い図書館はもうほとんど何も答えてくれなかった。その代わり、これから残すものの話が始まった。




