水曜日の雨
# 水曜日の雨
水曜日の午後三時。朝から降り続いている雨が、窓を激しく叩いている。
店内には客が一人もいない。こういう日もある。
私はカウンターで、ゆっくりと自分用のコーヒーを飲んでいた。
雨音を聞きながら、ぼんやりと窓の外を眺める。
傘をさした人が、急ぎ足で通り過ぎていく。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「すみません、雨宿りさせてください!」
入ってきたのは、三十代くらいの女性と、小学校低学年くらいの女の子。二人とも、びしょ濡れだった。
「どうぞどうぞ。タオル、お持ちしますね」
「ありがとうございます」
私は奥からタオルを二枚持ってきた。
「傘、お持ちじゃなかったんですか?」
「持ってたんですけど」女性が苦笑した。「風で折れちゃって」
「それは災難でしたね」
女の子は黙って、髪をタオルで拭いている。少し不機嫌そうだ。
「何か温かいもの、いかがですか?」
「あ、じゃあコーヒーを。娘には」
「ココアがありますよ」
「ココア、飲む?」
女の子は小さく頷いた。
「じゃあ、ココアもお願いします」
「かしこまりました」
二人は窓際の席に座った。私はコーヒーとココアを淹れ始める。
「ママ、まだ降ってる」女の子の小さな声が聞こえた。
「そうね。でも、そのうち止むわよ」
「ピアノ、遅刻する」
「先生に電話したから、大丈夫」
「でも」
「大丈夫よ」
女の子は窓の外を見つめている。
私はココアを作りながら、二人の様子を窺った。
「ねえ、お腹空いた」女の子が言った。
「さっきおやつ食べたでしょ」
「でも」
「もうすぐピアノだから、我慢しなさい」
女の子は膨れっ面をした。
私はコーヒーとココアをテーブルに運んだ。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
女の子は、ココアのカップを両手で持った。
「熱いから、気をつけてね」
女の子は小さく頷いて、ゆっくり飲み始めた。
私はカウンターに戻った。
「美味しい?」母親が尋ねた。
「うん」
「良かったわね」
しばらく静かな時間が流れた。
「ママ」
「何?」
「雨、嫌い」
「そう」
「だって、公園行けないし」
「でも、雨も大事なのよ」
「なんで?」
「お花が育つでしょ」
「ふーん」
女の子は納得していない様子だった。
「それに」母親は続けた。「雨の日は、こういうお店でゆっくりできるじゃない」
「でも、ピアノ遅刻する」
「遅刻しないわよ。ちゃんと間に合うから」
女の子はまたココアを飲んだ。
「ねえ、ママ」
「何?」
「この前、パパが言ってたの」
「何を?」
「雨の日は、空が泣いてるんだって」
「へえ、パパがそんなこと言ったの」
「うん」
「じゃあ、今日は空が悲しいのかしら」
「分かんない」
私は静かに聞いていた。
「でもね」女の子が続けた。「私、思ったの」
「何を?」
「空が泣いてるなら、誰かが慰めてあげればいいのにって」
母親は少し驚いたように、娘を見た。
「そうね。誰が慰めてあげればいいかしら」
「うーん」女の子は考えた。「お日さま?」
「お日さまね」
「でも、お日さま、雨の日はいないよね」
「そうね」
「だから、空はずっと泣いてるの」
母親は優しく笑った。
「でも、そのうち泣き止むわよ」
「どうして?」
「泣きたい時は泣いて、泣き終わったら、また笑えるから」
「そうなの?」
「そうよ」
女の子はココアを飲み終えた。
「ねえ、ママ」
「何?」
「私も、泣きたい時、泣いていい?」
「もちろんよ」
「怒らない?」
「怒らないわ」
「本当?」
「本当よ」
女の子は少し安心したように笑った。
「でも」母親が続けた。「泣き終わったら、ちゃんと笑うのよ」
「うん」
雨音が、少し弱くなってきた気がした。
「あ、小降りになってきたわね」母親が窓の外を見た。
「本当だ」
「じゃあ、そろそろ行ける?」
「うん」
母親が会計を頼みに来た。
「ごちそうさまでした。助かりました」
「いえいえ。気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
女の子が、私に向かって小さく手を振った。
「ありがとうございました」
「どういたしまして。また来てね」
「うん」
二人は店を出て行った。
雨はまだ降っているが、さっきよりはずっと弱い。
私は窓際のテーブルを拭いた。
ココアのカップに、少しだけ跡が残っている。
空が泣いている。
誰かが慰めてあげればいい。
子供の言葉は、時々、不思議な力を持っている。
私は窓の外を見た。
雨は、もうすぐ止みそうだ。
水曜日の午後。
雨宿りの親子が、残していった温かい時間。
そんな時間が、この店にはある。
私はまた、自分のコーヒーを淹れた。
雨音を聞きながら、ゆっくりと飲む。
雨の日も、悪くない。
そう思いながら、私は静かに時間を過ごした。




