火曜日の肩
四十肩辛いですよね。
私は寝違えでしたけど。
# 火曜日の肩
七月の火曜日。
朝から曇っていて、昼前に一度だけ雨が強くなった。今は止んでいるが、また降りそうな空だった。
午後、女性が二人入ってきた。
四十代くらいで、傘を畳みながら席を選んだ。二人ともブレンドを頼んで、それからすぐ続きの話を始めた。来る前から話していたらしかった。
「右肩が上がらなくて」と一人が言った。
「いつから」
「先週から。朝起きたら急に」
「四十肩じゃないですか」
「そうなのかな。まだ三十九なんですけど」
「三十九でもなりますよ」
「なるんですか」
「なります」
もう一人の女性が言った。
「私、去年なりましたよ」
「え、治ったんですか」
「治りました。半年くらいかかったけど」
「半年」
「四十肩って、ほっといても治るんですよ。だいたい。でもほっといて変な動き方が癖になると、治ったあとも動かしにくいままになることがある」
「変な動き方の癖」
「痛いから庇うじゃないですか。その庇い方が体に覚えこまれちゃう」
「それは困る」
「だからある程度、痛くても動かした方がいいって言われて。私は体操を教えてもらいました」
「どんな体操ですか」
「壁に手をついて、少しずつ上に這わせていく。指を使って壁を登っていく感じで。毎日やってたら、三ヶ月くらいで洗濯物が干せるようになった」
「洗濯物が干せるようになった、が目標なんですね」
「切実な目標でした」
私はコーヒーを持っていった。二人が少し笑った。
「でも本当に四十肩かどうか、どうやって分かるんですか」と右肩の女性が言った。
「整形外科に行くのが確実です」
「行ってないんですか」
「まだ行ってないですね」
「行った方がいいですよ。似たような症状で、腱板断裂とか石灰沈着性腱炎とか、別のこともあるから」
「石灰」
「肩の中にカルシウムが沈着して、急に激痛になるやつです。見た目の症状は似てる」
「それは怖い」
「レントゲン撮ればわかります」
右肩の女性が肩をゆっくり回した。途中で止まった。
「寝違えた、という可能性は」
「朝起きたら急に、なんですよね」
「そうなんですよ」
「寝違えは、首から肩にかけてが多い。四十肩は肩関節そのものが痛む。場所が少し違う」
「場所か」
「あと寝違えは、数日で大体よくなります。一週間以上続くなら、寝違えじゃないと思う」
「先週からだから、もう一週間か」
「整形外科、行った方がいいと思います」
右肩の女性が少し黙った。
カウンターに一人で座っていた男性が、少し身を乗り出した。
五十代くらいで、来たときからカバンの中を整理していた人だった。
「サプリメント、試しましたか」
二人が振り向いた。
「すみません、聞こえてしまって」
男性が少し椅子をこちらに向けた。
「四十肩、五十肩にはグルコサミンとコンドロイチンを勧める人が多いんですが、あれは主に軟骨向けで、肩の炎症にはあまり直接的じゃない」
「そうなんですか」
「肩の炎症には、ビタミンDとオメガ3が注目されています。ビタミンDは筋肉と骨の両方に関わる。オメガ3は炎症を抑える働きがある。ただ、サプリで劇的に治るものでもない」
「劇的には治らない」
「劇的には治らない。あくまで補助です」
右肩の女性がコーヒーを飲んだ。
「なりにくくする方法はあるんですか」
「肩周りの柔軟性を保つことです。肩甲骨を動かす習慣。あとは姿勢。猫背が続くと肩関節への負担が増える」
「デスクワークの人はなりやすいですか」
「なりやすいです。同じ姿勢が長く続くので。あとは冷やしすぎも良くない。エアコンの風が肩に当たり続けると血流が落ちる」
「梅雨の時期のエアコンは強めにしますよね」
「そうなんです。夏前のこの時期が、意外と肩に負担をかけてる」
男性がカバンの中からサプリの小瓶を取り出した。
「これはビタミンDです。私が飲んでるやつ。良ければ成分だけ見てみてください」
右肩の女性が受け取って裏を読んだ。
「コレカルシフェロール」
「それがビタミンD3です。D2よりD3の方が体に吸収されやすい」
「D2とD3があるんですか」
「あります」
「詳しいですね」
「趣味です」と男性は言った。
しばらくして、男性が会計を済ませた。
「整形外科、行ってみてください。サプリより先に」
「はい」と右肩の女性が言った。
「おいしかったです」と男性が私に言って、出ていった。
二人はもう少し残っていた。
「マッサージとかはどうですか」と右肩の女性が言った。
「急性期は揉まない方がいいらしいです。炎症が強い時期に強く刺激すると悪化することがある。痛みが少し落ち着いてきてから」
「じゃあ今は揉まない方がいい」
「温めるのは良いです。お風呂でゆっくり温める。で、湯船の中で肩をゆっくり回す」
「お風呂の中で」
「浮力があるから、陸より楽に動かせます」
右肩の女性が右腕をゆっくり持ち上げた。途中でまた止まった。
「痛い」
「無理しないでください」
「でも動かした方がいいんですよね」
「痛みの出ない範囲で、です」
二人が帰り際、右肩の女性が言った。
「整形外科、今週行ってみます」
「行った方がいいですよ」
「寝違えだったりして」
「それはそれで、良い話じゃないですか」
二人が出ていった。
私は空いたカップを片付けた。
寝違えだったらいい、と本人は言っていたが、一週間続く寝違えというのは、あまり聞いたことがない。でも、そうであってほしいという気持ちはわかる。名前が軽い方が、気持ちも軽くなる。四十肩、という名前が重いのかもしれない。五十肩ならもっと重い。どちらも同じものだと、後で知ったとして、それでどちらの気持ちになるかは、わからないけれど。




