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火曜日の指名手配

吉村さんてノンデリなんですが、たまにいい仕事をしますよね。

書きながら楽しかった話です。

# 火曜日の指名手配


 火曜の夕方だった。


 晴れていた。梅雨の晴れ間が続いていて、六月の終わりとは思えない強い光が夕方まで残っていた。


 吉村さんが来たのは、五時少し前だった。


「ブレンドを」


「はい」


 豆を挽く。吉村さんはバッグをカウンターに置いて、スマホを見ていた。


 コーヒーを出したころ、ドアベルが鳴った。


 男性だった。四十代くらい。帽子を目深にかぶっていた。汗だくだった。普通の量の汗ではなく、走ってきた汗だった。カウンターに座って、少し息を整えた。


「アイスコーヒー、ありますか」


「ございます」


「じゃあそれを」


 私はグラスに氷を入れた。吉村さんが横目でちらりと見た。


 アイスコーヒーを出すと、男性は一口飲んで、少し目を細めた。


「美味しい」


「ありがとうございます」


「アイスコーヒーって、薄いところが多いんですよ。これはちゃんとしてる」


「氷で薄まることを考えて、少し濃いめに淹れています」


「なるほど」と男性が言った。「豆は何を使ってるんですか」


「オリジナルのブレンドです。深めの焙煎を少し多めに」


「それで苦みが出るのか」


「苦みと、後味の甘みが出ます。アイスにすると苦みが立つので、バランスを調整しています」


 男性が帽子のつばを少し直した。まだ汗が引いていなかった。


 吉村さんがスマホから顔を上げた。


「もしかして、警察に追われてきたんですか」


 男性が固まった。


「なんでわかるんですか」


「えっ、本当ですか」


「冗談だったんですか」


「まあでも汗のかき方と、帽子の深さでそうかもなとは思いました」


「そうですか」


「普通の汗じゃないですよ、それ」


 男性がグラスを置いた。


「警察と目が合って職質を受けそうになったから、角を曲がって逃げてきたんです。そしたら追いかけてきて」


「逃げたから追いかけてきたんじゃないですか」


「そうなんですよ。わかってるんですけど、逃げてしまって」


「なんで逃げるんですか、そもそも」


 男性が少し間を置いた。


「見せた方が早いか」


 スマホを取り出した。何かを開いて、カウンターに置いた。


 指名手配の写真だった。


「似てるでしょう」


 吉村さんが画面を覗き込んだ。それから男性の顔を見た。画面を見て青ざめた。


「似てる……」


「そうなんですよ」


「かなり似てる」


「そうなんですよ」


「ちょっと待ってください」と吉村さんが焦るように言った。「本当に似てる」


「だから言ってます」


 吉村さんが私を見た。私もグラスを拭きながら画面を見た。たしかに似ていた。


「違うんですよ」と男性が言った。「別人なんですけど、顔が似すぎていて」


「違うなら警察に説明すればいいんじゃないですか」


「それが」


 男性が帽子を取った。汗で髪が張り付いていた。


「昔は説明してたんです。でも長い時間拘留されて、何を言っても信じてもらえなかったことがあるんです」


「信じてもらえない」


「身分証も偽造だとか、目の少し違う部分も整形だとか言われて。証明のための書類を全部出しても、まだ疑われて。もう疲れてしまって」


「それはしんどいですね」


「髪型も違うんですよ」と男性が言った。「この人、短髪でしょう。私は違う」


 たしかに違った。写真の人物は短髪だった。男性の髪はもう少し長かった。


「でも」と吉村さんが言った。「髪を伸ばしたら一緒じゃないですか」


「そう言われるんですよ」


「当然ですよね」


「そうです。顔を見られないように帽子を目深にかぶって、余計に怪しくなって、職質されそうになって、反射的に逃げて、追いかけられた」


「負の連鎖」


「残念ながら」


 吉村さんが少し考えた。


「今日はなんで逃げたんですか、説明すればよかったのに」


「一度逃げてみようと思って」


「気分で」


「気分というか。説明するのが疲れたので、逃げ切れるかどうか試してみようと」


「逃げ切れましたね」


「逃げ切れました。ここに入ったら来なかったので、とりあえず落ち着こうと思いました」


 吉村さんがコーヒーを飲んだ。


「難儀な顔をしてますね」


「そうですね」


「整形して顔を変えるという手もあるんじゃないですか」


「他人に合わせて顔を変えるのは嫌です」


「それはそうですね」


 男性がアイスコーヒーを飲んだ。少し落ち着いた顔になってきた。


「美味しいな」


「それはよかったです」


「逃げ込んだ先が良い店で助かりました」


「ありがとうございます」


 しばらく三人とも黙っていた。外の通りを、自転車が一台通った。警察ではなかった。


「そろそろ行きます」と男性が言った。「落ち着いたので」


「気をつけて」


「今度は逃げないで説明してみます。今日みたいに逃げてもやっぱり苦労するので」


「そうですね」


「帽子も脱いで行きます」


 男性が帽子をバッグにしまった。伝票を持って立ち上がった。


「ごちそうさまでした」


「またどうぞ」


 ドアが閉まった。


 吉村さんがスマホを取り出した。


「調べてみたら、指名手配の人、まだ捕まってないですね」


「そうですか」


「あの人、本当に違う人ですかね」


「吉村さん……」


「捕まえるべき人が捕まらなくて、関係ない人が毎回呼び止められている」


「世の中そういうことも、ありますかね」


「初めて聞きましたけど」


 吉村さんがコーヒーを飲み干した。今日は珍しく、残っていなかった。


 似ているというのは、なかなか厄介なことだと思った。似ているから同じではない。でも似ているというだけで、説明が必要になる。何度も、疲れるまで。コーヒーも、似たような豆が世界中にあって、産地や精製方法で全部違う。見た目が似ていても、味は全部別のものだ。そういうことを、言葉で説明するのはむずかしい。飲んで伝わればいいのだけれど。


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