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口に蜜あり腹に剣あり  作者: 志に異議アリ


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1/3

最後の恋




陽が昇りそうな

まだ人々が動き出す前の

静かな時間


スマートフォンが震えるより、

少し前。


まだ暗い部屋の中で、

彼女は目を覚ます。


通知は来ていない。

でも、来るはずの時間だった。


手を伸ばして、画面を見る。

何もない。


一度だけ息を吐いて、枕に顔を押しつける。



ほらね。

そう思う自分がいることを、知っている。


彼は、遅れるときは遅れると言う人だった。


約束を破らないし、

無理もしない。

優しい、

というより、

丁寧な人だった。


だから彼女は、

最初から決めていた。


信じすぎないこと。

この恋を大事にしたいから。


「昨日、寝てた?」


昼過ぎに届いたメッセージに、彼女はすぐには返さない。


既読をつけるタイミングを少しだけずらす。

癖みたいなものだった。

数分後に開いて、短く返す。


「うん、ちょっと早めに寝ちゃった」

本当は、起きていた。


画面を見ながら、

来ない通知を待っていた。


会うとき、彼は必ず同じ席を選ぶ。

窓際。

外が見える場所。

理由を聞いたことはない。

彼女も、聞かない。

聞いてしまうと、

何かを知ってしまいそうで嫌だった。


「仕事、忙しい?」

コーヒーの湯気の向こうで、彼が聞く。


「普通かな」

曖昧に答える。

本当は、少しだけ忙しい。

でもそれを言うと、会う頻度が減る理由になる気がした。


——理由を与えると、人は離れる。

そんな考えが、どこかにある。


彼は、よく笑う人ではない。

でも、笑うときはちゃんと目が緩む。

その顔を見ていると、

一瞬だけ、安心する。

一瞬だけ。


「なんか、あった?」

ふと、彼が言う。

彼女は一瞬、息を止める。


「なんで?」


「いや、なんとなく」

なんとなく、で当ててくる人は苦手だった。

見透かされる気がするから。


「別に、何もないよ」

笑って返す。

その笑顔が、どれくらい本物かは、

自分でもよくわからない。

帰り道、彼が言う。


「来週、ちょっと忙しくてさ。会えるの、再来週になるかも」


「そっか」

すぐに返す。

早すぎたかもしれないと思って、

少しだけ言葉を足す。


「大丈夫だよ」

大丈夫、という言葉は便利だった。

何も考えていないように見せられる。

その夜、彼からの連絡は来なかった。

別に、約束していたわけじゃない。

でも、今までの流れなら来ていた。

彼女は画面を見て、閉じる。

また開く。

何度か繰り返して、

やめる。


——試してみよう。

ふと、そう思う。

何を試すのか、自分でもわからないまま。

次の日も、彼女からは連絡しない。

その次の日も。

三日目の夜、ようやくメッセージが来る。



「元気?」

短い一言。

彼女は、少しだけ考えてから返す。


「うん、元気だよ」

それだけ。

既読はすぐについた。

でも、返事は来なかった。



数日後、会ったとき。

彼は少しだけ、距離のある笑い方をした。


「最近、なんか静かだよね」


「そう?」


「うん。前はもう少し、いろいろ話してた気がする」

彼女は、カップの縁を指でなぞる。


「変わってないよ」

自分で言いながら、

少しだけ引っかかる。

沈黙が落ちる。

重くはない。

でも、軽くもない。


「さ」

彼が言う。


「無理しなくていいと思うよ」

彼女は顔を上げる。


「無理?」


「うん。なんていうか……」

少しだけ言葉を探して、


「信じてもらえない人の隣にいるのって、ちょっと疲れる」

静かに、そう言った。


風が、窓を揺らす。

外の音が、少しだけ入り込む。

彼女は何も言えない。

言い返す言葉はいくらでもあるのに、

どれも違う気がする。

思い当たることが、ありすぎた。

彼は続けない。

責めない。

説明もしない。

ただ、コーヒーを一口飲んで、


「ごめんね」

と言った。


何に対しての“ごめん”なのか、

わからなかった。


帰り道、並んで歩く距離が、

ほんの少しだけ遠い。

その差を埋める理由を、

どちらも持っていなかった。

別れ際、彼はいつも通りに手を振る。

それが、少しだけ優しすぎて、

彼女は何もできない。

一人になってから、スマートフォンを開く。

何もない画面。

通知も、未読も。


そのとき、ようやく気づく。

裏切られていない。

何もされていない。

なのに、

終わっている。


信じたかったんじゃない。

最初から、

信じるつもりがなかっただけだ。


あの日から……






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