最終話 母
迷宮の一室は先程までの激闘など嘘のように静まり返っている。
俺は三日月の太刀をマジックバッグに戻すと、手放していた丁子乱れの打刀と粟田口の脇差を拾い上げて、丁寧に納刀した。
懐に戻した手裏剣たちもすこぶる上機嫌で、見ていなかったがあの妖艶な青年を討ち果たしたことに手応えを感じているようだ。
…さて。
俺は魔法使いが立っていた位置に目を向けて、その復活を待っている。
すると、俺に脳天から唐竹に割られて散逸していた魔法使いの魔力が再び寄り集まって、ゆるゆると人型を成し始めた。
やはりな。
魔物だの人間だのという以前に、コイツは純粋な魔力の集合体なのだ。
斬って死ぬものとは初めから考えていなかった。
懐の手裏剣たちが慌てて再出動しようとするが…たぶん、不要じゃないかな?
すっかり元の姿に戻った魔法使いは、しかし今度は敵意を見せないどころか、その場に跪いて恭しい声を上げ始めた。
…まあ、例によって何を言っているのかサッパリ分からんのだが。
そうしてしばらく何事かを言上し続けていた魔法使いだったが、俺の無反応に訝しげな表情をした後にはたと気づいて自身の喉を擦り始めた。
「…失礼いたしました。翻訳の設定に不備がありましたが…これでお分かりいただけますか、マスター?」
…うん。
「マスター」と言うのは良く分からんが、言葉は通じるな。
「…えーと、つまり。お前は製作者の意思に基づいてこの迷宮を生み出した…システム、みたいなものか?」
「左様でございます。 前マスターのアンドリュー様とロバート様はこの迷宮を設計なさいました。 私がこの世界に流れ着いた理由は不明ですが、大地の下に流れる膨大な魔力にアクセスする術を得ましたので、お二人の意思を継承しこの地に迷宮を作り上げたのです」
俺の問いに魔法使いは、跪いたまま恭しく返答を行う。
うーん、なんだか話しづらいなこれは…。
「…いいから立て。それで…ええと。 お前は最深部までたどり着く探索者を待っていたのか?」
「左様でございます。 しかし、マスターがいらっしゃるまでおよそ400年の間、ここまでたどり着くプレイヤーは現れませんでしたので…翻訳に不具合があったことには気づきませんでした。 誠に申し訳ございません」
なるほど、それでこの迷宮で見聞きする言葉は判別不能だったのか。
それにしても…400年とは、この迷宮は随分と長いこと存在していたんだな。
「…翻訳の不具合により迷宮の主となる報酬が伝わらず、これまでプレイヤーがやって来なかったわけでございます。…ですが、マスターはなぜここにいらっしゃったのですか…?」
むっ、それを言われると返す言葉が無いな…。
そこに迷宮があったから…?
まあ、とにかく迷宮はここで終わりらしい。
魔法使いは名を持たなかったので、俺は迷い家伝承からとって「ケセネ」という名を与えることにした。
ケセネは俺のことをマスターと呼んで、どうもこの迷宮の主にしたいらしいが…。
うーん、もう遊び尽くしてしまったしなぁ。
「それでは、迷宮の魔物を統率して地上を征服されてはいかがですか?」
「馬鹿なことを言うな」
なにが「それでは」なのか。
俺は地上に帰ったら普通の一人の人間として…父親として生きるのだ。
…む、それよりも。
俺がこの迷宮を好きにして良いならば、頼みたいこともあるにはある。
「…もうこれ以上、漂人を呼ばないように出来るか?」
「いいえ。 この世界に漂人がやって来ることは、私の力とは無関係でございます」
ダメか…。
では、これからも漂人を救出するルーティンは継続していこうかな。
「…ただし、やって来た漂人に魔力毒を付与することはもう不要になりました。 こうしてマスターがいらっしゃいましたので、もうプレイヤーを勧誘する必要はありません」
お前のせいだったのか…。
ケセネは漂人に仕込んでいた魔力毒について、それぞれの漂人が次に迷宮に踏み入った際に解除すると約束した。
これで漂人が迷宮に縛り付けられる制約は無くなった訳だな。
さらに俺の意図を汲んだケセネは、今後やって来る漂人についても直後に迷宮で命を失わないように地霊の道案内をつけ、地上に案内するように迷宮を設計変更してくれた。
しかもその際には魔物も襲い掛かって来ないというのだから、これで漂人は全員無事に地上に辿り着くようになるだろう。
…いや、まてよ。
「そこまで出来るんだったら、いっそ迷宮で探索者が死なないようにも出来るか?」
「偶発的な死亡は防止できませんが…。 今後は魔物が探索者にトドメを刺さず、撤退する探索者は魔物と遭遇しないようにいたしましょう。 さらに深手を負ったものは地霊で直接地上に搬送いたします」
おおっ、これで迷宮での死者は格段に減るんじゃなかろうか?
漂人が迷宮に縛り付けられなくなる分も、これで探索者が増えれば漂人局の仕事が無くならずに済むだろう。
よしよし、これでもう思い残すことは無いな。
…
……
………いや、待てよ。
「…はい。 頻繁にという訳には参りませんが、可能でございます」
夏の日差しが降り注ぐ田舎道。
バスを降りた後は通過する車もない道を、俺は一歩ずつ踏みしめていた。
三重県の山深い所に、俺の実家はある。
大学に通うようになってからは一度も帰っていなかったが…まあ、一年や二年で風景が変わるようなところでもない。
やっと集落が見えて来たあたりで、俺はやっと少し緊張し始めていた。
…数か月のあいだ行方不明だったわけだが、なんと言って弁明したらよいか。
いやまあ、その後の話も考えると誤魔化しようなどないのだが…。
集落の中でも一際大きな古びた日本家屋、これが俺の実家だ。
道場と居住空間が一体となっていて、田舎ゆえに施錠の概念は希薄でいまも玄関が通気の為に開け放たれている。
…なんにも変わっていないな。
庭に回ると縁側に涼む中年女性が見えて…まあ、要するに俺の母親である。
俺の姿をみとめた母は、手に持っていた湯飲みをコトリと縁側に置いた。
「あら? …ちょっと、シュウったら…もう! 帰るなら電話くらいしてくれてもいいでしょ? お昼はそうめんよ、いっぱい食べるでしょ?」
…お、おう。
どうも言い訳の類は一切必要なさそうだな。
息子が数か月行方不明になっていたわけだが…。
うーん、我が母親ながら恐るべきのん気さである。
…まあ、俺にとって都合のいいことには突っ込まなくていいか。
それよりも。
「…母さん。 紹介したいひとがいるんだ」
「あら、あら。まあまあ。…うふふ、いいひとなのね?」
おわり
約三か月の毎日投稿にお付き合いいただきましてありがとうございました!
本作は以上を持ちまして本編完結といたします。
ブシロードノベル様より8/7発売の第一巻では多数の追加エピソードと、web版とは異なる展開でお待ちしております!




