否哉(いやや)とチョコドーム(中編)
◇◇◇◇
そしてアタシたちは数時間、他愛のないおしゃべりに興じたの。
アタシはこのお店の雰囲気は好き。
静かで、落ち着きがあって、たまに来る人間のお客も黙ってお酒を飲んで帰るだけ。
『今日のカクテルを頼む』と『お勘定』の二言だけで帰ってしまうお客さんもいたわ。
「ここって、”あやかし”向けじゃなくて、人間向けなんですね」
何人かの客層を眺めた後、珠子ちゃんはそう口を開いた。
「”あやかし”向けの曜日もあるけどね。ここは八王子より都心に近いし、アタシたちは人間の負の感情も糧にしているからねぇ」
怨みや妬み、怒りや悲しみ、恐怖と驚愕、そんな感情をエネルギーにしている”あやかし”は多い。
いや、むしろ、そっち寄りの方が多いかしら。
『酒処 七王子』の客層とはちょっと違うのよね。
「そう言えば、最近の人間は珠子さんみたいにあたし達の姿を見ても驚きませんよね」
「うーん、傷痕が痛々しい方はちょっとビックリしますけど、女装ダンディレベルでは普通の人でも驚きもしないと思います。むしろハァハァするかも? ”尊い”って言っちゃうかも?」
ハァハァはわかるけど、尊いってなによ……
「負の感情を糧にしているママにとっては、生命の活力である性欲とか、尊ぶ気持ちとかは逆効果になっちゃいますね」
「うーん、尊いは敬っているわけじゃないかもしれませんが……」
語尾を濁しながら珠子ちゃんは言う。
「やっぱり、最近流行っているLGBTとやらの影響かしらねぇ」
LGBTとはLesbian(女性同性愛者)、Gay(男性同性愛者)、Bisexual(両性愛者)、|Transgender(性別越境者)の頭文字を取った略称のこと。
最近の人間の間で話題になる性のマイノリティを示した言葉。
「ああ、渋谷区が同性パートナーシップ証明書を発行し始めたりしていますから」
「アタシ、あれって嫌いなのよねぇ」
「どうしてですか?」
「だって『あたしは女が好き!』とか、『俺は男が好きだ!』とか、『男も女も大好き!』とか、『ちん〇んはあるけど! ないけど! こーゆうのが好き!』という感情なんて、前向きで幸せになりたいと努力していて、嫌いだわぁ」
そうね、”好き!”とか”幸福のために主張する!”とかは、負の感情が好きな”あやかし”の好きな感情じゃないわ。
「えー、じゃあ、前向きに努力しているあたしも否哉ママに好かれていないって事ですか?」
「うふふ、少なくとも”おいしそう”ではないわねぇ」
ちょっと意地悪っぽくおどけた顔でクスクスと笑いながらママが言う。
「あー、そういう意味ですか」
それに釣られて珠子ちゃんもアタシも笑い、口裂け女ちゃんもマスクの下から笑い声をこぼした。
「でもなんで、最近LGBTが流行っているのかしら。昔はあんまりいなかったですよね、ママ」
「アタシを古株のように言わないでよぉ。ま、この中では一番年季は入っているけど。確かに、昔はあまり居なかったわねぇ。珠子ちゃん、何か原因に心あたりなーい?」
江戸時代からの古参のママが珠子ちゃんに問いかける。
「そうですね。これは完全にあたしの個人的な考察なんですけど……」
「うんうん、それでそれで」
「人類の叡智が人間を勝利に導いたからじゃないのでしょうか」
うーん、意味がわからないわ。
この娘はたまに思考が跳躍するのよね。
橙依ちゃんもそう言ってたわ。
「ちょっと珠子ちゃん、わけがわからないわ。もう少し詳しく説明してくれる」
「はい、藍ちゃんさん。友人のアスカから聞いた事なのですけど、人間には3つの優先思考があるって話です」
「その3つって?」
「それはですね、『個人の幸福』、『一族の興隆』、『種族の繁栄』で、優先順は違えども、これに従って人間は行動するって事です。あれ? 知的生命体は、だったかな?」
指を3本並べ、ちょっと首をかしげながら珠子ちゃんが言う。
「それで、今までは『個人の幸福』よりも『一族の興隆』や『種族の繁栄』の方が優先順が上だったけれども、人類が50億人を超え、60億人を超えた現在では『個人の幸福』が第一となって、LGBTの人たちの主張に共感する人が増えて来たのではないかと」
ママと口裂け女ちゃんはまだ少し首をかしげているけど、その説明でアタシはピンと来たわ。
「なるほどね、『一族の興隆』や『種族の繁栄』といった個体数の増加はそれが好きな人に任せて個人の好みを追求する人が増えて、それが認められつつあるってことね」
「そうです。もし、人類の数が100人しかいなかったら、個人の性的嗜好なんて無視されて、子孫繁栄に精を出すことになってしまうでしょうね」
珠子ちゃんの言う通り、LGBTが認められてきている原因は人類の個体数が増えたからかもしれないわね。
そして、それなら、珠子ちゃんも人間としての子孫繁栄じゃなくて、”あやかし”との恋に乗り気になっちゃうかも。
きやっ! 心が躍るわ!
「まあやだ、珠子ちゃんたら”精を出す”なんて直接的ぃ!」
「噂通りの知的ムッツリエロ人間ね。決め台詞は”げへへ”でしたっけ?」
珠子ちゃんの説明の最後の言葉しか理解しなかったふたりが厭らしく笑いながら言った。
「ちっがぁーう!!」
そして、珠子ちゃんは顔を真っ赤にして可愛く叫んだの。
◇◇◇◇
「うふふ、ごめんなさいね。ちょっと茶化しちゃってぇ」
「珠子ちゃんてば、お顔がクルクル変わって、可愛らしいんですもの」
その後、必死にLGBTの台頭についての説明を続けた珠子ちゃんに、否哉ママと口裂け女ちゃんがウフフと笑いかけた。
「はぁはぁ、やっと理解して頂けましたか」
珠子ちゃんは肩を大きく上下に動かしながら、疲れたように椅子に座る。
「お詫びにこのお店の看板メニューをご馳走しますわぁ」
「午後のスイーツタイムのメニューなんだけど、結構、人間の方に人気なんですよ」
そう言って、口裂け女ちゃんがカウンターの下から一枚のプレートを取り出した。
「あー、これチョコドームだー!」
皿に盛られていたのはチョコレートの玉。
その周辺には色とりどりの花びらが散らされていた。
「珠子ちゃん、チョコドームって何かしら?」
「中が空洞になったチョコレートの玉ですよ! 藍ちゃんさん! あの中には何が入っているのかなー? お楽しみですよねー!」
なるほど、橙依ちゃんがたまに買ってくるおもちゃが入ったチョコエッグのようなものね。
『……おもちゃじゃない、コレクターグッズ』
なんて橙依ちゃんは言っていたけど、アタシには違いはわからなかったのよね。
チーン
電子レンジが音を立て、口裂け女ちゃんがその中から紅茶などにミルクを注ぐ壺、ミルクピッチャーを持ってくる。
「はい、真っ赤なベリーのソースよ。かける?」
「かけます! かけます! かけさせてぇー!」
ぴょんぴょんと椅子の上で跳ねながら、珠子ちゃんがおねだりをする。
「はい、どーぞ」
「ありがとうございます! それではトロトローっと」
湯気の立つベリーのソースがチョコドームの上から注がれて……
素敵なバラの花が現れた!
「なにこれー! すてきすてきー!」
アタシもちょっと興奮して椅子の上でぴょんぴょんしちゃう。
だって、ソースの熱で溶けたチョコドームの中から綺麗なお花が現れちゃったんだもの。
薄黄色と薄赤色の素敵な花弁。
少し形が崩れているのは、きっとあれがアイスのバラだからね。
「……これって、ひょっとしてババヘラですか?」
ババヘラ? バラじゃないの?
「あらまっ!? よく知っているわねぇ、ご存知の通りババヘラよ、ババベラとも言うわねぇ。アタシは昔、秋田でババベラをやってたのよ。うふふ、渡す時の人間の顔ったらビックリした表情でおいしかったわぁ」
「あはは、ジジヘラですからね」
「ちょっと珠子ちゃん、そのババヘラとかジジヘラとかって何よー? ふたりだけで会話してないで、アタシにも教えなさいよ」
ちょっと仲間外れにされたみたいで悲しいわ。
「それじゃぁ、一緒に食べながら話しましょ。ババヘラは秋田の露天アイスクリーム販売の事です。婆がヘラを使ってアイスを盛るから”ババヘラ”。特徴はヘラでアイスを花細工のように盛る所ですね」
少し残ったチョコレートの玉の残骸に半分溶けたアイスのバラを載せ、アーンと大きな口を開けて子供っぽく珠子ちゃんはそれを口に運ぶ。
アタシも頂いちゃおっと。
ひとつの皿をふたりで分け合うなんて、ちょーエモいわね。
キュンキュンしちゃう。
「すっ……」
「酸っっぱー!!」
アタシたちは同時に大声を上げた。
「あははっ、ひっかかった、ひっかかった! どう、ママ特製のアイスは? サプライズな味でしょ」
口裂け女ちゃんが手を叩きながら言う。
「アイスはババベラのバナナとイチゴ味と見せかけてぇ、赤紫蘇抜きの白梅干と普通の赤梅干の汁から作ったプラムアイスなのよぉ」
なるほど、ちょっと酸っぱいけど親しみのある味だと思ったら梅の味だったのね。
「それだけではありませんね。この酸味のある赤いソースはフサスグリの赤ですね。赤スグリのソースというわけですか、確かにベリー系ではありますけど」
「あらまっ、流石ねぇ。その通り房酸塊の赤よぉ。漢字の通り、酸っぱいのよ」
「チョコが無ければ即死でした。ほんとサプライズですね」
びっくりしたわぁ、もう。
アタシたちは見た目とのギャップがある否哉ママの姿には全然驚かなかったけど、このチョコドームにはビックリしちゃった。
「なるほど、周りの食用花はパンジーですか。食べてビックリ! 泣き女ともかけてあるんですね。いやぁー、おみそれしました。これじゃあ、マウントなんて取れっこ無かったですね」
「あら、気づいてくれたのねぇ、嬉しいわぁ。そうよ西洋のあやかし”パンシー”ともかけてあるのよ」
「パンジーは入手しやすくて、色の種類も多様って便利さもありますけどね」
赤、青、黄、皿に散らされた色とりどりの花びら。
それらは全て同じバンジーの花だったのね。
「でも、このスイーツにはちょっと不満があるの」
「わかります。ママさんの素敵なババヘラアイスが崩れてしまう所ですね」
「そうそう、何とかならないかしら」
言われてみれば、あの素敵なアイスの花の形が温かいソースで壊れちゃうのはよくないわね。
ううん、アタシ的には壊れちゃうのはいいんだけど、それが見れないのが残念。
「よしっ! ちょっと工夫してみましょう! ベリーのソースじゃなくて、フランベにしてみましょう! おかわりはありますか?」
「うふふ、まだまだあるわよ。というか、今、作っていると・こ・ろ」
口裂け女ちゃんが茶色いプラスチックのボールをクルクルと回転させながら言う。
中には溶けたチョコレートが入っていて、ボールの壁面で少しずつ固まっていく。
そのプラスチックがパカッと開いて、チョコレートの玉が出て来たの。
へー、ああやって作るのね。
「こっちも出来るわよぉ」
否哉ママは薄いヘラでアイスを削り出している。
そのひとつひとつが花弁となってバラを形作っていくわ。
「こっちも準備できました! と言っても、あたしはミルクピッチャーにブランデーを入れて、ラップしてレンチンしただけですけど」
いつの間にかカウンター内に入っていった珠子ちゃんが電子レンジの扉を開く。
「さて、ではチョコの玉の一部を温めた皿で溶かして穴を開けて、ババヘラアイスに被せて、パンジーを散らせば準備完了!」
カウンターの上に茶色の玉が現れる。
「では、このミルクピッチャーに入ったブランデーに火を付けて……」
ポウッ
ランプのようにミルクピッチャーから青白い炎が上がる。
「あっ、暗めの店内に映えてキレイねー」
ゆらゆらと揺れる炎がアタシたちの顔をムードたっぷりに照らす。
「それでは、フランベといきましょう! 普通はブランデーを注いだ後に火を付けるのですが、今回はアイスが溶けないように火を付けて注ぐタイプにしてみました!」
そう言って、珠子ちゃんがピッチャーを傾けると、炎が水となってお皿に零れ落ちた。
「あらぁ、これは綺麗ねー」
「ホント、ソースと違って色が薄い分、ママのババヘラが綺麗に現れるわ」
ふたりの言う通り、このフランベでのチョコの溶け方はゆっくりだったわ。
蓮の花が開くように、チョコが溶けていって、中からバラの花が見えるようになったの。
だけど……
「うーん、これでもババヘラが崩れちゃいますね」
花が見えたのは一瞬。
それは、炎の中に瞬く間に消えて、塊となる。
「儚いわねぇ、それもいいけど」
「うーん、透明なチョコでもあればいいんだけどねぇ」
「ママ、そんな物は幻想の世界にもありませんよ」
否哉ママの無い物ねだりに口裂け女ちゃんがツッコミを入れる。
「それです! 透明なチョコ! あたしちょっとそこのコンビニで買ってきますね!」
そう言うと、珠子ちゃんはダッシュで店の外に出て行った。
「ねぇ、この近所のコンビニには異世界コンビニでもあるのかしら?」
「どんどん・キホーテっていう愉快な騎士のお店ならあるわよ」
そう言って、口裂け女ちゃんはマスクの横からもわかるくらいにニッコリ笑った。




