END
ホズが長い記憶の夢から目が覚めると、視界に広がるのは黒一色だった。左右に首を振り見渡してみたが、変わらぬ闇が辺りを覆うだけだった。
ゆっくりと両手に力をこめて、上体を起こしていく。ずっと這いつくばっていた体は生まれたての小鹿がはじめて立ち上がる時のように震えている。
その震えは感情の高ぶりでもあった。それは肉体的な痛みよりも勝る。
何がおかしいのか、ホズは噴き出した。すると止まらなくなったようで、今度は声をあげた。さらにおかしくなってきて、息が続かなくなるまで笑い続けた。
せっかく起こしかけた上体は、笑い転げて無残にも地に落ちる。
息を切らしながら、何とか顔だけをあげた。
「なんだよ……どうしてだよ……」
唇を固く閉じ、目を閉じると涙が絞られて頬を伝った。
ロキが残した記憶はホズに真実を映した。
死ぬ前に直した目はどうやら機能しているようだったが、暗く荒廃した世界が映るばかりで見えているのか、見えてないのかを疑うほどであった。
「ずるいよ、ロキは……君だけオーディンと眠るなんて。ぼくにこの世界を押しつけて……」
恨み言を言いながら何もない世界を歩き進んでいくと、光り輝く物体を目にした。それを目印に進んでいくと、壊れた瓦礫の中心に椅子があった。そこに腰掛けて、こちらを見遣るものがいた。
「……バルドル」
「なんという、呪いだ……ナンナも、王も……母も、民衆もいない世界にどうして俺とお前だけがいるんだ」
「どうしたの、よく喋るじゃないか死ぬ前より」
フリズスキャルヴに座り、世界を見渡していたバルドルはこの世の崩壊を知り、ロキの記憶を見た。
ホズは口を開いた。
「壊れた世界には王がいる……世界を再生しなければならない……君がやるんだ、バルドル。オーディン無き今、それができるのは光の神のきみだけだ」
「ホズ、お前は俺を許すのか」
「なんだよ、それじゃあまるでお前が悪いことをしたみたいじゃないか」
「違わないだろう?」
「ラグナロクの影響で狂ってたんだ。世界を輝かせる存在と予言されてるお前を残すことがラグナロクを回避すると思ってたんだろう……」
ホズは彼のもとに近寄り、ひじ掛けに置かれた彼の手を取ると己の額に寄せ、静かに目を瞑って囁いた。
「お前に足りないのは、生き物らしい感情だ。ぼくはロキのおかげでそれを持っている。お前にあげるよ」
「それではお前が死ぬ……きっとロキの本意ではないのではないか」
「ぼくだって彼の思いどおりに踊るのは癪だ……そして、少し疲れたってのが本音かな。仲良くお前とやっていくのも無理だと思う」
「……すべて俺に押し付けて眠る気か?」
「そうだよ」
「ずるいな」
「あはは」
おかしくなって二人で笑いあった。それが兄弟で交わした言葉の中で初めての笑い声であった。ホズの感情をバルドルと共有しだした影響か……もしくは、バルドル自身にそういう感情が芽生えたのか、真実は誰にも分らない。
ホズの肉体が光り出し、輪郭が朧げになっていく。暖かい光であった。その中でホズは幸福な気持ちであった。
「バルドル、君がこの国を治めていつか君の肉体が朽ちるまで」
粒子がバルドルに吸収されていく。
「そうしたら、ナンナのところに一緒に行こうか。ロキも、オーディンも、母さんも……皆いるところに一緒に行こう」
「弟とは、我儘な存在だったのだな……」
「そのくらいの我儘許してよ。今までさんざん迷惑かけたのはそっちだろ」
「ああ、悪かった」
最後まで悪態をついていた弟だった光を全て吸収し、バルドルは己の胸に手を当てる。少し暖かいような気がしたのは気のせいではなかったはずだ。玉座に座ったまま宙を仰ぎ見て彼はひとりごちた。
「国は任せて、ゆっくり眠れ。新たな国の再生、そして……俺の役目が終わるその日まで」
バルドルは静かに立ち上がった。世界の創造をするために。
二度とラグラロクが起こらない、楽園を作り上げるために。
FIN




