3
ラグナロク、それは世界の終わりの予言であった。
いつの日からか、その言葉が囁かれるようになった。初めは宙に浮いたような話で誰一人恐れる事などなかった。避けられない事であると最初に気が付いたのはロキだった。神々の動きが、選択がラグナロクへの道を静かに辿っていたのだ。ロキがそれに気が付いたときにはもう戻れないところに来ていたのだ。
「どうしようもないのか……」
頭を抱える彼に髪の長い妖艶な女が静かに寄り添うように浮遊している。ロキと三人の子を作った巨人族の女だ。名をアングルボダといった。
「神々は傲慢だったのよ」
すでに霊魂となっている彼女は生前よりも力を増しており予言の力も高まっていた。
「最近、僕を見るオーディンの眼も厳しいんだ。昔は兄弟のようにいろんなところを旅してまわったものなのに」
「あの耄碌じじいも視てるのね。未来を、やがて破滅する世界を……それをするのはね、ロキ。貴方しかいないの」
彼女に促されるまでもなく、ロキは自分が終止符を打たねばならないことを知っていた。取り返しのつかないところまで崩壊は進んでいるのだ。かつて神々が木より造った人間は悪に染まり、戦争を繰り返していた。
きっとオーディンは気がついている。彼の立場では終わらせる事はできない。守り戦うしかできないのだ。
天と地を割く大きな木、ユグドラシルが中心にあり、その周りに世界が存在した。木を三人の女神が毎日根に水を遣り世話をしていた。木を枯らすことはすなわち世界の終わりを意味する。その木の根に異変が起きていたのだ。一部が変色し、腐りはじめていたのだ。この事実を知るのはオーディンと一部の予言者、そしてその腐敗を目の当たりにしたロキだった。その原因は神々や人間たちの戦により流れた血であった。ユグドラシルが死を迎える前に、何とかしなければいけなかった。
「腐敗したものは一度終わらせないとどうしようもないの」
「アングルボダ……」
「大丈夫よ、貴方の魂は私がついているわ……世界が終わってあなたの身体が滅んで、私の魂が壊れてしまったら……混沌の中であなたと一つになるの。寂しくなんてないわ」
「それはそれで魅力的だね。そうか……オーディンも一緒に、大好きだったこの世界も全部一緒にまじりあうなら悪くないかもしれない」
「ひどい人ね。私よりも、子供達よりも、正妻よりも、オーディンの方が大事なのね……嫌いよ、オーディンが好きな貴方なんて」
「君は新しい世界で再生して欲しい。……オーディンは僕が一緒に連れて行くから」
「浮気者なんてこちらが願いさげよ……さよなら、ロキ……ラグナロクで逢いましょう」
「さよならアングルボダ、安らかに眠ってくれ……」
アングルボダの霊魂が消えていく。静かに見届けてロキは瞼をゆっくり閉じた。
腹部に突き刺さった剣が意識を現実に引き戻す。
「痛いな」
引き抜こうとするがその力は残っていない。そのままよろめき、転倒した。
「……うん、僕ももうすぐそっちに行くから」
ホズ、君のところには行かない。これが僕の最後のペテンだ。
――そこで、彼の記憶は途切れていたのだった。




