38話 父親
鉄の檻よりもずっと頑強な警備が取り巻いていた。
ヴァルトたちに用意された部屋は可もなく不可もなくといった設備で、滞在するのにこれといった問題点はなかった。文句をつけるとすれば窓がないことと、常に入り口に二名以上の見張りが立っていることだろうか。
まさしく軟禁という表現がふさわしい状況といえる。
一日に三回の食事が差し出される以外には扉に鍵がかけられ、トイレにおもむく際はノックで伝えなければならない。その時も当然騎士が同伴し個室のなかまで見張られる。
もはや四六時中監視下にあるようなものだ。
いきなり地盤が緩んで床板に大きな穴が空くのでもない限り脱走は不可能。首尾よく逃げたとしても迷宮まではかなりの距離がある。騎士の追跡を振り切るのは相当に難しい。
ヴァルトは眉間に山脈のようなシワを作りながら思案していた。
どうすればシラルを魔女の手から救い出せるだろうか。そればかりがグルグルと渦を巻いて脳を支配していた。
「……史上最凶の極悪人みたいな顔してるよ。すこし休んだらどうだい」
ジョスランがやって来て、ヴァルトの隣に座った。
ちなみにカリアはひとりだけ別室をあてがわれている。娘のレイラと一緒にいるのだと聞かされた。人質も一緒に監視してしまおうという目論見だろう。
「おれたちがこうしている間にもシラルは怯えてるんだ。考えるだけならいくらでもやってやるさ」
「あんまり頭を使いすぎると肝心なときにお腹が減って動けなくなるよ。もうちょっと気楽にならなきゃ」
反対側にドニも座り込んだ。
「こうしていると秘密基地を思い出すねえ」
広い部屋のなか三人で寄りそっている。故郷の村にあった大木のうろに隠れて本を読みあさっていた頃のように。
秘密基地では色々な妄想が浮かんだものだ。
色鮮やかな絵本や筆致を尽くした描写が作り出す景色はとても楽しげで、決して同い年の少女が生贄に捧げられるような生臭いものではなかった。
ムダラでの成り上がりや、魔鉱石によって支えられた夜闇を照らす街灯の光。
それらがすべて幻想だったなんていまでも信じられない。
「俺の父さんの部屋だったらいくらでも出入りできたのに。窓も隠し扉もないんじゃすり抜けられないよ」
ジョスランがため息をついた。
蔵書を借りるために空き部屋をあさった経験はある。しかし村には目を光らせている騎士もいなければ、命の心配をすることもなかった。難易度がまるで違う。
「いくらヴァルトでも名案が思いつかないのは仕方ないさ」
「作戦ならあるんだ。部屋から逃げ出すだけならなんとかなる」
「本当かい? なら話は早い。なにを迷っているんだ」
「そうだよ。早くここからとんずらしてシラルを助けに行こうよ」
ジョスランとドニがいたずらを心待ちにする少年のように瞳を輝かせた。対照的に暗い表情のままヴァルトは問題点を挙げつらねる。
「武器と防具を取り返さなきゃ。それにカリアさんも合流しないと。おれたちと別々に監禁してるってことは、お互いに人質になってるという脅迫なんだよ。このまま逃げたらカリアさんだけじゃなく、レイラさんとナターシャさんも危ない」
「全員助けることなんてできるの?」
「まず無理だよ。国王がやって来てシラルを迷宮に送るのを取り止めにしてくれない限り」
「まいったねえ……」
「せめて建物の間取りだけでもわかるといいのに」
いかんせん窓のない部屋である。得られる情報は限りなく少ない。
外で見張りの待ち構えている扉の向こうには何があるのだろう。透視できないかと見つめていたら、不意にノブが回った。
白い鎧をまとった騎士の男だった。騎士は淡々と告げた。
「お前たちに会いたいという方がいる。ついてこい」
「誰だい、そんな酔狂な人は」
ジョスランが質問すると、騎士は事務的な口調で答えた。
「ティトルーズ様だ」
少年三人組は驚いて顔を見合わせた。
ティトルーズといえばシラルの本名だ。その当主はつまりシラルの父親ということになる。
娘を迷宮へと送りやった張本人がいったい何の用だろうか。かすかに浮かぶ不安を抱えながら騎士についていく。途中の道のりから間取りや警備の状況を確認するのも忘れない。館内は思ったよりも人数が少ないようだった。
逃げ出すチャンスがあるかもしれない。しかしそんな観察が杞憂に終わるとは、考えてもいなかった。
シラルと最後に面会した部屋で待っていたのは初老の男性だった。
国内最大の権力をほこる貴族の当主というよりも、騎士団の教官というほうが似合う風貌をしている。無駄のない均整のとれた体つきと真っ直ぐな背筋は、かつてそれなりの訓練を積んでいた証拠だ。
ティトルーズはヴァルトたちの姿を見ても表情を変えなかった。
かたく結んだ口元が動き、人払いする。頭の奥に響いてきそうな声だ。
「ルゼールが――娘が世話になったそうだな」
部外者が誰もいなくなったところでティトルーズは話を切り出した。
シラルと同じ流れるような金髪が目についた。なんとなく喋り方が似ている。父娘なのだと実感させられる。
「僕らにとってはシラルだよ」
ドニがぶしつけに言い返した。
ウルフィアスがいたならひと睨みくれそうな口の利き方だが、ティトルーズは強面をほんの少しばかり緩めた。歳相応のシワが浮かび上がる。顔全体に深く刻まれているように見えた。
「そうか、シラルか。絵本の主人公と同じ名前だ」
思い出を懐かしむように視線をそらす。
「妻がよく絵本を読み聞かせてやっていた。ルゼールが一番好きだった絵本に出てくる少年がシラルという名前だった」
「どんな物語だったんですか」
絵本と聞いて好奇心を抑えられなくなったヴァルトが反応した。
「羊飼いの少年が旅に出る。大海原に眠っているという秘宝を探すための旅だ。その途中で仲間に出会い、様々な苦難をともに乗り越えていく――そんな話だった。絵本にしてはいささか長かったが、ルゼールはいつもその本をねだった。飽きてしまうこともなく何度も」
「いいお母さんだね」
ジョスランが皮肉を込めていった。
どれだけ過去を回想しようとシラルを生贄に捧げるという残酷な運命を課したのはティトルーズだ。許すことはできなかった。
「いい母だった。死んだのは三年前だ。死の間際でも娘のことを心配していた――私には娘が二人いた。ひとりは、もう、この世にはいないが」
「迷宮に捧げたのかい」
「そうだ。ちょうど君たちの村を襲ったのと同時期だ。ルゼールはまだほんの赤ん坊だった。姉と遊ぶこともなく、迷宮に行かせてしまった」
「あんたはそれでも父親なのかい。自分の子どもを平気で見殺しにするなんて正気の沙汰じゃない」
「私が……平気なように見えるか。娘を、大切な家族を魔女に捧げなければならないのに」
「ああ。平然としているね」
ジョスランは執拗なまでにティトルーズを追い詰めていく。
自分の母親を連れて行かれたのと同じくらいシラルを残酷な運命の囚人にしておいたことに怒っていた。こんなに激昂したジョスランを見るのは初めてだった。
「情けないことだが……私は生涯でたったの二人しか子どもを持つことができなかった。ひとりはすでに会えないところへ去ってしまい、もうひとりは迷宮のなかだ」
名門貴族ともなれば正妻のほかに側室が何人もいて跡取りを絶やさぬよう細心の注意を払う。血を引いた男児が生まれなければ養子を迎えることもあるが、魔女にその血を捧げるティトルーズには許されない選択肢だ。
毅然とした態度で語る男の家族はもうシラルしかいない。
言外にそう打ち明けていた。
「君たちにこんなことを頼むのは虫がよすぎるとわかっている。謝罪こそすれ、助けてくれなどという資格が無いのもわかっている。それでもどうか――」ティトルーズは膝をつき、頭を下げた。「どうか娘を助けてやって欲しい」
「本当に都合のいい話だね。自分で迷宮に送っておきながら、助けて欲しいなんて」
「ちょっと待ってよジョスラン。詳しく聞いてみよう」
ヴァルトはしゃがみこみ、手をついて頼みこむティトルーズと目線を合わせた。
「おれたちもシラルを助けられるなら協力したい。でもティトルーズ家の役割は迷宮に生贄を捧げることで、それができなければ国が滅んでしまう。どうするつもりですか」
「魔女を」
ティトルーズは振り絞るような声で言った。
「最深部にいる魔女を倒す。それしか方法はない」
重たい沈黙が降りてきて、部屋を満たした。
誰も口を開こうとしなかった。というよりも何を話せばいいのかわからなかった。
魔女のもとにたどり着けば願いが叶うという。多くの冒険者が甘い嘘に乗せられて最深部を目指した。そして、全員が死んだ。魔女の養分となって迷宮の壁に吸収された。
かつての国王にそそのかされ迷宮の主となった魔女を打ち倒す。そんなことを考えた冒険者がいままでいただろうか。
ましてや国内一の貴族が魔女の討伐を目論むということは、国王に反旗を翻すにほかならない。
「倒すって……成功する要因があるのかい。シラルだけを助け出せばいいことだろう」
「魔女との契約に背けば、この国そのものが大迷宮となって飲み込まれる。古来よりの約束だ」
ティトルーズは説明した。迷宮を封鎖し、ゆるやかに魔女が死ぬのを待つことができなかったのはそのためだという。
「だからって十階層の奥にたどり着くのは不可能だよ。ウルフィアス隊長でさえ六階層が限界なのに」
「彼は魔女の恩寵を受けている。この世で唯一、迷宮を自由に動き回ることができる男だ」
「どうして?」
「生贄を魔女のもとまで送り届けるために。ティトルーズの息女を連れて行くことができるのはウルフィアスしかいない――同時に魔女と面会できるのも彼だけだ。史上最強の名声は実力だけでなく、魔女から授かった力のおかげだ」
「魔女の手先ってことだね」
ドニが鼻の穴をふくらませていきり立った。
敵であるはずの魔女から力を授かり、人間を死地に運ぶ。まるで使い魔のように。
「ウルフィアスを説得してほしい。それが君たちに頼みたいことだ」
「説得? 味方にするってことかい。あの極悪非道な人間を」
「彼は誰よりも慈愛に満ちた男だ。魔女との契約を終わらせ、国を変えることができると伝えれば絶対に手を貸してくれる」
「でも、魔鉱石がなくなったら……」
国は魔鉱石のエネルギーを利用することで強大な権力を誇っている。鉱山となる迷宮を失えば生活が根底から崩壊することになってしまう。
国がなくなればいったいどれほどの人々が犠牲になるか計り知れない。
「魔鉱石がなくとも人間は生きていける。君たちの村の暮らしに魔鉱石はあったか? 田畑を耕し、衣服を編み、汗をかきながら住宅を建てる。この国はそんな基本的なことを忘れてしまった」
「たしかにね。魔鉱石なんてなくっても暮らせるよ」
ドニが頷いて賛成した。
「混乱は必ず起きるだろう。新たな国王が必要だ。魔鉱石に頼らない、犠牲を生まない国王が」
「それを――あなたがやるんですね」
ヴァルトはすでにティトルーズが言わんとするところを把握していた。
要はクーデターだ。魔女と国王を一度に打倒し、まったく新しい国を作る。
「本国での手はずは整っている。あとはウルフィアスを説得し、魔女を倒せばすべてがうまくいく」
「ずいぶんと準備がいいじゃないか。最初から自分が国王になるつもりだったのかい。シラルを利用して」
「せめてあの娘だけでも生き残ってくれれば、それでいいと思っていた。この国が迷宮に飲み込まれようと、どこか遠くで幸せに暮らしてくれれば本望だと。ルゼールが逃げ出すように仕向けたのも私だ。まさかムダラに戻ってくるとは思っていながったが……」
「あんたが、わざとシラルを?」
「私にとってはルゼールがなにより大切なのだ。なにを引き換えにしても惜しくない」
毅然とした口調でティトルーズは説いた。
シラルは自分の運命を嫌って逃げ出したのだと思っていた。誰だって待ち受けているものが死だと悟れば、甘んじて身を委ねることはしたくない。
だが思い違いだった。
シラルは親心によって過酷な運命から解き放たれようとしていたのだ。それを引き戻したのは間違いなくヴァルトたちだ。
「ヤウスから報告を聞いたときは驚いた。だがおかげで秘密裏に準備を進めることができた。ムダラにいる以上、いつ正体が露見するともわからないからな」
「ヤウスさんが?」
へそ曲がりだが有能な防具職人の名をくり返す。不思議そうな顔をする少年たちにティトルーズは種明かしをした。
「ティトルーズ家の人間は一定の期間、迷宮で戦闘訓練を積む。その際に防具を提供してもらっている関係で昔から懇意にしていたのだ。ルーゼルとも顔見知りだったろう」
思い返せば初対面ではないような素振りを見せていた。
ヤウスだけはシラルの正体を見抜いていた。無茶とも思える試練を課したのも、シラルのパートナーとして相応しいかどうかを見極めるためだったのだろう。
「本国にいる第一騎士団はすでに味方につけている。あとは第二騎士団とウルフィアスさえ納得してくれれば戦力的にも問題はない」
「けど……魔女はそう簡単に倒せるものじゃない。クーデターが成功しても肝心の迷宮が退治できないなら無意味だ」
「だからこそウルフィアスと君たちの力が要る」
真剣な瞳でティトルーズは少年たちを見つめた。
「生贄として捧げられた者の親族が迷宮に入ると、ときおり不可解な現象が起きるという報告がある。たとえば君たちの武器のように」
ないはずのホルスターに手をやっていた。
三人とも常識はずれな武器を得ている。それがもし、魔女の意志ではなく、他者の差し出した救いの手だとしたら。
「これは私の仮説でしかないが――たとえ迷宮に取り込まれても、なんらかの形で女性たちの意識は残っているのではないだろうか。息子である君たちを哀れんでその武器を与えたのではないかね」
「……母さんが」
「ムダラのはるか遠方から人柱を集めるのは話題になるのを避けるためという以上に、その親族が迷宮に来ないようにする意味合いが強い。不確定要素はなるべく排除したい、というのが国王の思惑だ」
「僕たちなら魔女の鼻を明かせるかもしれないってことだね」
ドニはすでに答えを決めているようだった。
それがシラルを、ひいては国を救うことになるのなら、迷うことはない。
「わかった。やるよ」
ヴァルトは決然と言った。
「それじゃ早速ウルフィアス隊長のところへ行かないとね。彼はどこにいるんだい」
「迷宮だ」とティトルーズは言った。「すでに儀式は始まろうとしている」
「なんだって?」
予定ではあと一日あるはずだ。
「迷宮はもはや魔女そのものだ。その奥深くまで行くには慎重を期さなければならない。すでにウルフィアスとルーゼルは十階層に向かっている」
時間がない。
ヴァルトたちは武器と防具をすべて返却してもらい、迷宮に急いだ。騎士団もティトルーズの命令には背くことができず不審がりながらも反抗はしなかった。
ムダラの中心部に再び戻り、ウルフィアスの居場所を訊く。
四階層の奥にいるという。完全に未知の領域だった。




