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36話 正体

 迷宮の一階層だというのに冒険者の姿はまったく見当たらなかった。カフカの宿は迷宮の入り口からほど近い場所にある。普段ならば経験の浅い冒険者がたむろしているはずだが、奇妙なくらい静まり返っていた。


 床に埋めこまれたランプだけが何事もなかったように灯っている。


 その明かりは魔鉱石から生み出されたものだ。


 全国から人生の一発逆転を夢見て集まった冒険者の亡骸が照らしているのだと思うと、複雑な気分になる。


 ヴァルトたちは慎重に周囲を警戒しつつ、地上につながる階段を目指していた。


「まず間違いなく騎士団の警備が張りついているだろうな。だが連中は俺たちが迷宮から出てくるとは夢にも思っていないはずだ。背後から襲えば勝機はある」


「チャンスは一度きり。そういうことだね」


「迷宮を出たらあとは全力でムダラを去る。お前たちは村に帰れ」


「カリアさんは?」


「レイラを助けだしてからだ。家族をおいては行けない」


 騎士団にとらわれている娘の名を口にする。


「人間を平気な顔でエネルギーにできる連中のことだ。人質なんて黒魔鉱石ほどにも考えちゃいない」


「おれたちも手伝います。ナターシャさんを助けなきゃ」


「だめだ」


 カリアはきっぱりと断った。ヴァルトが反論する間もなく言葉を続ける。


「お前たちの武器は迷宮のなかでのみ使えるようになる。地上じゃただの子どもだ」


 ジョスランとドニが巨大ショグと戦ったときに獲得した持ち物は、迷宮に入ると巨大化する。ヴァルトの銃も魔鉱石を装填することで圧倒的な破壊力を備える。


 初心者としては破格の装備品だ。


 だが裏を返せば、迷宮の外ではただの荷物でしかないということ。


「特訓して強くなりました。カリアさんの足手まといにはならない」


「バカ言ってんじゃねえ。数週間で騎士団に勝てると思ってんのか。だいたいお前たちに教えたのは迷宮での戦闘であって、対人用じゃねえ。やつらは対人の訓練もいやというほど積んでいるぞ」


 一分の隙もない正論だった。


 騎士団の仕事はムダラの荒くれ者たちを武力で押さえつけること。国内最強と謳われる戦力を敵に回して勝てるはずがない。


 それはカリアにとっても同じはずだ。限りなく薄い希望のために特攻しようとしているのだと、言葉にしなくとも理解できた。


 だが目論見は真紅の鎧に身を包んだ男によってあっけなく砕け散った。


 騎士団第二部隊長、ウルフィアス。


 最強の呼び声を誇る部隊のなかでも、群を抜いた実力で隊長の座を勝ち取った騎士。その伝説的な男がムダラの入り口で警備にあたっていた。


「どうしてアイツがこんなところに……」


 カリアが歯ぎしりして悔しがる。


 これならまだカフカの宿の包囲を突破するほうが容易であったかもしれない。ウルフィアスと直接刃を交えれば、そこに待ち受けているのは確実な死だ。


 山賊の頭領をまるで赤子の手でもひねるみたいに完封した光景がヴァルトの脳裏をかすめた。


 卓越した剣技だけではない。自由自在に魔法をも操ってみせる。そのふたつを相手にして、果たして一人でも生き延びることができるだろうか。


「おとり――は無駄だろうね。存在を気取られた瞬間に殺されそうだ」


 ジョスランはやれやれとため息をついた。


 赤い悪魔の二つ名をもつウルフィアスは、長い階段をのぼった先にいる。赤い鎧がひときわ目立つので遠くからでも気付くことができた。透明にでもなれない限り、階段の途中で魔法に射抜かれるのがいいところだろう。


「ならどうする。カフカの宿に引き返すか」


「教授が穴を塞いでいるよ。それにロープを上がっている途中で見つかったらどうしようもない」


 どこにも逃げ道はない。


 そう思われたとき、ヴァルトが重たい沈黙を破った。


「迷宮の最深部に行こう」


「死ぬ気か?」


 シラルが鋭い視線で反駁する。少年は大真面目な表情で頷いてみせた。


「そこへ辿り着けば願いが叶う。レイラさんもナターシャさんも、誰一人犠牲にすることなく助けられる」


「伝説のようにはいかない。絶世の美女なんていないし、願い事を叶えてもくれない。待っているのは限りなく絶望的な戦いだけだ。まだウルフィアスと戦うほうが勝率は高い」


「悪くないね。僕はヴァルトに賛成」


「ドニ! 君たちはギュドンにさえ半死の戦いを挑まなきゃいけない実力なんだ。ましてや十階層なんて……」


 シラルの言葉が終わらないうちにカリアが剣を一閃した。


 通常のショグをはるかに凌駕するサイズの魔物が真っ二つになっている。いつか見た巨大ショグと同じくらいの体長だった。


「迷宮の機嫌がよくないらしいな。どんな魔物が来るかわかったもんじゃねえ」


「すぐに離れたほうがいい。見張りがすぐに来る――」


 シラルが身を翻すと、前方に信じられない光景が広がっていた。


 廊下を埋めつくすショグの群れ。――すぐにその認識が誤りだと気付く。洪水のように迷宮を塞ぐショグは一体だけだ。


 とてつもなく巨大な一体。ショグは無数の触手をその緩慢な本体から伸ばしはじめた。


 カリアとジョスランの剣が切り落とす。落ちた触手はすぐに迷宮に吸収された。その行方を見送る暇もなく次から次へとスライム状のひもが絡め取ろうと襲ってくる。


 ショグを倒すには本体の核となる個所を破壊しなければならない。


 ヴァルトは魔道銃ではなく剣を抜いた。


 雨のごとく降り注ぐ触手に対処するには剣撃の方が効率がいい。


「くそ、どこが核だかわかりゃしねえ」


「退きましょう。騎士団とこいつを戦わせるのが一番です」


「そうするしかねえか!」


 ある程度の危険をともなう作戦だが成功すれば時間を稼げる。


 このままショグと戦い続ければいずれ存在に気付かれる。それなら先手を取るほうが有益というものだ。


「いまだ!」


 ヴァルトのかけ声で一斉に反対側へ走りだす。巨大ショグは信じられないようなスピードで追いすがってくる。廊下いっぱいに膨張した半透明の青い身体は不気味なほど静かに近づいてきた。


 振り向きざまにシラルのレイピアが数本の触手を払い落とす。


 騎士団の待ち構えている階段を横目にスルーして、そのまま駆け抜ける。


「これで後戻りはできなくなったね」


 ドニが大盾を左右に振り回しながら言った。


 迷宮にいることは知れ渡ってしまった。あとはウルフィアスとの追いかけっこ勝負だ。もちろん追いつかれれば無事ではすまないだろう。迷宮で振り切ろうにも入り口は厳重な防衛戦が張られているに違いない。


 ここに来て迷宮に冒険者がひとりもいない理由がわかった。


 騎士団が入り口を封鎖していたのだ。それだけヴァルトたちを危険視しているという証拠にほかならなかった。


 触手が耳元を掠めていく。


「ヴァルト」


 と、しんがりを走りながらジョスランは教授からもらった魔鉱石を手渡した。


「いざというときの一発だ。大事に使ってくれたまえ」


「ありがとうジョスラン」


 不意に巨大ショグの勢いが弱まり、静止した。


 次の瞬間にはまるで最初から存在していなかったように消えた。


「ウルフィアス隊長が倒したんだ」


 魔法の弓で貫いたのか、それとも核を切り裂いたのか。


 方法はわからないがこれでヴァルトをへだてる障壁はなくなった。


「想像以上に早い――これじゃすぐに追いつかれる」


 ヴァルトの顔に焦りの色が浮かんだ。そのときだった。


「警告したはずだ、少年」


 冷たい感触が喉元に突きつけられた。


 手首をひねられた次の瞬間には床に突っ伏していた。顔を上げなくともわかる。ウルフィアスが拘束しているのだ。


「どこから……」


「私はこの街の誰よりも迷宮を熟知している。ここへ逃げ込んだのが間違いだったな」


 ヴァルトは背筋が凍りつくのを感じた。


 感情のまったくこもっていない口調。この場で皆殺しにすることを厭わない。むしろそのつもりであるかのようだった。


「動くな。その場で首を飛ばす」


 宣言されなくとも手足を動かせなくなるような威圧感をウルフィアスはまとっていた。


「すぐに応援が駆けつける。お前たちはしかるのちに処分される。最低でも死だ」


「レイラには手を出すな」


「カリアとか言ったな。悪いが家族全員あの世へ送らせてもらう。向こうで幸せに暮らせ」


「てめえ……」


「それともここで迷宮の魔女に捧げてやろうか」


 ウルフィアスは床に押し倒していたヴァルトから離れた。


「ついでだ。今すぐここにいる全員を送ってやってもいい。あとで図書館司書も一緒にしてやる」


「ナターシャさんを解放しろ!」


「私に武器を向けて生き延びた人間はいない。その程度では威嚇にもならん」


 ヴァルトの構えた銃口はウルフィアスの眉間に照準を定めていた。


 装填された弾丸は一発だけ。だが引き金を絞れば、一人くらいを道連れにすることはできる。


「命は大切にしろとあれだけ警告したはずだが――愚かな決断だ。私を殺せる人間などいない。迷宮のなかではなおさらだ」


「だったら――」


 おれがやってみせる、とヴァルトが啖呵を切るよりも早くウルフィアスの姿がかき消えた。右手に鈍い痛みを感じる。と同時に握っていたはずの魔道銃がはじけ飛び、床を滑っていった。


 顔を上げると、右足を振りぬいたウルフィアスが屹立していた。


 まるで魔法だ。瞬間移動したことは疑いようもなかった。


 人ならざる力を身につけていたのだと悟っても、もはやなんの役にも立たない。


 ウルフィアスはゆっくりとした所作で真紅の双剣を鞘から抜いた。血に染まったような刀身が鈍く反射する。


「後悔と反省はあの世でするんだな」


「あ……」


 息を呑むほど無駄のない剣筋がヴァルトの首を刎ねようとしていた。


 シラルが「待て!」と一喝しなければウルフィアスの剣は寸分違うことなく命を奪っただろう。


「なんだ? 言い残すことがあったか?」


「剣を収めろ、騎士団第二部隊長ウルフィアス――」


 かたくなに外では脱ごうとしなかったフードに手をかけ、シラルは言った。


「ティルトルーズ家のロゼールが命じる。この者たちの安全をボクの身柄と引き換えに保証しろ。傷ひとつでも付けることは許さない」


「シラル……?」


 稲穂のように鮮やかな金髪があらわになる。


 まるでそれがなによりの証拠であると見せつけるように。


「ロゼール様――まさかムダラにいらしたとは」


「聞こえなかったか。剣を引け。さもなくば貴殿も国賊として討ち果たされる運命をたどることになる」


「仰せのままに」


 ウルフィアスは恭しく頭を下げた。だが剣をしまうことはない。二本の刃先がヴァルトの首もとを交差するように押さえつけている。


「まさか貴方がロゼール様でいらしたとは……驚かされました」


「その者たちはボクの命を少なからず救ってくれた恩人だ。手荒な真似をすることは断じて禁じる」


「ですが迷宮の秘密を脅かす重罪人であるのも事実。この場で処刑しても国王陛下は咎められないでしょう」


「ヴァルトに血の一滴でも流させたら、ボクは自決する」


 レイピアの先端を自分の顎の下に添える。


 軽く力を入れれば喉が貫かれ、あっけなく命は散るだろう。


 ウルフィアスはしばらく無感情なまなざしをシラルに向けていたが、やがて突きつけていた剣を引いた。


「シラル……ティルトルーズ家って……」


 ジョスランがおずおずと疑問を口にする。


 答えを聞く前に、騎士の一団が息せき切って駆け込んできた。


「説明はあとにしよう。ボクはずっと嘘をついていたんだ。ごめん」


 シラルは心底申し訳無さそうに口の端を結んだ。


「ロゼール様の命令だ。丁重に扱え。武装解除を怠るな」


 ウルフィアスの指示であっという間に丸腰にされる。


 両手に拘束のための鎖を装着され、ヴァルトたちは迷宮から連れだされた。シラルとは別の馬車に押し込まれる。どこかに護送されるようだ。


 少しして馬の歩みが止まった。


 着いたのは騎士団の詰め所である建物だった。横にはシラルもいたが、ヴァルトの知っているシラルとはまるでかけ離れた存在であるように思えた。


「儀式まであと二日ある」ウルフィアスは冷淡に宣告した。「それまで事情をお聞かせ願います」


「わかった」


「貴殿らの処遇はその後に決定しよう。ひとまずは保留だ。関係者にも余計な手出しはしない」


 それだけを伝えると姿を消した。


 ヴァルトはシラルの横顔を窺おうとしたが、なにひとつ感情は読み取れなかった。


「ティルトルーズ……」


 国内最大の貴族の名前。シラルは自らそれを名乗った。


 事態が急速に転がり始めている。ウルフィアスの言った儀式とはいったい何なのか。二日後になにがあるというのか。


 シラルはすべて知っていたのだろうか。知っていて、なお黙っていたというのか。


 ヴァルトの脳内で無数の疑問が浮かんでは破裂していく。


 何が待ち受けているにしろ、真実はすぐに明かされる。ヴァルトは大きく息を吸った。かつてなく心臓が高鳴っていた。


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