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31話 修行

 初めて見る海は、湖よりもずっと広く、果てしなかった。


 馬車から出た少年たちは思わず目を輝かせて海風にあたった。潮の香り。飽きることなく反復する波の音。すべてが未体験で、新鮮だった。


「どうだ、いいとこだろう」


 カリアが妻の手を引いて下りてくる。アンナは大きな麦わら帽をかぶっていた。


「昔、一度だけ来たことがあってな。観光客はいないし海もきれいだ。施設はちょいとすくねえが特訓するには最適だろう」


「はいーーこれなら気兼ねなく鍛えられます」


「まったくガキが好きこのんで修行するとは、ムダラも物騒な街になったもんだ」


 元からそうだが、と付け加える。


「母さんたちを見つけるために必要なことなんです。そのためなら体を鍛えることくらい、なんでもありませんよ」


「そうだったな。じゃ、まあ遠慮なくしごかせてもらうぜ。宿屋に荷物を置いたらすぐに集合だ」


「わかりました」


 カリアの指示通り、海岸を見下ろす高台にある宿に荷物をおく。持ってきたのは水着やその他修行に使えそうな一式だ。少年たちがさっそく水着に着替えようとすると、シラルが「あ!」と声を上げた。


「どうしたの?」


 半裸になったドニが訊く。シラルは視線をそらしながら答えた。


「忘れ物したみたいだ。先に行っててくれ」


「そんなこと言って逃げるつもりでしょ。嘘が下手だなあ」


「う、うるさい! とにかく後で絶対に合流するから!」


 顔を赤くして部屋をでていく。


 残された三人は不思議そうに顔を見合わせた。シラルの買ってきた水着はなぜだか、どれも上半身まで覆うタイプのものだったので、着替えると海女のような格好になった。


 白い砂の敷き詰められた海岸に行くと、パラソルの下でカリア夫妻がくつろいでいた。透き通るような青色のグラスに、南国の果実のジュースが注がれている。ドニの喉が音を立ててなった。


「遅かったな。もうひとりはどうした」


 カリアは分厚い胸板を露わにしている。歴戦の冒険者は体つきが違う。


「すぐに来るって。――ほら」


 振り返るとシラルが駆けてくるのが見えた。常に長い丈の衣服を着ているせいで手足は透き通るように白い。日頃から美白に気を使っているジョスランよりも焼けていないようだった。


「逃げたわけじゃなさそうだな。お前ら心の準備はできてるか。最初は泳ぎの訓練からはじめる。この中で泳いだことのないやつは?」


 誰も手を挙げない。カリアは丸太のような腕を組んで頷いた。


「よし。なら話は早い。淡水と海水では扱いがまるで違うが、とりあえず海に入ってみろ。水は塩辛いから飲むなよ」


 そんな調子であっという間に時間が過ぎていった。


 ヴァルトたちは湖でしか泳いだことがなかったのだが、海にもすぐに適応した。シラルはぎこちない独自の泳法を持っていた。カリアに矯正されてだいぶマシになった頃には、四肢が震えそうになるほど疲れていた。


「昼食はほどほどにしておけよ」


 ご飯という言葉にドニの表情が明るくなる。しかしすぐに笑顔は消えた。


「その後は砂浜の走り込みだからな。平地で走るのとはわけが違うぞ」


 少年たちの顔から生気がなくなっていくのと反比例するように、カリアは嬉しそうだった。




 夜空に瞬くのは落ちてきそうなくらいたくさんの星々。


 村で暮らしていた頃は当たり前だった風景を、ムダラでは見ることができない。街には魔鉱石による明かりがあふれ、星の光を隠してしまう。久々に田舎に来てながめる星空は感傷的な気分にさせた。


 つめたい夜風の吹きつける浜辺から少し離れた場所に焚き火がある。


 薪の爆ぜる音と、波の寄せる音。


 そこにいるのはヴァルトとカリアだけだった。アンナは夜の寒さが身体によくないという理由で、少年たちは疲労によって、すでに眠りについている。


 生き物のように揺らめく炎に手をかざしながら、二人は適当な岩場に腰掛けていた。


「ここは良いところだ」


 カリアは晩酌用に酒を持ってきている。


 かつて酒に溺れた反省から、一日一杯までというルールは守っているらしい。熟練の冒険者は落ちていた木の枝を拾うと、先端になにか突き刺した。


「なにをしてるんですか?」


「こいつを炙って食べるとうまい。試してみろ」


 手渡されるまま炎に近づける。


 枝に刺さっているのは丸い菓子だった。薄いピンク色がこんがりと焼き目を作るのを待って、口に頬張る。溶けるような甘い食感が広がった。


「美味しい……!」


「レイラも大好物だった。最終日には全員に配ってやる。途中でリタイアしなければだがな」


 笑い声は浜風に運ばれてどこかへ消えていった。


 夜の海辺で交わす声は、なぜだか余韻を残さない。絶えず流れる波の音のせいかもしれなかった。長い海の歴史に比べたら人間の存在なんて儚いものだと教えられているようだ。


「ムダラってのは窮屈な街だ。あの城壁のなかにすべてが閉じ込められている。人も、建物も、生活も、ありとあらゆるものは管理されていると言っていい」


 カリアがゆっくりと語りだす。


「だがそれを支配しているのは何者だ。騎士団か? 国か? そうじゃねえ、ムダラの主は迷宮だ。俺は長くあの街で暮らしてきたが、お前たちに出会って初めてそう感じた」


「おれもそう思います。ムダラを真に操っているのは迷宮だと――もし人格があるならですけど」


「どうだろうな。俺は迷宮から底知れない悪意を感じる。奥へ奥へと誘う悪意だ。最深部に近づくほど、死は近づいてくる」


「……よく、わかります」


「お前に言われて調べてた件だが、いくらか骨が折れた。各地に人を遣らなきゃならなかったからな。それだけの成果は出せたってもんだ」


 カリアは懐から報告書の束を取り出した。ヴァルトはそれを受け取ると、風に飛ばされそうになるのを抑えて素早く目を走らせていく。


 内容はどれも似たり寄ったりだ。


 だが、その事実こそが雄弁に正解を語っていた。


「だいたい十数年に一度ってところか。女だけが連れ去られる事件はたしかに起こっている」


「――十二年ごと、ですね」


 ヴァルトの年齢と見事に合致する。彼が生まれてすぐに母親は何者かによってさらわれた。それが十二年前の出来事だった。


「若いのから年寄りまでひとり残らずだ。報告によれば放置された男たちはその村に定住することを強要され――離れようとすれば即処断だったらしい。村を出た次の日には死体になって戻ってくるんだと。何年も経てば監視の目は緩むだろうが、それでも危険なことにはかわりない」


「……父さんたちは何度か村を離れてた。命がけで試したんだ。おれたちを外の世界に送っても大丈夫かどうか確かめるために」


「そいつらを見張ってたのが何者なのか正体はつかめなかった。国家権力が関わってるのだけは間違いないだろうがな」


 少しの沈黙のあとカリアは意を決したように訊ねた。


「お前たち、母親の行方を探すってのをやめにするつもりはねえか。悪いことはいわねえ。こいつは危険な案件すぎる」


「たしかに今度こそ命がないかもしれません」


 ウルフィアスの冷徹な視線を思い出す。数人の命と引き換えに国民を守れるのなら、犠牲などいとわないという姿勢。このまま真実に迫ろうとするなら間違いなく彼と対峙しなければならない。


「けど家族の大切さを誰よりもわかってるのはカリアさんじゃないですか?」


「……ああ。自分の生命を賭けてもいいと思えるのは、家族だけだ」


「おれたちも同じですよ。連れ去られたなら取り戻せばいい。それがどんなに大変な道だったとしても、おれは父さんと約束したんです」


「意志をまげるつもりはないんだな」


「はい」


「……そう言うと思ってたぜ」


 カリアはヴァルトの手から報告書の束をひったくると火のなかに放り込んだ。あっけなく炎に包まれ、消し炭に変わる。


「ここに来たのも騎士団に怪しまれず俺と話をするためだろう。ムダラじゃどこに騎士団の目があるかわからねえ――たとえ我が家でもな」


「わかってたんですか」


「当たり前だ。いくつ年上だと思ってやがる。ガキの考えそうなことくらい見当がつく」


 先ほど焼いて食べた菓子を投げてよこす。ヴァルトが驚いてキャッチすると、カリアは自らも枝にさして炙りはじめた。


「食えよ。俺はお前たちに感謝してる。ちっぽけな金じゃ返しきれないくらいの恩がある。最後まで付き合わせてくれよ」


「じゃあ――」


「早く見つかることを祈ってるぜ。これからが正念場だ」


「ありがとうございます!」


「とはいえまずは鍛錬だ。途中でへばるんじゃないぞ」


 熱々の菓子にくらいつき、カリアは焚き火に水をかけた。


「明日も早い。寝坊するなよ」


「わかってます」


「良い返事だ。俺は先に戻ってるぜ」


 言い残して、ひとり宿の方角へ姿を消す。ヴァルトは腕を枕に寝そべった。星はいつだって輝いている。気付かないのは人間が見ようとしないからだ。


 ふう、と大きく息を吐いてから立ち上がる。


 訓練はまだ初日を終えただけだ。まだまだ強くなれる。


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