24話 錬金術士
自室に戻ると、すでにジョスランとドニが腕を組んで待っていた。
ドニは先ほどの揺れで目が覚めたらしい。しっかり見開かれた瞳でヴァルトに詰め寄った。
「あれは何だったの?」
「おれにもわからない。地震ではなかったように思うんだけど」
ヴァルトは部屋の窓にかけられたカーテンをめくり外の様子をたしかめた。とくに人々が慌てている様子はない。あれだけの揺れがあればムダラの街は大騒ぎになっているはずだ。
「これで証明されたね。あの振動は『カフカの宿』だけで起こったんだよ」
「でも、どうして」
「それを確かめに行くんだよ」
こともなげに言ってのける。
ジョスランは整った顔立ちをひきつらせて聞いた。
「行くって、どこに」
「もちろんカフカの宿の主人のところへ」爪の先でほおを掻きながら言う。「幽霊が噂になってるということはあの現象が今日だけでなく、定期的にあった証拠だよ。それだけの異常事態を主人が知らないはずがない」
「けど彼は夜分はいないじゃないか」
宿屋の主人は深夜になると忽然と姿を消してしまう。
おおかたどこかで眠っているのだろうが、いなくなる瞬間を見たことがないため、居場所がわからない。
「受付は一階にあるけど、主人が外へ出て行くとは考えにくい。さすがに自分の持ち家を空にする訳にはいかないからね」
ヴァルトは人差し指を立て、部屋のなかを徘徊する。
村の大人たちが集めていた本のなかに小説という、物語を綴ったものが混じっていた。ヴァルトとりわけ推理小説が好きだった。難解な事件を名探偵があっさりと解決していくその格好良さに惹かれたのだ。
名探偵の掟のひとつに、推理中は歩きまわるべしというものがある。
ヴァルトはそれを忠実に守っているのだった。
「しかし一階には受付しかないし、二階より上はすべて冒険者に貸し出している。となると残されているのは――」
そこで一度言葉を切り、ヴァルトは名探偵の気分で周囲を見回した。
みなポカンとした顔で結論を待っている。
首尾は上々だ。
ヴァルトは上機嫌に口を開いた。
「地下だよ」
ムダラの地下には果てしない迷宮が広がっている。
迷宮の街ならではの特殊な事情で、住民は地階の建設を禁じられていた。
へたに穴を掘って新たな迷宮の入り口を作ると、国が独占できなくなってしまう。さらには迷宮に住まう魔物が湧き出てくる危険性もある。そういった理由から、ムダラの建造物は地下への拡張をあきらめている。
むりに敷地を広げようと欲を出して魔物に襲われる危険をおかすのも馬鹿らしい。どのみち迷宮になるとなればいつ死ぬかわからないのだ。
大工にとっても余計なリスクを犯さないというのが常識になっており、大金を積まれても頷く者は居ない。
「――じゃあ、国に背いてるってこと?」
きしむ階段を下りながらドニがたずねる。
話の内容と、薄暗い雰囲気のために、自然と声が小さくなっていた。
「法律には違反しているね」
「迷宮の魔物が溢れてくるかもしれないなんて――すぐに引っ越すべきだね。幽霊も出ることだし」
いつの間にかジョスランもカフカの宿を去ることに賛成している。
「地上から一階層までかなり深く潜るから、ひとつやふたつ地下室を作っても大丈夫だよ。それに本当に迷宮につながっているなら、いまごろ冒険者の誰かが見つけているはずさ」
「ヴァルトの冷静さがいまは恐ろしいよ……」
ジョスランは呆れたように肩をすくめた。
受付には案の定、誰もいなかった。昼間は主人が仏頂面で座っている受付の内側に遠慮なく忍びこむ。念のため防犯装置がないか探してみたが、とくにそれらしきものは見つからなかった。
「……なにもないな」
シラルが早急に結論を出す。
早く部屋に戻りたくてたまらないという口調だった。
「あるよ。ほら」
「チッ……」
「舌打ちが聞こえたんだけど、気のせいだよね」
自分を納得させるようにつぶやくヴァルト。
床に、わずかだが不自然なくぼみがある。指をかけて力を入れると、意外にもすんなりと持ち上がった。
「やっぱり地下に続いてるんだ」
最低限の照明だけが取りつけられた階段が下にのびている。
耳をすますと、なかから金属を叩くような音が聞こえた。
「誰かがいるのは間違いないね。幽霊じゃなさそうだ」
「こ、このまま入るのか」
震える声でシラルが確認する。
もともと幽霊がいるかどうかを突き止めるための探索だ。不気味に揺れる宿の真相が待ち構えているのに、寸前で引き返すのも馬鹿らしい。
ヴァルトは返事の代わりに階段に足をかけ、転ばないよう慎重に下りはじめた。
「僕ものぞいてみようっと」
ドニが物怖じすることなくあとに続く。
暗闇に取り残された二人は顔を見合わせると、諦めたようにため息をついた。
地下室までの道のりは思ったよりも長く、近づくにつれ謎の金属音が大きくなっていった。
おそらく宿の主人はヴァルトたちの足音に気づいていないだろう。部屋にいるときには聞こえてこなかったが、かなりの騒音だ。
街灯のない夜道のように暗い階段をぬける。
突如として現れた地下室の明かりに目が眩みヴァルトは片手をかざした。
「……誰だ」
照明の下には黒いゴーグルをかけ、顔全体を黒い布でおおった男がいた。まるで鍛冶師のように金属を加工している途中のようだった。年季の入った黒い作業台の上にいくつもの板金がおかれ、その脇には無数の道具が散らばっている。
布の隙間から白髪がのぞいていなかったら、彼が主人だと見分けることはできなかっただろう。
男はヴァルトの姿を認識すると作業の手を止めた。
「どうしてここへ来た」
「夜分にすみません。おれたち幽霊の正体を暴きにきたんです。この宿の住んでいるという幽霊の噂の真相を確かめるために」
「そんなくだらない噂を信じるやつは、数ヶ月ともたずに迷宮で死ぬ。信じないやつはここに住む。それだけのことだ」
口数の多い主人を見るのは初めてだった。
とはいえ言い方はそっけなく、ヴァルトたちの突然の来訪にも動じていない。黒いゴーグルを首にかけると鋭い眼光がのぞいた。
「ここでのことを報告するなら、すればいい。いくらかの報奨金は出るだろう」
「おれたち、そんなつもりじゃ……」
「ならどうする。ここで見たことを忘れて去るか。それとも金をせびるか」
「――教えてほしい。あんたがここで何をしているのか」
意外にもジョスランは真剣な表情で訊ねた。
老人の一挙一動を見張るように、じっと作業台をにらんでいる。幽霊の影におびえていたのが嘘みたいに堂々とした振る舞いだった。
「いいだろう。この部屋を自力で探しだした冒険者はお前たちが初めてだ。だが――これを聞いたからには共犯だぞ。その覚悟はあるか」
「俺を誰だと思っているんだい。ゆくゆくはセントロードを買い取る美男子が、たかが地下室の秘密を知ることに物怖じするはずがないだろう」
「幽霊にはビビってたけどね」
ドニが辛辣につぶやいた。
「――とにかく教えてもらおうか。その金属の板でなにを作ろうとしていたのか」
「錬金術という学問を聞いたことがあるか」
主人は年季の入った丸椅子に腰を下ろし質問した。
ヴァルトとシラルだけがうなずいた。
「金以外の物質から金を創りだそうという無謀な試み。いまだかつて成功した人はいない」
「そのとおり。無謀だが無益ではない。金に近づける工程で様々なことがわかる。たとえば――」
おもむろに金属片をつまみあげると、液体の満ちた透明のグラスに放りこむ。
金属片はたちまち汗をかくみたいに泡をまとい徐々に小さくなっていった。主人は今度はマッチを擦ってグラスの上に近づけた。
ポン、という小気味よい音と煙がのぼる。
「ある種の液体は金属を入れると可燃性の気体を発生させる。金属が溶けると、燃える空気になるということだ。実に不思議だと思わないか。どうしてこのように硬い物質がいとも簡単に溶けるのか。そしてなぜ泡が湧いてくるのか」
「本に書いてありました。金属は溶けると水素というモノを出すって」
「そう、我々は燃える空気をそう名付けた。理屈はわからないがそうなるから、便宜的に名前をくれてやったに過ぎない。誰もなぜそうなるのか説明できない。本に書かれているのはすべて結果だ。我々が手探りで繰り返した実験をまとめただけだ」
「でも、どうしてこんな地下室で――」
「金が錬成できたとき他人に見られていたら困るだろう。それに大きな音や強い光を伴うこともある。あるときは毒が満ちて死にかけた。あまり大々的に披露するものではない」
孤独な錬金術士はひややかに口の端を歪めた。
どれほどの年月をひとり実験に明け暮れてきたのだろう。カフカの宿が地上で増築していく間も、老人はひたすら金を目指して無数の失敗を重ねていた。
幽霊の正体は、その副作用だ。
ときには建物を揺るがすような強い衝撃。いったいどんな工程を経れば、そんなものが生成されるというのか。
「錬金術にはカネがかかる。皮肉な話だ。金を作るために金が必要とはな。そこで宿屋をすることにした。冒険者がいる限り、どんなに適当に経営しても収入は確保できる」
「だからあんなに投げやりな対応だったんだね」
「日中は夜にすべき実験のことを考えている。誰が来ようと頭に入らん」
「自慢されても困るんだけど」
夜中に実験を行っているのなら寝る時間はほとんど取れないだろう。
主人はひと通り話し終えたとみえて、作業台に片肘をついた。
「で、どうする」
「うーん……」
べつに弱みを握ったところで良いことがあるわけでもない。
強いていえば宿代をタダにしてもらうとか、ひとり一部屋をあてがってもらうとか、そのくらいの便宜を図ってもらうのがせいぜいだ。
ムダラを管轄する騎士団に地下室のことを通報しても、いくばくかの謝礼金と引き換えに宿を失うだけで、それはそれで面倒でもある。
「錬金術はうまくいきそうなのかい」
ヴァルトが悩んでいるとそばからジョスランが進み出て、訊いた。
「さあ。金の錬成なんて夢のような話はある日突然、天から降ってくるんだろう。いつ達成できるかなんて誰にもわからん」
「だったら俺を助手として雇わないかい」
意外な申し出に、さすがの主人もいくらか驚いたように目を丸くした。
「ジョスラン?」
シラルが美少年のおでこに手を当てて熱を測る。平熱だ。どうやら風邪による世迷いごとではないらしい。
「幽霊でもとり憑いたかな」
「シラル、金だよ。この世でもっとも価値のある金を作るなんて、そんな素敵な話があるなんて。本当にできたら俺は一気に大金持ちさ。セントロードを買い取るどころか、この国さえも支配できる。そうすればいなくなった母さんたちを探すのもわけない。俺は俺なりのやり方で夢をかなえるんだ」
「……子どもは夜には寝るものだぞ」
「夜更かしは肌の大敵だからね、深夜は遠慮させてもらうよ。だけど休日や――そうだね、迷宮の探索が終わってからなら手伝える。どうだい」
ジョスランはすでに答えを知っているみたいに自信に満ちていた。
「勉強するなら本を借りてくればいい。材料が必要なら買い集めてくる。その代わり、部屋代はまけてもらうよ」
「ずいぶんとしたたかな生き方だ」
主人は咳き込むような声を発した。それが笑っているのだとわかるには、少し時間がかかった。
「……いいだろう。ただし道は長く、辛いぞ」
「そんなの村を出たときから覚悟してるさ。俺の夢をかなえる絶好の機会があるのに、みすみす逃したりするもんか」
「ジョスラン、本当にいいの?」
ヴァルトは訝しむように友人の肩を抱いた。本当に幽霊に乗っ取られているのではないだろうか。ふだんのジョスランなら危ない橋を渡るような真似はしないのに。
――いや、と思い直す。
シラルを山賊の手中から助けだしたときいちばん勇敢だったのはジョスランだ。誰よりも勇気ある行動を示したのはジョスランだ。
「心配症だな、まったく。俺は誰よりも美しいものを愛する男さ」
「金が自由に創れるようになったらご飯も食べ放題だね。僕、金箔をふりまいたケーキが食べてみたいなあ」
「やれやれ、そんな発想しかできないのかい。全身を金の衣服でつつむほうがよっぽど優雅じゃないか」
どっこいどっこいの発想だと思ったが、ヴァルトは優しさを発揮して口を慎むことにした。
いまはジョスランの決断を讃えよう。
「決まったようだな。手が空いたら、いつでも受付に話しかけに来い。くれぐれも口外はしないように」
「わかったよ――ひとつ聞いていいかな」
「なんだ?」
「あんたのこと、なんて呼べばいい」
「名前はイーストウッドだが……これからは教授と呼べ」
「キョウジュ?」
小首を傾げるジョスラン。聞いたことのない言葉だ。
「物を教える人間のことだ。ぴったりだろう」
「そうだね――教授、か」
いまいちしっくり来ないようで視線を宙に向けている。長いまつげが瞬いた。
とりあえずこれで一件落着だ。いたのは幽霊ではなく、地下室にこもる錬金術士だった。
ヴァルトはそこはかとない満足感を覚えるのと同時に、急に眠たくなった。やはりこんな夜更けまで起きていると体に悪い。
「ふああ……」
ひとつあくびをすると、次々に伝染していく。
少年たちが大あくびしているのを見て主人――イーストウッドはやれやれと腰を上げた。
「幽霊退治はもうおしまいだ。夢は、眠らずに見れるものではない」
「教授はいつ寝てるんだい」
ジョスランがくすぐったそうに覚えたばかりの言葉で呼びかける。教授はまた、咳き込むように答えた。
「真実を目にするまではいつまでも眠ったようなものさ」




