22話 先輩
遠距離であってもガダモンは殺気を感じとって天井に逃げこむ習性がある。冒険者にとっては剣や槍での攻撃がとどかなくなるため厄介だと思われがちだが、裏を返せばガダモンを天井に追いつめることにほかならない。
ヴァルトは早々にその事実を見抜いていた。
迷宮に入ってから二週間あまりが過ぎた。ヤウスへの膨大な借金を返すため毎日のようにガダモン退治に明け暮れた結果、最適な方法を発見した。
「――ガダモンみっけ!」
「まったく、うんざりするくらい倒したつもりだけど、一向に減らないね。今日はこれで最後にできるといいんだけど」
まずガダモンを見つけ次第、ジョスランが大剣を振りかざして突進する。すぐに逃げだそうとするガダモンに追いつければその場で斬り捨てるが、ほとんどはそう簡単にいかず、迷宮の壁を這って天井にたどり着いてしまう。
そこにはジョスランの剣は届かない。
安全圏に避難したガダモンは毒をふくんだ糸を吐いて反撃を試みる。しかしドニの大盾が悠々とガダモンの唯一の攻撃手段を防ぎ、まとわりつく粘着質の糸を拒む。
「ふたりともお疲れ様。魔鉱石がでてくるといいね」
すでにホルスターから銀色の魔道銃は抜きとられ、その照準をガダモンの頭部に合わせている。装填されるは一階層のショグを倒して収集した黒魔鉱石。ヴァルトの指先がゆっくりと引き金を絞った次の瞬間、ガダモンの緑色の頭がはじけとび、白い魔鉱石が落ちてきた。
「これで今日のノルマ達成。順調にペースが上がってきているね」
シラルは無造作に転がった白魔鉱石を拾い上げ、背負っていた革袋にほうりこむ。同じようにして手に入れた魔鉱石がぎっしりとつまった袋はかなりの重量感だが、フードをかぶった子どもは苦にする様子もなく手帳に記録をつけた。
バツ印のならんだ帳面には少年たちの出費と収入が書かれている。
ヤウスの作ってくれた防具の返済があるため赤字はしばらく続きそうだが、それを除けば駆けだしの初心者にしては上出来すぎるくらいの収穫だった。
迷宮内で巨大ショグが残した武器が優秀であるため、かなり効率よくガダモンを倒すことができている。
ヴァルトの銃にこめる銃弾を一階層で集めなければならないのは面倒だが、ショグをトレーニング代わりに討伐することで、剣技の腕も上がっている。
冒険者稼業はいい調子で進みつつあるのだった。
「あーあ、せっかく集めたのにほとんどヤウスのお爺さんに渡しちゃうんだもん。これだけ魔鉱石があれば美味しい夕飯が食べられるのになあ」
ドニは恨めしそうにシラルの革袋を見やった。
換金すれば一週間はゆうに暮らせる金額になる。その大部分がなくなってしまうのだ。
「命には代えられないさ。どんなに美味な食事も、死んでしまっては味わえない」
「でもさ、シラル。今晩くらいは豪華なお店に行ってもいいと思うんだけど」
「ドニ。君の要望はヤウスさんへの支払いが終わってから受けいれるよ」
最近はもっぱら会計係を務めるようになったシラルがきっぱりと断った。
四人の少年たちはそれぞれの武器をおさめると地上へつづく階段をのぼった。あいかわらず迷宮は冒険者で賑わっている。景気がいいのか悪いのか、近頃はさらに数が増えているようだ。
魔鉱石の換金所で革袋をさしだす。
係員は手慣れたようすで魔鉱石をはかりにかけ、数値を書きこんだ紙をヴァルトに渡した。これをもとに現金と交換する仕組みになっている。
今日の収穫はどれほどかと紙面をのぞきこんでいると背後から声がかかった。
ヴァルトが振り向く。そこには、なんだか懐かしく感じられる男の姿があった。
「カリアさん!」
「久しぶりだな、元気そうでなによりだ」
片手を上げて応じるカリアは今しがた迷宮から戻ってきたようだった。三階層でとれる黄色の魔鉱石が詰まった袋をたずさえている。
「ひとりで潜っていたんですか」
カリアの周りに仲間らしき人影がないのを見てヴァルトは尋ねた。
「ようやく女房の体調が良くなってムダラに戻ってきたところでな。肩ならしにしばらくの生活費を稼いできたってわけだ」
「三階層をひとりで……」
絶句する。
熟練の冒険者がチームを組んで挑むのが三階層の魔物だ。よほどの手練でなければひとりで立ち向かうなど自殺行為でしかない。カリアの実力は思っていたよりもずっと高いようだった。
「ま、コツがあるんだよ。それさえ知ってりゃひとりでも安全に戦えるってわけだ」
「たしか五階層まで行ったんだよね。僕らでもたどり着けるかな」
ドニが言うと、カリアは首を横にふった。
「やめておけ。あれは地獄だ。俺が生きて戻れたのは運が良かったとしかいえない。よほど金に困ってるか、死にたがりの馬鹿でもなきゃ挑戦しない方がいいぜ」
「俺たちガダモンなら楽勝で倒せるようになったからね。そろそろ上の階層に行ってみようかと思っているところなんだ」
ジョスランが誇らしげに説明した。
「そいつは凄いじゃねーか。いい防具もこしらえてるようだし――こいつはどこの店の商品だ? ずいぶんと質がいい。それにデザインも洗練されてる。まさか盗んできたわけじゃあるまいな。どこかの冒険者の落し物か」
迷宮にはときどき絶命した冒険者の装備が遺品として転がっていることがある。
それを運良く拾ったと思ったのだろう。
「ヤウスの店で作ってもらったんです」
ヴァルトの弁明に、
「あの偏屈爺さんがよく受け合ってくれたもんだ。ガキは相手にしないものだと思ってたんだがな」
「ガダモンを倒して来いなんて無茶なことを言われたけどね。俺たちにかかればあんなのは大きなシャクトリムシさ」
「――まあこんなところで立ち話もなんだ。先輩冒険者として色々とアドバイスしてやるから、家に遊びに来るか。新築だぞ」
「もちろん!」
目を輝かせてドニが挙手したので、カリアは腹の底から愉快そうに笑った。
ムダラの迷宮からすこし離れたところに馬車の待合所がある。金銭的に余裕のある冒険者はたいてい家が迷宮から離れているので、帰りは車をつかう者も多いという。カリアに連れられ、少年たちはセントロードを発つとき以来となる馬車にのりこんだ。
「カリアはお金持ちだねえ」
ドニがつぶやいた。
ゆったりとした背もたれに刺繍の施された内装。お城の一室をそのまま運び入れたような絢爛さだ。とても馬車のなかとは思えない。
片道でいくらするのだろうと考えかけてヴァルトは計算をやめた。
自分たちの貧乏生活と比べるだけ悲しくなるというものだ。
「かなり使ったとはいえ五階層で稼いだ貯金がまだ残っているからな。お前たち優秀な探偵がいてくれたから余ってるようなもんだ。あのままアンナとレイラに会えなかったらセントロードで一文無しになってただろうよ」
カリアの依頼でヴァルトたちは彼の生き別れた娘と妻を探しだした。ほとんど偶然に近い形だったとはいえ、きっちり事件を解決したのは少年たちの功績だ。
「アンナさんの体調はどうですか?」
「こっちに戻ってきてからみるみる良くなってる。ムダラには腕のいい医者もいるし、薬も手に入る。一年もしないうちに完治するだろうって話だ」
「よかったですね」
「家についたら会うといい。女房もお前たちには感謝してるんだ。改めて礼がしたいと言ってたから聞いてやってくれ」
カリアは饒舌に語った。
迷宮からずっと南に下りていくと敷地の広い建物が目につくようになる。どの家も庭付きで、目に鮮やかな植物があったり、噴水を設けたりしていて、優美さを誇示している。
その一角にカリアの家はあった。
御者がゆっくりと馬を止めるのを待って下車すると、素朴ながらも手入れの行き届いた芝生と、数種類の花の植えられた花壇が目についた。赤と黄色の花弁がのびのびと育っている。丁寧に世話を受けていなければこうも見事に咲き誇ることはできないだろう。
「帰ったぞ! 今日は客人つきだ!」
声を張り上げて青銅の門扉をあける。
すると、使用人の制服をきた女性がすぐに現れて出迎えた。お帰りなさいませ、と上品に一礼する。
「こいつらの武器を預かってくれ。くれぐれも丁重に扱うように」
「かしこまりました」
各自の得物を素直に引き渡すが、ヴァルトだけは銃を手放さなかった。あとでカリアにも披露するつもりなのだ。迷宮にもぐる冒険者の中でもとりわけ腕利きの彼に聞けば、なにかしら魔道銃の由来がわかるかもしれない。そんな思惑もあった。
カリアの新居はまだ住みはじめて間もないという雰囲気に満ちていた。
大理石の床や壁には傷ひとつない上に、高価そうな調度品もまだ溶け込めていない感じをうける。これから時間をかけて家族の思い出を刻んでいくのだろう。
「まずは女房に挨拶してやってくれ。アンナもお前たちに会いたがっていたからな」
案内されたのは庭先に面するテラスだった。
優雅に午後のティータイムを楽しめそうな白いテーブルの上には日よけのパラソルが広げられている。
うららかな陽射しを眺める女性は、セントロードで初めて会ったときよりも血色が良くなっていた。
「あら、お客さんなんて珍しいから誰かと思っていたら――あなたたちだったのね、小さな探偵さん」
「お久しぶりです。お元気そうでなによりです」
ヴァルトが代表して挨拶した。
「迷宮で偶然見かけたんだ。レイラのやつは仕事か?」
「ええ、あの子もムダラに来てからサングラスをかける必要がなくなって、ずいぶん明るくなったわ」
娘と同じ灰色の瞳をもつ婦人は穏やかに微笑した。
まだ夕食の時間には早過ぎるということで使用人がお茶と菓子を運んできた。シラルとドニがいちばん喜んで、あっという間に平らげてしまったのでそのたびに新しい菓子が用意された。
「門限は決めてあるんだが、いつかレイラが外泊するんじゃないかと想像するだけで背筋が凍りつく。そのうちどこの骨ともしれない彼氏を連れてきて、勝手に結婚すると宣言しやがるんだ」
「いいじゃないですか、年頃の娘なんだから。ようやく自由に恋のひとつもできるようになったんですよ」
「よくない。坊主たちみたいに賢くて度胸のある男でなきゃ俺は認めないぞ。どうだ、大きくなったらウチの娘を嫁にもらうってのは。お前たちなら特別に結婚を許してやるぞ」
そんなふうに夫婦のやりとりを聞いていると村で待っている父親のことがヴァルトの頭に浮かんだ。
母が連れ去られる前はこうして楽しげにふたりで会話したのだろうか。
産まれてくる子どもの将来を心配したり、期待に胸を膨らませることがあったのだろうか。
きっとそうだろう。
でなければ、一人息子を外の世界に送り出してまで母親を探しに行かせるなんて危ないことはしない。
「――それにしても、その年齢で迷宮にいどむなんて偉いわねえ。コホッコホッ」
セントロードで別れてからというものたくさんの出来事が起こったので、話が弾んでいたところアンナが苦しそうに咳き込んだ。
「ちょいと喋りすぎたか。お前はゆっくり休むといい」
「ええ、ごめんなさいね」
「気にするな。坊主たちにはいつでも来てもらえばいい」
カリアが優しく背中をさする。
かなり健康そうに見えたのでつい長居をしてしまった。そろそろ帰ったほうがいいだろう。
「じゃあ、おれたちも宿に戻ります。今日は楽しかったです」
「いいのか。夕飯も出すのに」
「お菓子とお茶をたくさんもらいましたから」ドニの非難めいた視線を感じながら辞退する。「それに、あんまり迷惑かけても悪いですし」
「そうか。そういうことならまた遊びに来い。いつでも歓迎するぜ」
言ってから、カリアはふと疑問を覚えた。
「そういやお前たちはどこに宿を借りてるんだ?」
「カフカの宿です」
「はあ……そりゃまた、ずいぶん難儀なところを選んだもんだな」
口調に不審なものを感じて、ジョスランがわけを尋ねる。
「どうしてさ」
「あそこの爺さんも偏屈なことで有名だろう。ヤウスの爺さんといい、一癖ある連中と縁があるみたいだな」
「普通の人だったよ。値引きもしてくれたし」
「珍しいこともあるもんだな。あそこに住んでるなら聞きたいんだが、幽霊が出るって噂は本当なのか」
「幽霊?」
初耳だった。
たしかにお化けが出てもおかしくない怪しさをまとった宿だが、実際に現れるとなると事情が違う。
「なんだそんなことも知らずに決めたのかよ。カフカの宿には夜な夜な幽霊が出て、宿泊客の枕元で怨嗟の言葉を並べ立てるそうだ。気がおかしくなって退去した奴らもごまんといるって話だぜ」
「そ、そんなことないよね……ヴァルト?」
顔面を蒼白にしたシラルが聞いてくるが、ヴァルトは首をひねるばかりで返事をしない。
「ぐっすり眠ってるからなあ――幽霊がいてもわからないだろうし」
「別に寝てる間になにを言われようと僕は関係ないけどね!」
ドニは胸を張って自慢した。
「ボクにはある!」
「なんだい、シラルは幽霊が怖いのかい」
「そういうジョスランだって震えてるじゃないか。とにかく、幽霊がいないと証明できるまでボクは寝ないからね」
「夜更かしすると起きられないよ」
「そ、それは……」
朝起きられないときはシラルの服を脱がせると約束している。それほどまでに嫌がるのかなぜなにかヴァルトにはよくわからないが、とにかくシラルにはてきめんの効果を発揮する。
「まあ居ないならそれでいいんだが、不調が出るようなら宿を変えたほうがいいぞ。冒険者にとって身体は資本だからな。金をケチって体調をくずすようなバカは迷宮じゃ生きていけない」
「肝に銘じておきます」
ヴァルトは頭を下げた。
また来いよ、とカリアは言って、馬車を「カフカの宿」まで手配してくれた。
ゆっくりとムダラの城壁に沈んでいく夕日を車内から眺めつつ、幽霊に思いを馳せる。いままで幾千もの冒険者がムダラで命を散らしていった。なかには無念のまま死んでしまった者もいただろう。
そんな未練ある男たちの怨霊がささやきかけて来るのだろうか。
「……シラルはどう思う?」
となりでぼんやりと窓の外に視線を向けているシラルに聞く。
「幽霊なんているわけないさ。気にしないのが賢明だよ」
「なら今夜調べてみよう。幽霊がいるかどうか気になって寝られそうにないから」
「う……」言葉に詰まる。「ヴァルトがひとりで調べるのか」
「もちろん四人でだよ。シラルも一緒にね」
「その代わり明日は起きられなくても許してくれよ。夜更かしするんだから」
返事をするシラルの横顔は夕日の色に染まっていたが、どことなく青ざめているように見えた。




