24.帰還
央世たちは、愛宕診療所で治療を終えたあと、円景寺家に戻った。
「ふぅー……。久しぶりの我が家! 菊理の美味い飯! 仕事の疲れも吹っ飛ぶってもんだなー!」
食卓を囲む面々。いつもは三人だったが。今日は人数が多いため、ずいぶんテーブルが狭く感じる。
観世が、プシュッとビールの栓を開けた。
「お、そだ。北条さんもどうだい?」
そして、にこりとしながら零に向かって瓶を差し出す。
「ちょ、おとうさん?! 怪我人にお酒ってダメでしょ」
「なぁんだよくくりー……。堅いこと言ってよぉー」
しかし、菊理に止められ、少し不貞腐れ顔を披露した。
「あ……はは……」
零は、苦笑いするばかりであった。
夜も遅いということで、観世に誘われ、円景寺家で夕飯をともにしていたが。どうも少しソワソワしている。顔も、耳まで赤いようだ。俯き加減で、チラチラと時折視線を何処かへ飛ばしていた。
「……親父」
その視線の先にいた央世が、静かに口を開いた。いつもの能天気そうな表情と異なり、少し硬い顔だ。
「んあ……? どした、央世」
すっかりとリラックスモードになっていた観世は、何の気なしに一瞥した。
「……頼み……の、件なんだけど……さ」
「おー。そーいやぁそんなこと言ってたな。なんだ?」
観世は、箸でだし巻き玉子を摘みながら訊く。
央世は、珍しく歯切れがよくなかった。端っこにちょこんと座っているアードを、ちらりと見た。
「あのアードなんだが……いくあてがないらしいんだ。だから、ウチに置いてやって欲しいんだよ。頼む」
央世が——姿勢を正し、頭を下げた。アードとの約束を、守るつもりなのだろう。
観世は、そんな央世を珍しく思った。
「ん? 難民かなんかか?」
そして、アードを見ながら口を開いた。紫の瞳、薄い金髪、造り物のような美貌は、どう見ても日本人ではない。そんな感想も、突飛なものでもないだろう。
「だったらよかったんだけどなぁ……」
央世は溜息混じりだった。このたった三日間——されど特濃の三日間を思い出しているようだ。
「難民……ある意味ではそうじゃのー」
アードは、薄く目を閉じ、クスリと笑った。
「うーむ。そうなると……今まで以上に働かねーとなー……」
観世は、グラスに注いだビールをぐびっと飲み干した。
「つーかよ。飯食わすぶんにはいいけど、学校とかどーすんだ? 戸籍もないんだろ」
そして、少し真顔になって訊いた。
央世は、深く息を吐き、大きく吸った。
「……こいつさ、エルフなんだと。どっか別の世界からきたらしい。で、まぁ、魔法とか、使えるらしくてな……。実はもう、学校来てるんだよ……」
「ほー……」
観世は、箸で摘んだじゃがいもを口に運びながらアードをじっと見ていた。
「そりゃ戸籍どーこーの話じゃねーなー! はっはっは!」
そして、豪快に笑った。
「まぁ、そういうことなら余計にウチで住まわすほうがいいな。……央世。ま、上手くやれ! はっはっは!」
そして、央世の背中をバシバシと叩いた。
「ちょ……親父、オレ一応怪我人な?」
それは……央世でなければ、吹き飛ぶばかりの威力だった。だが、央世はホッと息を吐くのみだ。ただひと仕事終えた気分なんだろう。
「あーあ。やっぱりおとうさんはおとうさんだったー」
菊理にしてみれば、央世に近付く女は許し難いのだ。しかし、菊理の知る観世は、こうなのだ。諦めるしかない。頬を膨らませるのが、抗議の証らしかった。
「なぁんだくくりー? お前は可愛いなぁー! ほらほら、おいでー。おとーさんがナデナデしてやるぞぉー」
観世が表情を溶かしながら、コイコイと手を動かした。
「もー! だからそんな歳じゃないんだってー」
ぷんすこと怒る菊理は、そんなお年頃であった。
「あ、でさ、親父。あの、中村組ってなんなんだ? 北条さんは闇金だって言ってたけどよー。親父も知ってんだろ?」
央世は、少し落ち着いたのか、肉じゃがの肉をヒョイっと摘んだ。
「んー? 中村かぁ……。あいつは、オレが若い頃に……まぁ、ちょっとな。つーか、闇金なんかやってやがんのかアイツ……」
観世は、少し遠い目をした。そして鼻を鳴らすと、零を一瞥する。
「んまぁ、それならそれで解決じゃねーか! はっはっは!」
一瞬ニヤリとした観世は、高らかに笑い飛ばした。
「……えっ?」
零が、目を丸くして観世を見た。
「……おわ……り? 終わった……の?」
そして呟きながら、央世に顔を向けた。ふるふると、身体が震えている。ほろりと、涙が溢れた。
「おー! よかったっすねー」
央世は、爽やかに笑っていた。
——ガタンッ……
不意に椅子から立ち上がった零は……
「おうせくん……おうせ……くん……! わたし……っ……ありがとう……ありがとう……っ……」
央世にしがみつくと、泣き崩れた。央世は、そんな零の背中をトントンと叩いた。柔らかく微笑みながら。
「あー!? やっぱりだ! やっぱりドロボー3号だぁー!」
菊理が零を指をさして地団駄を踏んだ。ぷりぷりと怒ってはいるようだが、腕力に訴えはしないらしい。
「ふはは! ここはまっこと賑やかしいのじゃー」
アードは、カラカラと笑っていた。
「おっ! アードちゃんだったか? ノリがいいじゃねーか! よし、飲むかぁ?」
観世が機嫌良さそうに、グラスを差し出した。
「お? なんじゃそれは……?」
アードは、興味深そうにグラスを受け取った。
「あ、ちょ……親父! ……って、見た目はアレだが、アードって超歳上だったか……」
央世は一瞬止めようとしたが、アードの実年齢"56億7千万歳"を思い出したようだ。伸ばした手をひっこめた。
アードは、グラスの中味をくんくんと嗅いでいた。匂いで判別がついたのか、ピコンと思い付いた顔になる。
「……ふむふむ。これは酒じゃな? 久方ぶりじゃのー」
そして、ぐびぐびと喉を鳴らして飲んだ。
「……ぷはぁー。ふむ? 変わった味じゃが悪くはないのじゃ。……む?」
「ん? どうした? アード」
眉をひそめたアードに、央世が気付いた。
「いや……酒じゃというに、ちからが全く戻らぬ……というだけじゃ」
何処か、寂しげにも聞こえる声色だった。
「ん? 酒ってそーゆーもんなのか?」
央世は未成年だ。酒のなんたるかは、当然知らないのだった。父親の観世も、酒には強いが、時々しか飲まないタイプだ。豪快だが、教育の指針はきちんと持っている。子供たちに勧めたことは、一度もなかったのだ。
「んー……。あ、そうじゃ! こちらにも、御神酒というものがあるのじゃろ? そのようなものじゃな」
アードは、自身の世界の知識を、こちらの世界の知識に落とし込んで伝えようとするのだが。
「……ふーん?」
アードの説明が曖昧過ぎて、央世には、あまりピンとこないようだった。
「おとうさん! アードは別に何も食べなくていいらしいんだから、そんなお酒みたいな高いものあげなくていいってー」
菊理は、観世を掴み、ゆさゆさと揺り動かした。
「はっはっは! 祝勝会ってやつだろー? そんなときくらいはいいだろよー」
しかし、観世は動じなかった。ヘラヘラと上機嫌だ。グラスの中身が、ちゃぷちゃぷと音を立てていた。
「あ、そうだ。おとうさん、次はいつから仕事なの?」
「お? 明日の夜には出とくかなーって感じだな!」
「そうなんだ……」
菊理の表情が、一瞬——曇る。
「なんだぁ? くくりちゃんは寂しいのかなー? よーし、ナデナデしてあげよーねー」
そんな菊理に、観世は軽い調子だ。
「ちっ……違うし! ……ただ、いつも無理してないかなって……」
菊理は、プイッと顔を背けた。
「はっはっは! こんなのは無理でもなんでもないっての!」
そう言いながら、観世はそっと菊理の肩を叩いた。
そして、零の方を向く。
「あー。北条さん。今日はよかったら泊まっていきな」
「……ふぇ?」
その言葉に、泣きじゃくっていた零が、バッと顔を上げた。
「まぁウチ、部屋数だけはあるからなー。ボロいけど。はっはっは!」
「お、親父?!」
央世も驚きの声を上げた。
「央世よぉ。常々言ってんだろー? 漢たるもの、大らかであれ! だ! はっはっは! そーんなボロボロ泣いてんのに、独りの家に帰すのは忍びないだろー」
観世が、ニンッと作った笑顔は、電球より明るい。気がする。
「ふぇぇっ?!」
零の声が裏返った。顔色が、赤と青を行ったり来たり、忙しい。
「……お、おお」
央世は、観世と零を交互に見ていた。
(まぁ、北条さん、確かにボロボロだしなー。親父がいいなら別にいいんだけどさ。玄関の件も……人助けが発端だったから、お咎めなしで済んだしな……。金がねぇって言ってるわりに、アードの件もすんなりだったしなー)
などと、少し複雑な央世であった。
「ちょ、おとうさぁーん! なぁんでそんなぁー!」
菊理は、天に向かって叫んだ。オウンゴールを決めた、サッカー選手のように。
「ふっはは! さすが、旦那様の親父殿じゃなー!」
アードは、腹を抱えて笑っていた。
(まぁ、なんつーか……急に賑やかになったけど……。つまんねーよりはいいか! それに……)
笑うアード、ポロポロと泣く零、頭を抱える菊理、頷く観世——央世が、順に視線を送っていく。
(やっぱ、助けてよかったよな。親父に、感謝だ。……母ちゃんにも、報告しねぇとだな)
そして目を閉じて、微笑む央世であった。




