14 遠征テンション
ある日の午後、宮廷の庭園は新緑の香りに包まれていた。私は給仕として宮廷の中でひときわ目立つ薔薇の生垣の近くで、花の手入れをする。剪定鋏を手に枯れた花を丁寧に取り除きながら、今日の仕事に集中していた。
その静かな時間を破るように一陣の風が吹き、私の髪を揺さぶる。振り返ると、そこにはアーケルが立っていた。彼の姿はいつも通りの自信に満ち、しかし今日は何かを決意したような表情を浮かべている。
「レオーネ、少し話があるんだ」
アーケルの声はいつもより少し低く、緊張感が滲んでいた。それに気付き、急ぎの用事なのだと察した私は剪定鋏を近くの台に置いて手を拭きながら彼に向き直る。
「アーケル、何かあったの?」
私は彼の様子が少し不安で、喉が締め付けられるように声が上ずった。アーケルは一歩近づき、私の前に立つ。彼の手が一瞬、震えたように見えた。
「実は、僕は一週間ほど遠征に行くことになったんだ。国境付近で新たな魔術の結界を設置する任務でね」
私は「遠征」という言葉に驚き、前回の彼の疲れ切った顔が浮かんで息が詰まりそうになる。「それは、危険な任務なの?」と聞いた声が震えてしまった。
アーケルは軽く笑い、私の不安を和らげるように少し肩をすくめた。だが、目がわずかに揺れていた。
「心配しなくて良い。とても危険な任務というわけではないのだから。ただ、国境の魔力が不安定になっていて、それを安定させる必要があるんだ。僕は宮廷魔術師として、その任務を果たす義務がある。……危険はないと言ったって、国境だからね。少しは緊張してるさ」
私は頷いたが、なおも心配で彼を見つめる。
「でも、一週間も……。それに、一緒に行く人は?」
アーケルは再び微笑み、言葉を続けた。
「そうだね、一緒に行くのはローゼ・アラネアスだ。君も知っているだろう?」
ローゼ・アラネアスの名前に、私は少し戸惑う。不機嫌そうな姿を思い出し、あの冷たい目が浮かんで少し身震いした。そして、アーケルとどうして一緒に行くのかと疑問に思う。
「ローゼ様と? 彼は確か、宮廷魔術師で……あの人がアーケルと上手くやれるのか心配で。前回の任務で衝突したって聞いてましたが?」
「そう。ローゼは魔術の精密さで有名だ。天才な僕はどの範囲の魔術も得意だが、細かい部分は彼の方が上手いんだ。二人で協力すれば、より効果的な結界を作れる。前回の任務で彼の精密さに僕が口出しして喧嘩になったけど、彼の結界が僕を救ったこともあるんだよ。彼の冷たい態度にも慣れたしね。彼の不機嫌な顔に耐えるのが一番の試練かもしれないけど」
アーケルが笑うと、私は少しだけ安心して頷く。彼がローゼとの関係を軽く語ったことで、二人の間に奇妙な信頼感があることが伝わってきた。
「そうなんだ。でも、ローゼ様って本当に冷たいですよね。私が挨拶しても目を合わせてくれないし……一緒に遠征に行くなら、少しは彼のこと教えてください」
アーケルは私の肩を軽く叩き、苦笑した。
「確かに彼は無愛想だ。だが、心から冷たいわけじゃないよ。前回の任務で僕が結界の範囲を広げすぎて失敗しかけたとき、彼が黙って修正してくれた。あのときは『次はお前が死にたいなら勝手にしろ』って言われたけどね。仕事の場では信頼できる男だよ」
私は少し驚きつつも、納得したように頷く。
「そうなんですね。でも、二人だけなんですか?」
アーケルは私の手を取って、真剣な眼差しで見つめた。
「ああ、二人だけだ。だが、君が心配する必要はない。僕は無事に帰ってくるよ。ローゼも、僕が君の婚約者だということは知っている。……彼は何も変なことをしないだろう。そういうところは慎重な人だから。僕がローゼに『レオーネには絶対に手を出すな』って釘を刺しておくよ」
私はその言葉に少し笑みを浮かべたが、心のどこかで不安がくすぶる。
「わかりました。でも、アーケル。できれば手紙はくれませんか? 普通の手紙でいいから……一週間って長すぎますよ、少し短くならないんですか?」
私の少し拗ねた言葉に、アーケルは笑って頷いた。
「もちろん。毎日、君に状況を報告するよ。魔術の手紙でね。心配しないでくれ。一週間はあっという間さ」
私はアーケルの手を握り返し、安心した表情を見せる。
「ありがとうございます。……それに、どうせなら少しはローゼ様と仲良くなってきてください。あの人、私にいつも冷たく接してくるんです。だから、どう接したらいいのか分からないんですよ」
アーケルは笑い、私の肩を軽く叩いた。
「ああ、君の言わんとすることが分かる。ローゼはあまり表情を変えないからね。でも、仕事の場では信頼できる男だ。仲良くするのは難しいかもしれないが、彼が君に冷たいのは気にする必要はない。彼は、内面を上手く外に出せないシャイな男なんだ。少なくとも、彼が君を傷つけることはないよ」
私は少し安心したように見えたが、まだ完全には不安が解けていない。
「アーケル、無事に帰ってきてくださいね。私、待ってますから」
アーケルは私の言葉に強い力で手を握り、私の目を見つめた。
「大丈夫。必ず帰ってくるよ。君が待っていてくれるなら、それが僕の力になる」
彼はそう言うと、私の額に軽くキスをした。私はその優しさに少し頬を赤らめ、微笑む。
「じゃあ、早く行ってください。そして、早く帰ってきてくださいね」
アーケルは頷き、私の手からそっと離す。
「君の安全も心配しなくていい。僕が出発する前に、ネックレスとブレスレットの機能を更新しておくから。安心したまえ」
彼は私の首元に触れ、ネックレスの飾りに手を添えると呪文を唱えた。すると、彼の手から光が流れ込み、ネックレスが温かく脈打つように光り始める。その光が私の肌に触れると安心感が広がった。続けて腕のブレスレットにも触れ、同じように呪文を唱えると温かく脈打つように光る。
「更新って……?」
「機能の更新、つまりは掛かっている護りの魔術をより強力にした。遠征中、君を守るためのものだ。どんな危険からも君を護ってくれる」
私はペンダントを手に取り、感謝の意を込めて頭を下げた。
「ありがとう、アーケル。気をつけて行ってらっしゃい」
アーケルは微笑み、私に背を向ける。
「じゃあ、行ってくるよ。レオーネ、待っていてくれ」
彼は庭園を出て行き、私はその後ろ姿を見送った。どうやら今日から遠征の準備を始めるようで、屋敷には帰ってこないそうだ。そして、そのまま遠征に出かける。
私はネックレスに触れ、アーケルの無事を祈った。
×
その日の夜、私は自分の部屋で手紙を書いていた。アーケルの帰りを待つ間、何か彼に対して思いを伝えたいと感じたのだ。私は筆を走らせ、彼への思いを綴る。
「アーケル、無事に帰ってきてくださいね。私はここで、あなたの帰りを待っています。一週間がこんなに長いなんて初めて知りました。新しい護符を着けて、あなたが作ったものを大切にするから。遠征中も、あなたの笑顔を思い浮かべて過ごします」
手紙を書き終え、私はそれを封筒に入れた。その瞬間に護符が一瞬強く光り、私に勇気を与えた気がする。この手紙は明日、宮廷の伝令に託すつもりだった。私はベッドに座り、窓の外に広がる夜空を見上げる。星が輝き流れ星が落ちるのを見て、私はなんとなくアーケルの無事を確信した。
「……どうか、無事に帰ってきて」
私はそう呟き、明日からの日々をアーケルの帰りを待つ一週間として過ごすことを強く決意する。私はアーケルの言葉を信じ、彼が無事に帰ってくることを心から願った。




