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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第一章 目的を意味づける
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幸福とはなにか

 もしかすると「わたしは幸せになるために生きているのだ」という反論が来るかもしれない。

 だが、それは逆だろう。人は幸せになるために生きているのではなく、生きるために幸せを求める。なぜなら未来の幸福を求める気持ちが、生きるための長期的なモチベーションになるからだ。将来的に幸せになれそうにないという予測からくる感情を絶望と言い、そのためにみずからの命を絶つこともある。これは幸福を追求しなくなれば、人は死んでしまうことを意味していると考えられる。


 人はどんなに幸せな状況になっても、その状態に慣れるとまた、別の幸せを求めるようになる。こうした事実は、人の欲望は際限がないといってネガティブな文脈で捉えられがちだ。だが重要なのは、幸せを求めることは人間そのものに備わっている機能であり、幸福の追求に終わりはないということだ。

 したがって人は、幸せになることに意味があるのではなく、幸せを求めることに意味があるのだといえる。なんせ一度幸せになったと感じたところで、人生はその後も続いていくのだ。現に幸せな人が「もうこのまま死んでもかまわない」と言うことがある。本当にそれで死んでしまう人はいないだろうが、この言葉はあながち冗談ではないかもしれない。人は今以上の幸せを求めなくなれば、死んでしまう。


 このことからわかるのは、人は生きることを最終目的にしていると言っても、ただたんに食事だけを与えられて、生きながらえてさえいればいいというわけではないということだ。他人によって生かされている状態というのは、自身の生殺与奪権を他者に握られているということでもある。それだと、明日や明後日もまだ生きていられるという保証を得ることができない。自身で選び取ったものでなければ、たんなる偶然の現象でしかなく、それを幸福ということはできない。

 人には、今だけではなく、将来的にも望むような生き方ができそうだという希望が必要だ。幸福の追求とは、人間の究極目的の促進を目指すことそのものなのだから。


 幸福は「生存に都合のいい状態であること」と定義できる。先ほどの、幸福を求めることが生きるための長期的なモチベーションになるとした説明は、若干正確性に欠けるものだったかもしれない。生存を求めることと、幸福を求めることは、ほぼイコールの関係にある。幸福を諦めるということは生存を諦めるということでもあり、なるべく生存しようとすることこそ、幸福を求めるということなのだ。

 たとえばなにかしらの夢を叶えることで幸せになれると考えている人は、夢を叶えた状態が自分にとって、もっとも生きやすい状態であるはずだと考えている。

 幸せになるとは富を得ることだと考えている人は、生存に不都合をもたらす問題の多くは、お金さえあれば解決できるという前提のもとにある(さらに言えばその前提には社会が豊かであること、つまり自分がお金さえ払えばたいていのものは手に入る社会で生活しているという前提があるのだが、そのことにはあまり気づかれていない)。

 ほかにも、温かい家庭を築くことこそが幸せなのだという人はおそらく、家族の存在が自分の生きる支えになることを期待しているのだろう。


 多くの人が気づいているとおり、幸福そのものを思いうかべることはできない。

 にもかかわらずここで列挙したように、具体的な幸福の形であれば人それぞれに思いうかべることができるのは、具体的に思いうかべることのできるものがすべて、幸福そのものではなく、幸福のための手段にすぎないからだ。

 しかしどれほど優れた手段を用いたところで、幸福という目的そのものを実現することはできない。言い換えると、どれだけ生きるのに都合のよい環境を構築できたところで、(客観的に)これで十分だといえるようには絶対にならない。

 なぜなら、たとえどれだけ多くの富をもっていようが、それに加えていつでも困ったときに助けようとしてくれる人がいるようなすばらしい人間関係を築けていたとしても、さらにはどんなに偉い立場に出世することができたにせよ、この世界では死の危険性がゼロになることは絶対にありえないからだ。

 幸福を求めるとは、生存確率を少しでも高めようとすることにほかならない。だとすると完璧な幸せとは、死の危険性が完全になくなることだということになる。そのためにはエリクシル剤なり仙丹なりで、永遠の命を手に入れるしかない。だがそんなことは、どだい無理な話だ。それ以上は考えることもできないような完璧な幸せというものを誰も思い描くことができないのは、当然のことといえよう。

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