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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第八章 動機を意味づける
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モチベーションを高めるのに必要な二つの必然性

 ある行為のあとに快が生じれば、その行為に快の印が条件づけられることはすでに述べた。

 この快が生じる原因は、さまざまに考えられる。たとえば仕事をした結果として給与を得られたことによって快が生じる場合もあれば、目的が達成されて自身が成長できたことに快を感じる場合もあるだろう。


 給与のような外的報酬ではなく、自身の向上心や興味関心といった他者がかかわらない内部要因による欲求が満たされることでなされる動機づけは「内発的動機づけ」と呼ばれ、給与や他者からの称賛といった外的報酬による動機づけよりも、高いモチベーションが維持しやすいとされている。

 これは外的報酬の場合は、つねに他者の意志が介在するために結果が偶然的な一方で、内発的動機づけの場合は、自身の意志のあり方が結果に対する原因として十分なためだと考えられる。

 仕事の給与は自身の働きぶりを評価する人が原因可能性の一つとして影響するし、称賛に関しても、自分の中ではどんなに頑張っても、なかなか褒めてもらえないということがありうる。自分の意志のあり方(努力)と報酬に十分な因果関係が認められない場合、やる気は大きくそがれる。努力することに、意味を感じられないからだ。

 他方で興味関心や向上心が動機となっているなら、自分の意志一つで完結できる。自分の意志だけで目的を促進できると判断されれば、意志することに意味があるということにも疑いが生じないため、他者から促されずとも積極的に行動していこうという気になりやすい。


 内発的動機づけで行為している人に対して、その動機づけをさらに強めようとして外的報酬を与えると、逆にモチベーションを損なうことがある。たとえば自身の知的好奇心を満たすために勉強している子どもに対して、もっと勉強を頑張ってほしいからと、親がご褒美として小遣いをあげるような場合だ。

 ここで親がやろうとしたことは、小遣いを誘因としてさらなる動機の強化をすることだが、実際は図8-2のように、勉強を小遣いを得るための手段とするような、まったく別の経路(異なる目的)を選択させようとしているにすぎない。経路全体が変わることになるので意味判断はやり直され、以前の動機は破棄される。

挿絵(By みてみん)


 さらに勉強は目的に対して必然性のない(必ずしもその手段でなければいけないわけではない)手段として認識されるため、その手段の選択がたんに可能的なものへと身分を下げる。

 加えて小遣いを得るという目的の達成には、自分の勉強しようとする意志だけでは十分な原因ではなくなり、親の報酬を与えようとする意志が別途必要となるため、内発的動機づけではなくなる。

 そのため内発的動機づけで経路が構成されていたときと比べると意味判断が弱まり、モチベーションは以前と比べて低くなる。親が見ていないところで勉強をしても小遣いはもらえないし、勉強をしなければ小遣いがゼロになるわけでもないなら、少しでも多く勉強をしようと、どうして思えるのだろうか。

 一つの手段によって二種の利益を得られるなら、一挙両得だろうと思われるかもしれないが、通常人は二つの目的を同時に志向し続けることはできない。すぐに達成し終えられるような目的なら、同時に志向できるかもしれないが、好奇心や金銭的な目的のように、終わりのみえない目的を同時に志向し続けるのは難しい。その場合子どもの立場からすると、要領だけを考えた方がよっぽどいいということになるだろう。


 以上からモチベーションを高めるためには、「手段の選択が必然的なこと」と「結果が必然的なこと」の二つの条件を満たす必要があることがわかる。

 手段の必然性とは、選択した手段が、唯一最善の手段だということを意味している。これは(実在的な意味で)本当にほかの方法がないのかは関係がなく、本人がそれしかないと思えていれば十分だ。その行為(手段)を否定すると意志を実現(目的を達成)する方法がなくなるので、意志(目的)と行為(手段)が分析的な関係となり、その必然性は矛盾を根拠としている(論理的必然性)。

 唯一最善の手段を採用しないことは、その目的を目指していることと矛盾するため、その手段を実行することに強く動機づけられる。こうした仕組みは感覚的には広く知られているようで、人はいわゆる背水の陣を敷くことで、手段の選択に必然性をもたせようとすることがある。


 それに対して結果の必然性は、みずからの意志が目的となる結果を引き起こすのに十分な原因となることによるので、原因把握による必然性(因果的必然性)があることを意味している。偶然的要素になるべく左右されずに、自分の行為で結果を引き起こせること、つまり目的とするものが自分のコントロール範囲内にあることといってもいいだろう。結果に対して他者の意志が影響してくる場合のほか、たとえば労働の内容にかかわらず一律の賃金となる社会主義国家で勤労意欲がそがれるというのも、こちらの必然性が欠けていることによる。

 どのようにしても結果に影響を与えられない、つまり目的を促進できないとなると、その手段を実行することに意味を感じられなくなる。その場合は自分の行動によって結果に必然性をもたせられるような別の目的を設定することで動機づけが得られるが(単純な数値目標を設定するなどが考えられる)、これをもたらしてくれるのが内発的動機づけということになる。

 また結果の必然性は手段選択の必然性とは違い、理性による判断というよりも、実際にやってみてどのような結果になったのか、快不快の経験を根拠にして判断されることの方が多い。この場合理性は実現された結果に対して、事後的に意味判断をおこなうという形で作用する。


 いずれの必然性にせよ、人はなにかしらの目的が設定されない限りは、いかなる行為にも動機づけられない。本章後半で考察する形式的な命令が動機を生み出さないということにもつながる話だが、このことは何度でも強調する必要がある。

 人はしばしば目的の重要性を忘れてしまうため、目的なしに動機を生み出そうとして、不毛な努力に時間と労力を費やしてしまうものなのだ。

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