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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第七章 感情を意味づける
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効用が逓減する理由

 功利主義や経済学では、幸福を増進するものを快楽の増加や苦痛の減少ではなく、さらに抽象化したものとして「効用」や「選好」という概念で表すことがある。

 効用は「財・サービスが人の欲望を満たし得る能力の度合い」(広辞苑第5版「効用」③)のことだが、実際に満たした(消費者を満足させた)かどうかが基準なら快楽とあまり違いはないし、そうした因果関係を財・サービスに帰属させたものなら価値に近い意味になるが、それらとは別の基準として考えると少し曖昧すぎるきらいがある。とはいえ価値と効用は完全に同じではないにせよ、多くの場面で重なり合う。

 選好は読んで字のごとく、好みに応じて選ぶこと(あるいはその好み自体)だが、経路の選択に重きを置いた基準だと考えていいだろう。すべての人が合理的で、自由な経路が選択されて実行されるなら、主観的目的がもっとも効率的に促進される経路が選択される。しかしすべての人がその意味で自由だとは限らず、したがってその選好が正当なものだという保証はなく、つねに最大の利益をもたらす選択がなされるとも限らない。


 効用にはよく知られた特徴がある。

 得ると効用を増加させる財Xがあるとすると、Xを取得し続けると効用(U)の増加分が徐々に減少してくるという性質だ。これを「限界効用逓減の法則」という。たとえばのどが渇いているときにお茶を飲むと満足感を多く得られるが、一口目よりも二口目、二口目よりも三口目の方が、のどの渇きが解消されてくるにつれて、一口分の満足感は薄れていく。

 こうしたある対象の取得量と効用の関係をグラフで表すと、図7のようになる。

挿絵(By みてみん)


 この法則をたしかめたものとして、ジョナサン・バロンとジョシュア・グリーンの実験がある。社会の低所得者の所得が15000ドルから25000ドルに上昇する場合と、40000ドルから50000ドルに上昇する場合で、被験者がどちらをより高く評価するかを調べたものだ。すると人びとは、前者を後者よりも高く評価したという(*1)。

 なぜこのようなことが起こるのだろうか。


*1 ジョシュア・グリーン『モラル・トライブズ』377頁。


 お金はそれによって得られるものが非常に多くあるためわかりづらいが、そもそもどんなものにも、ある程度の必要量というものがある。

 その国で特に不自由なく暮らせる額が20000ドルだとすると、所得が15000ドルから25000ドルに上昇するのと、40000ドルから50000ドルに上昇するのはどちらが生存確率の上昇により大きく寄与するかと問われれば、あきらかに前者だろう。余裕のない状態から余裕ができるのと、すでにある程度余裕のある状態からその余裕がさらに増えるのとでは、まるで意味が違う。


 そもそもお金というものは、もともと自然界には存在していなかった、異質なものだ。これが食べ物ならば、効用逓減の法則は当たり前としか思えないはずだ。生存に必要な栄養素は、ある程度決まっている。それなら食欲が満たされるにつれ、追加で一口分の食べ物を食べたときの利益が減少するのは当然だろう。十分腹が満たされた状態での食事は、ほとんど生存には役立たない。

 これがお金となれば、食事に使うだろう以上の所得を得ても、住む場所を確保するためにも使えるし、衣服を買うのにも使えるし、必需品ではない娯楽を楽しむためにも使えるし、生活の手間を減らす便利な道具も買えるし、お金を払えば人の協力を要求しやすかったりと、できることは無数にある。これだけ汎用性のある資源はほかにない。

 さらにお金は、経年劣化しない。通常一般的に存在する資源は、時間を経るごとに腐ったり、故障しやすくなることでその価値を落としていく。しかし貯蓄しているお金は、時間に比例して価値が減るとは限らないし、それどころか利子やデフレによって、価値が上がることさえある(*2)。すると富を蓄えている間は将来的なリスクを減らし続けてくれるため、善性の原因可能性(リスクの反対の効果をもつ)として働き、保有期間が長期になればなるほど利益が大きくなるように感じられる。


*2 こうした貨幣の性質がいかに自然に反していて経済を歪めているのかということと、経済学者シルビオ・ゲゼルによる対策としての自由貨幣というアイデアに関して、以下が参考になる。河邑厚徳+グループ現代『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』NHK出版、2000年。


 金銭の汎用性の高さ、与えられる利益感の強力さによって、富を得ることと利益を得ることはしばしば混同され、このことが人びとの価値判断をも歪ませている。しかし富と利益は、イコールではない。効用はなにかを得た満足感だが、一般に満足感の多くは(富ではなく)利益を得たときに得られるものだから、富と効用もイコールではない。

 富は利益の原因にはなりうるが、因果的必然性には論理的必然性ほどの絶対的なつながりがあるわけではない(ヒュームの表現を借りれば、想像力が問題の両面を自由に思いうかべることができる)ため、富が増えても利益にならないということは十分にありうる。

 そのことを示すには、いくらお金の汎用性が異常に高いものだったとしても、人間が生きるために必要なものはそれだけではないことを指摘するだけでいいだろう。

 たしかに富があれば多くの問題が解決されるだろうが、富さえあれば死の危険がなくなるというわけではない。富裕な人でも、社会の治安が悪ければ、強盗に押し入られて命を奪われるかもしれない。孤独によって、生きる気力を奪われるかもしれない。妬みなど世間からの抑圧で、息苦しさを感じているかもしれない。どうしようもなく悪化している人間関係で、一人で悩んでいるかもしれない。もしそのお金が自分の能力で稼いだものでなかったとしたら、無意識に才能ある人へのコンプレックスを肥大化させて、苦しんでいるかもしれない。稼ぐ力が高い人でも、あまりに忙しい毎日に心身ともに参ってしまい、病で倒れるかもしれない。順調に人生を送っていたはずなのに、交通事故で急に命を落とすことになるかもしれない。その富が犯罪によって得たものだったなら、堂々と表を出歩けないかもしれない。正当な方法で稼いだものだったとしても、物やインフラが不足している社会では、富を十分に有効活用できないかもしれない。

 きれい事ではなく現実問題として、お金では解決できないことが、この世界には無数にある。いくら人間の生存にはビタミンが大切だからといって、ビタミンだけあれば生きていけるわけではないのだ。さらにいうと所得が無限にあったとしても不死にはなれないし、所得がゼロであっても誰かの助けを得るなどして、生き続けることができるかもしれない。

 したがって所得変化のみによる生存確率の増減には、おのずと限界がある。そのためいくらか必要な富が得られたら、次はそれ以外の生存に必要な要因の重要性が相対的に高まり、富の増加分の価値は低くなる。


 効用逓減の法則は、次のようにも説明できるだろう。

 人は自分に足りていないと思うものを欲する。足りていないものは、なにをもっているかによって変化する。したがってなにを欲するかは、なにをもっているかによって変化する。また効用は、欲するものを得ることによって得られる。よってなにを得れば効用を得られるかは、今の自分がなにをもっているかに依存する。その結果として特定の財・サービスを得た際の効用の増加量は、その財の取得状態によって変化する。


 上に挙げた例のいくつかを見てもわかるように、物質的な利益を離れた多くのリスクは、社会に起因しているものも多い。つまり社会の価値と自身の幸福は、密接に関係している。これもやはりなにが役立つかはその手段と環境との相互作用で決まるという、因果関係の性質から来るものだ。

 いくら莫大な富があったとしても、その莫大な富をもった自分が暮らしている社会の価値が低いものだったなら、社会の価値がみずからの幸福の制約条件として働く。一見狭い道徳範囲での利益追求だけをしているのが効率的に思えても、実際はより広い道徳範囲の利益に配慮しないことが、結局長期的には自身の幸福をも制限してしまう。


 そしてもう一つ重要なのは、人間が目指しているのは不死に近づくことではなく、死に近づかないことだということだ。死との距離が100あれば不死となり、0になれば人は死ぬとしよう。人は一度死ねば、二度と生き返らない。生きるとは、死なないことだ。

 そのため死との距離が80から70になるのと、20から10になるのとでは、もたらされる危機感がまるで違う。第六章で紹介したネガティビティ・バイアスの存在も合わせて考えると、人間の性格はリスク回避的なのがデフォルトだと考えていいだろう。もちろんそうではない人もいるが、どちらかといえば少数派だ。

 ヒュームがいうように「人間本性は一般に臆病だということである。なぜなら、何らかの対象が突然出現すると、われわれはただちにそれが悪いものであると結論し、その本性が良いか悪いかを検討するのを待たずに、まず恐れを感じるからである」(*3)

 今では神経科学的に、扁桃体と呼ばれる脳部位がわれわれにこうした本性をもたらしていることがわかっている。生存確率を高める仕組みとしては、理に適っているといえそうだ。


 快楽も富も、それを得ることがしばしば利益と同一視される。それによって利益という言葉に対する人びとの理解と、その概念の本来の意味にずれが生じたようにも思われ、そのために道徳と実際上の利益間の関係性が、人びとの認識上で分断されることになった。

 たとえ快楽や富自体を目的に行為しても、決して本当の幸福は得られない。このことはここまでで、十分に説明できたと思う。あくまでそれらは手段の一つとして、適切なタイミング、適切な量を見定めながら求めていくことが、最終的に自身の幸福を最大化するに違いない。

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