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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第二章 道徳の範囲を意味づける
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正当性の範囲、相対主義の誤り

 他者を道徳範囲に含めたり含めなかったりという違いはあるものの、誰でも自分自身がつねに道徳範囲の中心にいるようにしながら、自分を中心とした道徳範囲の客観的目的を促進しようと行動していることには変わりない。そして客観的目的を促進する行動は、道徳的といえる。

 つまり主観的には、誰もが客観的にも正しいと考え行動している。


 とはいえだからといって人によって正義は異なり、誰も間違っている人はいないと、どのような行為も正当化する相対主義的な考えに陥ってはいけない。というのは、少なくとも道徳範囲に含めていない人に対しては、その正当性を主張することができないからだ。その理由を知るには、相手の立場になって考える想像力が要求される。


 たしかに誰もがその範囲の大小に違いはあるものの、なにかしらの客観的目的に適うように行動している。だから誰もが正しいのだと、その正当性を道徳範囲の外にいる人に主張してみることとしよう。

 範囲外の人に「あなたもわたしの立場になってみたら、その行為の正しさがわかるだろう」と説得を試みるとするなら、それはその人に共感を求めていることになる(共感を促すために、想像力を働かせるよう求めている)。しかしその人を道徳範囲の外に置いているということは、自分自身はその人のことを共感の対象にしていないことを意味する。

 つまり「わたしはあなたに共感しないが、あなたはわたしに共感するべきだ」と言っているようなものだ。このような要求は、不公平と言わざるをえないだろう。


 ポール・ブルームも紹介しているように(*1)ピーター・シンガーは、公平性の論理は自分の行為を正当化するための条件として用いられていると主張する。ここでいう「正当性」とは、他者に正しさを主張できることと理解できる。

 シンガーは次のように説明する。

「もし彼女は部族の別のメンバーが集めたナッツを食べてもいいが、誰も彼女のナッツを食べてはならないという人がいたら、なぜ二つのケースが異なるのかの理由を要求されるだろう。それに答えるには、彼女は理由を示す必要がある。理由だけではない。推論する存在[人間]の団結力のあるグループのメンバー間の論争では、理由の要求はグループ全体で受け入れることができる正当化の要求だ。したがって提示される理由は、少なくともすべての人に等しく受け入れられる範囲で、公平無私(disinterested)でなければならない……公平無私というためには、自己利益へと露骨に訴えようとしないことが必要だ。利益を得られるからといってほかの人たちからナッツを奪ってもいいとはいえないが、ほかの人たちにナッツを奪われると、わたしは損をする。グループ全体の同意を得たいのなら、最低限公平(impartial)にみえるようにしなくてはならない」(*2)


*1 ポール・ブルーム『ジャスト・ベイビー』225頁。

*2 Peter Singer, "The expanding circle: Ethics, evolution, and moral progress", Princeton University Press, 1981/2011, p.93. []内は引用者による。


 なぜ公平性が、正当化の条件になるのだろうか。

 たとえばわたしがあなたに、2人の間にある客観的目的に反するからという理由で、ある行為をしてはならないと言ったとしよう。にもかかわらずわたしがその行為を平気でしていたとしたら、あなたはどう思うだろうか。

 その行為を禁止しているのは、あくまでわたしとあなたの二人の社会における目的に反するからだ。したがってわたしがそうした社会の目的に反する行為をしているということは、わたしがあなたとの客観的目的を志向していないことの証拠になる。

 つまりわたしはあなたのことを、道徳範囲に含めていない。言い換えればわたしはあなたの利益に対して、なんら必要な配慮をしていない。

 するとあなたは、わたしを道徳範囲に含めた客観的目的を志向することで、一方的に損をする可能性がある。客観的目的は主観的目的を促進するためにあるのだから、主観的目的に反するような客観的目的を促進することは、主観的にも間違っている。主観的目的は(分析判断によって確認される)必然的な目的なのだから、主観的目的に反するように行動することは誰にもできないし、するべきでもない。

 よってわたしはあなたに対して、あなたの主観的目的に反するような客観的目的を志向するように要求することはできず、その正当性を主張することができない。道徳範囲は共感の範囲であるとともに、正当性を主張できる範囲でもあるのだ(当然共感と正当性は異なる概念なので、あくまでその範囲が一致するということ)。


 だとするなら他者に共感を要求、つまり自分を道徳範囲に含めるよう要求するには、まずは自分が相手のことを道徳範囲に含めなければならない。

 これによって正当性を相手に主張できるようになるのは、そうすることが自分と相手双方の利益になるからだ。そのため自分が被害を受けたから同じことを相手に仕返すというような、双方の損失になるような形式的な公平性では、正当性を主張することはできない。

 カントが言うように「たとえば敵軍が、包囲された城塞の守備軍と結んだ降伏協定を誠実に履行することなく、撤退に際して虐待を加える、あるいはその他の仕方で協定を破るとする。そんな敵軍は、相手が機会を得て同じような悪行を働いても、不法を訴えることはできない。しかしそもそもこの双方とも、最高度の不法を犯している」のだ(*3)。

 自身が相手を道徳範囲に含めていない限りは、相手の道徳範囲の狭さを非難できないし、だからといってお互いに相手を道徳範囲から外しているような状態が許されるわけでもない。


*3 カント著、樽井正義、池尾恭一訳「法論の形而上学的定礎」『カント全集11 人倫の形而上学』岩波オンデマンドブックス、2002年(第一刷)/2020年(オンデマンド版)[1797年]、149~150頁。


 なんにせよ自身の主観的目的に反しない範囲で最大限まで道徳範囲を拡大し、普遍性をもった客観的目的に適合してようやく、その行為は正義に適っていると主張できるようになる。

 とはいえ相手にみずからの考えの過ちに気づかせる目的で、「もしあなたの行為が正当化されるとしたら、あなたが同じことをされても文句を言えなくなる」と公平性に訴えて主張することなら許されるし、有効だろう。この場合はあくまで、仕返しをすることが目的なのではなくて、相手に道徳範囲の拡大を促しているにすぎないからだ。


 狭い道徳範囲では正当性を主張できないということから、外部のリスクがそのまま内部化することになる。

 たとえば道徳範囲を狭くすること(範囲外の人の不利益に無関心になること)によって範囲外の人を被害者とする犯罪行為を許容すると、自身が犯罪被害者となったときにより広い道徳範囲に訴えても説得力をもたせにくくなるため、加害者を非難できなかったり、社会に救済を求められなくなる。

 被害者の落ち度に注目して、被害を受けて当然だというような態度や自己責任を強調する態度(被害者に降りかかったリスクに共感していない)をとると、そのような状況に陥りやすくなる。そのようなことが横行している社会は、自身が被害を受けたときにも共感を得にくい。

 やはり道徳範囲は狭ければ狭いほど社会上のリスクが高まり、逆に広くなるほどリスクは減少し、社会の価値が高まっていくといえる。


 一方現実世界では、道徳範囲の縮小といえるような現象が起こることもある。たとえば社会が不安定になってきた際に、マイノリティや社会的弱者への風当たりが強くなるような場合だ。

 これは道徳がうまくいっていないと考えられるようになると、社会にいる自分とは考え方が異なる、異質に思われるような人たちが自分と同じ目的を共有していないことが原因ではないかという疑念が生じてくることで起こる。

 しかし道徳範囲を縮小させるということは、社会の価値を低下させるということなのだから、もし広い客観的目的を共有していない人がいるなら、あくまでその人の道徳範囲を拡げることに注力すべきであって、みずからの道徳範囲を狭めることで解決しようとするのは安易というほかない。

「ある人が平和状態の保証を求めたのに、隣人がこの保証を与えない場合には、その隣人を敵として扱うことができる」(*4)という考え方は、たしかに人間に自然に備わっているものではあるだろうが、これは内部社会型の道徳範囲を分離型に移行させるだけでしかなく、根本的な解決とはほど遠い。

 不道徳な人を敵扱いすることは、それ以外に方法がないときには短期的緊急避難的に採用が許されることはあっても、その状態で安定させることへの恒久的な正当性を与えるものではない。


*4 カント「永遠平和のために」(中山訳)162~163頁。

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