-6 『停電』
停電した館内を、スマホの灯りを頼りに歩く。
明かり一つない夜中の廊下はとても不気味で、ひたすらに静かだった。
客室から離れているせいもあるだろう。
自分の足音と衣擦れの音しか聞こえなくて、踏み込んだ床の軋む音にどきりと心臓が飛び上がりそうになった。
すっかり見慣れたと思っていた旅館の風景が、いつもとは違って見える。だが、違うのは旅館だけではなかった。
深夜。丑三つ時も近い時分だ。
そんな暗闇でこそ『彼ら』の存在が際立った。
妖怪だ。
普段は気にならない彼らの存在が如実に感じられた。
廊下を駆け回る一つ目小僧。
一本足の唐傘が遠くの物陰を横切る。
旅館の従業員として働いている見知った妖怪もいれば、天井に巣を張った三つ目の蜘蛛や赤い目の鼠などの初めて見る妖怪もいる。
彼らはみんな人間には無害だと女将さんが言っていたが、人間とは違うその異形なものたちに若干の恐怖を持ってしまう。
「あら、悠斗さん」
歩いていると厨房の近くの廊下で女将さんを見つけた。
板場の料理長である塗り壁や一反木綿たちも一緒だ。
どうやら高い壁にかかっている分電器を覗いているらしい。
やってきた俺に気づいた女将さんは、やや困り顔で苦笑していた。
「すみません。ご迷惑をおかけしています」
「停電ですか」
「そうみたいです」
背の高い塗り壁たちや浮かんでいる一反木綿が分電器を見ているようだが、薄闇の中、彼らも冴えない顔をして要領を得ない様子だった。
「なにぶん古いものなので、故障かなにかかもしれません。こういったものに詳しい人もいませんし、どうしたものでしょうか」
「さすがに電気関係は俺もまったくわからないですね」
「そうですよね……」
女将さんが眉をひそめて頭を垂れていると、唐突に照明が点いた。蛍光灯の眩しさに目が眩みそうになる。
「とりあえず何度かブレーカーを弄ってみたら直りましたが、こりゃあ近いうちに業者を呼んだほうがいいかもしれないですね」
ぶっきらぼうな顔な塗り壁がそう報告する。
ありがとう、と女将さんは礼を言って紐で縛った布袋を渡していた。
駄賃だろうか。
仕事を終えて帰っていく塗り壁たちを見送ると、ふうと息をついて安堵に表情を和らげていた。
「大変ですね、女将さん」
「いいえ。私は皆さんに助けられてばかりですから。私一人ではとてもこの旅館をやりくりすることはできません」
謙虚に、しかし弱々しく笑う女将さんに、一抹のやるせなさが込み上げてくる。明るくなってやっと気づいたが、彼女の目許には若干の隈ができていた。
彼女は十分に頑張っている。
だからこそ、今の問題をどうにかしなくてはならない。
けれども、俺にはどうすればいいのかがまったくわからない。
これだけ頑張っている女将さんのために、俺なんかが何かできるのだろうか。
「それにしても、電気がなくなると本当に真っ暗なんですね」
「ええ、そうなんです。そういうつもりはないんですけど、これではまるで、本当にお化け屋敷のようになってしまいますね」
悲鳴よりも笑顔になってもらえた方が嬉しいですけど、と女将さんは自嘲する。
本物の妖怪も目の前にいるのだ。
人間が演じているお化け屋敷よりもよっぽどリアリティがあることだろう。
「何はともあれ戻ってよかったですね、女将さん」
「ええ。お騒がせしました」
最後まで優しく微笑んでくれた女将さんに、俺は心から気持ちを込めて「お疲れ様です」と声をかけた。
振り絞るような目一杯の彼女の笑顔を目に焼き付けながら、俺は自分の部屋へと戻っていった。




