炬章 到達
あの子はもう既に。伯珂の残した言葉。瑶燐の態度。どういうことだ。
混乱する黄炬はどうしていいかわからずに、思いの丈を忸王に吐き出す。訴える言葉を忸王は黙って聞いていた。黄炬の吐露を聞き終えた忸王は、そっと口を開いた。
「あの子は征服者の一員である伯母に嘘を吹き込まれていたんだって」
ヴァイスは悪徳の集団。その思い込みは強く、誤解を解いて真実を示すのは非常に困難だった。誤解を解かせるメリットもない。魔力持ちであったなら少しは話が変わっただろうが。
加えて、ヴァイスのメンバーである黄炬に軽傷とはいえ傷をつけておいてお咎めなしというわけにはいかなかった。あの少女は曲がりなりにも征服者の一員で、それが刃傷沙汰を起こしたのなら手を下さなければならない。
ヴァイスに刃を向ける輩に落とし前をつけただけだ。そこに例外はなく、情状酌量もない。組織としては非常に正しい判断だ。
「だからって」
「気持ちの上は納得できないよね。だから瑶燐も嘘をついたんじゃないかな」
結果としてただ不信感を煽っただけだが、瑶燐らしい不器用な心遣いだ。そう忸王は擁護する。
だからそう責めないでやってくれ、と忸王は言う。だが黄炬はやはり納得できない。魔力持ちは他に替えがきかない。だから困難でも誤解を解いて真実を示してヴァイスに引き込むだろう。だがそうでないものはただの有象無象。あれやこれや示す労力を注ぐほど特に役に立つ技能があるわけでもない有象無象だから簡単に切り捨てられたとでもいうのか。
少女がもし、征服者とも関係ないただの少女であったのなら、362-5区の消失は黄炬のせいではないと言って真実を示し、ヴァイスで面倒を見ることもできた。だが少女が征服者の一員であったなら話は変わる。真実を示したところで聞かない。放逐するのは無理だ。こちらに引き込むメリットもないなら処分するしかない。
征服者という関わりだけでこれほど扱いが変わる。それほどヴァイスと征服者の因縁は根深い。
「前の抗争で色々あってね」
発端は5年ほど前のことだ。とある科学者が肉体強化薬を開発した。一時的に筋肉を増強させるそれは肉体労働に従事する者たちの間でもてはやされた。
薬ひと粒で怪力が手に入る。その謳い文句で爆発的に流行した。ヴァイスもまた、力仕事の補助になるとして採用した。
しかしやがて怪力は肉体労働の補助でなく喧嘩の手段として用いられ始めた。殴り合いの喧嘩では服用することが当たり前になった。そうなればより力を求めてオーバードーズする人間も出てくるわけで。1錠が2錠になれば単純に攻撃力は倍。それが3錠になれば。4錠になれば。そうしてどんどん数が増えていく。
そうして得た力は魔力持ちを凌いだ。魔力を持たぬただの人間でも魔力持ちに対抗できるようになった。武具という絶対的な力に対抗するための手段になった。魔力持ちとそうでない者との差異を零にするそれは当時から"零域"と呼ばれていた。
そこまではよかった。魔力持ちとそうでない者との差異を零にするだけなら。
「…異形化?」
「うん」
人間の力への渇望は底知れない。そう当時のリグラヴェーダは言っていた。そもそも肉体強化目的の薬をオーバードーズして魔力持ちに対抗しようとする時点でそうなる予兆はあったのだ。
差異を均すだけでなく覆すために。規定量を越えて服用する人間が現れた。そうして異形化した。このことは大問題になり、大元となった肉体強化薬を開発した科学者は自責の念で自殺した。
その異形化の効果を積極的に用いたのが征服者と呼ばれる集団だった。当時からヴァイスへ対抗する手段を模索していた彼らは、ヴァイスが取り締まっていた"零域"を服用しはじめた。
そして異形となった彼らは各地で暴れだした。それを押さえるためにヴァイスが走り回った。結果として征服者の当時の首領が過ちを認めて降伏し、征服者は解散した。その抗争を"零域事件"と呼んでいる。
「私の両親と姉も巻き込まれたの」
忸王が語る。
何も知らない一般人であった。ヴァイスにも征服者にもなんら関係のない。荒区の片隅で安穏に生きている一般人であった。
しかし異形はそんなこと斟酌しない。理性を失った化物はただ目につくものを破壊する。無関係の一般市民だろうが関係ない。ただ殺し、壊す。
その被害にあったのが忸王だった。両親と姉が身を挺して庇い犠牲になった末に生き残った幼い少女はヴァイスに面倒をみてもらうこととなった。無関係なことに巻き込んでしまった責任として、当時のヴァイスは異形によって身寄りを失った子供や職を失った者たちを積極的に保護していた。
そしてヴァイスに引き取られた忸王は、リグラヴェーダとの出会いにより魔力が目覚め、そして今に至る。それがなければ両親と姉と暮らしながら平和に生きていただろう。
「だからヴァイスは征服者に対して過敏なんだ」
征服者と聞けば一切容赦はしない。だからあの少女の死もいたって当然なのだ。
忸王もまた、彼女が征服者の一員と聞いた瞬間に薄暗い感情が吹き荒れた。事情なんて関係ない、征服者の人間は皆死んでしまえと素直に思ったのだ。
「でも、だからって…」
あの少女はそもそも、黄炬が魔力に目覚めなければこんなことにはならなかった。目覚めてしまったからこんなことになってしまったのだ。
そもそも魔力とは何だ。武具とは何だ。そんなものがあるから悲劇が生まれるのではないか。何故過去の遺物に現代の人間が振り回されなければいけないのか。遺物さえなければ悲劇は生まれないのではないのか。
「…俺…」
「……やっと私たちと同じ感情を抱けたね」
黄炬の言いたいことを察し、うっそりと忸王が笑う。
ようやくこれで黄炬もこちら側になれた。その感情、思想こそヴァイスの真の目的だ。黄炬はようやくそこにたどり着くことができた。
遺物を遺物とし、完全に消去する。そのために我々はいるのだと。武具も魔力も。消えるために、消すために。
遺物によって生まれる悲劇を嘆き、遺物の存在を呪いながら、遺物を扱う。目的と手段が矛盾する懊悩を抱えて目的にひた走るのだ。
「歴史が死ぬために、私たちは犠牲になるんだよ」




