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二十一話  終わりの終わり

 今までに見た事の無い笑み。畏怖の念を抱かせるような凄惨なモノでもなく、幸福感が滲み出たような至福なモノでもなく。

 ただ柔らかく、何処か恥ずかしげに千歳は笑った。


「痛いよねそれ。すぐ消すから」

 

 千歳はそう言って、腕を横に振った。

 すると、先程まで強烈な存在感を放っていた化物達が一斉に姿を光に変えた。そしてその光は吸い込まれるように浮遊する箱の中へと消えていった。

 「うん」と千歳はそれを見届けると、


「何から話そうかな」

 

 そう言って、頭を掻いた。

 その仕草、柔らかい笑みと物腰は、認めた者以外を拒絶する千歳の姿とあまりに離れすぎていて俺の中で上手く噛み合わない。

 ――本当にこれは千歳か? そう思ってしまった。

 だが、


「うん、やっぱりそれが一番だよね」

 

 そんな俺の胸中を察したように千歳は再び頷いた。


「織田君。貴方が今こうして話しているのは『私』であって『私』でない」

「……どういう事だ?」

「瀬戸千歳はある日を境に二人になった。かつて、ちーちゃんと呼ばれていた、現実から逃げ出した少女と、時間と共に大人になった千歳という少女の二人にね」

 

 ……こいつは何を言っている? 

 

 突然の事に頭が付いていかない。


「今まで貴方が千歳として付き合ってきた少女が『ちーちゃん』。そして今、こうして君と話しているのが『千歳』」


「……何故このタイミングでそれを明かす? いや、そもそも今こうして話しているのが理解出来ない」

「それはもっともな話だと思うよ? 私だって、なんでこうして出てくる事が出来なかったのに、今になってそれが出来たのか分かってないんだから。けどね、もう一人の私は今、物凄く揺れている。貴方と戦っている事に迷いが生まれているの」

「……迷い?」

「そう、迷い。それを話すには私の事を知ってもらわなければならない。……もう一人の私は、私が生み出した……ううん違う、私の中に最初からあった逃げる事への渇望が具現化した存在。私がお兄ちゃんを失った事でそれが表出化したの」

 

 俺は栃原から千歳の過去を聞いている。それが千歳が変わった原因だということも。

 しかし、もうひとつの人格を生み出したなどという話が有るのだろうか。


「なら、今話しているお前は、その兄の死を受け入れた存在ということか。だとしたら、元は一人の人間なんだろう? また元の様に一人に戻ればいいだけだろ」

「ううん。それは出来ない。私の主人格としての力はほとんど無いから。それほどまでに、『ちーちゃん』のお兄ちゃんへの思いは大きかったということ」

「何故他人事のように言う? お前自身だろ」

「確かにそうだけど、今の私は調整を受けているから」

 

 ――調整。

 その不穏な空気を孕んだ言葉に、少し体が強張る。


「デュアルエンジニアリングって知ってるでしょ? 裏生徒会はその会社が作ったゲームなのよ」

「何……?」

 

 それはあまりにもあっけない暴露。栃原が睨んでいたデュアルエンジニアリングこそが黒幕という事実の証明。


「お兄ちゃんは元々そこの職員だったの。けれど私はその事を一度も兄の口から聞くことは無かった。けれど兄の持ち物を整理していた時に見つけた日記には、このゲームの事と、その会社の名前が書かれていた。私はその手掛かりを追った。お兄ちゃんが私に隠していた事があったという事も理由だけど、その時の私は誰よりも兄の影を追いかけていた」

「そして、出会ったんだな『裏生徒会』に」

 

 千歳はコクりと頷いた。


「私はそこで、兄の同僚と名乗る男と話をした。兄は彼には裏生徒会の事を打ち明けており、二人でこのゲームの完成を目指そうと約束したという事を聞いた。

 けど、それが嘘だと私にはすぐに分かった。

 兄の名を呟く時の男の目は、憐れみと嘲りの色に染まっていたから。

 けれどそこで私は声を荒げる事はしなかった。兄の死がもしかしたらこの男の手が関わっているかもしれないと思ったの。

 ここでその繋がりを絶つ訳にはいかない。そう思っていたけれど……。

 そこで私は過ちを犯した。何の警戒もなく、出されたお茶に口をつけてしまった。私は気を失い、そして気付いた時にはもう一人の人格である『ちーちゃん』が生まれ、そして『私』は心の奥底に閉じ込められていた……」

「つまり、その男がお前に何かしたって事か……」

 

 一瞬の間を置いて、


「私はそれから、貪欲に兄の姿を求めるようになった。兄が世界の全てであり、兄が最大の理解者であり、兄が最愛の人だった。その存在が自身を構成する為に必要不可欠だと思い込まされ、私は他人にそれを求めていった。まるでプログラミングされた機械の様に、ね。

 けれど、こうして私が貴方の前に現れる事が出来たのは彼女の中に迷いが生まれているからなの。つまり、貴方のおかげなのよ、織田君」

「俺の……?」

「最初。貴方は彼女にとって、他の人と同じ兄の代わりでしかなかったのよ。けどね、それが変化していったのは彼女が貴方の家を訪れた時。そこで見た光景に彼女は自分の姿を重ねてしまったのよ。

 兄と妹。二人が力を合わせ、苦しくも幸せに暮らしていたあの日を。

 でも、彼女の中にプログラミングされている思考は兄の代わりを求める事。

 時を同じくして、貴方は裏生徒会の事も知ってしまった。それは彼女にとってこの上ない欲求の刺激になってしまった。

 裏生徒会への参加者を募るということも、彼女にとっては大事な使命。皮肉な事に、あの男が、好きだった兄の作ろうとしていたゲームを歪んだ形で生み出してしまったが為に、彼女は裏生徒会に関わらざるを得なくなった」

 

 兄を求め続けた千歳と、妹を失いかけている俺。二人がお互いを求め、寄り添った。

 彼女の支えが俺の立ち上がるきっかけであり、再び奮い立つ事が出来た原動力なのだ。

 それが例え、破綻している関係であっても。


「貴方の存在は日に日に大きくなっていった。次第に彼女は兄ではなく、織田卓磨個人を求める様になっていった。

 けれどそれは苦痛だったはず。彼女にとって最も大きな存在が兄である以上、貴方は自分の中の兄を脅かす敵にも成りうる。

 そんな葛藤が彼女の迷いを生み出した。

 そう、本来の人格である私という存在を再び呼び起こす迷いを」

「それがどうしたって言うんだよ? 俺に千歳を救えとでも言うのか?」

 

 今更、元の人格がなんだ、もう一人の私がなんだと言われてどうにか出来る筈がない。

 俺は光凛を助ける為にこのゲームに関わったんだ。デュアルエンジニアリングがどうしたというのか。

 千歳の兄が関わっているとかどうでもいいんだよ。

 俺がそのゲームで勝ち続ければ、本当に光凛が助かるのかということだけだ。

 それ以上も、それ以下も必要じゃない。

 俺の手じゃ、二つも掴めないのだから。

 千歳は分かってるとでも言いたげに目を細めた。


「うん。でも、どうしても貴方には知っていて欲しかった。彼女が彼女だったということを知る、最後の人に貴方になって欲しかったから」

「どういう意味だよ?」

「貴方が勝ち続けなければいけないのは分かってる。だから私はここで負けなければならない。けどね、負ければ当然リスクを支払わなければならない。貴方も嫌というほど知っている、リスクを」

「大切な何かをひとつ失う……」

 

 うん、と千歳は頷いて、


「私がここで負ければ、今までの人格だった『ちーちゃん』が消える。裏生徒会に関われなくなった以上、もう価値が無いからだろうね。恐らく、主人格である私も裏生徒会に関する記憶は失われる事になるだろうけど」

「だから、最後」

「そうゆうこと。『ちーちゃん』は貴方の事が本当に好きだった。一番大切な筈のお兄ちゃんと同じくらいに。

 恨んでもいいよ? なんで『ちーちゃん』が消えて、私が残るのかって。そう思ってくれるくらい、貴方は『ちーちゃん』を好きでいてくれたっていう事でしょ?」

 

 千歳はそう言って、悲しげに笑った。

 彼女だって兄の事が大切なはずだった。元の人格が抱いていた感情が大きくなったのがもう一人の千歳なのだから。

 自分に出来ないことを、もう一人の自分がやっていてくれた。

 だから、と千歳は言うのだ。


「織田卓磨君ありがとうございました。私の我が儘にここまで付き合ってくれて。私はけじめをつけなきゃいけない。もう一人の私が犯した罪は簡単に償いきれるものじゃないから」

 

 その通りだ。千歳が関わった事で、失われた物がたくさんある。

 俺が知る限りでは、あの男子生徒の様に、どうにもならずにすがる様な奴だって他にもいたはずなのだ。けれど千歳は自分勝手な考えでそれを踏みにじった。

 償いは、そう容易いモノではないだろう。


「償いは、いずれ誰もがしなきゃいけない。俺だってこうして勝ち残ってるってことは、他のやつらから奪って来てるって事だから」

「うん、そうだね。だったらこう言えばいいかな。私は前に進むためにここで負けるの。貴方を勝たせる事で、もう一人の私はきっと満足できる。私は彼女の事を忘れずに、もう一度やり直したい」

 

 強い。

 俺が知る誰よりも、ここにいる少女は強い。

 瀬戸千歳はこんなにも強い少女だったのだ。俺をいつだって支えてくれていた少女もまた、ここにいる彼女の一部分に違いないと俺は確信した。

 そんな強さが羨ましくあり、見習いたいと思った。

 これから先、まだまだ続く戦いの中で、自分を見失わないように。

 だが、


「俺がそれで納得すると思ってるのか?」

「え?」


 もう一人の千歳? 違う、そうじゃない。俺が求め、俺を欲した『アイツ』が俺にとっての瀬戸千歳だ。


「いきなり出てきて、何を言ってんだお前。変われよ、お前に用は無い。俺は『千歳』と戦いにここへ来たんだよ」

「ちょ、ちょっと待って。君はもう戦わなくてもいいのよ? 私が負けを認めれば、君は無事に対校戦へと進める――」

「そうじゃねぇって言ってんだろ」

 

 制し、言う。


「ニ重人格だとか、デュアルエンジニアリングがどうとかどうだっていい。俺は千歳と決着を付ける、ただそれだけだ。俺が、そしてあいつが前に進む為にこれは必要な事なんだよ」


 それが答え。この言葉の意味が分かっていないあいつは、千歳じゃない。

 それこそ、あいつの能力が生み出した嘘のような存在の一つだ。


「私には分からないよ。君の言いたい事は。もう、好きにすればいいよ。けど、私が本当の瀬戸千歳ってことは変わらない、『ちーちゃん』に会えるのはこれが最後だよ」


 言われるまでも無い。これは最後、そのつもりだ。


 そして、千歳はふっと力を抜いた。それから一瞬のあと、瞳が変わる。


「卓磨……」

「よぉ、戻ったかよ」


 俺の知る千歳。どこか、ぼうっとした視線は、俺をしかと視界に捉えた。


「大丈夫。続きをしよ?」

 

 あぁ、やっぱりこの女は分かってる。俺が望む事を、何がしたいのかも全て。

 だから良い女だって、そう思える。


「なぁ、千歳。俺はお前に言わなきゃならねぇ事がある。聞いてくれるか?」

「……うん」


 瞳が揺れる。蠱惑的な魅力は、俺を魅了したモノ。


「俺は、お前が好きだ」


 そんな彼女に言う。


「お前が大切だ。お前とずっと一緒に居たいとそう思う」

「うん、私も」


 けど、


「なら、俺を選んでくれるか? 俺が一番だとお前は言ってくれるか?」


 そう言い、俺は千歳があの日、俺に預けていった物を差し出す。

 契約の証とばかりに預けられていた、それを。


「おにいちゃんの眼鏡……」


 知らず、預かっていたのは千歳の兄の遺品だったらしい。凄く大切な物を俺に預けられていたことに一瞬だが血の気が引く。


「なぁ、俺とお前の兄貴、どっちがお前にとって大事だ? 答えてくれよ」

「決まってる。私にとって一番大切なのはおにいちゃん」

「だよな。知ってたよ」

「なら、私も聞く。卓磨は私と妹、どっちが大切?」

「決まってる。光凛だよ」

「うん、知ってる」


 そう、知っていた。お互いが依存しあいながら、求めていたのは別の存在であるという事を。

 俺たちは似ている。大切なものが同じなのだ。

 

「そっか。やっぱり、そうなるよな」

「うん、そう。やることは一つしか無い」


 何をしに、ここへ来たのか。忘れた訳じゃない。これは最後の確認だ。

 一歩、二歩と、俺たちはお互いの距離を狭めていく。

 そして、二人の身体が、触れ合うほどに近くなり――


「これ、返すよ。大切なものは簡単に手放しちゃいけない」

「ごめんなさい。ありがとう」


 俺は千歳にその眼鏡を返した。これで、もう、残す事は何も無い。


「好きだったよ千歳、さよならだ」

「好きだったよ卓磨、さようなら」


 これが本当に最後。

 最低な出会い方、最悪な、愛し方。

 それしか出来ない、不器用な俺達の最高の終わり方。

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