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十四話 前哨戦

 眠い。

 瞼が重く、全身がだるさを訴える。

 

 昨日家に帰ったのは日が変わって一時間が経ってから。そうして家に帰って光凛の寝顔を見ようとそっと襖を開けてみても、誰も居ない事を思い出して嫌になる。

 

 いじけた気持ちをシャワーで流そうとするが、焦げたカレー鍋の様にこびりついて離れてはくれない。

 布団にくるまって無理矢理寝てしまえば、悪夢が俺の精神を蝕んできた。

 

 起きたのはいつもより一時間早い五時。

 する事など無く、ただぼうっと壁を眺めて時間を潰す。

 光凛の食事は必要ない、という事だけが皮肉な事に有り難い。俺は一人、味の無いパンをかじって家を出る。

 

 七時丁度。

 学校は朝特有のシンとした雰囲気で満たされていた。

 やや湿った空気と、鼻をつく土の匂い。小鳥の囀りさえも俺の五感は鮮明に捉える。

 人が活動する上で早朝は最もそれに適している、と剣道の先生が言っていたのを思い出す。

 

 なるほど、確かにそうかもしれない。

 今や俺の五感は辺りに起こる些細な事象を鋭敏に感じ取る。それは、俺の感覚神経は研ぎ澄まされている故の現象だろう。

 体が思ったより動かないからこそ、感覚が研ぎ澄まされているのかもしれない。

 そんな事を思いながら俺は下駄箱で靴を履き替える。

 

 ふと、俺は人の気配を感じた。

 張り詰めた殺気のようなもので、肌がひりつく。

 どうやら俺が一番乗りではないらしい。

 昨日まではそこに行くことを躊躇していた筈なのに、俺の足は自然とそこへと運ばれる。

 

 武道場。

 そこに居たのは、長髪を束ねた少女。

 両手でしっかり持っている竹刀は中段で構えられ、剣先と視線は虚空を睨み付けている。

 体に力みはない。その自然な構えは何処からも付け入る隙を与えない見事なモノ。

 しかし、彼女の周囲に漂う殺気はまさしく本物であり、その鋭さは即ち刃の様。

 

 ――来る。

 

 刹那俺が感じ取った初動の予感。僅かな息遣いが俺にそれを察知させた。


「せあッ!!」

 

 声と共に踏み出された右足と竹刀の先端が、虚空に面を打つのと重なる。

 心技体が完全調和したまさしく完璧な面打ち。

 剣の道を志す者なら誰しもが求める頂を、彼女はもうそこまで来ていると、その視界に入れている。

 

 俺は感嘆していた。

 その剣筋の美しさは俺の心を打った。

 俺も同じ道を目指していたからこそ思う、その剣の素晴らしさはまさしく本物だ。

 腕が震える。俺も今すぐ竹刀を振りたい。この手が動きさえすれば。

 そう思っていると、少女はこちらに気付いた。

 俺の存在に今気付いたとばかりに、ばつの悪そうな顔をする。それほどまでに集中していたということだろう。


「覗きとはいい趣味をしていますね」

 

 言いながら、佐伯がこちらへと歩いてくる。


「どの面を下げて貴方はここに顔を出しているのですか?」

「目の下にはクマが出来てるけど、それなりに整った顔立ちの男子高校生みたいな顔」

 

 と、俺は真顔で言ってみた。

 当然そんな冗談が通じる相手では無いというのは分かっているが。

 佐伯はやはりというべきか、やれやれといった風に嘆息した。


「不快です。見ても面白いモノでも無いでしょう。何故貴方がここに?」

「別に。ただなんとなく。けど、来てみた価値は有ったと思うけどな」

「それはどういう?」

「お前の剣が見事だって事。やるじゃんお前。俺より強いかもな」

 

 率直な感想。とはいえ少し上から目線になってしまったが。

 佐伯が目を細める。


「……嫌味ですか? 『鮮剣』の二つ名を持つ貴方にそんな事を言われても……」

 

 眉を歪ませ、唇を噛み、絞り出すような小さな声音で佐伯は言う。


「……嬉しくなんてない」

 

 そう言った佐伯の表情は本当に辛そうでいて、どこか諦めすら滲んでいた。

 ただその表情は俺に対する敵意を含んだモノではなく、どちらかと言えば自分に向けた、自嘲の念が多分に含まれていた。


「貴方は嘘吐きだ……」

 

 別に嘘って訳じゃ……


「何故貴方は私達に嘘を吐いたんです? 明智先輩の気持ちを踏みにじる様な形で!」

 

 一転する表情は、怒りの発露。佐伯は俺を嘘吐きだと糾弾する。


「裏生徒会に貴方は参加していないと言った……。けれど明智先輩の元に届いた通知には貴方の名が有った。これはどういう事ですか!」

 

 俺は半ば呆れを含ませつつ、投げやりに答える。


「嘘を吐いたつもりはねぇよ。少なくともあの段階じゃ、俺は裏生徒会に参加しちゃいなかった。けど、俺の名前が有るって事はそういうことだろ。どうせ、お前らも自分の力じゃどうにもならないからこうして胡散臭いゲームに参加してんだろ? なら人の事を言ってられる立場じゃねぇだろ」

 

 淡々と、感情の篭らない口調で言い終える。佐伯の悲痛の面持ちは変わらないまま、「それでも……」と続く。


「明智先輩は貴方にだけはこのゲームに関わって欲しくないと願っていた。確かに貴方が選んだ選択を私達がとやかく言う筋合いは無い。けれど、貴方が選んだ道は明智先輩と対峙してまで歩まねばならない道だとでも?」

「それは……俺が遊び半分でこのゲームに参加したと思ってるって事か?」

 

 佐伯は答えず、目で肯定する。

 確かに昨日は千歳の名前を出した時に顕著な反応を見せた二人。そこには疑念しかなく、明智は千歳にそそのかされたと思っているのかもしれない。

 だが――、


「舐めるなよ佐伯」

 

 俺の決意がそんな生半可な訳が無いだろ。


「俺はお前ら参加者全員叩き潰してでも手に入れなきゃなんねぇモノがあんだよ。恥も外聞も、俺の全部を擲ってでも掴まなけりゃならねぇんだ」

 

 光凛の命は、そんなに軽いモノじゃない。


「明智に言っとけ佐伯。お前は俺の敵だってな。邪魔すんなら……」

 

 俺は踵を返し、出口に向かって歩きながら言った。


「潰す」

 

 佐伯は俺に何も声を掛けなかった。

 これで理解しただろう、俺の覚悟を。俺の意思を。

 俺もここから固めるのだ。強固に、何層もの殻で固めて。

 ぶれず、歪まず、反れず、真っ直ぐに突き進む確固たる意思を。

 そう胸に掲げ、歩き出したその時だった。


「――ッ」

 

 目前には、屹立する男の姿があった。


「織田……」

 

 明智大和は、そこにいた。

 

      ●


 俺と明智は同じ道場で競い合った幼馴染みだ。

 小中高と同じ道を歩く位には腐れ縁だと言えるだろう。

 中学の時には同じチームで全国大会にまで進んだ事もある。俺と明智は有り体に言って好敵手だった。

 

 そう――だった、のだ。

 俺達の道が違えたのは俺が起こした事件。

 それは、何処からもどう見ても覆る可能性の無い暴力事件。

 

 型で使われる木刀を用いたその事件は、負傷者五名内三名を病院送りにする程の凄惨な事件だった。

 俺がその事件を起こし、停学が決まった時一番に庇ってくれたのは明智だった。

 明智は良い奴だ。結果はどう見ても俺の一方的な暴行事件だと言うのに、それでも明智は俺の無実を訴えた。

 嘘だ、織田はそんな事をするはずない、と。

 

 しかし、それは無理な話だ。

 俺が自ら認めれば、誰がなんと言おうともそれをどうにか出来る筈もない。

 今にして思えば、あの時の明智のショックの受け方は当の本人である俺よりも凄まじいモノだったかもしれない。

 

 だがこうして俺はあの事件を、まるで他人事の様に語る事が出来ているのはつまりそういうこと。

 俺が、明智と違う道を選んだという事実があるからだ。

 だから俺達は、違う道を選びながら、再び巡り合う事があるとすればこの時しかないと薄々感じていたのかもしれない。

 今こうして俺の前に立ちはだかる明智の表情は、全てを受け入れ覚悟した者の顔だった。


「織田――俺はもう何も言うつもりはない。お前が選んだ選択が後悔だらけだったとしても知ったことか。お前は俺の敵だ」

 

 平坦でありながら、一本芯の通ったその声。明智は真っ直ぐに俺を見定める。


「分かってるならいいんだよ。そう、俺とお前は敵だ。情けも容赦も手加減も、指一本分の同情すらも必要ない。そうだろ?」

 

 俺も明智を睨み付ける。閑散とした道場の空気が一気に緊張していくのが分かる。佐伯もどうしたら良いのか分からずに、ただ唇を一文字に引き結んでいる。

 暫くして、俺が先に動いた。

 明智の横をすり抜け教室へと向かう。同時に、明智も歩いていくのが分かる。

 正反対に向かって歩いていく俺と明智。まさしくそれは、俺達の道が交わらない何よりの証明だった。

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