第1話 最悪の出会いと、極上の神輿
人間、どん底まで落ちると、逆に頭が冴え渡るらしい。
ブロンズ伯爵の城門からパンツ一丁(一応、破れたカーテンは巻き付けた)で放り出された俺は、夕暮れの路地裏をあてもなく彷徨ていた。
だが、そんな惨めな状態にあっても、耳に入ってくる『巷の噂』にはどうしても意識が向いてしまう。
それが噂を飯の種にする男の、悲しい性分だった。
大通りの大衆酒場から、下品な手拍子と爆笑が響いてくる。
「♪聖剣抜いたら〜(ハイ!)」
「♪女の子を泣かせ〜(ハイ!)」
「♪魔族と握手で〜(ハイ!)」
「♪金貨をガッポリさ〜(ヨイショ!)」
「♪アルトだ! アルトだ! 追放しろ! 」
「……なるほど。終わってるな、これ」
俺は思わず足を止め、冷ややかに感心してしまった。
現在、この国で誰もが囃し立てる物笑いの種――元・神聖ギルド所属の勇者アルトを誹謗中傷する、けなしの唄だ。
事前に流れていた「受付嬢へのハラスメント疑惑」という生理的嫌悪感の煽りと、「魔族との裏取引疑惑」という愛国心への恐怖。
その二つのでっち上げの噂を、居酒屋の酔っ払いが手拍子で大合唱できる、掛け合いの唄に仕立て上げている。
悪質極まりないが、人の心を煽る手口が全部盛り込まれた代物だ。
仕掛けたギルド長は相当な悪党だが、噂の転がし方をよく分かっている。
「痛っ! 痛いって! 待って、俺、本当にそんなことしてないんだってば!」
その時、酒場の裏口から、凄まじい勢いで「何か」が転がり出てきた。
ドサリと泥水に突っ込んだのは、眩いばかりの金髪に、彫刻のように整った顔立ちの少年。
背中には、世界に一本しか存在しないはずの『聖剣』を背負っている。
――勇者アルト、その人だった。
酒場の窓から、客たちが「売国奴!」「セクハラ野郎!」と口々に叫びながら、腐ったトマトや生ゴミを投げつけている。
アルトは世界最強の肉体を持っているくせに、民衆相手に剣を抜くこともできず、ただ涙目で頭を抱えて縮こまっていた。
「おい、こっちだ。神輿」
「えっ!? うわっ!?」
俺はとっさにアルトの襟首を掴み、ゴミ箱の陰のさらに奥、暗い路地裏へと引きずり込んだ。
追っ手の気配が消えたのを確認し、俺は腕を組んで、泥だらけの少年を見下ろした。
「……君が、今をときめく、石を投げられてる勇者のアルトくんだね?」
「石を投げられてる……? あ、うん、なんかみんなに怒られてて、石も投げられてて……。あの、助けてくれてありがとう、カーテンの人!」
「カーテン言うな。ラセルだ。宮廷詩人をやってた。……なぁ、単刀直入に聞くけど。君、本当に受付嬢を泣かせて、魔族から金をもらったの?」
ここが重要だ。
もしガチの犯罪者なら、危険すぎて担ぎ上げることなんてできない。
俺の問いに、アルトはブンブンと激しく首を横に振った。
「違うよ! 受付のミリーさんには、いつも『顔が近くて怖い』って言われてたから、少しでも印象を良くしようと思って、覚えたての一発ギャグを披露しただけなんだ!」
「一発ギャグ」
「うん! 『魔獣のモノマネ〜!』って言って、顔をぐしゃぐしゃにして唸りながら、両手をこう、ミリーさんの肩にガシッと置いてガオガオって!」
「……うん。それ、ただの事案だね。セクハラっていうか威嚇だね。悪意がないのが逆にタチ悪いわ」
早くも頭が痛くなってきた。
「じゃあ、魔族との裏取引は? 国境の砦が落ちた日、君は密林の奥で魔王の使者から袋を受け取っていただろう、って歌われてるけど」
「あれはただの迷子だよ! 砦に行こうとしたら森で迷っちゃって……。そしたら、すごく肌の黒い、ツノの生えた親切なおじさんが『お前、迷子か? これでも食え』って、森の特産品が詰まった袋をくれたんだ。俺、嬉しくてお礼に握手した!」
「おじさんて……それ、魔族の斥候だよ。完全に敵の偵察部隊に餌付けされてるじゃねえか。っていうか、勇者のくせに国境地帯で迷子になるな!」
呆れた。
あまりの脳筋っぷりと、人を疑うということを知らない純粋さに、眩暈がする。
要するにコイツは、悪意があって世界を裏切ったんじゃない。
ただの「絶望的にアホなピュア少年」なのだ。
それを悪徳ギルド長が、空白の行動時間とミリーさんの苦情を強引に結びつけて、完璧な「売国勇者」のストーリーに仕立て上げたわけだ。
「はぁ……。つまり君は、何も知らずにハメられて、弁明の仕方も分からずに、国中から石を投げられてるわけだ。本当に何も知らないんだね、君は」
かわいそうに。
この世の中は、剣の振り方は知っていても、噂の扱い方を知らない純粋な奴から死んでいく。
コイツの人生は、ここで完全に詰んだ――。
……ん?
待てよ。
(ちょっと待て……。悪意が『ゼロ』。戦う力は『天下一』。顔は『とびきりの男前』……。これ、話の見せ方さえ変えれば、爆発的な『同情』を買えるんじゃないか……?)
ピコーン、と脳内で計算の鐘が鳴り響いた。
俺の腹の中の算盤が、カチカチと爆速で弾かれ始める。
今、民衆は「完璧な正義の味方」だと思っていたアルトが「実はクズだった」という落差に怒っている。
ならば、そのさらに裏。
「実はクズだと思われていた勇者は、悪徳ギルドにハメられただけの、不器用で誰よりも純粋な少年だった」
という、もうひとつの落差を世間にぶちまけたらどうなる?
民衆は自分の早とちりを恥じ、今度は一転して猛烈な《罪悪感》と《反動》で、アルトを全肯定し始めるはずだ。
いける。
これは、勝てる。
ギルド長が作った
「最悪の悪評」
俺の手にかかれば国中を熱狂させる
「最高の評判」
反転できる!
おまけに、このアホ勇者を俺が丸ごと囲い込めば、これからの魔王討伐の褒美は全部俺の取り分(不労所得)だ!
「あの、ラセルさん……? 急にニヤニヤして、顔がすごく悪魔みたいになってるけど大丈夫……?」
「ん? ああ、ごめんごめん。君があまりにも可哀想で、胸が痛くてね(嘘)」
俺は一瞬で詐欺師仕込みの爽やかな「宮廷詩人の笑顔」を貼り付け、アルトの両手をがっしりと握りしめた。
「アルトくん。君の無実と純粋さは、この俺が、歌の力で世に証明してみせる。俺を信じて、一緒に世間をひっくり返さないか?」
「ラセルさん……! うん! 俺、ラセルさんを信じるよ!」
純粋な瞳をキラキラと輝かせ、涙ぐむアルト。
よし、契約成立だ。見た目だけの極上の神輿は手に入った。
待ってろよ、悪徳ギルド長。
お前が仕掛けた安っぽい騒ぎ、プロの噂返しで綺麗に丸焼きにしてやるからな。




