雷継
「……ッ」
ラグナの動きが、一瞬だけ止まった。
拳を振り抜こうとしていた腕が止まり、瞳だけが大きく見開かれる。
「……そういう、ことか」
誰に向けた言葉でもなかった。
胸の奥で、止まっていた歯車が音を立てて噛み合っていく。
失われていた記憶、封じられていた過去。
その全てが一つに繋がった。
ラグナは静かに目を閉じる。
そして、小さく笑った。
「ハッ……」
その笑みは、これまで浮かべていた獰猛なものではない。
どこか肩の荷が下りたような、穏やかな笑みだった。
「……どうした」
雷牙が構えを崩さぬまま問う。
ラグナはゆっくりと目を開く。
「いや、何でもねぇ」
短く答え、拳を握る。
裂光が全身を駆け巡り、青白い火花が静かに弾けた。
「最後まで付き合えよ」
雷牙は小さく笑う。
「言われなくても、そのつもりだ」
「そうか」
ラグナは嬉しそうに頷いた。
「やっぱり、お前で正解だった」
「……何の話だ」
「ただの独り言だ」
言い終えるより早く、ラグナは地面を蹴る。
雷牙も反射的に踏み込む。
互いの拳が再び真正面からぶつかり合った。
衝撃波がフードコートを駆け抜ける。
それでも二人は止まらない。
拳を交え、蹴りを放ち、互いの攻撃を真正面から受け止める。
「ハハハッ!」
ラグナは心の底から笑った。
「最高だ!本当に最高だ、お前!」
雷牙は返事の代わりに拳を叩き込む。
ラグナはそれを受け止めると、そのまま雷牙の手首を強く掴んだ。
「……!」
雷牙が眉をひそめる。
「何のつもりだ」
ラグナはニヤリと笑った。
「決めた」
「……?」
「お前なら、この力を腐らせねぇ」
その瞬間、眩い閃光が二人を包み込んだ。
雷とは違う何かが、雷牙の身体の奥深くへと流れ込んでいく。
知らないはずの感覚、知らないはずの力。
身体のどこかに、新しい何かが刻み込まれていくのを感じていた。
雷牙は思わずラグナの手を振り払った。
「ぐっ……!」
数歩後退し、息を乱す。
「……今、何をした」
ラグナは何事もなかったかのように肩を回し、満足そうに笑った。
「俺からの餞別だ。」
「餞別……?」
「そのうち分かる。返却不要だぜ」
そう言って再び拳を構える。
「さぁ、早く続きをしようぜ、雷牙。」
ラグナはゆっくりと息を吐いた。
口元には、最後まで消えない笑みが浮かんでいる。
「最高だったぜ、雷牙」
裂光が全身を駆け巡る。
弾けた雷が足元の瓦礫を跳ね上げ、崩壊したフードコート跡地を青白く染めた。
雷牙は何も答えない。
脳はとっくに限界を超えている。
それでも身体は迷わない。
目の前の敵だけを見据えていた。
ラグナが踏み出すと同時に指を鳴らした。
「絶縁」
雷が雷牙の全身を貫く。
脳から身体へ送られる電気信号は断ち切られた。
だが、雷牙は止まらない。
一切の淀みなく攻撃を繋ぎ、ラグナへ食らいつく。
ラグナは次々と攻撃を受け流しながら笑った。
「それでいい。止まるような奴だったら、ここまで楽しめなかった」
雷牙の拳を弾き返すと、大きく後方へ跳ぶ。
崩れた瓦礫の山へ着地したラグナは、静かに右腕を掲げた。
「天衝!!」
ショッピングモール全体に残っていた電気が、一斉にラグナの右腕へ集束する。
耳をつんざくような高音。
その刹那、一気にフードコートを巨大な電撃が包み込んだ。
雷牙は真正面から駆け出す。
迫る電気を紙一重でかわし、砕けた床を蹴り、舞い上がる瓦礫を足場にしてさらに加速する。
雷撃が背後で炸裂し、熱風が背中を押す。
それでも雷牙は止まらない。
一直線にラグナとの距離を詰める。
「紫電撃!!」
雷を纏った拳が唸る。
ラグナも迷わず拳を振るう。
「裂光!!」
拳と拳がぶつかり合う。
衝撃で周囲の瓦礫が吹き飛び、地面に大きな亀裂が走る。
そのまま蹴りが交差し、肘がぶつかる。
互いの攻撃を受けながら、一歩も退かない。
ラグナは笑う。
「その調子だ!!」
雷牙は返事をしない。
雷哭が身体を動かし続ける。
ただ倒すために、ただ勝つためだけに。
二人は激しく打ち合い、やがて同時に距離を取った。
互いに向かい合う。
崩れたフードコート跡地には、もう戦いを遮るものは何もない。
足元に瓦礫だけが静かに転がっていた。
ラグナはまた拳を握る。
裂光が今までで最も激しく弾け、周囲の空気を震わせる。
「これで終わりだ」
雷牙は静かに腰を落とした。
焼き切れそうな脳が、それでも最後の最適解を探し続ける。
距離、踏み込み、重心、呼吸、視線。
すべてが、本能の中で組み立てられていく。
ラグナが一歩踏み出した。
「来い、雷牙」
雷牙も踏み出す。
一歩、また一歩と二人の距離が縮まる。
ラグナは笑ったまま拳を引く。
裂光が拳の一点へ集束していく。
雷牙とラグナの距離が約10メートルになった瞬間だった。
雷哭が答えを導き出す。
「……電遷」
雷牙の身体が一瞬だけだが雷へと変わる。
踏み込みの勢いを殺すことなく、ラグナの目の前へ滑り込む。
ラグナは避けない。
むしろ自ら一歩踏み込んだ。
「最高だ。雷牙!!」
裂光を纏った拳を振り抜く。
雷牙も呼応するように右腕を振り抜く。
すべてが、その一撃へ収束する。
「驟破ッ!!!」
「裂光ッ!!!」
二人の渾身の一撃が、真正面から激突した。
青白い閃光が視界を埋め尽くし、積み重なった瓦礫が一斉に宙へ舞い上がる。
激しくぶつかり合う雷と電気。
互いの力は一歩も譲らようとしない。
均衡は、ほんの一瞬だけ続いた。
裂光が驟破を押し返し、驟破が裂光を押し返し合っていた。
その均衡は、ラグナの右腕が消し飛んだことにより、終わりを迎える。
「……ッ」
ラグナは笑った。
避けようとも、受け流そうともせずに、自分の身体に拳を押し込んだ。
「そうだ……それでいい」
驟破が裂光を貫いた。
鈍い衝撃が走る。
ラグナの身体が大きく後方へ弾かれ、瓦礫の山へ転がる。
舞い上がった砂埃が静かに晴れていく。
雷哭はまだ身体を動かそうとしているが、雷牙はその場から動けなかった。
とっくに限界だった。
全身が焼け付くように痛む。
膝が震え、呼吸が乱れる。
それでも視線だけはラグナから逸らさなかった。
瓦礫の中で、ラグナが小さく笑う。
「ハハ……」
苦しそうな笑いではなく、満足そうな笑いだった。
「負けたか」
雷牙は無理やり立ち上がり、ゆっくり歩き出す。
一歩ずつ地面を踏みしめ、やがてラグナの前で立ち止まった。
ラグナは空を見上げた。
崩れた天井の向こうには、薄く差し込む光だけがあった。
「……雷牙」
「……なんだよ」
「最後まで……楽しかった」
雷牙は少し苦笑し、静かに息を吐く。
「俺もだ」
ラグナは少しだけ目を細めた。
「なら、よかった」
しばらく沈黙が流れる。
瓦礫が崩れる音だけが響いていた。
やがてラグナは、小さく呟く。
「……天城蒼真に伝えろ」
「……なんでお前があいつの名前を」
「コハクを止めてくれ、ってな」
その言葉とともに、肩の力がゆっくり抜ける。
裂光を纏っていたラグナの身体も、静かに落ち着いていった。
ラグナは最後まで笑みを浮かべたまま、静かに目を閉じる。
もう、その瞳が開くことはなかった。
雷牙は何も言わない。
何も言えなかった。
勝った実感も、喜びもない。
あるのは、全力で拳を交えた相手を見送る静かな時間だけだった。
その時だった。
雷哭により、限界を超えて動いていた身体が動かなくなる。
身体中を駆け巡っていた雷が一気に霧散し、全身から力が抜けた。
「……がっ」
視界が大きく揺れ、膝をつく。
それでも最後に見えたのは、穏やかな表情で眠るラグナの姿だった。
「……ありがとな」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
次の瞬間、雷牙の意識は静かに闇へと沈んでいった。
崩壊したフードコート跡地には、もう雷鳴は響かない。
残されたのは、戦いを終えた静寂だけだった。




