現実逃避の哲学
私はただ沈む。深く…深く…
この世界は、ちと眩しすぎる。
私は常に半眼で、完全に開けることは、おそらく未来永劫来ないだろう。
ときどき、目を閉じてはこんなくだらないことを考えている。思考が深くなるにつれ、臓腑も沈んでいき、腹の辺りに詰め込まれるような感覚に陥る。
かの哲学者たちは、生き方や、生きるうえでの考え方などを説いてきた。だが、要はただの現実逃避では?と思ってしまう。そんなことを言おうものなら、哲学者にリンチにされそうだが、一例を挙げよう。浄土真宗の念仏、「南無阿弥陀仏」はだれでも知っていると思う。これは、簡単に言えば、「この念分を唱えれば、だれでも極楽浄土に行けますよ〜」という思想だ。完全に他力本願で現実逃避的な思想だと思わないか?
もちろん、全ての哲学を現実逃避と言うつもりは毛頭無い。だが…いや、違うな。私がただ現実逃避のおもちゃにしているだけだな。現実問題から目を逸らし、くだらないことをさも大事のように、思慮しているだけだ。
はあ…こう神経衰弱になっては、なにもやる気が起きない。だから、とりあえず目をつぶってはこんなことを考える。そのまま深く…深く…潜っていく。私は慢性的な寝不足なので、大抵そのまま眠ってしまう。
深く…深く…沈んでいく。
腹の底に、どこからともなく水が溜まり、だんだんかさが増していくような。
自分の…色、性質が変わるような。
そして、終には深淵で満たされる。




