人を選ぶ、それは劣等感のようなもの
一次創作者なら、誰だってそうでしょう?
軽い自己紹介をさせていただきます。
私の名前は、戸神 海といいます。今年で二十歳になり大学生です。
趣味は、読書と映画鑑賞、お散歩特に変わった趣味はないですが、少しだけ変わっている趣味といえば小説を書いていることです。
そんな私の何気ない、日記のような作品です。
私の隣には、才能者がいます。
なんの才能か、と問われると少しだけ困ってしまいますがおそらく書き手としての才能というやつでしょうか。羨ましい限りです。
同じ物書きです。
同じくらいの時間、同じように小説を書いてきたとても大切な友人です。
ですが、私よりずっと…ずっと面白い作品を書いています。
ジャンルが随分と違うので、比べても意味がないことや、人によって趣味があるのでどっちが良いかなんて優劣をつけられないことなんてとっくに知っています。
それでも私は自虐という皮肉であると理解してこの言葉を使っています。
彼は残酷です。無邪気で、無垢に私の作品を褒めてくれます。
───彼は、今では、立派な小説家です。
彼の本を、本屋で目にするたび、その本を手に取りレジに並ぶ短い時間に何度も棚に戻して買うのをやめてしまおうかなと考えてしまいます。
私の心の中はまるで泥の海のようにぐちゃぐちゃです。底なし沼のような何かが渦巻いています。
苦しい。心臓が止まるような思いをしてしまいます。
何度も、何度も買うのをやめよう。棚に戻してなかったことにしよう。
そう思うのに、結局買ってしまうのです。
面白いから。
ストーリー、起承転結、設定の深み、スピード感のある描写、ワクワクする。キャラクターは皆魅力的でしっかりとした掘り下げがされている。
説得力のあるセリフ。
文字を目で追っていく、ページをめくるたびに冒険に出るような気持ちになる。
そんな、素敵な小説を彼は書いています。
私もファンです。
好きなキャラクターが居て、好きな章があり個人的に買う程度には好き。
読者として、推している作家の一人だと言ってもいいでしょう。
友人としても、とても、えぇ、好きだと言えます。
でも、一人の物書きとして、悔しい。
伸びない再生数、感想、意味のないエゴサーチ、何度も何度もSNSの海を目にする。
書く事への息苦しさ、投げ出したくなる。海の中で呼吸をするような理不尽さ。
小説なんて、書くんじゃなかったと思うことだって少なくないです。
彼が成功するたび、私に笑顔で無邪気にどうだった?面白かった?と聞いてくるたびに私の心の中はぐちゃぐちゃになってしまいます。
その度に、私は、素直に面白かった、好きだよと口にします。
なのに何故か、目の奥が熱くなってしまう時があります。
なんて嫌な友人でしょうか。彼の成功を素直に喜べない私がいます。
でも、うれしいとも思うのです。友人として純粋にうれしいと思います。
彼が成功することも、自分のことのように誇らしく、誰かに自慢して回りたい気持ちでいっぱいになったりもします。
私の友人はこんなにすごいんですよ!見てください!読んでください!と子供のようにはしゃいで見たい気持ちにもなります。
それでも私は、彼にひどく嫉妬をしてしまう。
何もかもが違う。悔しさや、嫉妬なんて抱くことが烏滸がましいほどに彼の紡ぎ生み出す作品は素敵です。私は、絶対に書く事ができないそれに憧れます。
それでも、そう思わずにはいられない。
悔しいと!
私は彼が好きです。友人として、とても大切な存在です。
だからこそ、私は彼の友人であると胸を張り続けるために筆を執るのです。
苦しい、吐き出すような言葉。
人の、見たくない部分をわざと書き連ねます。
読者は、ひどく薄情です。でも、読者の見たいものはなんとなくわかります。
強い欲や光に人は一種あこがれのようなものを抱きます。それが、見たいのです。
だから、この私の名前をつけることが難しいひどい欲を吐き出して書くのです。
私の文は、重たくて、息苦しくて読んでいて気持ちが良いわけではありません。
疾走感や愉快さはない。海の中のようなストーリー。ゆっくりとした展開。
人を選ぶ設定。わかっています。
それでも私は書き続けます。
書かないと、私は彼の友人ではいられない。
どうか、私は彼と一生友人でいたい。
祈りや儀式に近い私の文
だから、私は吐き出すような言葉を使うのです。
この物語は、私が彼の隣に立つだけのストーリーです。
どうぞ、よろしくお願いします。
頑張って前を向く、それだけです。




