十三章 第43話 血闘の勝者
「アンタも、ようやクさようなラよ。アクセラ=ラナ=オルクス。憎い仇デあり、高い壁でアり……そう、そして憧れでモあった者ッ」
まさしく愛憎入り混じった言葉。胸の内の火を吐き出すような独白を残し、ダルザは右手を高々と掲げる。
キュィ……ィンッ!!
血色に鬼雷のべっ甲が混じって、光は暗く濃いオレンジに染まる。それが鋼糸を伝って五指に集まり、しかし手中には留まらず、すぐにもう一度末端へと広がっていった。
広がって、また集まって。集まって、また広がって。脈動するようにスキルとも魔法ともつかない輝きが天蓋のごとく半壊した町を覆い、夜の闇を不吉な色に染め上げる。
「繰血奏糸・天砕く……ッ」
大技が来る。糸に戒められ、磔にされ、獣のように唸って藻掻くしかないアクセラの頭上に、莫大な殺意が渦を成して……その時だった。
ダァン!ダァン!!
突然の銃声が半壊した大通りに届いた。ほぼ同時、弾丸がダルザを襲う。
一発目に掲げた右腕の肘を食い破られ、二発目に鬼力の鎧を砕かれ、衝撃で遥か後方に吹き飛ばされる長身の半鬼。
「ぎ……ッ!!」
塔からの狙撃だと、そう理解しつつダルザは逃げなかった。
それどころか空中で身を捻り、着地するなり躊躇いなく前へと踏み出す。
「こんなコトでッ、アタシはァ……!」
輝きを握りしめたまま千切れ、宙を舞う右腕。地を蹴り、左手を伸ばし、ソレを掴む。
崩壊喪失寸前だった魔技の神髄を制御下に取り戻し、即座に別の形へ組み替える。
「止まラなィのよぅおおおおおおおおおッッッ!!!!」
腕が内側から破裂し、剥き出しになった骨が天から降り注ぐ鋼糸を受け止める芯となる。
肉は溶け、全てが血となり、紅玉のように輝く穂先として再形成される。
「繰血奏糸・殉教者の血槍!!」
投擲。全身全霊の『繰血術師』と『限定鬼化』で強化された筋力が、骨肉の短槍を流星にする。
直後に三発目の銃弾がダルザの右半面を吹き飛ばすが、鬼雷の尾を引く致命の一撃はすでに放たれた後だ。
「ンふははははッ!死にナさい、アクセラ=ラナ=オルクスゥ!!」
路面に投げ出され、顔の半分と角、それに第三の目までを失いながらも笑う復讐鬼。
アクセラの胸を真正面から穿とうとする赤い禍星。
彼我の距離を一瞬で貫いたその穂先を、しかし寸前で鋼色が受け止めた。
ギィイイイイイイン!!
硬質な音と血しぶき、そして黄金と紫の火花が爆発する。
「ンなぁッ!?」
ダルザの口から低い驚愕の声が飛び出した。
仕方のないことだ。彼の放った致死の一投を受け止め、押し返し、斬り砕いてみせたのは……握る者のいない、少女の前に独りでに浮かぶ大振りの刀だったのだから。
「な、ど、どウいうコトよ……」
がばっと起き上がり、左目だけでその光景を睨みつけるダルザ。
力強い黄金龍の頭を柄尻に持ち、深みのある鋼の刀身には満開の花木の一枝を思わせる重花丁子の刃紋。武器としての冷酷な鋭さと、神匠の手からなる圧倒的な品格を併せ持つ一振り。誰が見てもそうと分かる最上大業物。
担い手もなく、そこに元からあったかのような佇まいで、美しい剣は槍の破片の降る中にしんと浮かんでいる。
「ドういうコとよォ!?」
問いただす言葉に応じるように、アクセラを縛り上げる糸が解けた。否、斬れたのだ。浮かぶ刀の剣気にあてられてぷつり、ぷつりと。
軛から放たれた使徒はもはや暴れる様子を見せず、不気味なほど静かな動作で両手を上げる。刀は丁度、彼女が構えを取るにいい位置に浮かんでいた。
ヴゥン……。
小さな手が太く逞しい柄を握りしめれば、刀は待ち焦がれていたように震えた。
それが合図だったのだろうか。少女の指先に生えていたべっ甲色の獣爪がポロポロと剥がれ落ちる。荒れ狂う紫炎の衣がほどけ、純粋な炎の形に変わっていく。鬼力の鎧はその炎に焼かれて音もなく消え、猛り狂っていた鬼雷にまで火の手は回る。
ヂ、ヂ、ヂ……ボッ!
鬼力を飲み込んだ炎は仕切り直すように音高く爆ぜ、改めて衣の形に整い始める。今度はそれが火の塊であると思えないほど美しく、穏やかで、わずかに揺らめく、若紫の半着物と袴に。
そして最後に、カラン……彼女の面が、琥珀を削りだしたような鬼の面が、ねじくれた双角諸共、真っ二つに割れて地に落ちた。
「……ん」
ゆっくりと閉じられていた瞼が開かれた。その瞳は神秘的な真鍮色に染まっている。
足元でぼろぼろと崩れて塵となる面と角。封印を解かれたように、それまでとは違う静かな闘気が少女から溢れ出した。
「随分と好き勝手をしてくれたな」
ニヤリ。怒りでも、冷静さでもない。アクセラの顔に浮かぶのは確かな笑み。
清らかでありながら、獰猛でもある。そんな凄絶な表情だ。
「ここからは……私の好きにさせてもらうぞ」
~★~
「アクセラァああああッ!!アクセラッ、ラナッ、オルクスゥううううッッッ!!!!」
顔の右側を丸ごと、それこそべっ甲の隻角もろともグチャグチャに吹き飛ばされ、どうして生きているのか分からないほどの惨状でなお叫ぶ復讐者、ダルザ=フォン=オベール。
「お前はァあああああ!あァあああああッ!あァああああああああああああッ!!」
叫ぶ間も奴の右腕では骨が生え、右半面では肉が盛り上がり、異常なまでの再生が始まっている。
それだけじゃない。角もメキメキとねじくれて伸び初め、今度は左半身にまで鎧のようなものが形作られつつあった。
(制御ができなくなったか)
見れば奴の額にあった琥珀の目のようなモノがなくなっている。
悪鬼に肉体を奪われていた間の記憶も俺にはちゃんとあるのだが、それは奴が統制プラグインと呼んでいたモノだ。『限定鬼化』に付加した制御用の何かだったはず。
「……残念だ」
ゆっくりと焼き焦げた空気を吸って、熱の籠った息を吐く。
俺を『鬼化』の領域へ追いやり、自身は出力を押さえてでも理性を維持する。怒りに身を任せることの危険性を理解していればこそ、ダルザはそうした戦い方を取ってきたはず。
そんな男がこうして怒りに心を食われる様を見るのは、同じ技術者としては酷く残念な気分にさせられる。
(だが厄介だな)
辺りを見回す。周囲は瓦礫の山。まだ形を保っている建物もあるが、きっと修復して使うことはできないだろう。
華々しさの中に品と静けさを湛えていた富裕街の目抜き通りはすっかり戦場となり、大気には煤と血の臭気が満ちている。
(まるで魔法使いが数人掛かりで暴れたみたいだ。悪鬼の奴、無茶苦茶しやがって)
そこまで考えて、俺は喉に残っていた血の塊にえづいて咳き込んだ。
「げほっ、ごほごほ……ッ」
舗装の禿げた地面にどす黒い反吐を吐き捨て、改めて自分の体が酷い状態にあることを理解する。これだけの被害をもたらした俺の肉体もまた、限界を迎えていた。
(まあ、そりゃそうだろうさ……)
肉体強度を無視した異常なまでの強化、生存を考慮しない戦法による度を越したダメージ、そして神力と鬼力に頼り切った強引で無理のある再生。それらが折り重なって、俺の中身はもうグチャグチャだ。
(このままだと、普通に死ぬかもしれん……)
それでもまだ終わらない。終われない。
この満身創痍と言うも烏滸がましい死体一歩手前の体でもって、俺はこれから暴走し始めたダルザを討たなくてはいけない。中々に骨の折れる話だ。
(……が)
面白いとも思う。
(強い敵と見えるのは、剣士の醍醐味だからな)
ヴゥン……。
手の中の準神器、奉納刀・天龍が震えた。
まるで同意するように、熱い鼓動を刻んでいる。
(ん?そうか、お前もそう思うのか)
刀匠ロブ=アペルト、拵師サイモン=デトロイトというエクセルと共に研究に取り組んだ神工たちが心血を注ぎ、技術神の準神器として取り立てられたその刀。そこに人ならざる新たな魂が宿っているのが、『技術神』を解放した今のアクセラには字義通り手に取るように分かった。
(ふむ、神器は擬似的な神の眷属になるのだな。それで魂が……)
ここぞとばかりに脳内へ溢れ出す神の知識から、必要なところだけを抜いて理解する。
(同じ主神を頂く眷属同士には特殊な魂のシナジーが発生する。同一国家に属す王侯貴族と騎士のスキルに強力なシナジーが発生するのと似た現象。つまり使徒である俺と準神器である天龍にもそういうモノがあると。前に発動しなかったのは……なるほど、俺の『使徒』の練度がその領域になかったからか)
相変わらず洪水のような知識量。俺はそこまで把握した時点で強制的にその流入を止めた。これ以上はこの場で不要。
それにここから先は言葉で分かる必要がなかった。己の魂を刀の魂と共鳴させ、鼓動を合わせる。その技は流派の剣士にとって特別なことではなく、剣を振るときの第一歩だったから。
実際に魂があるかとか、鼓動を刻んでいるかとか、そういうことは関係ないのだ。一方で刀は道具にすぎないと嘯きつつ、他方でそのように見立てて何百年、俺たちは刀と向き合ってきたのだから。
「ああ、これは……いける」
意識を通わせるうちに全身を貫く痛みも引いてくる。悪鬼による強引な戦いで絶えかけた魔力も、筋力も、わずかずつ戻ってくる。どうやら天龍の魂の拍動は気力を与え、命を活性化させるらしい。
流石に全回復とはいかないが、数パーセント戻ればこの瞬間は戦える。今はそれでいい。
ダン!
俺が自分の状態を把握し、決意を固めるのにかかった時間はおそらく現実で十秒ほど。
その間にすっかり肉体を再生させたダルザが、荒々しく瓦礫を踏み砕いてこちらを睨みつける。
「もウいいわ!モうッ!全部ッ!ドうだっテッ!いいッ!!もうアタシは、オ前を殺しタ後のコトなんて、どうダっていいッ!!」
すっかり冷静さを失った彼は吐き捨てるようにそう宣言した。
狂ったように叫び続けたせいか、口角が裂けて血が顎の方まで滴っている。その血に異様なまでの魔力が滾っているのが、俺の神眼には映っていた。
「繰血奏糸・分離放棄!!」
血色の魔力を煌めかせ、半鬼は大きく手を横へ振った。するとブチブチとあちこちで音がして、赤い雪が降り始める。いや、それは細切れになった糸だった。
(編み上げた場を解体した?)
己の有利を手放すその行為に俺は警戒度を跳ね上げ、刀を正眼に構えた。
「アタシはアタシの矜持にカけてッ、ゼーゼルの弟子ノ矜持にかけてッ、アンタを殺すこトだけに未来ヲ全部ベットするッ!!」
赤く細長い糸が降りしきる中、ダルザが両腕を天に掲げて呪詛を吐く。
ねじれた隻角が苛立たし気に明滅。地面を彩る糸くずから不吉な色が抜け、地を這い術者の体へ戻り、内側から仄暗い光を放ち出した腕の血管を通って、奴の頭上へと集まり始める。
「コードマルニィナナッ、グリッチモードをキ動!!『鋼糸奏者』、『繰血術師』ヲ『限定鬼化』へ統合ォ!」
「……っ!」
根源的な拒否感とでも言うのか、ぞっと何かが背を駆け下りた。
その直感に従い、俺は骨格のあげる悲鳴を無視して地面を蹴る。
「ティア2以上のスキルも全ン部、統合ォ!!ティア3以下をリソースにしてッ、強制ッ、進化ッ、開始ィ……サあ顕現なさい、『異常統合体:血ト糸ヲ統ベル幽鬼』ッッッ!!!!』」
それは耳で聞いても音として理解できない、謎のスキル名。
まるでスキルがその名を知られることを拒み、俺の体もまた知ることを拒んでいるような……もはや音というより冷たい感触だけがする空気の振動と言った方が正しいかもしれない。そんなおぞましい気配を伴う名前だった。
「ふっ!!」
射程に捉えるなり、俺は腰だめに構えた刀を真横へ薙ぎ払った。
黄金の三日月を描き、紫伝一刀流・弧月がダルザの腹を襲う。
「がふっ」
シャツと腹筋を切り裂く刃。しかし後ろに跳んだ彼の胴体を切断するには至らない。
「!?」
硬い。硬いが、斬れないほどではない。
それより俺を驚かせたのは、着地した彼の傷と口から溢れ出す血の色だった。たしかに先ほどまで赤かった復讐者の血潮は、いまや琥珀色に染まっていたのだ。
一瞬の驚愕。それでも追撃の手を止めることはしない。さらに大きく踏み込み、紫の陽炎を引き連れて懐へ。
「しっ!」
浅い角度で跳ね上げる逆袈裟の一太刀、紫伝一刀流・雨燕。
鋭い殺意を剥き出しに、鋼の先が白い肌にくっきり浮いた喉ぼとけを掠める。
「痛ッ」
薄く斬れた皮膚にぷつぷつと浮いた血の珠はやはり濃いオレンジ。もはや全身の血がそうなっているのではと、気色の悪い想像をさせる。
「オ返シよォ、ラァッ!!」
首を反らしたまま、ダルザは溢れ出た血を手に纏わせ振りかぶる。真っ直ぐ殴り下ろされるその拳。半歩下がって避ける俺。確かに躱した、そう思ったのだが、頬にかすかな痛みが走る。
半鬼の手にはいつのまにか形の不安定な剣が握られていた。厚みのほとんどない妙な剣だ。琥珀色の体液を操って剣の形にしたのだろう。
「はっ、面白い」
二度三度と地面を蹴って距離をあけながら、ついつい笑ってしまう。
『繰血術師』が血を操るスキルなのは分かっていたが、今のこれは魔法ともスキルともつかない妙な気配がする。もっと原始的で系統立てのされていない力の発露、そんなニオイがするのだ。
「真っ二つになって死ねやぁ!!」
ぐらりと前に傾ぐ高い背丈。そのまま突進してきた彼は下段から格好の付かない構えで切り上げを放つ。ステータス頼みの素人の剣だ、躱すことは容易だった。
しかし剣が形状よりも慣性を優先したように、ぐにょんと半ばから伸びて飛んできた。切っ先だけ形を残したまま鞭のごとく迸るソレの狙いは俺の目。
「そう来るのは、分かってる!」
顔目掛けて飛んでくる先端を弾き上げ、重心を落として搔い潜る。
剣の形をしていても、もとよりあれは鬼血とでもいうべき液体。となればその動きは想定の範疇だ。
「はっ」
がら空きになった両腕を真下から斬り払い、描く円を傾けて刀を引き戻し、肩から押し出すように心臓へ突きを放った。
「ナらこれハ、分かッたカしラァ!?」
「!!」
天龍が心臓を食い破るより寸前のこと。腕の断面から鬼血が糸状に吹き出し、真下に居る俺を襲った。
(キモイな!?)
ぎょっとしつつ、俺は反射的に姿勢を崩すことで突きを諦め、奴の横腹を掠める様に転がって抜け出す。
ギャリ!
俺を取り逃がして地面を打ち据えた糸束は、滝のような見た目に反し、液ではなく金属の音色を響かせた。あげく、そのまま地面で跳ね返ってもこちらを追いかけてくる。
「なんでもありか!」
転がる勢いを前回りの受け身に変え、手で地面を押して跳ね上がり、足で着地する。そのまま止まることなくトトンと後ろへ跳んで、ついてくる糸の群れを視界に収める。
「はっ」
頭のない龍のような流れから槍のように一束が飛び出す。
それを刀で巻き込むように斬り捨てれば、剣気が連鎖的に血流を寸断して破壊する。
(こいつの血は触れない方がいいんだったか)
奴は血を媒介に他人の血へ影響を与える術を持っている。今の槍も刺されば痛いでは済まないだろう。
「!」
嫌な予感。咄嗟に後ろへ飛びながらも体を捻った。
すると脇腹を掠め、肘から先の腕が背後から俺のいた場所を駆け抜けていった。厚さコンマ数ミリの刃を携えた、俺が斬り捨てたダルザの右腕。それが糸に引かれて背後から襲ってきたのだ。
しかもソレは本体にくっつき、琥珀色の糸に縫い合わされて修復されていく。切断面から出ていた糸状の鬼血は鬼血で、まるでなにかの長虫の群れのように追いかけてくるのに。
「お前、本当にキモいぞ!!」
叫ぶ俺の声などもはや聞こえていないのか、怒りと恍惚の混じり合った形容不能の表情でくっ付いたばかりの両腕を大きく広げるダルザ。
ぶしゅっ!!
破裂音のような何かが連鎖的に聞こえ、彼の全身から血が糸のように噴き出した。細い触手のようなソレは先行し俺を追い回すうねりにすぐさま加わる。
(野郎、血管を突き破って直接血を出し、操っているのか!?)
生物として何かが間違っている戦法だ。あるいはそれこそが『鬼化』に侵されたモノの取る末期の戦い方なのか。
「チッ、邪魔くさいッ」
足に魔力を集中させ、可能な限り大きく後ろへ跳び下がる。
「ふぅ……ふッ!」
着地して一呼吸。重心を入れ替える。逃げるための後ろから、攻めるための前へ。
バックステップの勢いを殺し、迫る糸の滝に向かって天龍を上段へ構える。
続いて一歩。そして一閃。
斬!!
押し潰そうと横向きに流れる琥珀の滝を真っ二つに斬った。
紫伝一刀流・雫。俺の最も得意とする技であり、基本にして奥義。
それだけではない。黄金の鼓動を魔力の二太刀目に変え、振り切った一太刀目をなぞる様に放出する。仰紫流刀技術・沈相剣。その不可視の切っ先は遥かに伸び、大元にいるダルザにまで届く。
「ぎぃ!?」
肩からずっぱりと入った沈相剣は鎖骨をあっさり断ち切り、臍下まで抉って腰骨のほうへ逸れていた。
「な、ニが……ぐ、はッ」
刹那の停滞を挟み、ぐしゃり。腕ごと半身が外へ向けて滑り落ちた。打ち砕かれ、形を失い、雨の後の泥濘のように溜まる琥珀の血の中に。
「ん?なんだ今の切れ味」
放った当の俺が首を傾げる。
沈相剣は動作が終わった状態で二の太刀を繰り出す、いわば暗器的な技だ。斬撃の影なのだ。つまり鬼力の鎧を無視し、ダルザの強化され尽くした肉体を斬り捨てるような威力は、本来はないはず。
少なくともアクセラの肉体では無理だ。エクセル自身やその直弟子たちのような桁外れの実力者でなければ、そんなことは成せない。
「ん、ん、んー……ああ、なるほど」
そこまで考えて理解する。
転生してから昨日まで振るってきた俺の太刀筋と、根本的に違う常識外れの威力。
我ながら惚れ惚れする、透き通るような剣技の冴え。
「あはっ……掴んだ」
俺は口が獰猛な笑みの形になるのを自覚した。
「ああ、そうか。そうか。今までの私は、勘が鈍っていたのか」
転生し、肉体をリセットされ、持ち越せたのは技と勘だけ。そう考えていたが、どうやら間違っていたらしい。
いざこうなって見れば差は歴然だ。生々しい修羅場の記憶を経て、ようやく戻ったのだ。枯れた川に雨水が流れ込み、流れが息を吹き返すように。
「はは、これはいい」
ひゅっと天龍を振って笑う。師は言った。笑えよ、と。
剣士は困難を前にしてこそ、苦しい戦いを前にしてこそ、笑うのだ。愉しむのだ。
例え死山血河を築かれようとも、怒りで刀を振るのは紫伝一刀流の剣士ではない。
「ア゛ぐ、ぜ、ラァ……ッ」
俺がくつくつと独り笑っていると、ダルザの声が耳を打った。
「ナ、に゛、が……オ、ガシ、イ……」
「……」
そちらを見れば、びちゃびちゃと一面を満たす琥珀の液体の中、上体の三割を失った彼がそれでも倒れることなく立っていた。
「あ゛、ダ、シを……見ロ……あ、た、ジ、ヲ゛……」
汚泥のようになった血溜まりから琥珀の液が浮かび、重力を否定するように断面へ吸い込まれていく。この期に及んで再生しているのだ。
「届か、ナい゛っ、テ……言ウ、の……?い゛、いえ……ミ、み゛、どめ、ナ、い……」
もはや骨や肉が治る気配はない。だがじぶじぶと音をたて、失った部分を琥珀の液体が埋め、置き換えていく。
置換速度は極めて速く、琥珀色にゆらめく半身と腕ができあがるのに数秒とかからなかった。
「みとメ゛、ない……ミと、めナい……認メ、なぃいいいいいいッ!」
金切り声に合わせ、偽物の腕が神経を得たようにビクッと動き始める。
「アタシは使徒なんかにッ、神の力なんかにッ、負けるかぁあああッッッ!!!!」
生え変わった右手を力強く突き出すダルザ。その動きに合わせて力なく地に落ちていた残りの鬼血が一斉に重力を振り切って浮き上がり、百本を超える粗い剣の形を取った。
さらに簡素な線で構成された、棒人間のような人型が剣の柄から生えてくる。
「繰血奏糸、空虚の騎士団!」
術者の号令を受け、飴細工の騎士団が一斉に俺めがけて進撃を開始した。
が、俺も迎え撃つ準備はできている。
「いいよ。相手をしてあげる」
もう復讐以外に彼の中には何もないのかもしれない。そう思わせる執念の炎をオレンジに燃える瞳の奥に感じ、俺はそっと息を吐いた。
「紫伝一刀流ハヅキ=ミヤマが弟子、アクセラ……参る!」
勘に従い研ぎ澄ませた魔力。それを刃に添って流し込む。
天龍の鋼色の刀身に紫の揺らめきが宿り、重花丁子の刃文が妖しく色めいた。
「……ふっ」
最初の一体が一歩踏み出すと同時、俺は奉納刀を横薙ぎに放つ。
「……!」
声もなく先頭列が弾け飛んだ。いや、それだけではない。次の列も、その次の列も、その後ろも、一斉に弾けて液化する。
シンプルな魔力刃とその拡張。ただしこの一刀で俺が斬ったのは魔法の核。的確に核だけを切断した。神眼に映る魔法の要点は明確で、数が多くとも一律ならば容易いことだ。
「……コの、数ヲッ」
「忘れた?数のロジックを受け付けないから、超越者と言う」
たじろぐダルザにそう言葉をかけると、彼は唾を散らして反駁した。
「自惚レるナ、お前ハ超越者じャないワッ!」
パチッパチンッ!
左右の指を鳴らす音。今度は鬼血が大きな剣の形をとる。宙に浮いた巨剣はダルザの動作に合わせて射出され、その質量で鈍い刃を押し通そうと迫る。
「無駄だ」
鉄板のような剣を正面からの突きで迎え撃った。
相手の勢いを利用する高等技術、紫伝一刀流「受突」だ。
ガギィン!
切っ先と切っ先が激突。火花の代わりに血飛沫が散る。準神器は、刃毀れしない。
それどころかヴゥン!と、まるで存在の格の違いを示すように、黄金と若紫の波動を放って巨剣を粉砕してみせた。
「マだまダァ!!」
パン!
打ち破られた攻撃が血の小雨となって落ちるより先、復讐の幽鬼が柏手を打った。
液体が蠢き十数本の細い槍となって宙を舞い、俺をぐるりと半球状に囲む。
「閉じなさい!」
滞空するジャベリンが一斉に包囲の中心、つまり俺へと殺到した。
刀を腰だめに落とし、ジャリッと地面を踏みつける。
「ふっ」
呼吸と共に放つのは一回転の斬撃、弧月の変化「刃月」。
鉄色の月が周囲の槍を打ち払い、俺は続く二歩目で生じた間隙を潜って上からの攻撃を回避。
「逃ガサなイわ!繰血奏糸・赤き毒蛇ッ!!」
突き立つ槍が針と別れ、鱗となり、地面すれすれで群れを成し、胴回りが一抱えはあるオレンジの大蛇に変化して跳ねた。
剣のような双牙を剥き出しに地を迸るそいつに、先ほどの滝にしたのと同じように雫の一撃を放つ。
「シャッ!」
蛇は首を断たれる寸前で切っ先を躱し、俺の背後へと回り込んで鎌首をもたげる。
タメをおくことなく咢が降ってくるが、それはこちらが回避。
やはり地面すれすれでクン!と角度を変えて追いすがる蛇。
「ギシャァアアアアアアアア!!」
今度こそと口を開く大蛇……の牙を紙一重で流す。
「紫伝一刀流、奥義……流乖ッ」
真横を駆け抜ける太い胴体へ、抉る様にして刀を突き入れる。
ズズ……ズバンッ!!
滑らかとは言い難い音を引き連れ、蛇の腹が大きく開く。
敵の勢いを使って肉と骨を切り分ける剛にして柔の太刀。異界には生息しない大型魔物を殺すため、こちらにきてから俺の師が流鉄をもとに編み出した技だ。
魔法は死にはしないが、何度目かの崩壊を遂げる。丸太のような胴体が全て鬼血となって、鉄臭い小波が頭から降り注いだ。
「被っタわネェ!?ンハハッ、絡みつきなさい!」
まるでこの状況自体が彼の望みだったかのように、狂笑を湛えた詠唱が俺の耳を打つ。
びぃん!
紫の上衣の上からべっとりとかかっていた血が蠢き、糸となって周囲に伸びる。
それは俺が振りほどくよりも早く、建物から伸びてきた別の糸と絡んで、再び戒めの縛鎖と化した。
「しつこいッ」
「残念ッ、手遅レヨ!繰血奏糸・砂上楼ッッッ!!!!」」
千切ろうとしたが、それは結果から言えば逆効果だった。
ダルザが指を広げ、握りつぶすように閉じる。
ミシ、ミシ……バキ、メキッ、バキバキバキッッッ!!!!
壮絶な音を立て、かろうじて形を残していた周囲の建物が音を立てて傾き始める。
石造りの二階建てが四棟、すぐさま瓦礫の雪崩となって身長160センチもないこの身に覆いかぶさってくる。まるで重力の中心がこの手にあるように。
「クソ!」
犠牲者の血をスキルで嵩増しし、攻撃の裏でこの大技を仕込んでいたのだろう。極細の糸が建物を雁字搦めにして引き寄せているのだ。迫る石材の総重量は優に百トンを超える。
(分析は後回しだッ)
多少切り崩したところで死を免れ得ない質量の暴力がゆっくりと、引き延ばされた時間の中で近づいてくる。
「こぉ……ッ」
包み込むように引き寄せられる灰色の津波を前に、一際深く息を吸った。
ありったけの魔力を研ぎに研いで刀へ充填。神器がぎらりと輝く。
(いけるッ)
勘がそう叫ぶなり、俺は大上段に構えた奉納刀を前に振り下ろした。
「かっ!!」
裂帛の気合いと共に地へ駆け下りる天龍。
描いた一本の軌道からは黄金と紫の入り混じった光芒が九つの斬撃となって、それがさらに十八となり、三十六となり、正面の瓦礫を格子状に寸断。糸の勢いすら斬り捨てて押し返す。
仰紫流刀技術、魔ノ型ムラクモ「九字雪崩」・肆重
纏わりつく糸の全てはすでに剣気に負けて千々に斬れている。
吹き飛んだ瓦礫の一角、己が斬り拓いた活路から崩れ落ちる石の伽藍を飛び出した。
背後に積み上がる瓦礫の山。押しつぶされた空気が突風となって俺の長い髪を揺らす。
「なッ!?イ、今のヲ……バ、化ケ物ガァッ!!」
必殺の攻撃から抜け出た俺をダルザの悲鳴が迎える。
血の気を失った幽鬼はその頬へ恐怖を浮かべていた。
「ハッ」
彼はすぐにそれを自認したのか、牙を剥き出しにしてかき消すように吼える。
「ナニヨ、ソの目ハぁ……何ヨォおおおお!!神ニ選バれタダケのガキが、デカい顔シテんじャネエわヨォッ!」
ダルザの咆哮に従い、瓦礫から染み出した鬼血があらゆる形を取って襲い掛かってくる。
槍となって飛び、斬れば礫と変わって降り注ぎ、躱せば斧となってカチ上げる。剣、鎖、糸と無数の変化を繰り返して殺しにかかる様は、まるで何十人もの刺客にたった一人、取り囲まれたよう。
だが、その一切が届かない。手数が足りない。密度が足りない。速さが、鋭さが、何もかもが今の俺に届くには足りないのだ。
「何デヨォ!!届ケ、届ケヨォッ!!」
泣き叫ぶような声を上げ、ついにダルザ自身が踏み込んだ。
剥き出しになった腕の筋肉が膨張し、血管がビキビキと怒張する。
繰血により自身の肉体能力を強引に引き上げたのだ。
「おルァあああああああ!!!!」
貴族が馬上で使うようなロングソードを鬼血で作り、奴は数多の武器が踊る中へ切り込んできた。その重く、しかし不格好な剣を天龍で受け止めて押し返す。
「剣士として、受けて立つ。でも届いてなど、やらない」
「グッ……生意気ヲ、抜かスなァ!!」
腕をカチ上げられ、たたらを踏み、それでもダルザはブーツの爪を地面に食い込ませて留まった。
「ヌゥ!!」
剣の長さを扱いかねるようにぐるりと振りかぶり、斧で薪でも割るかのように叩き下ろす。筋力任せの一撃。されど異常なステータスにより、それは豪速にして破壊力満点の必殺となる。
「甘いッ」
真下から動かず、俺は真っ向からそのロングソードを受けた。
当然、ただ受けただけではない。天龍の刃を先ほどと同じ個所に食い込ませ、血の塊を向こうの勢いに任せてザッと切り捨てる。
「ッ!?」
競り合う交点が消失し、前につんのめるダルザ。
ぐいっと近づいたその顔に柄尻を叩き込んだ。鼻の骨が砕ける嫌な感触がした。
「ブギャッ!?ガァ、グ、くゥ……ごはっ!!」
僅かに動作の止まった奴の腹へ、俺は踏み込みの推力を全て乗せた回し蹴りを叩き込む。
息を肺から絞り出す深い咳を残して幽鬼は後ろへ吹っ飛んだ。
(ホントに硬いなッ)
表面が硬く、内側が虚ろな手応え。まるで甲殻系魔物を蹴ったような感触がした。
背骨を叩き折るつもりで放った蹴りだったが、数メートルを転がった奴はふらつきふらつき、すぐに立ち上がって見せる。
「死ネ、ナい……届カ、セル……アタシの、技ヲ……!」
折れた鼻からオレンジの血を流しながら、それを直そうともせずダルザはもう一度剣を生み出した。今度はより短く太い、鉈のような剣だ。
「届カ、セるノよォ……アタシト、ゼーゼルノ、技ォヲ!!」
ダルザから放たれる怒りの気配が一段と濃密になった。
「いいや、届かない。これだけの不幸をばらまいたお前の技で、私は死んでやれない」
「黙リ、ナサいッ……!!」
ミシミシと鬼血がその細い頤で結晶化し、涙の痕を遡って鼻の上まで覆っていく。鋭くとがった上下の牙が噛み合う、鬼の口のような下側だけの面。左の額からもねじれた角が生え始め、変異がより顕著に表出しだす。
イレギュラーな変異を遂げてなお、『鬼化』は彼の中でそのステージを上げているらしい。
「黙レ、黙レ、黙れェッ!!アタシヲ、救ッテくレタノはァ!」
幽鬼の足下で土塊が砕けて爆発する。予備動作のない、驚異的な加速。
一瞬で開いた距離を踏み越え、奴は俺の目の前にぐわっと現れた。
「高尚ナッ、高尚なッ、エクセル神ジャ、ナいッ!!」
振り下ろされる鉈のような刃。凄まじい魔力に煌めく一撃。
俺は鬼血の剣と三度、正面から切り結ぶ。
「アタシヲ救ッタのハ、ゼーゼルと、ソノ技ダッたァ!!」
至近距離で睨み下ろす奴の目から血の涙が溢れる。暗いオレンジに輝く液体が鬼の半面を伝い、パタタっと切り結ぶ剣と剣の接点へ落ちた。
「アタシノ神はッ、ゼーゼル=フォン=グラファイト、唯一人だッ!!」
キュァン!
空間を捻じ切るような異音。鬼雷のスパークと琥珀に染まってしまった魔力が凝縮され、ダルザの殺意を汲むようにこちらへ襲い掛かってきたのだ。
「ぐっ」
細く鋭い斬撃のようなナニカ。それは俺の肩を打ち、紫炎の和装を食い破り、白い肌を穿ち、そのまま後方へ飛んでいく。
「知った、ことかッ」
剣を引き戻そうとする手首を切り落とす。もはや手首は落ちすらしない。刃が通るなり、血を媒介に繋げたのだろう。それでも天龍の剣気でもって得物を砕くことには成功する。
「ナニガ使徒よッ!ナニガ技術の正道ヨッ!!戯言ヲ、垂レルなッ!!」
武器を失った奴の両手が即座に胸元に伸びる。
「弟子ノ矜持ガ守レルなラ、アトハもウ何モイラナいノヨッッッ!!!!」
半鬼がシャツを引きちぎった。いや、彼が引きちぎったのは己の肉だ。あばらを数本まとめて掴んで引き抜き、胸郭を開いてみせたのだ。
「なッ!?」
限界に達した炉心のように輝く心臓。その壁を突き破って吹き上がる最も濃い魔力を含んだ血。そのあまりに意表を突く攻撃に反応が遅れる。
ズダンッ!!
熱い血潮は指ほどの太さの流れとなって俺の胸を貫いた。炎の上衣だけではない、左胸の、心臓のすぐそば。骨と肉と、おそらく肺と。
「がほッ!!」
血咳を吐いてよろめく俺を押し倒すように、胸郭を自ら暴いた狂人は飛び込んできた。
その見開かれた目には死が浮かんでいる。まるで殉教目当ての異経典信者のような、異質で濃密な狂い死にの気が。
「届ケェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッ!!!!」
心臓が一際激しく瞬いた。
「届かないと、言っているッ!!」
天龍は無理だ。この距離では長すぎる。即座にそう判断。
決定的に押し倒されるギリギリのところで、ダン!俺は足を踏み鳴らした。
瞬間、地面を食い破って大小様々なパイプの山が生え、ダルザを真下から直撃。
「ギビッ……!!」
意識の外、真下から来たそれをモロに食らい、打ち上げられる復讐鬼。空中で錐揉みし、受け身すら取れないままべちゃりと大通りの真ん中に叩きつけられる。
ど、ど、ど……どっ!!
重い音と振動。パイプから一拍遅れて、大量の水が噴き出した。
俺が浸かったのは鋼鉄魔術・地剣だ。本来は地中の鉱物を操作する関係上、溜めの時間を必要とする魔術。それを瞬時に発動するために俺が利用したのは、浄化塔から周囲の水脈やフラメル川に水を還元する配管だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……だから、言ったはず……届いてなど、やらないと……」
降りしきる温かい雨の中、俺は息を切らせながら、そう吐き捨てた
もう2024年もあと一か月。早いもので……とか言ってる場合ではありません。
技典は8年目に突入いたしました。
原稿がもうないのに!!
やばい。やばいよこれ。
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