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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第44話 執着の果て

 ざぶざぶと、一度天に向けて吹き上がった浄水は慈雨のごとく降り注ぐ。俺が頭から被った鬼血を洗い流し、路面を汚す濃厚なオレンジを薄めて行く。砕けた石畳や蹴立てられた土塊と混じって泥になっていく。


「がひゅ……かふっ 」


 その泥の中でもがき、なおも這い上がろうとするダルザ。

 だが足が砕けているのか、すぐには立ち上がれない。


「ま、だ……しね、ない……」


 呆然とした声が俺の耳に届く。

 まるで亡霊のようにか細い声。しかし金属質な反響は消えている。見れば半面も角も、ひび割れて崩れ始めているではないか。多大なダメージで『鬼化』が解けかけているのだ。


「まだ……ま、だ……アタ、シ……ハぁ……!!」

「!」


 それでも奴は止まらなかった。

 ダルザはその鬼血製の腕で地面を強かに殴りつける。いや、突き刺したのだ。腕を、地面に。


 バガッ!


 直後、背後で何か硬い物が割れる音。俺はその意味するところを察して前へ飛び出した。

 背中と後頭部を爪が掠める感触。首筋をちりつかせる殺気。地面に片手を着いて空中で身を捻り、逆さまの体勢から振り返りざまに天龍を薙ぎ込む。硬質な塊を切断する手ごたえがあった。そこに迫っていたのは五指を鉤爪と変えた奴の右腕だ。

 ばしゃり。形を失った手が血に戻り、降りかかる。咄嗟に目を閉じ、もう一段階身を捻って姿勢を取り戻し、足から着地。雨が琥珀の血飛沫を洗い流す感触に目を開ける。

 すると、すぐそこにダルザの顔があった。


「ッ!!」

「アンタ、だけはァああああああッッッ!!!!」


 こちらへ伸ばされる左腕を肘から刎ねる。脱落し転がる上腕。が、それはブラフだった。

 両腕を失った復讐者の胸からもう一本、鬼血でできた腕が飛び出す。


 ドッ!!


「ぐぅッ!?」


 骨に皮を張っただけのような、細く不気味なオレンジ色の腕。その鋭い指が俺の脇腹に突き立つ。いつの間にか薄くなった道着の炎はそれを燃やしきれない。


「この……ッ!!」


 すぐさま刀を取り回し、至近距離に立つ敵を叩き切ろうとする。

 選んだ技は単純。紫伝一刀流・弧月。遠心力より筋力に寄せた横薙ぎの一撃。

 しかし、息を吸った時だった。


「痛ッ……がはッ!?」


 左胸から肩、腕と駆け巡った電撃のごとき痛み。神経が狂ったように信号を放ち、筋肉の弛緩と緊張が出鱈目に切り替わる。手から黄金の柄が落ち、天龍がガランと地に転がった。

 同時に肺の中を満たす強烈な異物感。とても堪え切れず、その場で激しく咳き込む。すると口からは息よりも大量の血が出てきた。血咳というより、もはや吐血だ。


(しま……傷がっ)


 一秒にも満たない時間だが、俺の世界から天地の区別が消滅する。

 それでもどうにか気力だけで意識を保つ。


(この感じ、出血は肺かっ。それに……胸筋から腕への神経がやられてるッ!)


 酷く傷ついた神経がスパークを放ち、その度に思考が肉体から切り離されそうになる。

 腕が訴えるびりびりとした危険な痺れから、経験だけで理解する。原因は少し前に奴から受けた左胸の傷。あれが治っていないのだ。

 そして今更ながら気づいた。回復の主たるリソースだった神炎は、ほとんどが消えてしまっていたのだ。体を覆っていた治癒魔術の青い模様も同じく。


(く、そ……ッ)


 雨のせいではない。魔力も鬼力も、全てが枯渇しつつあるのだ。

 天龍の鼓動をもってしても誤魔化しきれない限界がこの体を蝕んでいた。


「この、ままぁ……オラッ!!」

「ぅぎっ!?」


 ダルザが第三の腕をぐりっと押し込む。さらに奴は右の腕を生やし直し、左も新しく鬼血で成形し、両手の指をドッと俺の体に突き立てた。


「がぁッ!!!!」


 それだけではない。胸の裂けめの奥、輝く琥珀の塊のようになった心臓が一際強く脈動したかと思うと、都合十五本の指を形作る鬼血も連動して明滅。そのまま俺の中へと流れ込んでくる。


 びき、びきびきび……ッ!!


 皮膚と肉の間を裂いて琥珀色の血管が俺を蝕む。


「あぐぁああああああ!!!!」


 自分ではないナニカが体の中を這い回るおぞましい感触。溶けた鉛を流し込まれるような焼け付く激痛。それに、俺の魂に余計なものが混じってくるような根源的な不快感。背筋が意思に反して弓なりに反り、眦に涙が浮かぶ。


「アタシと、一つに、なりなさァい……!!」

「なにを、気色の悪いッ!!」


 痙攣する俺の体をぐいっと持ち上げるダルザ。足が地面から離れる。体重が刺さった指にかかり、爪の先がより深く俺の肉に潜り込んでくる。


「こ、の……ッ」


 まだ動く右手で奴の腕を掴み、それを軸に少しでも食い込みを軽減しようと力を傾けた。


「無駄よ、無駄ァ!アンタ、もうこれで、お仕舞よォ!!」


 下から炯々と輝く瞳でダルザが俺を覗き込んだ。

 喉を震わせ、くぐもった笑いを溢す。


「んふ、ン゛ふふ……アタシの心臓は、いまや、鬼力を使った爆弾も、同然ッ!アタシという存在を、消費してェ……王都を丸ごと、灰にする規模の、爆発を起こせ、る……!!」

「……ッ!!」


 どろっとした視線に嘘の気配は含まれていない。生を完全に諦めた人間の、だからこその素直な眼差し。苦痛を押し退けて嫌な想像が首をもたげ、背筋がぞっと冷たくなる。


「あはぁ……アンタだってェ、使ったんなら、もう、分かるでしょう?あの『鬼化』の力を、一度に、爆発させればぁ……くく、どうなるかァ……」


 奴が言う間にも首筋を血管が駆け上がってくる。頬にミシミシと血管が浮かび、痛みに倍する異様な悪寒が骨の中まで染み込んで、そして食いしばった歯にヒビが入る


「ん、ぐ、ぃいッ!!」


 浸食が右目に到達した瞬間、世界の半分が赤黒く染まった。レッドアウト、眼球の血管が圧に負けて破裂したのだ。


(クソ、剣が、剣があればッ)


 俺は折れそうなくらいに反る体を、無理やり引き戻した。

 右手を奴の腕から離し、指先を刀の方へ向ける。


(天龍の鼓動を信じろ!あと一太刀、一太刀くらいは……!!)


 今の俺の神炎は可能性の揺らめきだ。神の力が地上に落とした影のようなもの。あるいはエクセルという神格の内側に燃える意思の炎。本物の炎ではなく、その性質は極めて魔力に近い。思念の、イメージの力で任意の現象を生み出せる。


(ならば、その最後の煌めきで……ッ)


 必要なのは手から零れた刀を引き寄せるだけの、単純な物理的引力。

 そのための強固なイメージを練り上げて込める。


「この血管が、ある限り……アンタはアタシと、一つの扱いよォ……んふっ、一緒に咲かせま、しょう?この国を、滅ぼす……綺麗な、きれいな、琥珀の花を、ねェ」

「やかま、しい。一人で勝手に、立ち枯れろ……ッ」


 感覚のなくなってきた左手を上げ、適当な動きで奴の顔を打つ。

 びちゃり。力の入らない拳はダルザの頬に血をなするだけに終わる。


「んはは、ははっ、はははははっ……!かわぃい抵抗、ねェ……!?」


 大笑いし、嘲るダルザ。だがそれでいい。意識が反らせれば、それでいい。


(よし、よし、よしっ)


 丁度、刀に力が絡みつく感触があった。それは魔法だ。無属性の、何の魔法だかも分からない魔法。不定形で不安定な力の発露。それでも確かな握力が龍を模した柄を捉えた。


(来い、来い、来い、天龍……ッ!!)


 捕まえた得物を引き上げるよう、こめかみの血管が切れそうなほどの集中でイメージを送る。すると視界の外、足元の方で奉納刀が小動(こゆるぎ)した。


「あーあァ……じゃあ、サヨウナラ。アクセラ、ラナ、オルクス」


 最後の一笑いを済ませてスッキリした顔のダルザが、更に左右へ二本ずつ鬼血の腕を生やした。本来の腕とは別に、肩のあたりから独立させて。

 第三の腕と同じ異様に痩せ細ったそれらが己の体を抱きすくめる様に動き、そして胸の傷を両側から掴んだ。そして躊躇いのない動きであばらをメリメリこじ開け始めた。


 キッ、キキ、キュィイイイイイイイイイイッ!!!!


 再び大きく開帳される胸郭。その奥で異音を立てながらギラつく、宝石のような心臓。

 既にその明滅は早鐘を通り越しており、今にも爆発しそうになっている。


(拙っ、間に、合わない……!)


 神眼に映るエネルギーの流れがそこへギュッと収束する。


「繰血奏糸・最終楽章ォ!!終滅の雷(アウシュテルベン・)……ぎゃッ!?」

「っ!!」


 心臓が臨界を迎えようとした、まさにその瞬間だった。刀が奴の胸を貫いた。

 天龍ではない。俺の手に準神器の刀はまだない。それに刃はこちらに向けて生えていた。


「な……」


 凶器は青い刀だ。海色のグラデーションに華やかな波を思わせる刃文、そこに無粋な鬼雷の痕跡を宿した俺の愛刀。雨狩綱平が、奴の心臓を背中から貫いていた。


「が、はっ……」


 琥珀の目を見開き、驚愕に喘ぎ、血反吐を吐いて痙攣するダルザ。

 こちらに見える刃の長さは二掴みほど。綱平は到底全部が刺さっている状態ではない。それでも貫かれた心臓は明滅の速度を急激に落とし、集まっていたエネルギーも傷口から濃いオレンジの血と共に流れ出ていく。


「だ、だれよ、アンタ……ど、どうやって、アタシの、感知を……ッ」


 首だけで後ろを振り返って唇をわななかせる復讐鬼。そこには確かに誰かが立っている。

 背は高くない。肩幅は広そうだ。吊り上げられたままの俺からはよく見えたが、頭の上から足元までを覆った厚手の外套で詳しい人相はうかがい知れない。


(隠者の、外套……?)


 こうして目の前に居ても気配を感じさせないそのクロークは、『完全隠蔽』と同じ力を持つ規制品のアイテムではないか。


「お前ッ、それは、トワリに売ったはずの……どうして、ここに……ぐぅうううッ!!」


 ダルザの口から苦痛の声が溢れる。ず、ず、ずっと湿った音をさせ、心臓から生える刃が伸びる。襲撃者が綱平に体重をかけたのだ。


「誰だか、知ら、ないけど……ッ」

「ばっ」


 馬鹿、逃げろ。その言葉を俺が叫ぶより早く、ダルザが俺の腹から右腕を抜いた。

 筋肉と皮が千切られる痛みに息が詰まる。


「お呼びじゃ、ないのよォ!!」


 関節など無視して反転する鬼血の腕は、即座に背後へ向けて射出される。


 ドッ……!


 鈍く湿った音がした。ダルザの背になって見えないが、それは確かに肉と骨を砕いて突き立つ音だった。


「アタシの邪魔を、するだなんてェ……万死に、値するわッ!!」

「がぶぁ……!!」


 琥珀の大きな爪が五つ、剣のように男の外套を食い破って屹立する。

 水筒を割ったように大量の液体が溢れて路面を濡らした。

 ほぼ同時、重力を振り切って飛んだ天龍の柄がビタッと左手に収まる。


「ッ!!」

「分かってねぇと、思ってんのかァ!?」


 天龍の鼓動に押され、刀を振り上げようとした俺。だが予期していたようにダルザはこちらへ向き直り……ギシッ!俺の腕はわずかに上がったところで停止する。まるで再び、見えない糸に縛り上げられたように。


(違う!血管ッ、血管だけで動かせるのか……ッ!!)


 糸ではない。縄でもない。俺の体に蔓延った奴の血管が硬化し、外骨格のようにこの身を戒めたのだ。


「ん、ぐぐ、ぐぐぐっ」

「そんな満身創痍でッ、振りほどけるわけが、ねぇのよォ!!」


 木型か何かに填め込まれたように動かない体。それでも無理やり動こうとすれば血管が、俺の自前の血管が、ブチブチと切れて行く音がする。


「ぜぇ、ぜぇ……あぁ、クソ……!街ごとは、無理でもォ……アンタだけは、絶対に、絶ッ対に、殺……ぐぇッ」

「させ、んぞぉ」


 俺を呪う言葉を吐く復讐鬼。その後ろから白いシャツに包まれた腕が現れ、ガッと奴の体にしがみ付く。反撃を食らったはずの襲撃者が崩れ落ちそうになりながら、諦め悪く抵抗しているのだ。


「あァ!?ま、まだ死んでな……」

「もえ、ろ……ッ」


 ボッ!!


「いぃッ!?!?」


 ダルザの声が裏返る。

 突如として火が、地獄の業火のような赤い炎が膨れ上がり、奴を飲み込んだのだ。


「な、なによこれェ!?」


 まるであらかじめ油でも沁み込ませてあったかのように、一気に炎上するダルザの背。火炎は足元に広がる血だまりからも吹き上がり、あっという間に引き締まった長躯を火だるまにする。

 それだけでは飽き足らず、炎は奴の腕を伝ってこちらにまで飛び火。逃れる余地なく俺も焔に巻かれた。


「ぎぃやあああああああ!!熱い!熱いぃいいいいい!!」


 ダルザの悲鳴が夜の空に響き渡る。

 俺は突き飛ばされ、地面に叩きつけられた。


(痛ッ!)


 体中がバラバラになりそうな衝撃。息をするのもやっとなほどの苦痛。

 それでも倒れたまま焼け死ぬつもりは毛頭ない。


(炎が、消さないと!熱ッ……いや、熱くは……ない?)


 慌てて泥水の上で転がるが、奇妙なことに消火はできなかった。それだけなら大事だが、なぜか焼けるほどの熱も、肉が焼かれる痛みも、一つとして感じない。


「ん、これは……」


 そして気づく。燃え上がっているのは俺ではない。俺の体を蝕む血管だけが燃えているのだ。

 琥珀の蔦のようなそれはみるみる内に焼き焦げ、すぐに灰になって崩れ落ちる。血管に抉られた肉は戻らないが、火傷にもなっていない。


「なによこれ!があ!!燃える!燃えるぅうううううう!!」


 ダルザはというと、パニックに陥っていた。そして燃えていた。やはり生身の肌には火傷の一つもできていない。ただ鬼血でできた部分は違うようだ。俺に絡んでいた血管同様、増やした腕や半身は激しく燃え、胸の内側も、心臓も、全てが少しずつ灰になり始めている。


「クソがッ!クソがぁああああッ!!」

「うがっ」


 暴れる奴にそれでもしがみ付いていた背後の男が、振りほどかれて倒れる。最も濃密な炎に包まれた男。彼のフードが熱風に煽られて、その素顔が赤い光の中に曝される。


「!?」


 心臓を掴まれたような感触がした。

 襲撃者の顔を俺は知っていた。いや、知っているなどという話ではない。


「な、なんで……ッ」


 その男の名はアドニス。アドニス=ララ=オルクス。俺の父、オルクス伯爵だったのだ。


「アタシは、まだ、死ッなッなッいぃいいいいいいッッッ!!!!」

「!!」


 おぞましい絶叫を上げながらダルザは走り始める。心臓を破壊され、人間松明になってなお、死ぬことなく。途中で倒れ、転がり、なおも必死に立ち上がってどこかへ走っていく。


「ま、待てッ」


 このまま逃がしてはいけない。俺は反射的に追いかけそうになって、ぎくりと硬直する。倒れ伏したアドニスと目があったのだ。

 彼を取り巻く炎の勢いは衰えることなく、むしろ盛んに輝きを増している。以前、彼が言っていた。血統解放実験。火血。この炎は彼の能力なのだ。だとすれば増す勢いはそのまま出血の多さを意味している。


(……ッ)


 助けるべきか、追うべきか。逡巡に足が止まる。

 そもそも助けられるのか。助かるのか。助けるべきなのか。

 極限の中で空転する思考。刹那の時間が無駄に過ぎていく。もっと先だと思っていた決断が、目の前に転がっていた。


(俺は、俺は……ッ)


 そんな迷いを断ち切ったのは、ダルザの叫びだった。


「スキルハックゥウウウウウ!!!!」

「あいつ、まだ……!?」


 燃えながら逃げる復讐鬼。特殊な素材なのか、なかなか灰にならない服のどこかから、彼は琥珀の欠片を取り出して掲げていた。精髄琥珀、連中の切り札だ。


「いけ」


 そんな声が聞こえた気がした。


「クソッ」


 俺はありったけの魔力で体を補強し、天龍をアドニスの傍らに突き立てて走りだした。

 神器の鼓動から切り離された途端に体が悲鳴を上げる。もう無理だと。限界だと。


「喧しいッ」


 残った全ての神炎で、可能性の炎で限界(ソレ)を踏み越える。


「コォド!!」


 ダルザが突き上げた拳の中、琥珀から鬼雷と銀の光が溢れた。

 遠い。迷いの分だけ、まだ少しだけ遠い。このまま行けばどれだけ早くても三歩足りない。


(いいや、大丈夫だ!!)


 直感で合理的な推測を否定した。まさにそのタイミングで。


 ダァン!!


 力強い咆哮が轟き、闇夜を切り裂いて光がダルザの背に吸い込まれた。


「がへっ」


 呪文が肺ごと潰され、強烈な物理エネルギーに復讐者は突き倒される。

 俺から離れた。そして走った。直線的に。それが奴の失敗。

 アレニカの狙撃が無防備な獲物を捉えたのだ。


「オ゛ッ、オ゛ォオ゛オ゛オ゛ッ」


 濁った声とも言えない音をあげながら、それでも動こうとするダルザ。

 胸に雨狩綱平が刺さったまま、背中は狙撃の衝撃で大きく陥没し、左腕は肘から先がすでに焼失。肩も砕けたのかだらりと下がり、右半身も半分以上が灰になっている。

 だというのに、地面に落ちた琥珀を探して、燃える右手がぐにょぐにょと伸ばされる。


「ふッ」


 間合いに捉えた。そう感じるままに体を目一杯巻き込むようにたわめ、バネというバネで力を蓄える。

 虎猫の構え。構えだけで奥義の名を取る紫伝の中でも珍しい技。

 手に刀はない。それでもいい。


「神器、招来!!」


 魂の奥底で『技術神』が叫ぶままに、俺は叫んだ。

 その一声のもとにたわめ切った力を解放。地を駆ける一頭の虎となる。


「ア゛ッ、ダジ、ヴァ……ッ」


 ダルザの右手が琥珀を掴んだ。

 だが今度は俺の方が先だ。


「ガァ!!」


 吼え、抜刀。いつの間にか腰に現れていた黒い鞘から、琥珀製の刀を引き抜く。

 そして突きの形に。全ての速度を、勢いを、筋力を、切っ先に集約させて跳ぶ。


 紫伝一刀流・我剣「虎条崩閃」


 凄まじい衝撃。滑らかな刃の感触。暗く煌めく琥珀の刃が綱平の横へ突き立つ。そのまま復讐鬼の体を貫き通し、根本まで深々と刺さって、それでも止まらず数メートルほど共に走り抜ける。


「が、ぶぁ……」


 ようやく止まると、ダルザの膝から力が抜けた。ぐったりと俺の腕にその体重がのしかかる。

 鎺まで刀が食い込んだ今、俺と彼の間には鍔一枚、柄一つの距離しかない。濃密な血と、さりげない香水の匂いが漂った。


「あ、ヴぁ、ぢ、のぉ……ヂ、が、ら……」


 飴色の流体で形成された右腕が、のろのろと持ち上がる。指のほとんどが灰になった手で彼はまだ切り札を握り締めていた。その執念にはもはや呆れを通り越し、畏れすら湧いてくる。

 だが俺の見守る中、今もなお燃え盛って収まらない炎が、手のひらから琥珀に飛び火した。


「ア゛……ア゛ァ……ッ」


 掠れた悲鳴が死にかけの鬼の口から洩れる。

 涙が飴色の目から溢れ、その視線の先で精髄琥珀はあえなく灰と消えた。


「もう終わりだ、ダルザ」


 虎条という奥義は、俺がメルケ先生を葬った奥義「留打」と双璧を成す性質がある。

 あちらは静止状態から体幹だけで放ち、血管や神経を避けて心臓を的確に穿つことで苦しめずに殺す、いわば静の極致。

 対してこちらは流派の引き出せる最大の威力でもって心臓もろとも神経、血管、その他、人体に存在するあらゆる流れを破壊し確実に殺す、動の極致。


「が、ラだ、が……ッ」


 増してこれは、虎条崩閃は我剣だ。紫伝一刀流の追い求める技の到達点であり、俺自身(エクセル)の殺意と情熱を練り込んで鍛え上げた最高の刀技の一。魔力だろうが、鬼力だろうが、スキルだろうが、全てを破壊して敵を殺す。


「ま゛だ……じね、ナ゛、いッ……」

「いいや、終わりだ。技術神の執念を餞に、死ね」


 呻くダルザに言い聞かせる。


「わず、レ゛、だの……?ア゛ダ、ジ、には……ズ、ぎる、は、ック、が……アァ……ァ?」


 なおもスキルハックに頼って反撃を試みるダルザだが、すぐに彼の声は疑問に満ちた息と消える。その落ちくぼみ、死相の見える目が胸元に向かった。


「コノ゛、弾、丸……マ゛、サ、か……ッ」


 彼が見ていたのは後ろから心臓を貫き生える二振りの刀ではなく、肉にめり込んでいるはずの、肺腑を叩き潰した弾丸の方らしい。

 アレニカの狙撃に使われたソレは、なにか特別なものなのか。ダルザの顔に激しい恐怖と、それからようやくの諦めが目まぐるしくも浮かんだ。


「ア……アァ……」


 腕の中でどんどん力を失っていくピンク髪の長躯。鬼血製の半身もとうとう燃え落ち、開いた傷口から血が漏れ始める。

 ただし、その量は傷の大きさに反してあまりに少ない。大半が鬼のそれと入れ替わってしまった結果、燃えてなくなってしまったのだろう。

 そう考えると残された体が嫌に軽いような気にさせられた。


「ぜ……ぜ、る……あ、イし……ぐッ」


 奴がそれを言い終わるより早く、俺はもう一度刀を押し込んだ。

 言葉も想いも、まとめて断ち切るように。


「……がひゅ」


 最後の最後、わずかに残った赤い血を吐いて、ダルザは事切れた。


「……謝らないぞ」


 それだけ言い置いて刀を手放す。抜け殻のような遺骸は大地に転がった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 よろめきながらも遠くの塔を見上げる。崩れかけのその上にはアレニカと、なぜかエレナの姿もあった。


「……たすけ、られたね……」


 軽く手を上げて勝ちを伝える。そうしないと彼女たちもあそこから降りられないだろう。


(きつい……)


 もう倒れて寝てしまいたかった。意識がふわふわする。地面を踏んでいる感触がないし、なんなら大地震くらいの振れ幅で視界が揺れている。だがそうもいかない。

 俺は足を引きずり、まだチロチロと燃える場所へ向かった。そこに倒れているのは俺の今生の父、アドニス。

 やはり炎は彼の能力のようで、その身を包む高そうだが簡素な服も、引き裂かれ襤褸雑巾のようになった外套も、灰と煤こそ被れど燃えてはいない。

 ただ周辺の瓦礫は、燃えないような岩も含め、綺麗に灰になっていた 。


(……なるほど)


 俺の炎が人を殺せるのかと聞いてきた意味がようやく分かった。

 彼の炎は殺せないのだ。生き物を焼かない炎。そういう特殊な魔法なのだろう。


「……何を、やってるんだ」


 地面に突き立てた天龍のところまでたどり着き、崩れ落ちる様にアドニスの傍らへ膝をつく。

 骨太なだけで痩せ、やつれた、中年の肉体。その腹にはダルザの拳と同じくらいの穴が開いている。内側であの魔獣の爪のような形態に変化したのだとすれば、背中側はもっと酷いはず。傷を検めるまでもない。致命傷だ。


(無理だな)


 そう、経験がきっぱり告げている。

 内臓のほとんどが潰れるか破れるかして、中はほとんど臓物のペーストだ。たとえ俺がこの王都の大司教でも治癒は無理であろう、あまりに激しい損壊具合。

 辛うじて息をしているのは俺が置いていった天龍の加護に他ならない。


(シナジーの拡張は、予想通りに発動したか)


 使徒と神器のシナジーは魂の力。系統としては魔力や神力と同じだ。それなら意思の力で応用ができると踏んだ。だから一握りの、最後の神炎を柄に込めて置いて行ったのだ。

 間違ってはいなかった。俺の神炎と天龍は反応し、俺ではなくすぐそばにいたアドニスの命を繋いでくれた。ただ……十分ではなかったらしい。


「ぜぇ、ひゅー、ぜぇ、ひゅー、ぜぇ……ごほっ」


 白い喉が上下し、荒く苦し気な音が奏でられる。

 長い人生の間に何度となく耳にしてきた、一人の人間が終わりを迎える際の息。末期の呼吸。この男はもうすぐ死ぬのだと、否応なく理解させられた。


「……ほんとうに、何をやってるんだ」


 それ以外にかける言葉が思いつかず、俺は喘鳴を漏らす男に問いかける。

 赤みの強い紫の目がゆっくり動いてこちらを捉えた。


「そこに、いるのか……」

「……いる」


 そう答えると彼は小さく口元を歪めた。

 いつもの皮肉気な表情ではなく、どこか穏やかな笑み。


「ああ、そうか……そうか……なら、いい」

「貴方は何が、したかったんだ……」

「なにが、か……なん、なのだろう、な……」


 視線が一瞬だけ彷徨う。焦点を失い、虚空を漂う。

 しかしそれはすぐに俺の方へ戻ってきて。


「ああ、そうだ……最後に……最後に、見ようと思った……」

「見ようと?」

「お前の力を……私の夢を……妻と見た、夢の結末を……」

「……!」


 血統解放実験のことを言っている。それはすぐに分かった。

 結局なんであるかは、いまだに全貌が見えてこないその実験。でも何か、彼とその妻にとっては大切なモノであったろうことは察しがつく。よほど叶えたい願いだったのだろうことだけは。


「一目、見られれば、それでもう、よかった……未練はない……どうせ、助かる道も、ない……だから、見られれば、死んでよかった……」

「……!」


 少しずつ呂律の解けていくその物言いに体がカッと熱くなる。


「未練はないだと?助かる道はないから、死んでもよかっただと!?身勝手なことを……貴方は、自分が一体どれだけの人生を狂わせてきたと思っているッ」

「身勝手……身勝手か……私の人生が、勝手にいったことなど、なかったわ……」


 俺の糾弾にアドニスは口の端を歪めて嗤った。己を嘲笑った。


「ああ……だが、そうだな。身勝手かも、しれん……」


 俺が何を言うよりも先に、そんな言葉が彼の口からは続いた。


「なにせ、見るだけと、思っていたのが……見て、欲が出た……はは……げほっげほっげほっ!!」


 咳き込むアドニス。いよいよ不安定になっていく呼吸は、まるで短い蝋燭がジリジリと燃えていく様子のようだ。

 けれど咳の合間に短く混じる笑いは、直前の自嘲とは違った色を帯びていた。なにか嬉しそうな、心底に嬉しそうな笑いだった。


(欲が出た?今更、何を望むというんだ)


 分からない。分かるはずがない。俺の知るアドニスはあまりに薄いのだ。

 幼少期は父親から理不尽な扱いをされ、虐待同然の訓練を施されて育ってきた。

 伯爵の地位を得てすぐ、ザムロに見いだされ、貴族の掟を破って鞍替えを強行。

 妻を得て、彼女を愛し、そして失った悲しみに耐えきれず道を踏み外した。


(少なくとも彼の最大の望みは、もう潰えているはずだ)


 妻の肉体だけでも永らえさせる。その願いが報われない終着点に辿り着いたからこそ、彼はここにいるのだから。


「……望むとは?この期に及んで、何を欲することがある?」

「ひゅー……さい、ごに……何か、したく、なった……なんでも、いいから、少しだけ……はは、最後、だからな」


 夢破れた男の最後の望み。だと言うのに、哀れがましさも、怒りも、虚無感さえもない顔で男は笑う。満足したように。それを噛み締めるように。


「ああ、はは……わたし、でも、できる、のだな……」

「しっかりしろ!何を望んだんだ?何ができたって言うんだ!?」


 段々と具体性を失う言葉に道標を与える様に、俺は語気を強めて問うた。

 返ってきたのは優しい眼差しと、今までで一番に衝撃的な言葉だった。


「ちち、おや……」

「!!」


 心臓を鷲掴みにされたような気がした。


「……なんだ、それは……」


 呟く唇が震えた。


(最後に生まれた望みとは、父親として何かをすることだった……?)


 それはこんな大事に至ってから口にするには、あまりにも平凡で小さな願いだった。

 子を持つ親の大半がそうと思考せずとも抱くような、自然すぎて日々の中に埋もれてしまう類の感情。親心。あるいは母性と父性。俺の胸にも宿っている、本当にささやかな灯火。


(だが……)


 その火種は、しかし彼の中にはないと思っていた。何故ならそうした感情は、多くの場合、親から子へと灯し替えて受け継いでいくものだから。

 彼の印象はある意味でシンプルだ。子供の事など道具とすら思っていない男。彼から人生に干渉されたことはほとんどない。これまでの、押し付けるにしてもおざなりな態度は、無関心の表れだとばかり。


(違う、のか……?)


 俺の困惑など素知らぬ顔で、アドニスは独り小さく笑って見せる。


「は、はは……とお、まわり……こんな、かん、たんな……こと、だった……」


 いつも苛立っていた姿からは想像もできない、情けないほど覇気のない台詞。

 込められた感情は喜び、幸せ、そして安堵だ。


(……ああ、そうか)


 その顔を見ていて、なんとなく理解が及んだ。

 アドニスにとっての父親とは先代伯爵の事であり、己を痛めつけ、虐げるばかりの存在だった。害悪だった。受け取っていない父の愛を、彼もまた受け渡すことはできないのだと。そう思っていたのだ。


(違う……むしろ、そう思っていたのは彼自身か)


 自分は子供を愛せないと。愛する方法を知らないから、傷つけることしかできないはずだ(・・・)と。そうして己を呪って、俺やトレイスをビクターに押し付けたのではないか。自分の乳兄弟が愛情深い男であると知っていたから。


(だから最後の望みが「父親」なのか……その愛情が、自分が本当に欲しかったものだから……)


 彼は多くの失敗を経て、とうとう己を解き放ったのだ。先代伯爵のかけた呪縛から。そして彼自身がかけてしまった呪縛からも。


「あぁ……」


 深々と息を吐くアドニス。彼は定まらなくなった視線をこちらへ向ける。


「あ、あく、せら」

「ッ!」


 掠れた声で名前を呼ばれ、息が詰まる。

 忘れているとまで思っていたわけではないが、呼ばれたのは初めてだったかもしれない。


「にげ、るな、よぉ……」


 ワイン色の目がゆっくりと光を失っていく。


「わたし、の、ようには……にげる、な……」


 逃げるな。繰り返されるその言葉には血の滲むような感情が込められていた。それだけ逃げて来たという自覚があるのだろう。妻のことについても、そうだという自覚が。


「ああ、せしりあ……そこに、いるのか……」

「私は、セシリアじゃ……」


 言いかけて口を噤む。

 ついに男の眼差しが焦点を失っていた。今度こそ完全に。

 美しいガラス玉のような目に映り込むのは、もはや俺ではない。


「すま、ない……わたし、よわい、おとこだ……すまない……もし……もしも、やり……やりな、おせ、たら……」


 それすらも重労働だと訴えるように、震える手がわずかに持ち上がる。

 探しているのは愛しい妻の手だろうか。あるいはとうに見失った道の先だろうか。


「……そうだ、こんど、こども、たち……びく、たー、も……けい、さる……ぴくに、く……はは」


 最後に小さく笑うと、男のうわ言は途絶えた。彼が口を開くことは二度となかった。

 数多の奴隷を闇で捌いた悪党、アドニス=ララ=オルクスはあっけなく、ひっそりと、息を引き取ったのだ。


「何がやり直せたらだ、大馬鹿者」


 俺は自分の小さな手に視線を落とす。

 傷だらけの手のひらに取った、大きくも衰えた男の手。


「……大馬鹿者」


 それしか言葉は出てこなかった。

打ちきりにするならここだなって、思った人ゼッタイいますよね?

もうちょっとだけ続くんじゃ……。


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というか大きな節目なんでね!いいにしろ悪いにしろ思ったコト書いてください!!

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― 新着の感想 ―
そろそろ完結に向かってるのかな 学園ものっぽいストーリーとか技術神になる前のメンバーとの邂逅とか まだまだ色々お話はみたいところです(ヽ´ω`)
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