俊紅3
夜の自宅。
ボーッとテレビを見ている走矢の背後にエリスが静かに立つ。
走矢が気配を感じたときにはすでに遅く、彼の首にエリスは牙を立てる。
「今日はもう加護はいいだろ……」
言いながら走矢は気づく。
牙が刺さっていない。
甘噛みするように我が子の首筋に牙を立てるエリス。
この首筋への甘噛みはヴァンパイアのコミュニケーションなのだが、ネットで調べても解釈の幅がとても広い。
あいさつ程度と言うサイトもあれば求愛行動と書かれたサイトもある。
わざわざ首筋に牙を立てて血を吸わない行為は、『貴方は私の糧ではない大切な人です』という意味があるらしい。
小さい頃はよく母に甘噛みされていたが成長するにつれてそれがなくなった事を思い出す走矢。
「母さんどうしたの、いきなり……」
ん〜、とだけ応える母。
口がふさがっているのだからまともに応えられないのはわかるんだが……。
走矢にはある考えが思いうかんだ。
羽月の事件のとき、母が瀕死の状態で自分に告白した事。
あの後有耶無耶になってしまったが、いまだにあの告白とどう向かい合えば良いのかを走矢は保留にしたままだった。
そして、アクションを起こしたエリス自身も自分の行動に困惑していた。
いつぞやの酔ったふりをして抱きついてしまったのと同じ、つい自分の衝動が抑えられなくなってこのような行動に出てしまったのだ。
今からでも牙を突き刺して明日の分の加護といいはるか?
いや、さすがに初動から時間が経ってしまっていてその言い訳は苦しい。
思えばあの日の告白もアレが最期だと思ったからしたわけで、こうして生存するとわかっていればもう少し違う言い方をしただろう。
本心だったとはいえ、思い出すだけで顔が真っ赤になる。
恥ずかしさのあまりバタバタと音を立てそうになる翼を意識して止めようとする。
そういえば亡き夫、新矢にもよくこうして甘えていた事を思い出す。
と、同時に新矢と走矢について思いを巡らせる。
顔も声も匂いも血の味までも新矢と同じ息子、走矢。
しかし性格や纏った空気は全然違う。
血が混ざらずに産まれた子をよく、クローンだとかコピー人間などと呼ぶ者がいるが、走矢は新矢のクローンでもコピーでもないと断言できる。
確かに彼を亡き夫の身代わりとして見ていた時期はあった。
しかし共に過ごし、時にはぶつかり時には支え合って生きていくうちにその考えは改めさせられた。
立場が違う、環境が違う。
確かにそれもある。
何がと具体的に言えないもどかしさはあるが、間違いなくエリスの中で走矢は新矢の身代わりでもコピーでもない、1人の愛する異性になっていた。
その時、エリスのスマホの着信音が鳴る。
「あぁっ、電話電話……」
それまでの行為を誤魔化すように部屋から出ていくエリス。
そして安堵のため息をつく走矢がいた。
「えぇっ? 十字架が苦手なのかですって?!」
学校の昼休み、走矢の質問に対する春香のリアクションだ。
要はヴァンパイアが苦手と言われる日の光、ニンニクそして十字架が本当に駄目なのかという質問だ。
「ニンニクは1回酷いことがあったよね」
「あぁ、あのラーメン屋の時ね」
咲花と春香のやり取りを聞いて、桜と直が気まずそうに笑う。
「前に4人で遊びに行ったとき、お昼に人気のラーメン屋さんに座れそうだったんでそこに入ったのよ。そしたらこの2人が大盛りニンニクラーメンっていうのを頼んだんだけど……」
「大盛りだったのはニンニクの方だったのよね。しかも2人とも完食しちゃうし……」
「まぁ、後はお察しよ」
「最後は春香がブチ切れて近くのコンビニで口臭消すやつ買ってきて、2人の口に無理やり詰め込んでたわ」
「あれ、詰め込んでる私が一番地獄を見たんだけど……」
なるほど、ニンニクが苦手というのは少し違うようだ。
「って言うか、人間だって苦手な人いるでしょ。ニンニク。その範疇よ」
「私はニンニク駄目かも。でもなんでそんなこと聞くの? まさか私達の事、退治するつもり?!」
「いやそうじゃなくって、何か伝承の出どことかあるのかなって思っただけだ。母さんも普通にニンニク食べるし」
走矢の言葉にゲッ、ともらす咲花。
「太陽は夏とかだと人間だってヤバイでしょ。暑さ。多分、貧血気味のヴァンパイアが暑さで倒れでもしたんじゃないのかしら」
「太陽の光で灰になるとか、そんな事あるわけ無いじゃん」
「あぁ、うん。母さんも夏になるとよくベランダで肌を焼いているし……」
「オメェのかーちゃん、いちいちヴァンパイアの伝承を覆してんだな」
走矢の話に桜が突っ込む。
「じゃあ十字架も……」
「あぁ、それは割とあるかも」
春香の返答に驚く走矢。
「前に話したでしょ、私達ヴァンパイアは堕天使の末裔、つまりは天使の末裔でもあるのよ。その影響で聖なる物には逆らえない本能のようなものがあるの。個人差はあるけど、十字架に対して攻撃できないとかは普通にありえるわ」
「そうなんだ……。いや、母さんがよく十字架の玩具で背中とか掻いていたから平気なのかと思ってた」
「オメェのかーちゃん、本当にヴァンパイアの概念から逸脱してんな……。ってか十字架の玩具って何だよ」
「昔ハロウィン用の仮装セットに入っていたんだ。確かセクシーヴァンパイア……」
「ごめん、聞いた俺が悪かった」
「いったい何に使うのよ、セクシーヴァンパイアの仮装セットなんて……」
空気を読んで話を打ち切ろうとする桜を無視して春香が深入りしてくる。
「俺が通っていた保育園でハロウィンのとき、親も参加する仮装パーティーみたいのがあってさ……」
「保育園の仮装パーティーじゃなおさらありえないでしょ」
いつになくまともな受け答えの春香に言葉を詰まらせる走矢。
「ねぇ、もしかして走矢って東上沢保育園?」
「えっ?! そうだけど、どうして咲花が知って……。あっ?!」
突然の咲花の質問に驚く走矢。
「私もそこだったからなんか今の話、聞いたことあると思って。すっごい水着みたいな衣装で来たお母さんがいて、うちのお母さんが怒って注意してたの覚えてる」
「あぁ、俺もなんか思い出してきた。母さんがよそのお母さんに怒られていたの……。あの女性、咲花のお母さんだったのか」
「あと、お父さんも目のやり場に困っていた」
「『持病の癪』でとっ捕まえたお父さんか……」
「とっ捕まえた言うな!」
「エミちゃんとソウちゃんって同じ保育園だったの?!」
走矢と咲花のやり取りに直が割って入る。
「走矢とは違うクラスだったけど、お母さんの事は覚えてる。男の子がゾンガーって呼んでた」
「なんか聞いたことある呼び名だね。たしか怪獣映画に出てくる敵怪獣だったっけ? 二足歩行で大きなコウモリみたいな翼が生えていて……。あっ?!」
爪を立てて威嚇するようなポーズ。
おそらくゾンガーのつもりなのだろうが、そのポーズをとりながら察する直。
「そう、それで付けられたアダ名が大怪獣ゾンガー。それを言われるたびに『誰がゾンガーだ!!』って言いながら言った子供を追いかけ回していたんだけど、保育園最後のハロウィンパーティーのときに目にもの見せてやるとか言って……」
「一体何と戦ってたんだ……」
「それでセクシーヴァンパイアになっちゃったってわけね。そう言えばゾンガー先輩、見ないけど……」
「トイレにでも行ったんじゃないか? あと、絶対母さんの前でゾンガーって言うなよ。今でも気にしているみたいだから。少し前にそのゾンガーが出てくる映画をテレビでやってたんだけど、夜のシーンでテレビ画面が真っ黒になったとき映っていたんだよ。俺の後ろに立って、恐ろしい形相でテレビ画面をにらみつけている母さんが。画面越しに目が合ったときは悲鳴が出そうになったね」
「それはご愁傷さま……」
そう言って走矢に手を合わせる春香に死んでねぇし、と返す。
その頃、エリスは先日体調不良で保健室に運ばれた高城絵理子の後をつけていた。
エリスが目撃した絵理子の様子は、とても数日とかで回復するようには見えなかった。
もう一つ、エリスが引っかかったのはそんな状態になっても彼女の気配には何の変化もなかったという事。
体調が悪くなったり、逆に気分が高まったりすればそれが気配にもあらわれる。
死人のよう、と例えるほど具合が悪そうだった絵理子の気配に全く変化が無かった事。
コレに不信感を抱いたエリスは彼女の動向を探っていた。




