6.一人目
神殿へ戻った時には、すでに朝日は高く昇っていた。
李華は全身泥だらけだった。
肩から血を流し、裸足の足は傷だらけで、借りた剣の鞘までなくしている。
それでも、夜露蘭だけは傷つけず、手の中に握っていた。
神殿の戸口には、藍雨が座り込んでいた。
寝台から這ってきたらしい。
片手には斧を握っている。
李華を見るなり、藍雨は言った。
「……遅いぞ」
「命を懸けて戻った男に、最初に言う言葉がそれか」
「花は?」
李華は「ここに」と、夜露蘭を掲げた。
藍雨の目がわずかに見開かれる。
「……本当に取ってきたのか」
「俺を何だと思っている」
「屋根を盛大に壊した、不審者」
「ここまでしたんだ。もう少し評価を改めてもよい頃だろう」
李華は藍雨の前まで歩いた。
そこで力が抜け、その場へ片膝をつく。
藍雨が眉を寄せた。
「おまえ……噛まれたのか?」
「少し、掠られただけだ」
「見せてみろ」
「俺より、自分の心配をしろ」
李華は夜露蘭を藍雨へ押しつけた。
藍雨は受け取らなかった。
淡い藍色の瞳が、李華の肩の傷へ向けられている。
「心配するな」
李華は笑った。
「俺は、そなたが思うより丈夫だからな」
李華は夜露蘭をすり潰し、残っていた水へ溶かした。
藍雨の口元へ器を差し出す。
「飲め」
藍雨は器を見つめたまま動かない。
「いいから飲め」
李華が器を押しつけると、藍雨は渋々口をつけた。
薬を飲み終えしばらくすると、藍雨の呼吸がゆっくりと落ち着き、黒紫色の筋が薄れ、青白かった頬に血色が戻ってきた。
ーーその時。
李華の右手首が熱を持った。
一つ目の赤い輪が、淡い光を放った。
“九十九”
と、金色の文字が浮かび上がり、静かに消えていった。
李華は目を細めた。
「あと、九十九……か」
これまで、数えきれないほど多くの戦で、人々を勝利へ導いてきた。
何千、何万という命を救ったと讃えられたこともある。
だが、あれは神力で成したことだ。
自ら傷つき、泥にまみれ、一輪の花を求めて崖へ下りたことなど、これまで一度もなかった。
李華は、消えた輪の跡を指でなぞった。
「……華李」
藍雨の声がする。
李華が顔を上げると、藍雨がこちらを見ていた。
「何だ」
「なぜ、俺を助けた?」
李華は言葉を探した。
天界へ帰るためーー初めは、それだけだった。
だが、今は少し違う気もした。
死ぬことを当然のように受け入れた藍雨の顔が、気に入らなかった。
生きることに執着しない人間を、無理にでも生かしてみたくなった。
もっとも、それを本人へ言うつもりはない。
「屋根の修理代だ」
李華は答えた。
藍雨は壊れた天井を見上げた。




