1.天界一の堕落者
天界で最も高潔な神は誰か。
そう問われれば、答えは神によって異なるだろう。
では、天界で一番の堕落者は誰かと問えば、誰もが口を揃えて、武神・李華の名を挙げる。
かつては、戦勝と栄光を司る大神であり、誰もが羨望の眼差しを贈る美しい神だったが、人々の身勝手な祈りに嫌気が差し、百年間、神殿に引きこもって酒と惰眠に明け暮れていた。
そのせいで、今や信仰は衰え、下界では彼の名を知る者さえ少なくなっていた。
***
天界の北方に建つ宮ーー旌華宮。
かつては、地上から届く祈りが大輪の花となって咲き誇る、美しい宮だった。
戦を前にした兵士の願いは、燃えるような赤い花に。
栄達を望む若者の願いは、金色の花に。
家族の無事を祈る老人の願いは、雪のように白い花に。
数えきれぬ花々が四季を問わず咲き乱れ、夜になれば星のように輝いた。
――それも、昔の話である。
今では庭の花はすべて枯れ、香炉の火もとうに消えていた。
金の柱には蜘蛛が見事な巣を張り、磨き上げられていた白玉の床には、空になった酒壺が所狭しと転がっている。
その中心で、李華は長椅子に寝そべっていた。
漆黒の長髪は床まで垂れ、酒に濡れた衣は乱れている。
百年ものあいだ宮殿に籠もっていたとは思えないほど、その姿は美しい。
白磁のような肌。
優美に切れ上がった目元。
まるで、月光を閉じ込めたかのような、淡い金色の瞳。
かつて地上では、李華の姿を一目見た者は、その美しさだけで生涯彼を信仰したといわれたほどだ。
これほどだらしのない姿であるにもかかわらず、その美貌には一点の曇りもなかった。
李華は寝台に横たわったまま、片目だけを開けた。
春の穏やかな風が、開け放たれた窓から神殿へ入り込んでいる。
薄桃色の花弁が白い床を滑り、酒瓶の間を縫って、李華の頬に一枚落ちた。
それを払うことさえ面倒で、李華は再び目を閉じる。
「……もう飲めぬ……」
寝言だった。
腕の中には、空の酒壺が大切そうに抱かれている。
そこへ、閉ざされていた大扉が勢いよく開いた。
「李華神君!」
梁に積もっていた埃が、ぱらぱらと落ちる。
白い官服をまとった青年が、足早に広間へ入ってきた。
天帝に仕える文官、明廉である。
その後ろには数名の天兵が続いていたが、皆一様に、足元に転がる酒壺を踏まぬよう苦労していた。
「李華神君!お目覚めください」
明廉が長椅子の前で呼びかける。
李華は目を開けなかった。
「李華神君!」
「……供物なら、そこへ置いておけ」
明廉の眉間に深い皺が刻まれた。
「天帝陛下がお呼びです」
「留守だと言え」
「あなた様は、ここにおられるでしょう」
李華は目を閉じたまま、酒壺を抱き直した。
明廉のこめかみが引きつる。
「陛下は大変お怒りです」
「いつものことだろうに」
「今回は、これまでとは違うのです」
李華はようやく身体を起こした。
長い髪が肩から滑り落ちる。
「仕方がない。では、行くか」
明廉はわずかに安堵した。
だが、長椅子から下りた李華の足元を見て、すぐに顔を強張らせた。
履物を、片方しか履いていない。
「李華神君」
「なんだ」
「もう片方はどこです?」
李華も自分の足元を見た。
「さて」
「どこへやったのです」
「覚えておらぬ」
「探してください」
「面倒だ。このままでよい」
「これから天帝陛下の御前へ出るのですよ」
「片方あれば歩ける」
「そういう問題ではありません!」
李華は辺りを見回し、足元に転がっていた酒壺を蹴った。
酒壺は床を転がり、明廉の足にぶつかって止まった。
天兵たちが一斉に目を逸らした。
明廉は深々と溜息をつく。
天界で最も美しく、最も高貴で、最も救いようのない神ーーそれが現在の李華に対する、神々の共通認識だった。




